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本に結ばれた人~知識と生存の本〜(ネギを握りしめて異世界に落ちた私の、のんびりサバイバル)  作者: 式文紫
第3章 冬霞~森に広がる新たな縁~

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第121話 無知

第121話 無知


家に戻ると、紬は暖炉に薪を足し、温めておいたお茶をテーブルに並べた。


 背負いカゴから降りたババロも、椅子に腰を下ろして一息つく。


 先ほど見た世界樹の姿が、まだ頭から離れなかった。


 世界樹の聖水を毎日のように飲み、料理にも薬作りにも使っている少女。しかも、世界樹の根元で育つネギから不思議な光が生まれていることにも、さほど驚いていなかった。


 紬にとっては、どれも普段の暮らしの一部なのだろう。


 だが、この世界で長く生きてきたババロからすれば、驚くことばかりだった。


 「……なあ、紬」


 「なに?」


 「お前、この世界のことをどれくらい知ってるんだ?」


 紬はコップを両手で持ったまま、首を傾げた。


 「うーん……知ってることもあるけど、知らないこともいっぱいあるよ?」


 「だろうな……」


 ババロは小さく息を吐いた。


 「よし。少し話をしよう。これからもこの森で暮らしていくなら、知っておいたほうがいいことがある」


 「この世界のこと?」


 「ああ。知らないこと自体は悪くない。だが、知らないまま行動すると、危険なこともあるからな」


 紬はコップを置き、真剣な顔で頷いた。


 「うん。わかった!」


 その素直な返事に、ババロは少し表情を和らげた。


 「まずは、この世界にいる種族の話からだ」


 ババロは指を一本立てた。


 「人間以外にも、獣人やエルフ、ドワーフ、俺たちノーム、それに妖精がいる。ほかにも、たくさんの種族が暮らしているんだ」


 「獣人に、エルフに、ドワーフ……」


 紬はひとつずつ、頭の中で繰り返した。


 「みんな、人間とは違うの?」


 「姿も、暮らし方も、それぞれ違う。得意なことだって同じじゃない。種族が違えば、考え方や習慣も違うことがある」


 「そっか……」


 紬は頷いた。


 この森で暮らすようになってから、動物や妖精、ノームなど、さまざまな存在と出会ってきた。


 それでも、自分が知らない種族がまだまだいるのだと思うと、不思議な気持ちになった。


 「いつか、ほかの種族にも会えるかな?」


 「出会う機会はあるだろうな。ただし、相手がどんな種族でも、最初から自分と同じ考え方をすると思わないことだ」


 「うん。覚えておくね!」


 ババロは満足そうに頷き、次の話へ移った。


 「次は魔物についてだ」


 その言葉に、紬の表情が少し引き締まる。


 「魔物は、基本的に魔物以外の生き物を襲う。ずる賢い奴も多い。力で押し切るだけじゃなく、相手の隙を狙ったり、逃げ道を塞いだりすることもあるんだ」


 「ずる賢い……」


 「ああ。魔物にも、種類や個体によって違いがある。強さも、知恵も、性格もな。邪悪さだって同じじゃない」


 ババロは、紬の目を見た。


 「俺を襲った魔物がいい例だ」


 紬は、雪の中でババロを見つけたときのことを思い出した。


 黒い霧に包まれた、異様な魔物。


 あのとき、ババロはひどい傷を負っていた。


 「俺は、あいつに追われていた。逃げても追ってくるし、まともに立ち向かえる相手でもなかった。最後には、ああして傷を負わされたんだ」


 「……そんなに強かったの?」


 「ああ。強さだけじゃない。あの黒い霧も厄介だった。何をしてくるかわからない相手に、むやみに近づくのは危険だ」


 ババロは腕を組み、少し考えるように間を置いた。


 「それに、見た目だけで安全かどうかを判断するな。小さくても危険な能力を持っている魔物はいるし、弱そうに見えても油断できない相手はいる」


 「うん……」


 「知らない魔物を見つけても、むやみに近づくな。知っている魔物でも、普段と違う様子なら警戒しろ」


 「わかった」


