第122話 外への関心
第122話 外への関心
石壁に囲まれた家の中で、紬は棚に並んだ道具を眺めていた。
この家の石壁は、紬がここへ来たときからあったものだ。
けれど、屋根は違う。
雨や雪をしのげるように、木材を集め、組み合わせ、何度も手を加えて作った。棚も、机も、暮らしに必要なものは少しずつ自分の手で増やしてきた。
最初は何もかもが手探りだった。材料を探し、使い方を考え、失敗すればやり直す。そうして少しずつ、今の暮らしができあがってきたのだ。
だからこそ、もっと使いやすくしたいと思う。
鍋やフライパンも、今より丈夫なものがあれば料理の幅が広がるだろう。道具だって、長く使えるものが欲しい。
考え始めると、あれもこれもと欲しいものが浮かんでくる。
『うーん……もっと便利にできないかなあ』
紬は棚に置かれた道具をひとつ手に取り、しばらく眺めてから、そっと元の場所へ戻した。
この森の中だけでも、まだまだ工夫できることはある。
けれど、森の外には、紬の知らない道具や材料、そして食べたことのないものだってあるはずだ。
そう考えると、胸の奥が少しだけ弾んだ。
ちょうどそのとき、近くに座っていたババロが、紬の様子に気づいた。
「何を考えてるんだ?」
「ん? あのねお鍋とか、いろんな道具が欲しいなって思ってたの」
「鍋か。確かに、道具が変わればできることも増えるからな」
「そうなの! 今の道具も大事だけど、もっと使いやすいものがあったら、料理も楽しくなりそうだし」
紬はそう言って、棚の上を見上げた。
自分で作ったものには愛着がある。少し不格好でも、使いにくいところがあっても、それはそれで大切なものだ。
けれど、より良いものを知れば、作り方を工夫するきっかけにもなる。
紬はこれまでにも、森で見つけた材料を使いながら、いろいろなものを作ってきた。知らないことを知り、できなかったことができるようになる。その積み重ねが、今の暮らしにつながっている。
「それにね、食べたいものもあるんだ」
「食べたいもの?」
「うん。パンも食べたいし、お米も!」
「パンなら、村でも普通に食べてるぞ」
「そうなんだ! じゃあ、ババロの村に行ったら、おいしいパンも食べられるかな?」
「もちろんだ。村によって作り方も違うだろうが、パンを食べる家は多いからな」
紬は嬉しそうに笑った。
パンは、紬にとっても馴染みのある食べ物だ。焼きたての香りを思い浮かべるだけで、お腹が空いてくる。
けれど、もうひとつ。
「あとね、お米も食べたいんだよね」
「米?」
ババロが首を傾げた。
「それは、どんな食べ物なんだ?」
「えっとね、小さな種の粒がたくさん集めてるんだけど、それをお水と一緒に炊くの。そうすると、ふっくらして柔らかくなるんだよ」
紬は両手で小さな器を作るようにしながら、説明を続けた。
「炊いたお米は、そのまま食べてもおいしいし、おかずと一緒に食べてもいいんだ。お水を多くして煮れば、お粥にもできるし、手で握って形を作れば、おにぎりにもなるの」
「へえ……。小さな粒を水で炊くのか」
「うん! お塩を少しつけたり、中に具を入れたりしてね。あったかいご飯って、おいしいんだよ」
話しているうちに、紬の頭には、湯気の立つ白いご飯が浮かんでいた。
炊きたてのご飯に、温かい汁物。それから、焼いた魚や野菜のおかず。
考えるだけで、なんだか懐かしい気持ちになる。
こちらの世界に来てから、食べられるものも少しずつ増えた。森の恵みを使った料理にも慣れてきたし、初めて口にする味を楽しむことも多い。
それでも、前の世界で当たり前のように食べていたものが恋しくなるときはある。
「悪いが、俺は米というものを見たことがないな。名前も初めて聞いた」
「そっかあ……」
紬は少しだけ肩を落としたが、すぐに顔を上げた。
「でも、ババロが知らないだけで、どこかにはあるかもしれないよね?」
「そうだな。俺が知らないものまで、ないとは言えない。村の長老なら、俺より知っていることも多いだろうが……米については、聞いてみないと分からんな」
「そっか。いつか見つかるといいなあ」
