第115話 葉占い
第115話 葉占い
窓の外では、今日も雪が静かに降り続いていた。
石垣の向こうに広がる森は、すっかり白い世界に変わっている。枝に積もった雪が風に揺れ、時折、さらさらと地面へ落ちていった。
黒い霧の魔物が現れてから、森の様子はどこかおかしい。
それでも、石垣に守られた家の中には、いつもの穏やかな時間が流れていた。
紬が新しく作ってもらったテーブルには、ブルーバンブーのコップが並んでいる。中には温かな薬草茶。甘い香りが部屋に広がり、冷えた身体をゆっくりと温めてくれていた。
そのテーブルのそばで、ババロが小枝を手に取っていた。
傷はすっかり癒えたものの、長い間、魔物から逃げ続けていた疲れはまだ残っている。今は無理をせず、紬たちの家で身体を休めていた。
けれど、じっとしているのは性に合わないらしい。
ババロは小枝を指先で軽く弾くと、何かを確かめるように眺めた。
すると、枝の先がゆっくりと曲がり、そこから小さな葉が顔を出した。
紬は目を丸くした。
「すごいっ! ババロ、それ何?」
思わず身を乗り出す紬に、ババロは顔を上げた。
「ん? ああ、これか。魔法だ、ま、ほ、う」
まるで大したことではないとでもいうように、ババロは小枝を持ち直した。
そして指先を動かすと、今度は枝がくるりと曲がり、小さな葉が二枚、仲良く並んで開いた。
「わあっ! 葉っぱ、いつぱい!」
紬は枝に顔を近づけた。
さっきまで何もなかったところから、葉が生まれている。
ババロが手を動かしただけなのに、どうしてこんなことができるのだろう。
不思議で、面白くて、もっと見ていたい。
紬の目は、すっかり小枝に釘付けになっていた。
ババロはそんな紬を見て、口元を緩めた。
「なんだ、そんなに気になるか?」
「うん! 私も、まほう!」
紬は迷いなく答えた。
この世界に来てから、何度も不思議なものを見てきた。
ルーチェの放つ光。ルリの不思議な術。アルブレーヴが森の中で見せる、神秘的な力。
どれも紬にはできないことばかりだった。
けれど、目の前でババロが見せてくれた魔法は、どこか身近に感じられた。
枝が伸び、葉が開く。
自然の中で起きることを、ほんの少し手助けしているようにも見える。
自分にもできるのだろうか。
そんな期待が、紬の胸の中で膨らんでいった。
ババロは小枝をテーブルに置き、腕を組んだ。
「魔法を使ってみたいのか。よし、まずは魔力があるか確かめるところからだな」
ババロが頷くのを見て紬の顔がぱっと明るくなった。
「ほんと? ありがとう!」
その様子を見ていたルリも、嬉しそうに羽をぱたぱたと動かした。
『ツムギ、魔法するの? 楽しみ!』
ルリは紬の肩の近くまで飛んでくると、ババロの顔を覗き込んだ。
ババロはルリにも目を向け、軽く頷いた。
「その前に、魔法の仕組みを少し話しておくか。知らねえまま使おうとしても、うまくはいかないからな」
紬は真剣な顔で頷いた。
ババロはテーブルに置いた小枝を指先で転がしながら、説明を始めた。
「魔法を使うには魔力がいる。だが、魔力の性質はどの種族も同じってわけじゃない。生まれ持った種族や、自然とのつながりによって違ってくるんだ」
ババロは身振り手振り時にはゆっくり教えた。
紬は一生懸命に聞いていた。
けれど、共通語で続く説明は、少しずつ難しくなっていく。
「俺たちノームは、原始に近い存在だ。自然とやり取りして、その力を借りる。そうやって魔法を使うんだよ」
紬は首を傾げた。
分かったような、分からないような。
そんな紬に気づいたルリが、そばへ飛んできた。
『ババロ、自然の力、借りる。木や土と仲良し。そこから力、もらうの』
短い言葉を選びながら、ルリは一生懸命に説明した。
紬は何度か頷いた。
「そっか……!」
自然の力を借りる。
そう聞くと、さっきの枝の変化も少し分かる気がした。
ババロは自分の手を見つめながら、さらに話を続けた。
「俺は土と植物との相性がいい。だから、根を伸ばしたり、葉を育てたりするのが得意なんだ」
ルリは自分の胸を指さし、それから窓の外に目を向けた。
『わたし、妖精。ババロと違う。自然に近い。色で、魔法も違うの』
それだけ伝えると、ルリは指先に小さな青い光を灯した。
光はふわりと浮かび、すぐに消えてしまう。
紬はその動きを目で追った。
ルリの魔法は、いつ見ても不思議だ。
あの小さな身体のどこに、そんな力が隠れているのだろう。
「……、人間は?」
紬が尋ねると、ババロは少し考えてから答えた。
「人間は、俺たちみたいに自然の力を直接借りるのが得意じゃない。そのぶん、魔石や道具を使ったり、飾文字を組み合わせたりして魔法を使うんだ」
またもや難しい言葉が出てきた。
紬は眉を寄せた。
ルリは少し考えてから、手を動かしながら説明した。
『人間、道具を使う。特別な文字も使う。そうすると、魔法が使いやすいの』
紬はふむふむと頷いた。
この世界の人間は、魔法を使うためにいろいろと工夫をしているらしい。
魔石に、道具に、文字。
それぞれにどんな仕組みがあるのか、気になることはたくさんあった。
けれど、今はまず、自分が魔法を使えるのかどうかを知りたかった。
紬が期待を込めてババロを見つめていると、彼は腕を組んだまま、じっと紬の顔を見た。
