↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本に結ばれた人~知識と生存の本〜(ネギを握りしめて異世界に落ちた私の、のんびりサバイバル)  作者: 式文紫
第3章 冬霞~森に広がる新たな縁~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
122/145

第109話 小さな器と、温かなスープ

第109話 小さな器と、温かなスープ


 頬を、つんつんとつつかれた。


 紬は毛布の中で身じろぎした。


「……ん……?」


 もう少し眠っていたい。


 そんな気持ちで目を閉じ直したところ、今度は柔らかな羽毛が頬に押し当てられた。


「ギョ」


 聞き慣れた鳴き声に、紬はようやく目を開けた。


「……ルーチェ?」


 目の前には、虹色の羽を揺らすルーチェがいた。


 紬が身体を起こすと、ルーチェは暖炉の方へ顔を向けた。


 その仕草に促されるように、紬もそちらを見る。


 暖炉のそばには、ルリとアルブレーヴ。


 そして、毛布を肩に掛けた小さな男性(膝丈程)が座っていた。


 昨夜、傷だらけで倒れていた人だ。


 目を覚ましたのだろう。


 紬は寝ぼけた頭を振り、そっと近づいた。


「あ……おはよう、ございます」


 まずは挨拶をしてみる。


 けれど、男性は聞き慣れない言葉を聞いたように、少し首を傾げただけだった。


 紬も困ってしまう。


 この世界の言葉は、まだほとんど知らない。


 相手が何を話しているのかも分からなければ、自分の言葉が伝わっているのかも分からない。


 紬は自分の胸に手を当てた。


「紬」


 そう言ってから、相手を指さして首を傾げる。


 男性はしばらく紬の仕草を見つめていたが、やがて自分の胸に手を当て、何かを口にした。


「……?」


 聞き取れなかった。


 紬はもう一度、相手の胸元を指さす。


 男性は同じ言葉を繰り返した。


 紬はその音を真似しようとしたけれど、うまく発音できない。


 すると、二人の間にルリがふわりと飛んできた。


【名前を教えてくれてるんだよ】


 ルリは妖精語で男性に話しかけ、もう一度名前を尋ねた。


 男性は頷き、名乗った。


【ババロだ】


【ババロ!】


 ルリは嬉しそうに繰り返すと、紬の方へ向き直った。


「ツムギ、このひと、ババロ!」


「ババロ……さん?」


 紬は自分の胸に手を当て、相手を見つめた。


「紬。ババロさん」


 交互に指さしながら名前を口にすると、ババロは紬の言葉の意味こそ分からないものの、仕草から何を伝えようとしているのか察したらしい。


 小さく頷いた。


 これで、名前は伝わった。


 紬はほっとして微笑んだ。


 けれど、まだ気になることがある。


 傷は塞がっているように見えるが、身体の具合はどうなのだろう。


 紬はルリを振り返った。


「ルリ、あのね。痛いところがあるか、聞いてもらえる?」


「うん!」


 ルリはババロの前へ飛んでいき、妖精語で尋ねた。


【まだ痛むところはある? 無理をしないで、ゆっくり休んでね】


 ババロは自分の腹部に手を当て、少し考えてから答えた。


【傷は塞がったようだ。だが、身体に力が入らない。少し動くだけでも、ひどく疲れる】


 ルリは話を聞き、紬を振り返った。


「ツムギ、キズ、だいじょうぶ。でも、からだ、つかれる。まだ、やすむ」


「そっか……」


 紬は胸を撫で下ろした。


 傷が塞がっていても、身体がすぐに元通りになるわけではないのだろう。


 無理をさせないようにしなくては。


 紬は暖炉の火を確かめてから、ババロに向かって手のひらを下にして、ゆっくりと動かしてみせた。


「休んで、ね」


 言葉の意味は伝わらなくても、落ち着いて休んでほしいという気持ちが伝わればいい。


 ルリもフェアリー語で同じことを伝えた。


 ババロは紬とルリを交互に見て、小さく頷いた。


 それから、紬は台所へ向かった。


 身体が弱っているなら、まずは何か食べてもらいたい。


 けれど、いきなり固いものを食べるのは難しいかもしれない。


 紬は棚からカチワリを取り出した。


 大きな殻を割り、中の実を取り出す。


 カチワリの実は、そのままでも食べられるが、少し硬さがある。


 今日は、できるだけ食べやすくしてあげたい。


 紬は実を細かく砕き、カチワリの鍋に入れた。


 そこへ水を注ぎ、火にかける。


 木の棒でゆっくりと混ぜながら、実が柔らかくなるまで煮ていく。


 カチワリの甘い香りが、暖炉のある部屋へと広がり始めた。