紬はそう言いながら、まだ見ぬお米のことを思い浮かべた。
この世界のどこかにあるのなら、いつか出会えるかもしれない。
そう思うと、それだけで少し楽しみになった。
ババロは、そんな紬を見て小さく笑った。
「お前は、食べ物の話をするときは本当に楽しそうだな」
「だって、おいしいものは大事だもん!」
「それは否定しないな」
二人の間に、穏やかな笑い声が広がった。
ひとしきり食べ物の話をしたあと、紬はふと思い出したようにババロを見た。
「ねえ、ババロは人間の街を知ってる?」
「人間の街か?」
「うん。どんなところなのかなって。お店がたくさんあったり、珍しいものが売ってたりするのかな?」
紬の暮らしは、この森を中心に広がっている。
森の中には知らない植物や生き物がいて、洞窟には不思議なものがあり、毎日暮らしているだけでも新しい発見がある。
それでも、森の外には、ここでは見られない景色があるのだろう。
どんな家が並んでいて、どんな人たちが暮らしていて、どんなものを食べているのか。
想像すると、知りたいことが次々に浮かんでくる。
「人間の街は、俺は行ったことがないな。長老なら知っているかもしれないが、俺は人間と関わる機会がほとんどなかったからな」
「そっか。じゃあ、街のことは分からないんだね」
「ああ。ただ、別の種族が暮らす場所なら、行ったことがあるぞ」
「えっ、どこ?」
「ドワーフの街だ」
紬の目がぱっと輝いた。
「ドワーフの街!」
「ああ。金属の道具を買いに行ったことがある。俺たちノームの村とドワーフの街は、トンネルでつながっているんだ」
「トンネルで? すごいね!」
「山の中を通る道だ。歩く距離はそれなりにあるが、山を越えて行くよりはずっと楽だな」
紬は頭の中で、山の中に続く長いトンネルを思い描いた。
自分が暮らす森の近くにも洞窟はあるけれど、別の種族の街まで続く道があるなんて考えたこともなかった。
「そのトンネルを通ると、ドワーフの街に行けるんだ……」
「そういうことだ。俺たちの村とドワーフは、昔から取引がある。ドワーフたちは金属の加工が得意だからな。俺たちが作った木工品や、森で採れる薬草なんかを買ってくれる」
「木工品も薬草も?」
「ああ。ノームが作る木の器や道具は、ドワーフたちにも評判がいい。薬草も、向こうでは手に入りにくいものがあるらしい」
「じゃあ、ドワーフの人たちにとって、ノームの村は大事なお客さんなんだね」
「逆だな。俺たちから見ても、ドワーフはありがたい取引相手だ。こちらでは作れない金属の道具を手に入れられるからな」
ババロは、自分が街へ行ったときのことを思い出すように、少し視線を上げた。
「俺が買いに行ったのは、金属の刃物や、木工に使う道具だった。村でも道具は作れるが、金属を扱うのは簡単じゃない。だから、必要なものはドワーフから買うんだ」
「なるほど……。だから、ドワーフの街に行ったんだね」
「ああ。自分で使う道具を選ぶのも楽しいぞ。形も大きさもいろいろあるし、使い方を聞けば、こっちが思いつかなかった工夫が見つかることもある」
その言葉に、紬は思わず身を乗り出した。
「それって、お鍋やフライパンもあるのかな?」
「金属を使った鍋なら、もちろんある。大きさも形もさまざまだ。俺が見た店にも、調理に使う道具が並んでいたぞ」
「わあ……!」
丈夫な鍋。
使いやすいフライパン。
今の自分では作るのが難しい道具も、専門の職人がいる街なら見つかるかもしれない。
紬の頭の中に、いろいろな想像が広がっていった。
「ドワーフの街って、やっぱり金属のお店が多いの?」
「そうだな。金属を加工する工房もあるし、道具を売る店もある。街を歩いていると、作業する音が聞こえてくることもあった」
「作業する音……?」
「ああ。金属を打つ音だ。工房によって作っているものが違うから、見ているだけでも飽きないぞ」
紬は、金属を打つ音が響く街を想像した。
火を使う工房。並べられた道具。職人たちが手を動かす姿。
自分が今まで見てきた森の景色とは、ずいぶん違う場所なのだろう。
「ほかには?どんなものがあるの?」
