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本に結ばれた人~知識と生存の本〜(ネギを握りしめて異世界に落ちた私の、のんびりサバイバル)  作者: 式文紫
第3章 冬霞~森に広がる新たな縁~

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閑話 ノームの泥団子

閑話 ノームの泥団子


ババロアにある冒険者ギルド。その最上階にあるギルド長室では、ひとりの男が書類に目を通していた。

 マインズ・ロードスター。齢四百五十を数える、人間でありながら覚醒を果たした者。かつてはAランク冒険者として名を馳せ、現在はこの街の冒険者ギルドを束ねている。

 身長は二メートルを超え、鍛え上げられた身体は今も健在だ。青い瞳の奥には、長年の経験に裏打ちされた鋭い光が宿っている。顔に走る長い傷跡も、彼が歩んできた道の険しさを物語っていた。

 そんな彼のもとへ、慌ただしい足音が近づいてきた。

「ギルド長! 蒼き風の皆さんがお見えです。至急、お伝えしたいことがあるそうです!」

 扉の外から聞こえたのは、受付嬢のシエルの声だった。

「蒼き風が? ……わかった。すぐに通してくれ」

「はい!」

 返事の直後、廊下から複数の足音が響いてくる。

 やがて扉が開き、五人の冒険者がギルド長室へと入ってきた。

「失礼します、ギルド長」

 先頭に立つガルドが、いつになく真剣な表情で頭を下げた。

 その後ろには、ミーナ、ロック、トーマ、ニルの姿がある。全員、森から戻ったばかりなのか、装備には土や木の葉が付着していた。

「おいロック、もう少し静かに入れないのか」

「なんだよ、俺は普通に歩いてるだろ!」

「その普通がうるさいんだよ」

「トーマ、お前まで言うのかよ!」

「今はそんなことを言っている場合じゃないでしょ」

 ミーナの一言に、ロックは口をつぐんだ。

 いつもなら賑やかな彼らだが、今日はどこか様子が違う。冗談を言い合っていても、表情には緊張が残っていた。

 マインズは手にしていた書類を机に置くと、五人を見渡した。

「……何があった?」

「それなんですが、まずはこいつを見てください」

 ガルドが大きな荷袋を床に下ろした。

 ごそり、と袋が動く。

 その中から、小さな頭がひょこりと顔を出した。

「……バルバロ、もう出ていいぞ」

 ガルドが声をかけると、少年は周囲を警戒するように辺りを見回しながら、ゆっくりと袋から這い出てきた。

 小柄な身体に、土で汚れた服。頭には小さな石のような突起があり、肌には土の色が混じっている。

 人間ではない。

「……ノームか?」

 マインズの目が見開かれた。

 ノームは土を司る存在として知られているが、人前に姿を現すことはほとんどない。ましてや、冒険者ギルドに直接やってくるなど、そうあることではなかった。

「はい。森の中で見つけました」

 ガルドが答えると、ミーナが一歩前に出た。

「ギルド長、この子の傷を治してもらえませんか? 私たちの持っていた回復薬では、十分に治せなかったんです」

 バルバロの身体には、まだ痛々しい傷が残っていた。

 マインズはすぐに少年の前へと歩み寄り、膝をついて目線を合わせる。

「大丈夫だ。少し診せてくれ」

 少年は不安そうにしながらも、小さく頷いた。

 マインズは少年の身体に手をかざす。掌に淡い白色の光が集まり、室内を柔らかく照らした。

「白魔法治癒――」

 静かに息を吸い、言葉を紡ぐ。

「汝の穢れを払い、我の願いを届けん。キュア」

 白い光が少年の身体を包み込んだ。

 腕や脚に刻まれていた傷が、少しずつ塞がっていく。腫れも引き、荒かった呼吸が落ち着いていった。

 やがて光が消えると、バルバロは自分の腕を不思議そうに見つめた。

「……痛く、ない」

「よし。これでひとまず大丈夫だろう」

 マインズが立ち上がると、少年は深く頭を下げた。

「……ありがとう」

「気にするな。それより、話を聞かせてくれ。なぜノームが帰らずの森にいた? それに、その傷はどうしたんだ?」

