第118話 広い世界
第118話 広い世界
頭の中が、いっぱいだった。
本に尋ねたこと。
返ってきた答え。
そして、答えてもらえなかった、たくさんの疑問。
魔力のことも、この世界のことも、自分自身のことも。
知りたいことは、まだまだある。
けれど、いくら考えても、すぐに答えが出るわけではなかった。
紬は、ふうっと息を吐いた。
「……なんだか、疲れちゃった」
思わずこぼれた言葉に、そばにいたババロが顔を向けた。
「そりゃそうだろ。あれだけあれこれ考えてりゃ、頭だって疲れるさ」
「うん……」
「今日はもうゆっくりしようぜ。あんまり根を詰めても、いいことはねえからな」
ババロはそう言うと、椅子に深く腰を下ろした。
紬も、その言葉に甘えることにした。
せっかく、こうして普通に話せるようになったのだ。
聞きたいことは、まだある。
でも、今は本に尋ねるのではなく、目の前にいるババロと話してみたかった。
「ねえ、ババロ。せっかくお話ができるようになったんだから、もう少しおしゃべりしない?」
「ん? ああ、構わねえぞ」
ババロは、気さくに頷いた。
紬は嬉しくなり、さっそく気になっていたことを尋ねた。
「そういえば、ババロってノームだよね?」
「……は?」
ババロは、きょとんとした顔で紬を見た。
「ノーム以外に見えたら、病気だぞ」
「えっ、そうじゃなくて! ノームって、どんな暮らしをしているのかなって」
「ああ、そういうことか」
ようやく納得したらしいババロは、腕を組んだ。
「そうだな。俺たちノームは、土や植物に関わる魔法を得意としている。地面を掘ったり、植物を育てたりな。そういう仕事が性に合ってるんだ」
「土や植物の魔法……。だから、さっきも葉っぱを使って魔法を見せてくれたんだね」
「ああ。俺たちは、昔からそうやって暮らしてきたんだ」
ババロは、懐かしむように目を細めた。
「地下にトンネルを作って、森へ出入りするんだ。そこで魔法を使って土を豊かにし、植物をよく育てる。そうすりゃ、森もよく育つし、俺たちは育った植物から必要なものを収穫できる」
「森を育てて、森から恵みをもらうんだね」
「そういうことだ。森を育てながら、その恵みを分けてもらう。持ちつ持たれつってやつさ。俺たちは、ずっとそうして暮らしてきたんだよ」
紬は、窓の外に広がる森を眺めた。
今まで、森で植物を見つけたり、動物たちと出会ったりしてきた。
けれど、森の中には、自分の知らない暮らしや、長い年月をかけて築かれてきた関係もあるのだ。
「なんだか、素敵だね」
「そうか?」
「うん。森を大切にしながら暮らしているんだもの」
ババロは、少し照れくさそうに鼻を鳴らした。
「まあ、俺たちにとっちゃ、それが当たり前なんだがな」
そんなババロを見て、紬は小さく笑った。
そして、もう一つ気になっていたことを思い出した。
「ねえ、ババロ。仲間は探しに来ないの?」
その問いに、ババロの表情が変わった。
「来るはずがねえ。いや、来てはならん!」
思いのほか強い口調だった。
紬は驚き、ババロの顔を見つめた。
「ノームは、もともと数の少ない種族なんだ。俺一人のために、仲間が危険を冒す必要はねえ。村にいれば安全なんだからな」
ババロは、静かに言葉を続けた。
「長老たちだって、きっと正しい判断をしてくれている。俺が戻らなくても、村を守ることを優先するはずだ」
その言葉には、仲間を信じる気持ちが込められていた。
けれど、ババロは少しだけ目を伏せた。
「……ただ、息子がな」
「息子さん?」
「ああ。別れ方が最悪だったからな。あいつ、こっそり村を抜け出して、俺を探しに来たりしねえか心配なんだ」
紬は、少し驚いた。
「ババロの息子さん、そんな感じなんだ……」
「いや、いい子だぞ」
ババロは、すぐにそう言った。
「ただ、頑固で正義感が強くてな。自分が正しいと思ったら、なかなか引かねえ。それに……俺のことが大好きなんだよ」
最後の言葉を口にしたとき、ババロの顔には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
心配しているはずなのに、どこか嬉しそうだった。
紬は、その表情を見て微笑んだ。
「そっか。ババロは、息子さんのことが大好きなんだね」
「当たり前だろ。俺の息子だからな」
ババロは、少し得意げに胸を張った。
紬は、その姿を見て、なんだか温かい気持ちになった。
家族を心配する気持ち。
相手を信じる気持ち。
そして、大切な人を思うと、つい嬉しくなってしまう気持ち。
種族が違っても、そういうところは変わらないのかもしれない。
ふと、紬はもう一つの疑問を思い出した。
「そういえば、この森って、どうして帰らずの森って呼ばれているの?」
「この森は、とにかく広い。馬鹿みてえにな」
ババロは、呆れたように肩をすくめた。
「どこまでも広がっていて、奥へ進めば進むほど深くなる。人族が普段暮らしている場所とは、わけが違うんだ」