「食べ物を売る店もあったな。街を歩いていれば、食事ができる店も見つかる」
「食べ物のお店も!その時はどんなものを食べたの?」
紬の質問に、ババロは少し考えた。
「俺が食べたのは、肉と野菜を煮込んだ料理だ。熱いまま器に入れて出してくれた。あとは、焼いた辛い肉も食べたな」
「お肉と野菜の煮込み……。おいしそう……」
「うまかったぞ。味つけも村で食べるものとは少し違ったな。使っている香草が違うのかもしれない」
「香草が違うだけでも、味って変わるもんね」
紬は、思わず頷いた。
この森でも、手に入る植物によって料理の味は変わる。新しい香草を見つけたときには、どんな料理に合うのか試してみるのも楽しみのひとつだった。
同じように見える料理でも、土地が変われば使う材料も作り方も違うのだろう。
それを自分の舌で確かめられたら、きっと面白い。
「ほかにも、珍しいものはあった?」
「そうだな……。街には、俺たちの村ではあまり見かけない石や鉱物を扱う店もあった。ドワーフは山に詳しいからな。石を見ているだけでも、知らないものがいろいろあったぞ」
「石も売ってるんだ!」
「ああ。使うためのものもあれば、宝石みたいに集めている者もいるらしい」
紬は、家の周りにある石垣を思い浮かべた。
石は、積み重ねれば壁になる。形を整えれば道具にもなるし、種類によっては不思議な性質を持つものもある。
この世界には、まだ自分が知らない素材がたくさんあるのだ。
それを知ることができれば、家をもっと丈夫にしたり、今より便利な道具を作ったりできるかもしれない。
もちろん、すぐに街へ行けるわけではない。
森の外へ出るなら、道のことも、必要な準備も、危険についても考えなければならない。今の紬には、この家での暮らしも、守りたい仲間たちもある。
それでも、知らない場所の話を聞くことは楽しかった。
「いいなあ……。知らないものがいっぱいありそう」
「実際、知らないものは多いだろうな。俺だって、行ったことのない場所のほうがずっと多い」
「ババロでも?」
「当たり前だ。長く生きていても、世界中を回れるわけじゃないからな」
ババロは肩をすくめた。
その言葉は、紬にとって少し意外だった。
長く生きているババロなら、たくさんのことを知っているのだと思っていた。けれど、どれだけ長い時間を過ごしていても、知らない場所や出会ったことのないものはある。
世界は、それだけ広いということなのだろう。
「そっか。じゃあ、私もこれから、いろんなことを知っていろんな所に旅行する!」
「そうだな。自分の足で、少しずつ知っていけばいい」
紬は、嬉しそうに頷いた。
この森に来てから、毎日の暮らしの中で、たくさんのことを知った。
植物のこと。動物のこと。道具の作り方。料理の仕方。
そして、自分ひとりではできなかったことも、仲間たちと力を合わせればできると知った。
今度は、森の外にも知らないことが待っているのかもしれない。
そう考えると、いつか訪れてみたい場所が、ひとつ増えた気がした。
「ねえ、ババロ。いつかドワーフの街に行くことがあったら、またいろいろ教えてね」
「ああ。俺が知っていることならな」
「約束だよ?」
「分かった、分かった」
ババロが笑うと、紬もつられて笑った。
そのあとも、二人の話はしばらく続いた。
ドワーフの街で売られていた道具のこと。ノームの村で作られている木工品のこと。そして、村で食べられるパンのこと。
話を聞くたびに、紬の中には小さな楽しみが増えていった。
いつか、おいしいパンを食べてみたい。
丈夫な鍋や、使いやすい道具も見てみたい。
それから、どこかでお米を見つけられたら――。
考えるだけで、心が少し弾んだ。
けれど、今はまだ、この家でやりたいこともたくさんある。
紬は棚に並んだ道具を見て、それから窓の向こうに広がる冬の森へ目を向けた。
まずは、今の暮らしを大切にしながら、できることを増やしていこう。
知らない街へ続く道は、いつか歩く日が来るかもしれない。
そのときのためにも、今はひとつずつ。
紬の毎日は、まだまだ楽しみでいっぱいだった。