 「それと、森で何かおかしなことが起きたら、自分だけで解決しようとするな。逃げることも大事だし、誰かに相談することも大事だ」


 紬は真剣に頷いた。


 「うん。危ないと思ったら、ちゃんと離れるね」


 「ああ。それでいい」


 ババロの声が、少しだけ柔らかくなった。


 「知識を持つのはいいことだ。だが、知っていることと、実際に対処できることは違うからな」


 紬はその言葉を、胸に刻むように頷いた。


 これまで《知識と生存》に助けられたことは何度もある。


 けれど、本に書かれていることだけですべてに対処できるわけではない。


 実際に経験した者から教わることにも、大切な意味があるのだと感じた。


 「……次は、この森の話をしよう」


 ババロは窓の外へ目を向けた。


 「この森には、主と呼ばれる存在がいる」


 「主?」


 「そうだ。森の主、空の主、水の主……それぞれに関わる場所を代表するような、特別な存在だ」


 紬は、アルブレーヴやルーチェ、そして水の主であるタイタンサーモンのことを思い浮かべた。


 「アルブレーヴも、森の主なんだよね?」


 「ああ。お前はすでに森の主と空の主と親しくしているんだったな」


 「うん!」


 紬は嬉しそうに笑った。


 ババロはその顔を見て、少しだけ呆れたように息を吐いた。


 「……お前は本当に、いろいろとすごいことを当たり前にしてるな」


 「そうかな?」


 「そうだよ」


 ババロはきっぱりと言った。


 「主は、普通の動物や魔物とは違う力や役割を持つことがある。だが、主がいるからといって、森のすべてが安全になるわけじゃない。森には危険な場所もあるし、主の力が届かないところだってある」


 「そっか……」


 紬は森の奥へと思いを馳せた。


 いつも歩く場所でも、まだ知らないことがたくさんある。


 「だから、慣れた場所だからといって油断するな。森の様子をよく見て、少しでもおかしいと思ったら無理をしないことだ」


 「うん。気をつけるね!」


 ババロは頷き、今度は少し声を落とした。


 「それから、世界樹についても覚えておいたほうがいい」


 紬は顔を上げた。


 「世界樹?」


 「ああ。世界樹は、普通の大木とは違う特別な存在だ。世界の各地にあるが、どこにでも見つかるようなものじゃない。人目につかない場所に存在していることもある」


 紬は、今朝見たアルセリアの大きな幹を思い出した。


 あの木が、そんなにも特別な存在だったとは。


 「それに、世界樹が魔物に狙われることもある」


 「えっ……魔物に?」


 「ああ。世界樹だからといって、必ず安全だとは限らないんだ」


 ババロは真剣な表情で続けた。


 「世界樹の近くで暮らしているなら、そのことは覚えておけ。何か異変があったときには、いつも以上に注意するんだ」


 「うん、わかった」


 紬は素直に頷いた。


 ただ、今朝見たネギの光と、少しずつ緑を取り戻している世界樹の葉のことは、まだうまく結びつけられなかった。


 どうしてネギが光るのか。


 どうして世界樹が回復しているのか。


 わからないことは、まだたくさんある。


 けれど、今はそれを無理に解き明かそうとするよりも、まず自分が暮らしている世界について知ることが大切なのだろう。


 「ババロ、教えてくれてありがとう!」


 紬が笑顔で言うと、ババロは少し照れくさそうに視線を逸らした。


 「礼を言われるほどのことじゃない。お前が危ない目に遭わないように、知っておいてほしかっただけだ」


 「うん!」


 紬は、もう一度しっかりと頷いた。


 これからも、この森で暮らしていくために。


 知らないことを知り、わからないことを学んでいこう。


 《知識と生存》の本だけでは得られない知識も、きっとある。


 そして、それを教えてくれる人がいる。


 紬は温かなお茶をひと口飲み、ほっと息をついた。


 冬の森は、今日も静かだった。


 けれど、その静けさの向こうには、まだ知らない世界が広がっている。

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