第116話 ひとつになる
第116話 ひとつになる
「まぁ、こんな感じだ。魔力の性質は十人十色。似たような力を持っていても、少しずつ違いがある」
ババロは、自分が息を吹きかけた葉と、ツムギのネギを見比べた。
「俺と同じタイプでも、葉が同じように変化するとは限らねぇ。育ち方も、力の現れ方も、それぞれ違うんだ」
ババロは葉を置き、ツムギへ視線を戻した。
「人間と違って、俺たちは魔法について自分で探っていくしかねぇ。何ができるのか、どうすれば力を使えるのか。自分の魔力と向き合いながら、少しずつ知っていくんだ」
『自分で探っていく……』
ツムギは、先ほど青白く光ったネギを見つめた。
自分の中に、あんな不思議な力がある。
そう思うと、胸の奥がむずむずした。
「魔法を発現させるには、まず身体に魔力を巡らせる必要がある」
ババロは自分の胸元に手を当てた。
「さっき、葉に息を吹きかけただろ。あのときに使った力を、今度は自分の身体の中に巡らせるんだ」
『巡らせる……?』
ツムギは小さくつぶやいた。
(身体に巡らせるって、どういうことだろう……)
魔力は目に見えない。
それを身体の中で動かすというのは、いったいどうすればいいのだろう。
(循環器……。酸素が血液に運ばれるみたいな感じかな?)
ツムギは、ふと自分の身体の仕組みを思い浮かべた。
息を吸う。
空気が肺に入り、取り込まれた酸素が血液に混ざる。
そして、心臓の働きによって血液が全身へと送り出されていく。
指先まで。
足の先まで。
身体の隅々にまで、絶え間なく巡っていく。
ツムギは静かに目を閉じた。
ゆっくりと息を吸い、吐く。
もう一度、深く息を吸った。
肺が膨らみ、空気が身体の中へ入っていく様子を思い描く。
酸素が血液に取り込まれ、心臓から送り出された血液が、身体の中を巡っていく。
その流れを、頭の中で何度もなぞった。
すると――。
机の上に置かれていた《知識と生存》の本が、ひとりでに開いた。
ぱらり、とページがめくれる。
開かれたページに描かれていたのは、ツムギ自身の人体図だった。
これまでと変わらないはずのその絵に、ゆっくりと変化が現れ始める。
白い光。
そして、青い光。
二つの光が、人体図の中を静かに動き始めた。
心臓のあたりから身体の隅々へ。
腕を通り、指先へと進み、また別の道筋をたどって戻っていく。
まるで、血液の流れに寄り添うように。
白と青の光は、ゆっくりと全身を巡っていた。
同時に、ツムギの身体の周りにも、小さな光が生まれ始める。
ほわり。
白い光が浮かび上がった。
続いて、青い光がその隣に現れる。
パチッ。
小さな火花のような光が弾けた。
それでも、ツムギは目を閉じたまま、深い呼吸を続けている。
自分の身体の中を巡るものを、ただ一生懸命に思い描いていた。
ババロは息をのんだ。
目の前の光景が、すぐには理解できなかった。
ツムギの周囲を、白と青の光がゆっくりと巡っている。
弾けるように小さな光を散らしながら、それらは途切れることなく動き続けていた。
ババロは、目を閉じたツムギを驚きの目で見つめた。
(……嘘だろ)
魔力を身体に巡らせる。
言葉にすれば、それだけのことだ。
だが、実際にやってみれば、これほど難しいことはない。
魔力は目に見えず、どこにあるのかさえ、最初は分からない。
身体の中を巡らせようとしても、どこへ動かせばいいのか分からず、途中で力が散ってしまうこともある。
何度も試し、失敗し、自分の魔力の感覚をつかんでいく。
それが、魔法を覚えるための最初の一歩だった。
けれど――。
ツムギは、それを一度で成し遂げていた。
しかも、ただ魔力を動かしているだけではない。
白と青。
二つの異なる光が、まるで別々の意思を持つかのように、ツムギの身体の周りを巡っている。
ババロは思わず声を漏らした。
【すごい……】
人間は、ほかの種族に比べて魔法との相性が悪い。
それは、ババロにとってもよく知られたことだった。
魔力を持たないわけではない。
ただ、その扱いが難しいのだ。
