第2話 最初の朝
初めての世界で初めての朝
第2話 最初の朝
鳥の鳴き声で目が覚める
遠くで、聞いたことのない鳥が何度か鳴いている
その声に、紬はゆっくりと目を開けた。
屋根のない石壁の向こうに、空が見えていた。
朝の光を受けた空は、淡い青色そして羊のような雲
紬はしばらく、何も考えずにその空を見て思う
昨日までなら、目を覚ませば見慣れた天井だったのに
けれど今は、青い空
「……朝か」
小さく呟いて、のっそりと
からだが痛い。
落ち葉を敷いただけの地面は、やっぱり硬かった。
それでも、疲れた身体は睡眠を欲していたようで朝まで爆睡だった
夜の間に何かが近づいてくることもなかった
「とりあえず……生きてる」
立ち上がって、身体を動かしてみる。
腕。
足。
肩。
少しダルいが痛むところはない
服も昨日のまま着替えをしたいが我慢
靴も履いている
ふと、自分の顔が見たくなり
紬はスマートフォンを取り出した。
電源を入れようとして、手を止め
「……もったいないか」
今はまだ、使う必要がない。
電池はできるだけ残しておきたい、もしかしたら繋がる時が来るかもと淡い期待を心に残していたい
黒い画面を傾ける
ぼんやりと、自分の顔が映る
髪は乱れて
頬には土がついて少し疲れた顔
「ひどい顔……」
思わず苦笑した。
でも、そこに映っているのは間違いなく自分だ
それだけで、少し安心した。
そして、今持ってるにもつを寄せて
食料を一つずつ確認する
にんじん。
じゃがいも。
キャベツ。
ネギ。
クッキー。
飴。
塩。
水。
全部ある
クッキーは昨日三枚食べた。
飴は一つ。
「クッキー……あと七枚」
袋を覗く。
「飴は七個」
野菜はまだ残っている。
けれど、こちらはそのうち腐る。
冷蔵庫もないし
保存する方法も分からない
紬は少し考え
「食べるだけじゃなくて……増やさないと」
食べればなくなる
けれど、植物なら育てられるものもあるかも
どこまでできるかは分からないけど
それでも、やってみるしかない
荷物を持って、石壁の外へ出る。
そこで、紬の足が止まった
「……これ」
地面に足跡があった
昨日は暗くて気づかなかった。
石壁から少し離れたところに、いくつかの跡が残っている。
しゃがみ込む。
蹄のふたつに別れた足跡
自分の知っている犬や猫の足跡とは違う。
イノシシなのか、鹿なのか判別はできない
「昨日の夜……来てたのかな」
足跡は石壁の近くまで続いていた
そして、その周囲を回るようにして森へ戻っている
昨夜、遠くで聞こえた鳴き声を思い出す
紬はしばらく足跡を眺めた。
追いかけようとは思わない
「……食べ物、地面に置かないほうがいいよねこれ……」
それだけ決める
立ち上がり、周囲を見渡していると
その時
「……あれ?」
昨日の夜には気づかなかった。
石壁から少し離れた場所に、一本だけひどく大きな木があった
周囲の木々も十分に大きい。
けれど、その木は明らかに違った。
幹が太い。
枝も太く、低いところから大きく横へ伸びている。
葉が多く、上のほうは空を隠すほど広がっていた。
「こんな木、あったんだ……」
近づいて確認しに行く
「おっきー!」
幹に手を触れる。
少しひんやりしていている
表面には古い傷がいくつもある
けれど、腐っているようには見えない
上を見上げる。
低い枝でも、少し高い
「……登れないかな……」
側を観察していると
すると、幹の横に大きなものが張り出しているのが見えた
「……ん?」
近づいてみるとそこに
木の幹から生えた、巨大なキノコのようなもの
見覚えがある。
「サルノコシカケ……?」
図書館で植物やキノコの本を眺めていた時に見たことがある。
もちろん、こんな大きさのものは見たことがない。
手で触れてみる。
硬い。
かなりしっかりしている。
上に乗っても大丈夫そうだった。
「これ……足場にできるかも」
慎重に足を乗せてみる
びくともしない!