「……ただな、ツムギはだいぶこっちよりだからな」
「こっち?」
紬はきょとんとした。
ババロは自分の胸を指さした。
「自然に近い側ってことだ。お前、森のものと妙に馴染むだろ」
ルリが紬の肩に座り、短く言葉を添えた。
『ツムギ、皆と仲良し。』
紬は自分の手のひらを見つめた。
自然との相性。
そう言われても、まだよく分からない。
けれど、ババロがそう言うのなら、もしかしたら自分にも何かできるのかもしれない。
期待が、また少し膨らんだ。
「よし。まずは葉っぱを使って、魔力があるか確かめるぞ」
ババロは立ち上がり、戸口へ向かった。
紬もすぐに後を追う。
「どうするの?」
「簡単な葉占いだ。難しいことはしねえよ」
ルリが紬に向かって頷いた。葉っぱで魔力を確かめる。
紬は初めて聞く方法に、目を丸くした。どんな葉っぱを使うのだろう。庭に生えている草でもいいのだろうか。
考えている間に、ババロは家の外へ出ていた。紬も慌てて後を追う。外へ出ると、冷たい空気が頬を撫でた。
空からは相変わらず雪が降り続いている。紬はババロと一緒に家の近くを歩いた。
ババロは足元に生えていた草の中から、一枚の葉を選んだ。雪に埋もれないように顔を出していた、小さな緑の葉だった。
「これでいい」
そう言って葉を摘み取ると、ババロは紬を振り返った。
「ツムギも、自分で一枚選んでこい」
紬は周囲を見回した。葉っぱなら、いくらでもある。けれど、せっかくなら自分がよく知っているものがいい。そう思って目を向けた先に、見慣れた緑色があった。
ネギだ。
元の世界から持ってきたネギは、こちらの世界でも元気に育っている。今ではすっかり家の周りに馴染み、寒い中でも青々とした葉を伸ばしていた。
紬はその中から、傷のない葉を一本選んだ。
「これにする!」
そう言ってババロに見せる。
ババロはネギを見て、少しだけ目を細め呟く。
「へえ、。そいつを選ぶのか」
紬には、その言葉の意味までは分からなかった。
けれど、自分の選んだ葉を使えるのが嬉しくて、にこにこと笑った。二人は葉を手に、家の中へ戻った。
暖かな空気に包まれると、紬はほっと息をついた。
ルリはすでにテーブルの上に陣取り、これから何が始まるのかと興味津々の様子だ。
ラタとカーバンクルも、ちょこんと顔を出している。
ルーチェは椅子のそばで羽を整えながら、静かに見守っていた。ババロは自分の葉を持ち上げ、紬に見せた。
「よく見てろよ。まずは、葉っぱを口にくわえぼーとするんだ」
そう言うと、ババロは葉を口にくわえた。紬は目をぱちぱちさせた。葉っぱを口にくわえる。それが最初の手順らしい。ババロはそのまま、しばらくじっとしぽーとていた。
目を閉じるでもなく、何かを唱えるでもない。
ただ、静かに葉をくわえている。
紬も真似をして、自分のネギを口にくわえた。
少し青臭い香りがする。
いつも料理に使っているネギなのに、こうして口にくわえると、なんだかへんな気分だった。何をすればいいのだろう。魔力を感じるのだろうか。それとも、葉っぱにお願いをするのだろうか。
いろいろ考えているうちに、紬は何となく頭の中が静かになっていくのを感じた。
しばらくして、ババロが葉を口から外した。
手のひらに葉を乗せ、そっと息を吹きかける。
ふう、と小さな息が葉に触れた。
その瞬間だった。
葉の先が、ぴくりと動いた。続いて、茎がゆっくりと伸び始める。小さな葉が次々に開き、緑色が少しずつ鮮やかになっていった。やがて、茎の根元から細い根がいくつも顔を出した。まるで、そこに新しい命が生まれたようだった。
紬は口をぽかんと開けた。
「わあっ! 伸びた! 根っこ出てきた!」
思わず声が大きくなる。
ババロは満足そうに頷いた。
「これが俺の魔力を通した結果だ。土と植物の力が反応すると、こうやって育つ」
ルリが紬に向かって、葉っぱを指さした。
「ババロ、魔力。葉っぱ、育った!」
紬はババロの手の中の葉を、まじまじと見つめた。
ほんの少し息を吹きかけただけなのに、こんなに変わるなんて。魔法というものは、本当に不思議だ。
そして、いよいよ自分の番がやってきた。紬は手の中のネギを見下ろした。口にくわえて、しばらくじっとする。それから、手のひらに乗せて息を吹きかける。
ババロがやったのと同じように。紬はネギを口から外し、両手でそっと包むように持った。
そして、ゆっくりと息を吹きかける。
ふう。
……何も起きない。
ネギはいつもと同じ姿のままだった。
紬は首を傾げた。
「……あれ?」
もう一度、試してみる。
今度は、葉の先まで意識を向けるようにして、そっと息を吹きかけた。
その瞬間。
ネギの表面が、淡い青色に染まった。
「えっ?」
紬の手の中で、青い光と白い光がふわりと揺れた。
次いで、葉の周りに小さな光の粒が現れる。
パチッ。
パチパチッ。
青い光と白い光が弾けるたび、ネギの輪郭が淡く輝いた。
紬は驚いて、思わず手を持ち上げた。
「わっ! 色が変わった! 光ってるよ!」
ネギは緑色を残したまま、その表面に青い光をまとっていた。
まるで、葉の中に小さな星がいくつも宿っているみたいだ。
紬は目を丸くしたまま、手の中のネギを見つめた。
自分がやったのだろうか。
本当に?