 少年は口を開きかけたものの、すぐには言葉が出てこなかった。

 小さな手が、ぎゅっと握りしめられる。

 その様子を見たガルドが、代わりに説明を始めた。

「俺たちは秋の終わり頃、帰らずの森に入っていました。目的はクロトゲノキの実の採取と、森の様子を確認することです」

「森の様子?」

「はい。ここ最近、魔物の動きがおかしいんです」

 ガルドの言葉に、マインズの表情が険しくなった。

「具体的には?」

「まず、森の入口付近で見かける魔物の数が増えていました。しかも、普段なら奥の方にいる中型の魔物まで、入口近くに出てきていたんです」

「……それは確かに妙だな」

「タイタンサーモンの産卵糸も、例年より少なかったです。森の中で何かが起きているんじゃないかと思って、奥へ進むことにしました」

 ガルドが続ける。

「小型の魔物やスタンプボアも、俺たちを見ると逃げるように森の入口へ向かっていきました。まるで、何かから逃げているみたいに」

「何かから逃げている、か……」

 マインズは腕を組んだ。

 魔物の生息域が変わること自体は、決して珍しい話ではない。だが、複数の種類が同じ方向へ移動しているとなれば、話は別だ。

「それで、森の奥で何を見た?」

 ガルドは一度、仲間たちへ視線を向けた。

 五人の間に、短い沈黙が流れる。

「……黒い霧の魔物です」

 ミーナが静かに答えた。

「黒い霧?」

「はい。大きなクロトゲノキの周りを、ぐるぐると回っていました」

 彼女の声には、あのときの光景がまだ残っているようだった。

「最初は、何をしているのかわかりませんでした。でも、近づいてみると……」

「木の幹を、爪で引っかいていたんです」

 トーマが言葉を引き継いだ。

「ギリギリ、ガリガリって。何かを探しているようにも見えました」

 マインズは眉をひそめた。

「クロトゲノキを傷つけていたのか?」

「そうです。何度も同じ場所を引っかいていました」

「……何かを探していた、というのは?」

 今度はニルが口を開いた。

「木の周囲を何度も回り、幹のあちこちを引っかいていたんです。まるで、そこにあるはずの何かを見つけようとしているように見えました」

 ニルは森での様子を思い返すように、少し目を伏せた。

「俺は木に登って、上から様子を見ていました。すると、周囲の空気が急に冷たくなったんです。落ち葉も舞い上がっていて……あの場所だけ、季節が違うようでした」

「黒い霧の魔物が、周囲の気温を下げていたのか」

「その可能性はあります。ただ、はっきりとはわかりません」

 ニルは断言を避けた。

 見たことと、推測できること。その違いを彼はよく理解していた。

「それで、どうやって切り抜けた?」

「倒したわけじゃありません。追い払っただけです」

 ガルドが答えた。

「まず、トーマの閃光魔法で目をくらませました。その隙にミーナが光属性の魔法を込めた矢を放ち、ロックが盾を構えて体当たりしました」

「おう! あのときは、思いっきりぶつかってやったぜ!」

 ロックが胸を張る。

「黒い霧の一部は、ミーナの矢で散らすことができました。ただ、それで倒せたわけじゃありません。俺たちは森の奥へ押し戻すことしかできませんでした」

「……なるほど」

 マインズは顎に手を当てた。

 黒い霧をまとった魔物。その正体については、ギルドにも記録がある。

 危険度A+。

 通常は冬に現れ、周囲に吹雪を呼び、近くの気温を急激に低下させる危険な魔物だ。

 しかし、今はまだ秋の終わり。

 出現するには早すぎる。

「黒い霧の魔物は、冬になると現れることが多い。だが、秋のうちに出現したとなれば、確かに異常だな」

「俺たちもそう思いました」

 ガルドは頷いた。

「それに、森の魔物たちが逃げていたことも気になります。黒い霧の魔物が原因なのか、それとも別の何かがあるのか……」

「今のところ、断定できる材料はありません」

 ニルが補足する。

「俺たちが見たのは、クロトゲノキの周囲にいた黒い霧の魔物だけです。それ以前から森で何かが起きていた可能性もありますし、あの魔物の出現によって、ほかの魔物が移動した可能性もあります」

