第16話 ちょっとずつ理想の生活へ
第16話 ちょっとずつ理想の生活へ
朝。
目を覚ますと、いつものように木々の隙間から朝日が差し込んでいた。
少し前までは、朝起きても今日をどう生きるか、それだけを考えていた。
食べるものを探して、水を探して、危険なものから逃げる。
でも最近は、ほんの少しだけ違う。
明日のことを考える余裕ができてきた。
「……そういえば」
昨日見つけたものを思い出す。
沢の近くで見つけた、シャボンソウ。
紬は昨日採ったものを手に取ると、《知識と生存》を開いた。
【名称】シャボンソウ
【分類】植物
【用途】洗浄
【使用方法】水に浸し揉むことで泡立つ
【食用】不可
【環境への影響】なし
「やっぱり、洗えるんだ」
しかも自然の植物であり、沢で使用しても周囲への影響はないらしい。
それなら試してみても大丈夫そうだ。
紬は着替えとタオル、ペットボトルを背負いカゴに入れ、シャボンソウを持って沢へ向かった。
*
沢に着くと、まず水の冷たさを確かめる。
「……ちょっと冷たいけど、今日はいけそう」
シャボンソウを水に浸し、手の中でゆっくり揉んでみる。
最初は何も起こらない。
もう少し強く揉んでみる。
すると――
ふわり。
白い泡が手の中に生まれた。
「……おお」
思わず声が出る。
何度か揉んで泡を増やし、持ってきた服をその中へ入れる。
布を擦る。
泡が服全体に広がっていく。
何度か水ですすぎ、絞ってみる。
「……ちゃんと綺麗になってる」
泥や汗でくすんでいた布が、少し明るくなっていた。
タオルも同じように洗う。
今まで水だけで洗っていたから、これはかなりありがたい。
「石鹸みたい……」
紬は洗い終えた服を岩の上に置く。
そして、ふと自分の身体を見る。
「……私も洗えるよね」
少しだけ迷ったあと、シャボンソウを手に取った。
冷たい沢に入り
身体を濡らして、シャボンソウを泡立てる。
髪にも少し使ってみる。
案外泡立ちがよく、モコモコと泡が身体を覆う。
沢の水で泡を流すと、身体がすっきりした。
「……気持ちいい」
髪も、今まで水だけで洗っていた時のギシギシした感じがなくなっている。
やっぱり違う。
自然の中で、こうして身体を綺麗にできる。
それだけのことなのに、嬉しかった。
洗った服とタオルを近くの枝に掛け、乾かしておく。
「これからは、ちゃんと洗濯できるな」
小さなことだけど、また一つ、この世界での生活が楽になった。
*
石壁へ戻ると、ちょうど昼頃になっていた。
紬は寝室へ入り、残してある食料を確認する。
じゃがいも。
人参。
塩。
そして、まだ大事に残してある飴とクッキー。
「……うん。まだ大丈夫」
塩は無限じゃない。
できるだけ少なく使う。
飴とクッキーも、今はまだ特別な時のために残しておく。
紬は簡単に昼食を用意して、腰を下ろした。
「いただきます」
食べ始めてしばらくすると――
バサッ。
「ん?」
何かが肩に触れた。
振り向くと、虹色鳥が紬の肩に乗っている。
「……え?」
いつもなら少し離れたところにいる。
近くに来ることはあっても、自分から肩に乗ってくることなんてなかった。
虹色鳥は何事もなかったように羽を整えている。
「……そこ、気に入ったの?」
「ギョ〜」
「そう……」
なんとなく笑ってしまう。
「ご飯、食べる?」
紬は食べているものを少しだけ分けようとして――ふと手を止めた。
「……待って。これ、食べても大丈夫かな」
《知識と生存》を開く。
虹色鳥に与えて問題がないものか確認する。
大丈夫だと分かってから、ほんの少しだけ差し出した。
虹色鳥が嘴を近づける。
ぱくっ。
「……食べた」
もう一口。
今度は紬の肩の上で嬉しそうに羽を揺らした。
