第13話 赤い警告と、本
第13話 赤い警告と本
朝。
紬は、いつもの鳥の鳴き声で目を覚ました。
「ギョエェェェ!」
「……おはよう」
もう、この声にも少し慣れてきた。
いや。
慣れたというより、諦めた。
紬は身体を起こし、簡単な屋根の隙間から空を見上げる。
朝露の雫が葉の先から、ぽたりと落ちた。
「……今日は晴れそう」
昨日は現れなかった、
大型犬ほどの大きさをした、鹿のような生き物。
「……あの子、また来るかな」
まだ名前も知らない。
触れてもいない。
《本》で詳しく調べてもいない。
ただ、遠目で
見ただけ。
それなのに、なぜか気になっていた。
「まあ……また来たら、その時考えよう」
紬は立ち上がった。
*
朝食を済ませる。
今日はアカツブを一つ。
それからクッキーを少しだけ。
「……これくらいなら、まだ大丈夫かな」
水を飲み、バッグを確認する。
食料はまだ残っている。
でも、少しずつ減っている。
「そろそろ、ちゃんと食べ物を探さないとな」
森で生活するなら、いつまでも持ってきた食料だけでは無理だ。
昨日までに見つけた植物もある。
ミナハーブ。
アカツブ。
そして、まだ使い方の分からないもの。
今日は、アカツブを少し探してみることにした。
紬はバッグを持ち、石壁の外へ出る。
「……行ってきます」
誰に言うでもなく呟く。
「ギョー」
「……返事した?」
石壁の端を見る。
虹色鳥がこちらを見ていた。
「今日もいたんだ」
「ギョ」
「……アカツブ?」
「ギョー」
「はいはい」
紬は小さなアカツブの粒を一つ投げた。
虹色鳥は素早く咥えると、そのまま木の上へ飛んでいった。
「……完全に餌付けしちゃってるなぁ」
紬は苦笑しながら、森へ入っていった。
*
森の中を歩く。
昨日までより、道が分かる。
曲がった木。
大きな岩。
石垣。
沢へ向かう道。
少しずつ、自分の中に森の地図ができてきている。
「この辺だったよね」
しばらく歩くと、見覚えのある赤い実が見えてきた。
「あった」
アカツブだ。
赤く丸い実が、いくつも実っている。
「今日は結構あるな」
紬はしゃがみ込んだ。
いくつか採ろうと手を伸ばす。
その時。
「……ん?」
そのすぐ隣に、赤い実があった。
アカツブとよく似ている。
色も。
大きさも。
形も。
遠目から見れば、ほとんど違いが分からない。
「……これもアカツブ?」
紬は実を見つめる。
けれど、葉の形が少し違う。
「……似てるけど」
森に来てから、何度も《本》に助けられている。
知らない植物。
食べられるもの。
使えるもの。
だからこそ――
「念のため、確認しよう」
紬は《本》を取り出した。
赤い実に触れる。
ページを開く。
いつものように、白いページが開く。
――そのはずだった。
ビクッ。
「……え?」
手の中で、《本》が小さく震えた。
まるで――
身震いしたように。
「なに……?」
白かったページが、少しずつ色を変えていく。
白。
薄い赤。
そして――
赤。
表紙まで、ゆっくりと赤く染まっていく。
「……え?」
紬の手が止まる。
ページに文字が浮かんだ。
いつもの黒い文字ではない。
真っ赤な文字。
【警告】
【毒物】
【絶対に食べてはいけない】
「……!」
紬は反射的に手を引いた。
持っていた実が、地面に落ちる。
「これ……毒?」
落ちた実を見る。
アカツブとほとんど変わらない。
もし《本》で確認していなかったら。
いつものアカツブだと思って、そのまま口に入れていたかもしれない。
「……怖……」
紬は一歩下がった。
心臓が、どくどくと鳴っている。
もう一度、本を見る。
赤いページに文字が残っている。
【名称】マガイガイ
【状態】生育中
【毒物】
【絶対に食べてはいけない】
「……マガイガイ」
紬は落ちた実を見る。
「これが……?」
見た目は、ほとんどアカツブと変わらない。
でも、本は明確に危険だと言っている。