自然と深く結びついたノームは、土や植物の力を感じ取り、それを借りることができる。
妖精や聖なる鳥も、それぞれの属性に応じた力を扱うことに長けている。
だが、人間は違う。
自分の魔力を感覚だけで扱うことが難しく、魔法を使うには道具や触媒を介したり、飾文字を用いたりするのが一般的だった。
人間が魔法を使うためには、長い時間をかけて学ぶ必要がある。
そのうえ、この世界では、人の身体の仕組みについても、十分に知られているわけではなかった。
血が身体の中にあることは知られている。
血が大量に失われれば命に関わることも、傷口を縛って止血したり、治癒魔法で傷を癒やしたりする必要があることも、経験から分かっていた。
しかし、その血液がどのように身体の中を巡り、どんな役割を果たしているのか。
それを詳しく理解している者は、ほとんどいない。
医療に関する知識や技術は秘部文とされ、特定の家系によって厳格に管理されているからだ。
身体の仕組みを知る機会そのものが限られている。
だからこそ、魔力を巡らせるという感覚をつかむのも、人間にとっては難しい。
それなのに。
ツムギは、血液が身体を巡る様子を思い描き、それに重ねるように魔力を動かしている。
そのうえ、白と青、二つの光を生み出していた。
これは、ただの才能という言葉では片づけられない。
奇跡に近いことだった。
ババロは、目の前で起きていることを見逃すまいと、じっとツムギを見つめた。
やがて、彼は静かに口を開いた。
「……そのままだ」
声に驚かせないよう、できるだけ落ち着いた調子で告げる。
「今、身体の中を巡ってるものを感じてみろ。無理に動かそうとしなくていい。流れを見失うな」
ツムギは目を閉じたまま、呼吸を続けていた。
「その力を、今度は手に集めてみろ」
ババロは自分の手を軽く握り、ツムギへ示した。
「焦るな。少しずつでいい。身体を巡ってる力を、手のひらへ持っていくんだ」
ツムギの指先が、ぴくりと動いた。
白と青の光は、彼女の周りを巡り続けている。
その光が次にどんな変化を見せるのか。
ババロは息を潜め、ツムギの手元を見守った。
「ツムギ、目を開けてみろ」
ババロの声に、ツムギはゆっくりと目を開いた。
すると――。
手のひらの上で、白と青の光がぴょん、ぴょんと跳ねていた。
まるで、お互いを追いかけて遊んでいるかのように、二つの光が手のひらを行ったり来たりしている。
ときおり、パチッと小さな光が弾けた。
「わぁ!」
ツムギの顔がぱっと明るくなった。
「すごい! ねぇ、見て! 手の上で跳ねてる!」
手を傾けても、光は消えない。
白い光が青い光を追いかけ、青い光がくるりと逃げる。
その不思議な動きが面白くて、ツムギは夢中になって手のひらを見つめた。
【ピッ、ピピッ!】
ラタが前足を持ち上げ、嬉しそうに跳ねた。
【キュルルッ!】
カーバンクルも額の赤い宝石をきらめかせる。
ルーチェは翼を広げ、ルリは透明な四枚の羽をぱたぱたと震わせた。
『ツムギ、すごい! 光、ぴょんぴょん!』
ルリも、手のひらの上で跳ねる光に大喜びだった。
その様子を見ていたババロは、驚きが隠せないまま、じっとツムギの手元を見つめていた。
「……本当に、初めてなんだよな?」
思わずこぼれた言葉に、ツムギは顔を上げた。
「うん。初めてだよ?」
本人は不思議そうに首を傾げている。
自分がどれほど珍しいことをしているのか、まだ分かっていないらしい。
ツムギは、もう一度手のひらへ視線を戻した。
白い光と、青い光。
どちらも自分の身体から生まれたものなのだろうか。
そもそも、魔力とは何なのだろう。
これが魔力だというのなら、自分はいったい何ができるのだろう。
(魔力って、なんなんだろう……。これで、何ができるんだろう?)
もっと知りたい。
その気持ちが胸に浮かんだ、その瞬間だった。
――バサッ!
机の上から、勢いよく本のページがめくれる音がした。
「えっ?」
ツムギが振り返るよりも早く、《知識と生存》の本がひとりでに開いた。
何枚ものページが風もないのに勢いよくめくられていく。
バサバサバサッ!