「どちらが先なのか、まだわからないということか」

「はい」

 マインズは小さく息を吐いた。

 ひとつの異常だけなら、偶然で片づけられるかもしれない。だが、魔物の移動、タイタンサーモンの産卵糸の減少、そして季節外れの黒い霧。

 それらが重なっている以上、見過ごすわけにはいかなかった。

「それで、クロトゲノキの実は採取できたのか?」

「ええ。魔物を追い払ったあと、必要な分は採取できました」

「そうか。よく戻ってきてくれた」

 マインズがそう言うと、ガルドたちは小さく頷いた。

 しかし、話はまだ終わっていない。

 マインズは少年へと視線を戻した。

「……それで、お前はどうして森にいたんだ?」

 バルバロは俯いた。

 小さな肩が震えている。

「……父さんと、一緒だった」

「父親と?」

「うん。父さんと森にいたんだ。でも……」

 少年は唇を噛みしめた。

「黒い霧の魔物が、父さんを襲った。父さんは俺を逃がしてくれたんだ」

 その声は、今にも消えてしまいそうなほど小さかった。

「父さんは、俺を逃がすために……」

 そこで言葉が途切れた。

 少年は顔を上げ、マインズを見つめた。

「……父さんを、探してほしい」

 ギルド長室に沈黙が落ちた。

 マインズはすぐには答えなかった。

 帰らずの森は、その名のとおり危険な場所だ。ましてや、黒い霧の魔物が現れたとなれば、安易に人を送り込むことはできない。

 だが、目の前にいる少年にとって、父親はたったひとりの家族なのだろう。

「……わかった。ギルドとして、捜索を検討しよう」

 マインズは、できる限り穏やかな声で答えた。

「ただし、必ず見つけられると約束することはできない。森の状況を確認し、人員を集める必要がある。すぐに出発できるとは限らないんだ」

「……それでも、探してほしい」

 バルバロは、まっすぐにマインズを見つめていた。

「父さんは、きっと生きてる。だから……お願い」

 小さな手が、再びぎゅっと握られる。

 その姿を見て、ミーナがそっと目を伏せた。

 ガルドたちも、何も言わなかった。

 やがて、バルバロは服の内側へ手を入れた。

「……これを、あげる」

 取り出したのは、丸い泥団子のようなものだった。

 表面には細かな土の粒がついており、よく見ると、その奥に淡い光が宿っている。

「これは……?」

 マインズは、それを受け取る前に目を凝らした。

 土の塊のように見えるが、ただの泥ではない。手のひらに収まるほどの大きさなのに、どこか不思議な気配を感じる。

「ノームの土玉……なのか?」

 マインズの声に、驚きが混じった。

「知っているんですか?」

 ガルドが尋ねる。

「ああ。文献で読んだことがある。ノームが作るとされる、特別な土の玉だ」

 マインズは慎重にそれを見つめた。

「これを土に埋めると、その土地は一年の間、豊かな実りをもたらすようになる。土そのものを傷めることもなく、土地に悪い影響を残すこともない……そう記されていた」

「一年も?」

 ロックが目を丸くした。

「そんな小さな玉でか?」

「そうだ。もっとも、実物を見るのは私も初めてだがな」

 マインズは土玉から目を離さずに答えた。

 この土地では、食料の確保は常に重要な課題だ。季節や天候によって収穫量が左右され、魔物の被害で畑が荒らされることもある。

 もし、この土玉の力が本物ならば。

 領地全体の食料事情を支えるほどの価値があるかもしれない。

「……これを、報酬にするつもりか?」

 マインズが尋ねると、バルバロは小さく頷いた。

「父さんを、見つけてくれたら……これをあげる」

「バルバロ、お前……」

 ガルドが思わず声を漏らした。

 少年にとって、これは大切なものなのだろう。けれど、今はそれを差し出してでも父親を見つけたいのだ。

「……わかった」

 マインズは土玉を両手で受け取った。

「これは、正式な報酬として預かろう。その代わり、ギルドとしてもできる限りのことをする。父親の捜索についても、責任を持って検討する」

