閑話 冬の焚き火と光の伝承
閑話 冬の焚き火と光の伝承
トラン村の夜は静かだった。
冬の冷たい風が家々の屋根を撫で、村を囲む木々の枝を揺らしている。日が沈むと人々は早々に家へ戻り、窓から漏れる明かりも少しずつ消えていった。
村の外れ、街道から少し離れた場所に、小さな焚き火がひとつ灯っている。
その火を挟むようにして、二人の男が腰を下ろしていた。
一人は、銀白色の髪を持つエルフの男。冬の夜気を気にする様子もなく、静かに炎を見つめている。
もう一人は、鍛え上げられた大柄な体躯の男だった。周囲が冬の寒さに身を縮める中、彼だけは薄手の服を身にまとい、酒の入った木杯を片手に豪快に笑っていた。
「いやあ、やっぱり冬はいいな! 空気が澄んでいる。火のありがたみもよく分かるってもんだ」
「君は、冬でもその格好なのか」
「ん? これか? 動きやすいからな。寒さなんて気にしていたら、体が鈍っちまう」
「そうか」
エルフの男――アイズは、短く答えて焚き火へ視線を戻した。
「お前さんは相変わらずだなあ。俺には少し寒いくらいがちょうどいいが、あんたはどうなんだ?」
「この程度なら、寒いとは感じない」
「さすがは氷結の貴公子ってところか」
「その呼び名は好きじゃない」
「ははっ! そうだったな。悪い悪い」
ゴリアテは悪びれる様子もなく笑い、木杯を傾けた。
二人が出会ったのは、アレクサンダー王国を旅していた時のことだった。それぞれ別の目的を持ち、別々に各地を巡っていた二人は、古い伝承を調べる中で偶然顔を合わせた。
最初は互いの目的を話すつもりもなかった。
だが、妖精譚や古い民謡、各地に残る口伝を調べているうちに、二人が同じ存在を探していると分かった。
それが、いつからか共に旅をするきっかけになった。
「それで、今日は何か見つかったのか?」
ゴリアテが尋ねる。
アイズは傍らに置いていた革袋から、何枚かの紙を取り出した。古い写本から書き写したものや、旅の途中で聞いた歌の一節を記したものだ。
「村の老人から聞いた話だ。昔、この地方には星を生んだ光についての歌があったらしい」
「星を生んだ光?」
「空から一筋の光が降りてきた。その光が大地に触れ、山や海、川や生き物を生み出したという」
「ほう。ずいぶん壮大な話だな」
「その後、神々が生まれ、世界を見守るようになったとも言っていた」
アイズは紙に目を落とした。
「ただ、老人の話では、光が何だったのかは分からないそうだ。文字だったという者もいれば、糸のようなものだったという者もいる」
「伝わるうちに変わったんだろうな」
「そうだろう。別の地方では、光は星の海から落ちた一粒の雫だったと歌われている」
「同じ話でも、ずいぶん違うもんだ」
「だが、その後に続く話には共通点がある」
アイズは一枚の紙をゴリアテへ差し出した。
そこには、白い花のような存在について記されていた。
「白いハイエルフ……か」
ゴリアテが紙を覗き込む。
「この話も、各地に残っている。白い花のような姿をしたハイエルフが生まれた年、世界樹が花を咲かせた。大地を豊かにし、傷を癒やし、そばにいる者の心を満たしたと」
「ずいぶんと大切にされていたんだな」
「そうらしい。だが、最後は人間に捕らえられそうになり、涙を流したという」
「その涙が、俺たちの探しているものか」
「そう考えている」
アイズは淡々と答えた。
ゴリアテは腕を組み、焚き火の向こうにある暗い森へ目を向けた。
「俺が聞いた南の歌にも、似た話があったぜ。白い花の涙は、光の力を宿していた。大地に落ちた時、光が溢れ、世界を変えたってな」
「世界を変えた?」