ババロはネギを覗き込み、しばらく黙っていた。
やがて、低い声で笑い出した。
「……なんだ、こりゃ」
紬は顔を上げた。
「えっ、何?」
ババロは自分の葉と紬のネギを見比べ、首を傾げた。
「俺の魔力なら、根っこや葉が育つ。だが、ツムギのは……何の力なんだこれ?」
その言葉に、紬も改めてネギを見つめた。確かに、ババロの葉とはまったく違う。根が伸びたわけでもない。葉が大きく育ったわけでもない。
ただ、青いと白い光が弾けている。その様子を見ていたルリが、ふいに動きを止めた。透明な羽がぴたりと静まり、青い瞳が紬の手元に吸い寄せられる。
『……この光』
ルリはゆっくりと紬のそばへ近づいた。
『ツムギ、見せて』
紬は言われたとおり、両手をそっと差し出した。
ルリはネギの周りを飛びながら、青い光を注意深く観察した。
光が弾けるたび、ルリの羽にも淡い青色が映る。
『わたしの魔法……似てる』
紬は不思議そうにルリを見た。
「ルリの魔法と同じなの?」
ルリはすぐには答えなかった。
少し考えてから、紬の顔を見つめる。
『似てる。でも、同じ……分からない』
ルリは空間魔法を使うとき、青い光をまとわせることがある。紬の革袋に不思議な空間を作り出したときも、同じような色の光が現れていた。けれど、今のネギから感じられるものが、本当に自分の魔法と同じなのかは判断できなかった。
光の色が似ているだけかもしれない。
それとも、何か別の理由があるのだろうか。
ルリは首を傾げながら、もう一度ネギを見つめた。
ババロもまた、難しい顔で顎を撫でていた。
「自然に近いってだけじゃ、説明がつかねえな……」
ぽつりとこぼした言葉に、紬は首を傾げた。
「ババロ、分からない?」
ババロは紬を見て、それから肩をすくめた。
「分からねえよ。こんなの、俺も初めて見る」
あまりにもあっさりと言われて、紬は思わず笑ってしまった。魔法に詳しいババロでも、分からないことがあるらしい。それなら、自分が分からなくても仕方がない。そう思うと、少しだけ気が楽になった。手の中のネギは、まだ淡い青色の光をまとっていた。けれど、しばらくすると光の粒は一つ、また一つと消えていき、やがていつもの緑色へと戻っていった。紬はそっとネギを撫でた。
見慣れたネギ。
それなのに、今は少しだけ違って見える。自分の中に、何かがあるのだろうか。ババロのように植物を育てる力なのか。
それとも、ルリの魔法に似た何かなのか。
答えはまだ分からない。
けれど、確かめたいことが一つ増えた。
「私、もっと魔法を知りたい!」
紬は顔を上げ、ババロを見つめた。
ババロはそのまっすぐな目を見て、口元を緩めた。
「ははっ、いい目をしてるじゃねえか。焦るなよ。まずは自分の力を知るところからだ」
ルリも紬の肩にちょこんと降り立った。
『わたしも……手伝う!』
紬は嬉しそうに頷いた。今日、初めて自分の手で起こした不思議な変化。まだ何も分からないけれど、魔法への道がほんの少しだけ開いた気がした。
窓の外では、雪が静かに降り続いている。
石垣の向こうには、今も黒い霧の影が潜んでいるのかもしれない。それでも、家の中には温かな薬草茶の香りと、みんなの穏やかな声が満ちていた。
紬はブルーバンブーのコップを両手で包み、温もりを感じながら、もう一度ネギを見つめた。
次は、どんな不思議に出会えるのだろう。
そんな期待を胸に、紬は小さく笑った。