もう片方の足を乗せる
少し身体を上げる
そこから幹に手を伸ばす
指が引っかかる場所を探す
「よいしょ……」
一段
また一段
階段みたいで
思ったより登りやすい
やがて、低い枝に手が届いた
身体を引き上げる。
「…ハァハァ…登れた」
太い枝に腰を下ろす
下を見る。
思ったより高い。
でも、怖いというより――
「……結構、見えるなここ」
石壁が見え
沢も見える
その向こうには、昨日自分が倒れていた草原だろう
チラチラと青い花が、朝の風に揺れている
そして、その周囲を森がずっと取り囲んでいる
人の気配はない……
「ここ、いいかも」
高いところにいるだけで、少し安心する
昨日の足跡も思い出し
地面より、ここに置いたほうが食料は安全そうだ
紬は一度木から降りた
そして、食料を持ってまた登る
水は残して後で使うから
木に着いていたツタを使って食料を下に落ちないように枝に縛り付けておく
「ここれなら、とりあえず大丈夫かな少しめんどくさいけど」
鳥や小さな動物が来る可能性はある。
それでも、地面に置いておくよりは安心できる
「食料庫……」
自分で言って、少し笑った。
食料の中から野菜を見る
にんじん
じゃがいも
キャベツ
ネギ
全部食べてしまえば、それで終わる。
けれど、育てられるものもある。
じゃがいもはまだ大丈夫、人参とキャベツは近いうちに食べてしまおう
ネギを見て
昔読んだ園芸の本を思い出す。
土。
水。
日当たり。
種。
細かいところまでは覚えていない。
「……まあ、やってみよう」
木からネギを握りしめ降り
石壁から少し離れた場所を探す
木々が密集していなくて、日が当たる場所
沢にも近すぎない
石壁からほんの少しの所に良さげな場所を見つけた
土を踏んでみる
少し柔らかい
「ここなら……」
小さな場所を決める。
まずは、本当に小さい。
畑というより、土を少し耕しただけの場所
石を取り除き
草の根を抜く
手が汚れる。
「……軍手、持ってくればよかった」
もちろん、持っていない。
そのまま続ける。
ネギを見る。
根元が残っている。
「これは……いけそう」
小さな穴を掘る。
ネギを植える。
土をかぶせる。
ペットボトルの水を少しだけ、根元へかける。
「……育つかな」
小さな緑の葉が、土から顔を出している。
昨日まで台所にあったネギを思い出すきっとこのネギも育つはず
現代のネギが知らない世界の土に植えられている
なんとなく不思議だ
「元気に育ってね」
立ち上がる。
そして、次に考えたのは火だった
料理をするにも必要だ
夜を過ごすにも、あったほうがいいけれど
火を起こせる道具はない
火起こしはめちゃくちゃ大変だ
うろ覚えだが火打ち石みたいなものを見たことがある
石をふたつ拾う
打ち合わせてみる
小さな音がする
けれど、火花は出ない
「…まぁ無理だよね…難しい」
何度か試してみる
が元々石が違うのかもと
今日は諦めることにする
今すぐ火がなくても、食べ物はある
水もある
まずはできることから
そう考えて、もう一度大木を見上げた。
「……寝る場所」
屋根のない石壁。
雨が降ったら困る。
でも、この木なら葉が多い。
少しくらいなら雨を防いでくれるかもしれない。
それに、地面より高い。
昨日の足跡のことを考えると、それだけでも安心できる。
もう一度木に登る。
太い枝をいくつか確認する。
身体を横にできそうな場所を探す。
少し先に、枝が何本か重なっている場所があった。
「ここなら……」
地面から柔らかそうな草を集める。
枯れ葉も集める
何度も木を登り降りする
少しずつ、枝の上に草を敷いていく
夕方になる頃には、小さな寝床ができていた
立派なものではない
でも、昨日の地面よりはずっといいような気がする
食料も木の上にある
寝床もある。
これなら、今夜はここで眠れそうだった
安全の為に、一応身体と枝をツタで結んでおく
日が落ち始める。
紬は木の上に座り、クッキーを一枚取り出した。
「いただきます」
さくり。
昨日と同じ味だった。
ふと、昨日の本のことを思い出す。
「……そういえば」
紬は本を取り出した。
白いページを開く。
昨日、クッキーを食べた時に浮かんだ文字が残っている。
【名称】安売りクッキー
【食用】可
【味覚情報を取得しました】
「やっぱり……昨日だけじゃないんだ」
クッキーをもう一口食べる。
けれど、文字はそれ以上増えない。
「一回記録されたものは、もう増えないのかな」
少し考える。
そして、飴を一つ取り出した。
「じゃあ、こっちは?」
包み紙を開く。
口に入れる。
甘い。
しばらく本を眺める。
すると、白かった別のページに文字が浮かび始めた。
【名称】飴
紬は目を丸くする。
「……やっぱり」
さらに文字が続く。
【食用】可
そして、少し遅れて――
【味覚情報を取得しました】
「食べたものが分かる……?」
本を覗き込む。
でも、それ以上は何も書かれない。
紬は少し考えてから、本を閉じた。
「……便利なのか、まだよく分からないな」
知らないものを食べた時に、安全かどうか分かるなら便利かもしれない。
でも、今のところ分かるのは、それくらい
紬は残ったクッキーと飴を見る
「……大事に食べないとな」
クッキーは六枚。
飴は五個。
野菜はまだある。
食べるだけじゃなく、増やす。
水も必要
火も必要
明日は、もう少しこの場所を調べてみよう
そんなことを考えながら、紬は身体を横にし
下には森。
少し離れたところに石壁。
その先に沢。
そして、その向こうに青い花の草原。
昨日は何も分からなかった
今日は少しだけ分かった
水がある
食べ物がある
隠す場所がある
眠れる場所も
そして――
この木は、思っていたよりずっと頼りになる。
木の葉の隙間から、月が見えている
静かな夜だ
紬は目を閉じる
紬はまだ知らない
この木が、何十年後も自分のそばに立っていることを。
ただ今は――
少し高い場所で眠れることが、何よりありがたかった。
少しずつ頑張ります!