「そんなに広いの?」
「ああ。しかも、奥にはとんでもねえ魔物がうじゃうじゃいる。腕に覚えがあるやつでも、無事に帰れるとは限らねえ」
紬は、窓の向こうに広がる冬の森へ目を向けた。
いつも歩いている場所も、まだ知らない場所も、すべてがこの森の一部なのだ。
「だから、人族は滅多に近づかない。森に入ったところで、道に迷ったり、魔物に襲われたりすりゃ、それで終わりだ」
「それで、帰らずの森……?」
「そういう意味もあるだろうな。弱いやつは帰ってこられねえ。そういう場所だってことさ」
ババロはそこで言葉を切り、少し考えるように顎を撫でた。
「まあ、それだけじゃねえんだがな」
「ほかにも理由があるの?」
「そりゃあるさ。森ってのは広いんだ。人族が知らねえことも、俺たちが知らねえことも、いくらでもある」
そう言って、ババロは小さく笑った。
「名前の由来なんて、ひとつとは限らねえだろ?」
紬は、もう一度森へ目を向けた。
見慣れた木々。
その向こうに広がる、まだ知らない世界。
この森には、自分が知っている以上のものがある。
そう思うと、少し怖いような、それでいて知りたくなるような、不思議な気持ちになった。
けれど、今はそのことを深く考えるのはやめておこう。
せっかくの休憩なのだから。
紬は、ふと思い出したようにババロへ顔を向けた。
「そういえば、ババロはルーチェのことを聖鳥って呼んでいたよね。どうしてなの?」
その言葉に、ババロは近くで羽を休めているルーチェを眺めた。
「アルカンシエルは、世界樹から生まれる存在なんだ。鳥の姿をしているが、精霊に近いと言われている」
「世界樹から生まれるの?」
「ああ。一つの大陸に一羽いるかどうかってほど珍しい存在でな。とんでもなく強い力を持っている。聖鳥と呼ばれるのも、そういう理由があるからだ」
紬は、ルーチェの姿を見つめた。
虹色の羽。
丸い体。
そして、初めて会ったときから変わらない、のんびりとした様子。
「そんなにすごい存在だったんだ……」
「お前さん、知らずに一緒にいたのか?」
ババロは、呆れたように紬を見た。
「うん。だって、ルーチェはルーチェだもの」
紬は、当たり前のことを言うように答えた。
それから、少しだけ懐かしそうに目を細める。
「初めてここに来たとき、ルーチェは私と仲良くしてくれたの。何もわからなくて、不安だったときも、ずっと一緒にいてくれた」
紬は、ルーチェの柔らかな羽にそっと触れた。
「だから、どんなに強くても、珍しい存在でも、ルーチェはルーチェだよ。私にとっては、大切な家族なんだ」
「ギョエ!」
ルーチェは、紬の言葉がわかったのか、わかっていないのか。
いつもより少しだけ得意げに胸を張った。
ババロは、そんなルーチェをしばらく眺めていた。
「……そうか。お前さんにとっては、そういうことなんだな」
やがて、ババロは感心したように頷いた。
「空の上なら、ドラゴンにも負けねえだろうな」
そう呟きながら、改めてルーチェを眺める。
当のルーチェは、そんな視線など気にも留めず、大きく口を開けて欠伸をした。
「ぎょえ」
まるで、何か用かとでも言いたげな鳴き声だった。
ババロは、一瞬だけ言葉を失った。
「……お前、本当にすごい存在なんだよな?」
ルーチェは答える代わりに、再び羽を整え始めた。
紬は思わず笑ってしまった。
「ルーチェは、いつもこんな感じだよ」
「……そうかよ」
ババロは呆れたように息を吐いた。
けれど、その表情には驚きと、ほんの少しの可笑しさが混じっていた。
しばらく、穏やかな時間が流れた。
窓の外では、静かに雪が降り続いている。
紬は、今日一日でたくさんのことを考えた。
まだ知らないことは多い。
わからないことも、答えの出ない疑問もある。
それでも、こうして誰かと話しながら、少しずつ知っていけばいいのだと思えた。
「ねえ、ババロ」
「ん?」
「この世界って、知らないことばかりだね」
「当たり前だ。俺だって知らねえことはいくらでもある」
ババロは、あっさりと答えた。
「だから、焦らず少しずつ知っていけばいいんだよ」
紬は、その言葉に頷いた。
「うん。でも、ババロにもまだまだ聞きたいことがあるよ」
「おいおい、今日は休むんじゃなかったのか?」
ババロが呆れた声を出す。
紬は、くすくすと笑った。
「だって、せっかくお話できるようになったんだもの」
「……まったく、仕方ねえな」
そう言いながらも、ババロは笑っていた。
その横では、ルーチェがすっかり眠り込んでいる。
【ギョエ……】
小さな鳴き声に、二人は顔を見合わせた。
そして、また笑った。
外では、冬の森が静かに雪を受け止めていた。
今日は、何かを解き明かす日ではない。
ただ、誰かと話し、互いのことを知り、穏やかな時間を過ごす。
そんな一日があってもいい。
紬は、温かな気持ちのまま、もう一度窓の外を眺めた。