「ああ。けど、歌によって話が違う。大地が裂けたというものもあれば、海が生まれたというものもある。森が人々を隠したという話もあった」
「どれも、確かな記録ではない」
「そうだな。だが、南の国じゃあ、その涙は秘宝として語られている。光の力の塊だと」
ゴリアテの声から、先ほどまでの陽気さが少し薄れた。
「南の海の向こうには、かつて人が暮らしていた大陸がある。今じゃ、そこは悪魔たちの世界だ。魔物も魔獣も、元をたどれば人だったと言われている」
「永遠を求めた人間たち、か」
「そうだ。短い命を受け入れられず、永遠を求めて変わってしまった。今さら元には戻れない。あいつらは人を食う。海の向こうにあるのは、もう人の住む場所じゃない」
ゴリアテは木杯を地面に置いた。
「南の国は、いつまでもあいつらを遠ざけておけるわけじゃない。もし海を越えて攻めてきた時、今の力だけで守りきれるとは限らない」
「だから、ハイエルフの涙を探している」
「ああ。伝承が本当なら、あれほどの光の力は悪魔にも対抗できるかもしれない」
「本当に存在するかも分からないものだ」
「分かってるさ」
ゴリアテは大きな手で後頭部を掻いた。
「だが、何もしないで待っているわけにもいかないだろう。探せるものがあるなら探す。それだけだ」
アイズは返事をせず、焚き火の中で崩れる薪を見つめていた。
しばらく、枝が爆ぜる音だけが二人の間に響く。
「アイズ。お前さんはどうなんだ?」
「何がだ」
「白いハイエルフを探している理由だよ。俺は故郷のためだ。だが、お前さんは違うだろう」
アイズは少しだけ目を伏せた。
「自分の起源を知りたい」
「起源?」
「私は、他のエルフとは違う。植物との相性が悪い」
「エルフといえば、森や植物と親和性が高い種族だと聞くな」
「そうだ。多くのエルフは、草木の気配を感じ、植物の力を借りることができる。だが、私にはそれが難しい」
アイズは自分の手を見つめた。
「その代わり、冬との相性が良い。雪や氷、冷たい空気は自然と私に馴染む。冬が近づけば、体も魔力も安定する」
「だから冬と一緒に移動しているのか」
「そういうことだ。冬の訪れる場所へ向かい、冬が去れば次の土地へ移る」
「なるほどなあ。俺なら、そんな面倒な旅は御免だが」
「君は暑さにも寒さにも強そうだ」
「ははっ! まあな。南の生まれだから、寒い土地に長居する理由もない」
ゴリアテは笑ったが、アイズは笑わなかった。
「私は、自分がなぜこうして生まれたのかを知りたい。エルフでありながら植物と馴染めず、冬と共に生きる。その理由がどこかにあるのなら、確かめたい」
「白いハイエルフが関係していると思うのか?」
「まだ分からない。ただ、古い伝承には、白いハイエルフが生まれた時に世界樹が花を咲かせたとある。エルフの歴史にも、何か関係があるかもしれない」
「それで、いつか答えが見つかったらどうする?」
「仲間のもとへ帰る」
アイズは迷いなく答えた。
「それに、もうひとつ望みがある」
「ほう?」
「夏を味わってみたい」
ゴリアテは一瞬きょとんとし、それから大きな声で笑った。
「なんだ、そんなことか!」
「そんなことではない」
「悪い悪い。だが、夏なら南へ行けばいいじゃないか」
「夏の暑さは、私には少し厳しい」
「冬と相性が良すぎるってのも考えものだな」
「それでも、一度は味わってみたい。仲間たちと同じ季節を過ごしてみたいんだ」
アイズの声は静かだった。
遠い故郷を思い出しているのか、その視線は焚き火の向こうを見ていた。
ゴリアテは、からかうような言葉を口にしなかった。
「なら、見つけようぜ。お前さんの探している答えも、俺の探している涙も」
「簡単には見つからないだろう」
「だから旅をしているんだろうが」