紬は近くにある赤い実を一つずつ確認していく。
アカツブ。
アカツブ。
アカツブ。
そして――
「……これも」
赤い文字。
「マガイガイ……」
さらに周囲を見る。
赤い実の中に、いくつか混じっている。
「……こんなの、見ただけじゃ分からないよ」
紬はしばらく黙った。
食べ物だと思っていたものの中に、危険なものが混じっている。
背中を嫌な汗がゆっくりと伝っていく。
この森では、知らないものを勝手に口にしてはいけない。
「……ちゃんと確認しないと」
紬は落ちていたマガイガイを枝で遠ざけた。
念のため、その周辺の実も確認する。
食べられるものだけを選ぶ。
「よし……」
アカツブをいくつか採る。
バッグへ入れる。
そして、本を閉じようとした。
その時だった。
「……あれ?」
表紙を見る。
さっきまで赤く染まっていた表紙が、ゆっくりと白へ戻っていく。
赤。
薄い赤。
そして、いつもの白。
「……戻った」
紬は本を裏返した。
そして、もう一度表紙を見る。
「……ん?」
何かがある。
今まで何も書かれていなかった白い表紙。
そこに――
文字が浮かんでいた。
一文字ずつ。
ゆっくりと。
まるで、今まで隠されていたものが姿を現すように。
紬は息を止めた。
「……」
そこに書かれていたのは――
『知識と生存』
「……知識と、生存?」
紬は表紙をじっと見つめる。
「これ……本の名前?」
返事はない。
いつもの《本》と同じように、静かにそこにある。
ただ、今までなかった名前が確かに刻まれていた。
「……今まで、書いてなかったよね」
紬は指で文字をなぞる。
何も起こらない。
「なんで今……?」
分からない。
この本が何なのかも。
なぜ自分のところにあるのかも。
なぜ、今日になって名前が現れたのかも。
「……分からないことばっかりだな」
紬は小さく笑った。
でも――
この本がなければ、さっきの実を食べていたかもしれない。
知ること。
そして、生きること。
今の自分には、それだけでも十分だった。
「……『知識と生存』か」
紬は本を大切にバッグへしまった。
「これからも、よろしくね」
もちろん、本から返事はない。
*
帰り道。
紬は何度も足元を確認しながら歩いた。
赤い実を見つけても、すぐには触らない。
知らない植物も、勝手に口へ入れない。
「……慎重にしないと」
森の中には、まだ自分の知らないものがたくさんある。
食べられるものも。
役に立つものも。
そして――
危険なものも。
石壁が見えてきた。
「あ……」
いつもの場所。
自分の家。
まだ立派な家とは言えない。
でも、少しずつ形になってきている。
紬は石壁の中へ入った。
バッグを置き
採ってきたアカツブを確認する。
「……今日はこれだけ」
それから、ペットボトルを持って小さな畑へ向かった。
ネギの前にしゃがむ。
「今日も元気に育ってね」
ペットボトルを傾ける。
水が、土へゆっくり染み込んでいく。
ネギの葉が風に揺れる。
そして――
「あれ?」
紬は目を細めた。
ネギの隣。
昨日より少しだけ大きくなった、小さな芽。
そのさらに隣に――
もう一つ。
「……増えてる」
小さな緑色の芽が、三つになっていた。
「……ふふ」
紬はしゃがんだまま、それを眺める。
森では、毒のあるものも見つかった。
知らないことも、まだまだ多い。
それでも。
ここでは、小さなネギが少しずつ育っている。
「ちゃんと大きくなってね」
そう呟いて、紬は立ち上がった。
ふと、バッグの中の《本》を思い出す。
『知識と生存』
その名前が、頭の中に残っていた。
森で生きるために。
知らないものを知るために。
そして――
いつか、この場所を本当の家にするために。
「……明日は何をしようかな」
紬は石壁を見渡した。
まだまだ、やることはたくさんある。
けれど。
それも、今は少し楽しみだった。
森の中での暮らしは、今日もまた一つ。
新しいことを教えてくれた。




