第33話 魚を無駄なく
第33話 魚を無駄なく
朝。
紬は目を覚ますと、少しだけ冷たくなった空気を感じた。
「……今日も、ちょっと涼しいな」
外へ出る。
空を見上げると、夏の頃よりも高く感じる青空が広がっていた。
森を吹き抜ける風にも、秋の気配が混じっている。
紬は籠を背負うと、まず畑へ向かった。
「さて、と……」
最初に目に入ったのは、ニンジン。
葉は少しずつ大きくなっている。
けれど、地面の下がどうなっているのかは分からない。
「まだ、そんなに変わってないかな」
葉をそっと触ってみる。
元気そうではある。
「もう少し待たないと駄目だね」
次はジャガイモ。
こちらも、目立った変化はない。
紬は本を開いて確認してみた。
表示された状態は――
【名称】ジャガイモ
【状態】休眠中
「……休眠中」
紬はその文字を眺めた。
「寝てるってことだよね?」
もちろん、本から答えが返ってくるわけではない。
「じゃあ……この冬は、収穫できないかもしれないな」
少し残念だ
けれど、植えたばかりなのだから仕方がない。
「来年かな」
そう考えて、最後にネギを見る。
「……」
紬は黙った。
ネギは元気だった。
昨日より増えているようにすら見える。
「……なんで?」
植えた時は、1本だけだった。
それが今では、あちらこちらから伸びている。
「ネギだけ、元気すぎない?」
風が吹く。
ネギが、さらさらと揺れた。
「……まあ、元気ならいいか」
紬は少し太く育ったものを何本か選んだ。
根元を持って、ゆっくり引き抜く。
すぽっ。
「おお……」
土の中から、白い根がついたネギが出てきた。
自分で植えたものを、自分で収穫する。
たったそれだけのことなのに、少し嬉しい。
「今日はこれを使おう」
紬はネギを籠へ入れた。
そして、ふと昨日のことを思い出した。
「そういえば……」
家に戻る。
昨日焼いたタイタンサーモン。
食べたのは、三枚におろしたうちの一切れだけだった。
残った魚は、まだ十分な量がある。
「……まだこんなにあるんだ」
大きな魚だった。
一切れ食べただけでは、ほとんど減っていない。
「全部今日食べるのは無理だよね」
紬は魚を眺めた。
しばらく考えてから、半分ほどを別に取り分ける。
「これは保存する」
残りを見る。
「こっちは今日食べよう」
せっかく手に入れた魚だ。
新鮮なうちに、もう一度食べてみたい。
「何にしようかな……」
紬は籠の中を見る。
今、収穫したばかりのネギ。
そして森で採ってきた食べられるキノコ。
「……スープにしよう」
昨日食べた魚は、塩だけで焼いた。
今日は、少し違うものにしてみたい。
まず、タイタンサーモンの頭を持ち上げる。
「これ、大きいな……」
頭だけでもかなりの大きさがある。
紬はしばらく眺めた。
「……これ、焼いて食べられるところ、まだ結構ありそう」
頭は、そのまま焼くことにした。
そして、食べるのが難しそうな太い骨も捨てずに使う。
「骨は……出汁にできそう」
前の世界で見た料理を思い出すし、魚の骨や頭から、出汁を取る。
それなら、この大きな魚も無駄にしなくて済む。
「よし」
紬は火を起こし、平たい石を温める。
その上でタイタンサーモンの頭を焼いていく。
じゅう……。
魚から脂が染み出す。
香ばしい匂いが、辺りに広がった。
「……いい匂い」
紬は頭を少し動かしながら、全体に火が通るようにする。
その横では、食べにくそうな太い骨をカチワリの器へ入れていく。
水を加え、火の上でゆっくり温める。
さらに、身も少し取り分けて入れた。
「こっちにも、少し魚を入れよう」