ゴリアテは木杯を持ち上げ、残っていた酒を飲み干した。
「それに、俺たちはSランクだ。世界に十人もいないっていうんだ。少しくらい難しいことに挑まなきゃ、名が泣くってもんだ」
「名を残すために探しているわけではない」
「分かってるさ。俺だって、名声のためだけに探しているわけじゃない」
ゴリアテは焚き火に薪を一本足した。
「南の国には、俺の帰りを待っている奴らがいる。あいつらが明日も明後日も、同じ場所で笑っていられるようにしたい。それだけだ」
アイズは彼を見た。
「君は、変わらないな」
「そうか?」
「出会った時から、目的の話になると真剣になる」
「そりゃそうだろ。大事なことだからな」
ゴリアテは白い息を吐き、空を見上げた。
雲の切れ間には、冬の星がいくつも瞬いている。
「星を生んだ光、白い花のハイエルフ、その涙……。どこまでが本当かは分からんが、いくつもの土地に似た話が残っている。何かの元になった出来事があったのは確かかもしれない」
「だが、伝承だけでは場所までは分からない」
「だから、もう少し調べる。次は古い街道沿いの町に行ってみるか。あそこなら、古い記録を持っている商人もいるだろう」
「そうだな。別の歌も探してみたい」
二人はそれ以上、言葉を交わさなかった。
焚き火の炎が揺れ、冬の夜を小さく照らしている。
やがてゴリアテは毛布を肩に掛け、横になった。
「アイズ、火は頼んだぞ」
「分かっている」
「朝になったら出発だ。寝坊するなよ」
「君こそ、飲み過ぎるな」
「ははっ! 心配いらん!」
ゴリアテの笑い声が、静かな村の外れに響いた。
アイズは再び空を見上げる。
星々は遠く、手を伸ばしても届かない。
それでも、古い歌や物語の中には、星を生んだ光の話が残されている。
その光が何だったのか。白いハイエルフとは何者だったのか。そして、自分の生まれにどのような意味があるのか。
まだ答えはない。
ただ、各地に残された小さな欠片を拾い集めていけば、いつか何かにつながるかもしれない。
アイズは静かに目を閉じた。
その時、村の方から馬の蹄の音がかすかに聞こえた。
夜明けにはまだ早い。
アイズが顔を上げると、村の入口に小さな明かりが揺れていた。誰かがこちらへ向かってくるようだった。
やがて、鎧をまとった数人の騎士の姿が、焚き火の明かりに浮かび上がる。
「こんな時間に何の用だ?」
ゴリアテが体を起こし、眠そうに目をこすった。
先頭の騎士が二人の前で馬を止め、丁寧に頭を下げた。
「夜分に失礼いたします。私はババロア領の騎士団に所属する者です。領主アルバート様より、アイズ殿、ゴリアテ殿のお二人にお目にかかりたいとの申し出を預かっております」
二人は顔を見合わせた。
「領主が、俺たちに?」
ゴリアテが眉を上げる。
「はい。どうか一度、領主のもとへお越しいただきたいとのことです。詳しい事情は、直接お話ししたいと」
アイズは騎士の表情を静かに見つめた。
「急ぎの用件なのか」
「領主は、森で起きた異変について、お二人のお力をお借りできないかと考えておられます」
「森の異変、ねえ」
ゴリアテは立ち上がり、肩を回した。
「ちょうど退屈していたところだ。話くらい聞いてやろうじゃないか」
「まだ依頼を受けると決めたわけではない」
「分かってるさ。まずは話を聞く。それから決めればいい」
アイズは焚き火に目を向けた。
探しているものは、まだ見つからない。
けれど、旅の途中で新たな縁が生まれることもある。
「分かった。領主のもとへ行こう」
二人の返事を聞いた騎士は、安堵したように頭を下げた。
冬の夜は、まだ明けない。
焚き火の小さな炎だけが、二人の新たな道を照らしていた。