「ふふ」
森の中で一人きりだと感じていたから、こんな昼食になるなんて考えもしなかった。
隣に誰かがいる。
……いや。
肩の上だけど。
「一緒にご飯食べるのも、悪くないね」
「ギョェ」
「……返事だけはするんだね」
小さく笑いながら、紬は残りの昼食を食べた。
*
午後。
紬は以前から気になっていた場所へ向かった。
石壁の奥にある、小さな部屋。
まだ土や枯れ葉が残っている。
「ここ、ちゃんと掃除しておこう」
紬は外へゴミを運び出し、床に溜まった土を払っていく。
少しずつ床が見えてくる。
「……思ったより広いかも」
ここをいつか食料置き場にできれば、今よりずっと整理しやすくなる。
でも、まだ棚もない。
食料は今まで通り、屋根のある寝室に置いておく。
いつか、この部屋をちゃんとした食料庫にしよう。
そんなことを考えながら、さらに奥を掃除していると――
「……ん?」
何かが土に埋もれている。
手を伸ばして拾い上げる。
細長い石。
形はナイフに似ていた。
「……これ、ナイフ?」
指先でそっと触れる。
刃のようになっている部分は、かなり丸くなっている。
長い年月の間に、使われなくなったのだろうか。
紬は《知識と生存》を開いた。
【名称】石刃
【材質】石
【状態】摩耗
【刃】劣化
【使用】困難
【備考】刃先を加工することで切断具として使用可能
「……研げば使えるんだ」
紬は石刃を裏返しながら眺める。
「石でも、ちゃんと刃物になるんだ……」
これも、いつか使えるようにしたい。
けれど今日はここまで。
石刃を大切にしまって、掃除を続ける。
一応パントリーは、少しだけ綺麗になった。
「……ここも、いつか使えるようにしよう」
*
掃除を終え、外へ出る。
ふと、今の寝床を見る。
枝と葉を使った簡素な寝床。
最初の頃に比べれば、ずっとましになった。
それでも――
「……ベッド、欲しいな」
前の世界で見た、木で作られた簡単なベッドを思い出す。
太い丸太を組んで土台を作り、その上に長い枝や短い枝を並べる。
その上に葉や毛を敷けば、今よりずっと快適になるはずだ。
「材料……結構いるな」
でも、作るならちゃんと作りたい。
紬は森へ向かった。
まず探したのは、太い丸太。
できるだけまっすぐで、腐っていないもの。
次に長い枝。
そして短くて丈夫な枝。
生えている木をむやみに折ることはしない。
できるだけ落ちているものを拾っていく。
「……これ」
太めの丸太を見つける。
持ち上げる。
「重っ……!」
両手で抱えて、なんとか運ぶ。
一度では無理だった。
石壁へ運んで、また森へ戻る。
長い枝。
短い枝。
また丸太。
何度も往復する。
夕方になる頃には、石壁の横に木材が積み上がっていた。
太い丸太。
長い枝。
短い枝。
まだ十分とは言えない。
それでも、最初よりはずっと形になっている。
紬はそれを眺めながら、少しだけ息を吐いた。
「……これなら、作れるかな」
肩に乗っていた虹色鳥が、木材の山を覗き込む。
「まだ作らないよ。今日は材料集めだけ」
「グェ」
「……なんでちょっと残念そうなの」
紬は笑った。
夕暮れの森に、二人の声が小さく響く。
まだ、ここは立派な家ではない。
寝床も簡素なまま。
食料も十分とは言えない。
道具だって少ない。
それでも。
昨日より少し綺麗になった場所がある。
昨日より少し増えた道具がある。
そして、明日のために集めた木材がある。
紬は積み上げた丸太をもう一度眺めた。
少しずつ。
本当に少しずつ。
ここでの暮らしが、形になっていく。
日が暮れてから
紬はまだ完成していないベッドの材料を思いながら、静かに目を閉じた。
明日は、何を作ろう。
そんなことを考えながら。