「……ほんとう?」

「ああ。ただし、先ほども言ったが、必ず見つかると約束はできない。それでもいいか?」

 バルバロは少しだけ迷うように目を伏せた。

 それでも、すぐに顔を上げる。

「……うん。お願い」

 マインズは静かに頷いた。

「確かに受け取った」

 土玉を机の上に置き、マインズは改めてガルドたちを見た。

「今回の件は、黒い霧の魔物が現れたことだけでは済まされない。森の魔物の動きも含めて、過去の報告を洗い直す必要がある」

「やはり、そうなりますよね」

 ガルドが頷いた。

「黒い霧の魔物が、何かを探しているように見えたのも気になります」

 ニルが続ける。

「ただ、あの魔物が森の異変の原因なのか、それとも異変に引き寄せられて現れたのかは、まだわかりません」

「どちらにしても、調査は必要だな」

 マインズは机の上の書類を引き寄せた。

「過去に報告された魔物の出現場所や移動経路、黒い霧の魔物に関する記録を確認する。今回の情報もまとめて、領主に報告しよう」

 彼は土玉へと視線を向けた。

 これほど貴重なものが報酬として提示された以上、領主も捜索を軽視することはないだろう。さらに、危険度A+の魔物が季節外れに現れたとなれば、領地全体に関わる問題になりかねない。

 状況次第では、Sランク冒険者の招集を領主に要請することも考えなければならない。

 ただし、それを決めるのは領主だ。

「……よし」

 マインズは顔を上げた。

「シエル!」

 扉の外へ向けて声をかける。

「はい、ギルド長」

 すぐに返事が聞こえ、シエルが扉を開けた。

「今すぐ領主城に使いを出してくれ。帰らずの森で起きている異変と、季節外れの黒い霧の魔物について報告する。これまでの記録もまとめておく必要がある。急ぎで頼む」

「わかりました。すぐに手配します」

 シエルは真剣な表情で頷くと、すぐに部屋を出ていった。

 扉が閉まると、マインズはバルバロへと向き直った。

「バルバロ、お前はしばらくこの街で休むといい。傷は治したが、無理は禁物だ。何か困ったことがあれば、ギルドに来なさい」

「……うん」

「蒼き風の皆と一緒にいても構わない。ただし、捜索の話が進むまでは、なるべくこの街の近くにいてくれ。連絡が取りやすいからな」

 そう言って、マインズはガルドたちへ目を向けた。

「お前たちも、それでいいか?」

「もちろんです」

 ガルドが答える。

「こいつをひとりにはしませんよ」

「そうそう。俺たちがついてるからな!」

 ロックがいつもの調子で笑ってみせた。

「……少しは静かにしなさいよ」

 ミーナが呆れたように言う。

「なんだよ、心配してやってるんだぞ?」

「わかってるわよ」

 トーマはそんな二人を見て、小さく息を吐いた。

「……いつもどおりだな」

 そのやり取りを見ていたバルバロの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。

 けれど、すぐに視線は扉へと戻っていく。

 父親が戻ってくるのを、待っているのだろう。

「……はい」

 少年は小さく返事をした。

 マインズは、その姿を見つめながら静かに頷いた。

 帰らずの森には、まだ多くの謎が残されている。

 黒い霧の魔物は、いったい何を探していたのか。

 なぜ、冬を迎える前に姿を現したのか。

 そして、森で起きている異変は、どこから始まったのか。

 今の時点では、何ひとつ答えは出ていない。

 だが、確かなことがひとつある。

 森で何かが起きている。

 そして、その異変は、これから訪れる冬と無関係ではないのかもしれない。

 マインズは窓辺へ歩み寄り、遠くに広がる森を見つめた。

 森の上には、重たそうな灰色の雲が広がっている。

 ふと、窓の外を白いものが横切った。

 それは、ひらりと舞い落ちる小さな雪だった。

真冬がすぐそこまで来ていた。

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