 さらに、乾燥させておいたハーブを少し。


 仕上げに塩を加え、味を整える。


 塩気とハーブの香りが、カチワリの優しい甘みを引き立ててくれた。


 煮上がったスープは、とろりとしていて、細かく砕いた実も柔らかい。


 これなら、身体が弱っていても飲みやすいだろう。


「よし……」


 紬は鍋の中を覗き込み、小さく頷いた。


 次は器だ。


 いつも使っているカチワリの殻の器では、ババロには大きすぎる。


 紬は道具を手に取り、ブルーバンブーの細い枝を一本選んだ。


 長さを確かめて切り分け、端を整える。


 少しずつ削り、口当たりが悪くならないように表面を滑らかにしていく。


 大きな器を作る必要はない。


 手の小さなババロが、両手で持てるくらいの小さな器。


 スープを少しずつ飲めるように、浅すぎず、深すぎない形に整えた。


 最後に、削った部分を丁寧に確かめる。


 指で触れて、ささくれが残っていないことを確認してから、紬は満足そうに頷いた。


「これなら大丈夫かな」


 できあがった小さな器を持ち、暖炉のそばへ戻る。


 ババロは、紬が何を作っていたのか分からない様子で、その手元を見つめていた。


 紬は器にスープを注ぎ、熱すぎないかを確かめてから、そっと差し出した。


「どうぞ」


 ババロは器を見て、紬を見た。


 それから、両手で慎重に受け取った。


 小さな器から立ち上る湯気。


 鼻をくすぐる、甘くて優しい香り。


 ババロは少し戸惑いながらも、器に口をつけた。


 ひと口。


 ゆっくりと飲み込む。


 カチワリの柔らかな甘みと、ほんのりとした塩気。


 そこへ、ハーブの穏やかな香りが重なる。


 身体の奥へ、じんわりと温かさが広がっていく。


【……うまい】


 ババロが小さく呟いた。


 ルリはその言葉を聞き、嬉しそうに紬へ振り返った。


「ツムギ、おいしいって!」


「本当?」


 紬の表情がぱっと明るくなる。


「よかった……!」


 食べられそうなら、少しずつでいい。


 無理に急がなくても、温かいものを口にできれば、それだけでも違うはずだ。


 紬は残りのスープを器に注ぎ分けた。


 ババロの分だけではない。


 ルリにも、ルーチェにも、アルブレーヴにも。


 そして、もちろん自分の分も。


 皆の器が揃うと、紬は暖炉のそばに腰を下ろした。


 小さな器を両手で包むババロ。


 その隣では、ルリが自分の器を抱えている。


 ルーチェは器を前に、嬉しそうに鳴いた。


「ギョ!」


 アルブレーヴも、穏やかにスープの香りを確かめている。


 皆がそれぞれにスープを口に運ぶ。


 言葉は通じなくても、同じものを食べることはできる。


 紬はそんなことを思いながら、自分の器に口をつけた。


 温かいスープが、冷えた身体を内側からゆっくりと温めてくれる。


 食事が少し進んだところで、紬は棚から紅暖晶華を取り出した。


 冬の寒さに備えて用意していた、温かな飲み物。


 花から作ったレッドドリンクを、それぞれの器に注いでいく。


 赤みを帯びた液体から、ふわりと甘い香りが漂った。


「これも飲んでね」


 紬はババロに器を差し出し、両手を包み込むような仕草をした。


 温かいものだと伝えたかったのだ。


 ルリが妖精語で説明すると、ババロは頷いて器を受け取った。


 そっと口をつける。


 レッドドリンクの温もりが、身体の中へ広がっていった。


 冷えきっていた身体が、少しずつほぐれていく。


 ババロは目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。


 ここがどこなのか。


 どうして聖鳥や森の主が、この家にいるのか。


 自分を助けてくれた人間は、いったい何者なのか。


 分からないことは、まだ山ほどある。


 けれど、今は無理に答えを探さなくてもいい。


 目の前にある温かい飲み物と、身体を包む毛布。


 そして、敵意のない眼差し。


 それらを確かめるように、ババロはもう一口、レッドドリンクを飲んだ。


 紬は、その様子をそっと見守っていた。


 言葉は通じない。


 それでも、相手が少し落ち着いてくれたことは分かる。


 小さな器を作ってよかった。


 温かいスープを用意してよかった。


 そう思いながら、紬もレッドドリンクを口に運んだ。


 暖炉の火が、ぱちぱちと音を立てている。


 外はまだ、冬の寒さに包まれている。


 けれど、石壁に守られた家の中には、温かなスープの香りと、穏やかな時間が満ちていた。