魚の骨だけではなく、身も入っている。
これなら、食べるスープとしてもよさそうだ。
ふつ。
小さな泡が浮かぶ。
「じっくりでいいかな」
紬は火を調整した。
強くしすぎないようにする。
しばらくすると、水から魚の香りが漂い始めた。
「お……」
そこへ、収穫したばかりのネギを切る。
石の上に葉を広げ、黒い刃で丁寧に切っていく。
しゃく。
しゃく。
切ったネギを、そのままカチワリの器へ。
続いてキノコ。
食べられることを確認したものを、手で小さく分ける。
「これも入れよう」
ぽとぽと。
キノコがスープへ落ちていく。
最後に塩を少し。
「……これだけ」
紬は木の枝で、そっと混ぜた。
魚の骨と身。
ネギ。
キノコ。
塩。
それだけの、シンプルなスープ。
「タイタンの……シンプルスープ」
紬は小さく呟いた。
「うん。これでいいや」
料理名なんて、難しく考えなくていい。
自分が分かれば、それでいい。
その間にも、頭はじっくり焼けている。
表面がこんがりと色づき、香ばしい匂いがさらに強くなった。
「そろそろかな」
紬は頭を火から外した。
そして、大きな葉を地面に広げる。
その上へ、焼いたタイタンサーモンの頭を置く。
隣には、カチワリの器。
中には、魚の身とネギ、キノコが入った温かいスープ。
「……いただきます」
紬は枝で作った箸を手に取った。
まずは頭の周り。
箸で身をほぐす。
ふわ。
焼けた身が、骨からきれいに外れた。
「……おいしそう」
一口。
「……ん」
昨日食べた身とは、少し違う。
頭の周りの身は脂が多く、香ばしい。
魚そのものの味がしっかりしている。
「おいしい……」
もう一口。
さらにもう一口。
箸で丁寧に身を取っていく。
「頭って、こんなに食べるところあるんだ……」
食べ進めるほど、思っていたよりも身が残っていることに気づく。
「もったいないな」
紬は骨の間まで確認する。
食べられるところは、できるだけ食べる。
すると――
「ギョ?」
いつの間にか、ルーチェが近くに来ていた。
「……食べたいの?」
「ギョ」
紬は笑った。
「じゃあ、一緒に食べようか」
「ギョェ!」
ルーチェが嬉しそうに近づいてくる。
紬は焼いた頭から食べやすい身を少し取り、ルーチェにも分けていった。
「はい、どうぞ」
「ギョ」
ぱくっ。
「おいしい?」
「ギョ!」
ルーチェは嬉しそうに羽を揺らした。
「よかった」
紬もまた、頭の身を食べる。
魚の脂と香ばしさが口の中に広がる。
焼いただけなのに、十分おいしい。
「これなら、頭もちゃんと食べられるね」
今度はスープを見る。
カチワリの器から、ふわりと湯気が立っている。
紬は箸でネギを一つ取った。
ふうふう。
冷ましてから口へ運ぶ。
「……甘い」
自分で育てたネギ。
いつも見ていたものが、料理になっている。
次にキノコ。
「これも……」
魚の旨味が染みている。
そして、少しだけ身の入ったスープを口にする。
「……おいしい」
魚の骨から出た旨味と、身の味。
そこへネギとキノコの香りが重なっている。
塩だけなのに、ちゃんと料理になっていた。
「魚って、すごいな……」
紬は感心しながら、もう一口飲んだ。
「ギョ」
ルーチェが近づいてくる。
「熱いから、ちょっと待ってね」
紬は箸でキノコを一つ取る。
ふうふう。
「はい、あーん」
「ギョ」
ぱくっ。
「どう?」
「ギョ!」
「おいしい?」
「ギョェ!」
「よかった」
今度はネギ。
「はい、あーん」
「ギョ」
ぱく。
ルーチェは飲み込むと、すぐに紬を見る。
「もう一個?」
「ギョ!」
「はいはい」
また一つ。
今度は魚の身も少し。
「これもおいしいよ」