やがて、本はツムギのもとへ飛んできて、その手の中に収まった。
ページがぴたりと止まる。
そこには、これまで見たことのない項目が記されていた。
【魔力】
ツムギは、息をのんだ。
今まで知らなかった言葉。
けれど、つい先ほどから、自分が知りたいと願っていたものだった。
ページの文字が淡く輝く。
そして、その下に新しい文章が浮かび上がった。
【魔力】
【定義】
魔力とは、生命力とは異なる、この世界を漂う奇跡。
人体を動かすことにも、食べるものにも、あらゆるものに魔力は存在する。
その存在を自覚し、訓練することで、魔力を扱うことが可能となる。
ツムギは、一文字ずつ確かめるように読んでいった。
生命力とは異なる、この世界を漂う奇跡。
食べるものにも、身体を動かすことにも。
魔力は、あらゆるものに存在している。
(じゃあ……今まで食べてきたものにも、魔力があったの?)
知らなかった。
いつも食べている野菜も、森で暮らす動物たちも、この世界そのものも。
もしかしたら、まだ知らないことが、たくさんあるのかもしれない。
ツムギの胸が、期待に小さく弾んだ。
そのときだった。
ページの文字が、再び光を帯びた。
先ほどまでの説明とは異なる、新しい文章がゆっくりと浮かび上がってくる。
【身体と心の安定を確認】
【魔力との接続を確認】
【森川紬が、一定基準を満たしました】
【《知識と生存》の機能を解放します】
「……え?」
ツムギは、思わず声を漏らした。
戸惑うツムギの目の前で、さらに文字が現れた。
【この度、あなたはわたしと一つになりました】
【これより、本はあなたの意志で確認することができます】
【あなたが生存するための維持を行い、あなたが知識を求める力は、わたしの、そしてあなたの力となります】
最後の文字が浮かび上がると、本全体が柔らかな光に包まれた。
白い光と青い光がページからあふれ出し、本の輪郭をゆっくりと溶かしていく。
「えっ……?」
ツムギが声を漏らす間にも、本は少しずつ形を失っていった。
やがて、そこに残ったのは白と青の光だけ。
二つの光は絡み合うようにツムギの手のひらへ流れ込み、そのまま身体の中へと吸い込まれていった。
すうっ……。
最後の光が消える。
ツムギの手の中には、もう何もなかった。
「……本が、消えちゃった」
ツムギは、自分の手のひらを見つめた。
机の上にも、床にも、本は見当たらない。
まるで、最初からそこになかったかのようだった。
【ピィ……?】
ルーチェが不思議そうに首を傾げる。
ルリもツムギの手元をのぞき込んだ。
『ツムギ、本……どこ?』
「うーん……」
ツムギは首を傾げた。
けれど、ふと先ほどの文字を思い出す。
――あなたは、わたしと一つになりました。
ツムギは、ゆっくりと目を閉じた。
先ほどまで身体の中を巡っていた魔力を思い出す。
深く息を吸い、身体の中を巡る魔力を思い描く。
そして、その流れを手のひらへと集めていった。
白い光が、指先に浮かぶ。
続いて、青い光が小さく弾けた。
その瞬間――。
ぽんっ。
ツムギの手のひらに、一冊の本が現れた。
「……あっ!」
見覚えのある表紙。
何度も開き、何度も助けられてきた本。
間違いない。
《知識と生存》だった。
「本! 戻ってきた!」
ツムギは目を輝かせ、両手で本を持ち上げた。
消えてしまったと思った本が、再び手の中にある。
けれど、さっきまでとは何かが違う。
今度は、机から飛んできたわけでも、誰かが渡してくれたわけでもない。
自分の中にある魔力を手のひらに集めたら、自然と現れたのだ。
「魔力を集めたら……出てきたんだ」
ツムギは、驚きと嬉しさの混じった声でつぶやいた。
その様子を見ていたババロが、口を開いた。
「ツムギ、それがお前の魔力だ」
「私の……魔力?」
「ああ。よく分からんが、多分そうなんだろう。その本は俺には読めねぇ。だが、お前さんには読めるんだろ?」
ツムギは、手の中の《知識と生存》へ目を落とした。
見慣れた表紙を、そっと指で撫でる。
この本は、ずっと自分と一緒にあった。
知らないことを教えてくれて、危険から守ってくれて、森で生きるための知識を与えてくれた。
そして今、自分の魔力に応えるように、その姿を現した。
ツムギは顔を上げ、こくりとうなずいた。
「うん。これが、私の力」
そう口にすると、胸の奥が少しだけ温かくなった。
まだ分からないことばかりだ。
自分の魔力が何なのか、この本にどんな秘密があるのか。
それでも、今は確かに分かることがある。
この力は、自分の中にある。
そして、これからもっと知っていけるのだ。
ツムギは、手の中の本を大切そうに抱きしめた。