 レッドドリンクを飲み終えた紬は、空になった器をそっと置いた。


 ババロの顔色は、先ほどよりも少しよくなったように見える。


 それでも、身体が本調子でないことに変わりはない。


 紬は窓の方へ目を向けた。


 石垣の内側には、ふわふわと雪が舞っている。


 その向こうでは、激しい吹雪が森を覆っているはずだ。


 帰る場所があるのなら、帰りたいと思うかもしれない。


 けれど、今の身体であの吹雪の中へ出るのは危険すぎる。


 紬はルリに顔を向けた。


「ルリ。食べ物はたくさんあるから、冬の間はここでゆっくり休んでいいよって、伝えてくれる?」


「うん!」


 ルリはババロの前へ飛んでいき、妖精語でゆっくりと話しかけた。


【食べ物はたくさんあるんだって。だから、冬の間はここでゆっくり休んでいいよ、って】


 ババロは目を瞬かせた。


 何かを尋ねるように、ルリへ言葉を返す。


 ルリは頷き、今度は窓の方を指さした。


【外は吹雪いているよ。今、帰ろうとしたら危ないんだって】


 ババロは、窓へと視線を向けた。


 石垣の内側では、雪が静かに舞っている。


 その穏やかな景色の向こうに、激しい吹雪があることを知っていた。


 今の身体では、この寒さの中を進むことさえ難しいだろう。


 ババロはしばらく黙っていた。


 やがて、ルリを通じて紬へと視線を向ける。


【……世話になっても、いいのだろうか】


 その言葉を聞いたルリは、紬を振り返った。


「ツムギ、ここ、いていい? って」


 紬はすぐに頷いた。


「もちろん!」


 自分の胸に手を当て、それから家の中をぐるりと示す。


 続けて、両手を頬の横に添え、目を閉じて眠る仕草をした。


 ゆっくり休んでいい。


 ここにいていい。


 そう伝わればいいと思った。


 ルリも、紬の仕草に合わせて妖精語で説明する。


 ババロは、紬の顔をじっと見つめた。


 言葉は分からない。


 それでも、何度も頷く紬の表情と、ルリの説明から、拒まれていないことは伝わったらしい。


 ババロは胸に手を当て、深く頭を下げた。


 紬も慌てて頭を下げ返す。


「そんな、気にしないでください」


 もちろん、その言葉は届かない。


 けれど、紬が困ったように笑うと、ババロの表情もほんの少し和らいだ。


 帰る場所はある。


 帰りたい理由もある。


 それでも、今は帰れない。


 冬の森は危険で、傷ついた身体では、吹雪を越えることも難しい。


 ならば、身体を治すことが先だ。


 ババロは手元の小さな器を見つめた。


 温かなスープを作ってくれた人間。


 言葉が通じなくても、休んでいいと伝えてくれる人間。


 その心遣いに、胸の奥がじんわりと温かくなった。


 暖炉の火が、ぱちりと小さく弾ける。


 ババロは、そっと息を吐いた。


 家族のことが気がかりだった。


 ヨナも、ヨリも、そして息子も。自分が帰らないことで、きっと心配をかけている。


 一刻も早く帰りたい。


 けれど、今は無理をして動くわけにはいかなかった。まずは身体を治すこと。それが、家族のもとへ帰るために必要なことだった。


 そう考えながら、ババロはゆっくりと肩を回した。


 ――あれ?


 ふと、違和感を覚えた。


 身体が軽い。


 傷が塞がったから、というだけではない。


 何日も魔物に追われ、休む間もなく逃げ続けていた。身体の疲れだけでなく、心まで重く沈んでいたはずだった。


 それなのに、今は肩にのしかかっていた何かが、すっと消えている。


 胸の奥まで澄み渡り、長いあいだ張りつめていたものが、ゆっくりとほどけていくようだった。


 ここにいるだけで、こんなにも違うのか。


 ババロは不思議に思いながら、窓の方へ目を向けた。


 石垣の内側には、穏やかな冬の景色が広がっていた。


 空から、ふわふわと雪が舞い降りている。


 風に荒らされることもなく、白い結晶がゆっくりと揺れながら地面へ落ちていく。


 その向こうで、淡い光がひとつ、ふわりと浮かんだ。


 続いて、もうひとつ。


 雪の中を漂うように、ほのかな光が揺れている。


 ババロは目を凝らした。


 先祖から伝えられてきた言葉が、脳裏によみがえる。


 ――光のある場所。


 困難に遭ったとき、助けを求めるべき場所。


 詳しいことは知らない。けれど、今感じている不思議な心地よさと、窓の外に浮かぶ淡い光。


 それらを前にして、ババロは思った。


 もしかすると、ここが――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。