「ギョ」
ぱくっ。
ルーチェは嬉しそうに羽を揺らした。
「……なんだか、慣れてきたな」
紬は笑った。
最初は、ただ生きるために食べていた。
水を探して、火を起こして。
食べられるものを探して。
それだけだった。
でも今は。
自分で育てたネギを収穫して。
自分で捕った魚を料理して。
森で見つけたキノコを入れて、作った器にスープを入れて。
そして、隣にはルーチェがいる。
「……ちゃんと、ご飯になってる」
紬はカチワリの器を見つめた。
「なんか……いいな」
ゆっくりと食事を続ける。
急ぐ必要はない。
今日は、食べるものがある。
温かいスープもある。
それだけで、十分だった。
食べ終わる頃には、火も小さくなっていた。
紬は大きく息を吐く。
「……ごちそうさま」
「ギョ」
ルーチェも満足そうだった。
紬は食器を片づける。
そして、保存するために分けておいたタイタンサーモンを見る。
「さて……」
これを、どうするか。
冬まで食べ物を残しておくなら、保存方法を考えなければならない。
「干物……」
紬は考える。
前の世界で見たことがある。
魚を開いて、乾燥させる。
「でも……」
紬は魚を見る。
「干すには時間がかかるよね」
今はまだ秋の始まり。
日中は暖かい。
それに、ただ外に置いておけばいいわけではない。
虫もいる。
森には動物もいる。
雨が降れば、乾燥も進まない。
「うーん……」
次に思いついたのは、塩漬け。
「塩漬けなら……」
紬は、残っている塩を見る。
最初に持ってきた大事に持っている塩。
「……そんなに、たくさんないんだよね」
料理にも使いたい。
これから冬を越すことを考えるなら、塩を全部魚に使うわけにはいかない。
「塩は、もっと大事に使わないと」
紬は腕を組んだ。
「干すのは時間がかかる」
「塩漬けは、塩が足りない」
では。
「……燻製」
紬は、その言葉を思い出した。
前の世界で読んだ本に書いてあった。
煙を使って魚を乾燥させ、保存しやすくする方法。
「燻製なら……木と火と煙があればできる」
森には木がある。
枝もある。
火も起こせるようになった。
材料だけなら、なんとかなるかもしれない。
「でも……」
紬は少し考える。
「私、実際に作ったことないんだよね」
本で読んだことはある。
知識として知っている。
けれど、実際に魚を燻製にした経験はない。
「煙を当てればいい……んだったよね」
紬はぼんやりと思い出す。
「火を強くしすぎたら、ただ焼けちゃうし……」
どうやって煙を出すのか。
魚をどこに置くのか。
煙をどうやって当て続けるのか。
「……まず、置く場所が必要かな」
紬は森の方を見る。
太い枝。
細い枝。
蔓。
今まで集めてきたもの。
「三本くらい、丈夫な枝を組んで……」
頭の中で、少しずつ形を作っていく。
火の上に魚を置く台を作る。
火から少し離して。
強い炎ではなく、煙が魚に届くようにする。
「……これなら、作れるかも」
紬は残ったタイタンサーモンを見る。
「よし」
明日。
やってみよう。
初めての燻製。
うまくいくかどうかは、分からない。
でも。
分からないなら、試してみればいい。
「……明日は、燻製を作ってみよう」
小さな火が、ぱちりと音を立てた。
その隣で、ルーチェが首を傾げる。
「ギョ?」
「明日、魚を長持ちさせる方法を試すの」
「ギョ」
分かったのか、分かっていないのか。
ルーチェは一度だけ鳴くと、紬のそばへ寄った。
紬は残った魚を眺めながら、静かに頷いた。
秋は、まだ始まったばかり。
冬が来るまでに。
できることを、少しずつ増やしていこう。




