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本に結ばれた人~知識と生存の本〜(ネギを握りしめて異世界に落ちた私の、のんびりサバイバル)  作者: 式文紫
第3章 冬霞~森に広がる新たな縁~

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閑話 秋のノーム4 悲壮感

閑話 秋のノーム4 悲壮感


 ノームたちの村に、いつもの歌声はなかった。


 収穫を終えて帰るとき、ノームたちは決まって歌を歌う。


 今年も無事に収穫を終えたこと。仲間と一緒に帰れること。そして、待っている家族のもとへ帰れる喜び。


 けれど、その日。


 村へ続く道を走ってきたノームたちは、誰ひとり歌っていなかった。


 顔は青ざめ、息は荒く、誰もが何かに追われるように足を動かしていた。


 村の入口では、家族の帰りを待っていたノームたちが、次々と駆け寄ってきた。


「おかえり! 今年の収穫はどうだった?」


「みんな無事だったのね。よかった……!」


 いつものように声をかけ、帰ってきた家族の姿を確かめる。


 けれど、返事はなかった。


 帰ってきた者たちは、ただ俯いていた。


 その様子に、村の空気が少しずつ変わっていく。


「……何があったんだ?」


 誰かが尋ねた。


 しかし、すぐには誰も答えられなかった。


 やがて、人々の間から一人のノームが進み出た。


 バルバロだった。


 俯いたまま、村の入口に立ち尽くしている。


 その姿を見つけたヨナとヨリが、人々の間をすり抜けて駆け寄ってきた。


「バルバロ!」


「お兄ちゃん!」


 二人は、まずバルバロが無事に帰ってきたことに安堵した。


 けれど、すぐにその背後へと視線を向ける。


 そこに、待っていた姿はなかった。


「……パパは?」


 ヨリが小さな声で尋ねた。


「お父さんは、どこにいるの?」


 ヨナも、帰ってきた者たちの顔を一人ずつ見回した。


 誰かが答えてくれることを願うように。


 けれど、誰も目を合わせようとはしなかった。


 バルバロは、ぎゅっと拳を握りしめた。


「……父さんは」


 声が、うまく出なかった。


 喉の奥が詰まり、息を吸うことさえ苦しい。


 それでも、伝えなければならなかった。


「俺たちを逃がすために……殿を務めてくれたんだ」


 地下トンネルを通り、仲間たちは村へ逃げ帰ることができた。


 その間、父は一人で魔物を引きつけていた。


 父がいなければ、みんなが無事に帰れたかどうかも分からない。


 けれど。


 父は、まだ帰ってきていない。


「……ごめん」


 バルバロの膝から、力が抜けた。


 その場にしゃがみ込み、顔を覆う。


「俺……父さんを置いて、逃げてきた……」


 生きて帰れた。


 仲間たちも、無事に村へ戻れた。


 それは、父が命懸けで作ってくれた時間のおかげだった。


 だからこそ、苦しかった。


 自分だけが、こうして帰ってきてしまったことが。


 父を残してきたことが。


 そして、父が今どこにいるのかさえ分からないことが。


 堪えていた涙が、ぽろぽろと地面へ落ちた。


「……バルバロ」


 ヨナは息子の隣に膝をつくと、その身体をそっと抱きしめた。


「……よく帰ってきたね」


「でも、俺……っ」


「あなたが無事で、本当によかった」


 ヨナの声も震えていた。


 父を心配する気持ちは、彼女も同じだった。


 それでも、今は目の前で泣いている息子を抱きしめずにはいられなかった。


「お父さんは大丈夫よ」


 ヨナは、バルバロの背中をゆっくりと撫でた。


「この村で一番の魔術の腕を持っている人だもの。きっと、生きているわ」


 それは、確かな根拠があっての言葉ではなかった。


 そう信じたかった。


 信じていなければ、立っていられなかった。


「……うん」


 バルバロは、母の胸元で小さく頷いた。


 けれど、その目から涙が止まることはなかった。


 隣では、ヨリも兄と母にしがみつき、声を押し殺して泣いていた。


 村へ帰ってきたノームたちも、誰一人として笑わなかった。


 今年の収穫は、十分にあった。


 冬を越すための蓄えも、足りている。


 「……今年は、もう外へ出るのをやめよう」


 村の長が、重い声で告げた。


「食料は足りている。無理に収穫へ出て、また誰かが襲われるわけにはいかない」


 反対する者はいなかった。


 誰もが、あの魔物の恐ろしさを聞いたばかりだった。


 今は、村の中にとどまり、身を守ることを優先する。


 それが、村全体で決めたことだった。


 けれど、バルバロは納得できなかった。


「……どうしてだよ」


 俯いていた顔を上げる。


「どうして、父さんを探しに行かないんだ!」


 その声に、集まっていた者たちが振り返った。


「父さんは、まだ帰ってきてないんだぞ! どこかで怪我をしているかもしれない。助けを待っているかもしれないのに!」


「バルバロ、落ち着きなさい」


「落ち着けるわけないだろ!」


 バルバロは、涙をこらえながら叫んだ。


「みんな、それで助かったんだろ! 父さんが残ってくれたから、みんな村に帰ってこられたんだ! なのに、どうして誰も父さんを探しに行こうとしないんだよ!」


 誰も、すぐには答えられなかった。


 バルバロの言葉が間違っているとは、誰にも言えなかったからだ。


 それでも、今の状況で外へ出ることがどれほど危険なのか、皆が分かっていた。


 村の長が、静かに口を開いた。


「……バルバロ。お前の気持ちは分かる。だが、今は無理だ」


「どうして……!」


「あの魔物が、どこにいるのかも分からない。こちらから探しに行けば、今度はお前たちまで戻れなくなるかもしれない」


「そんなの……!」


 バルバロは言い返そうとした。


 けれど、言葉が続かなかった。


 分かっている。


 みんなが恐れていることも、無事に帰ってきた仲間たちを、これ以上危険にさらせないことも。


 それでも、父を待つだけなんてできなかった。


 立ち上がり、村の外へ向かおうとしたバルバロを、ヨナが後ろから抱きしめた。


「待って、バルバロ」


「離してよ、母さん!」


「駄目よ……!」


 ヨナの腕に力がこもる。


「あなたまで帰ってこなくなったら、私は……ヨリは、どうしたらいいの……?」


 その声は、今にも消えてしまいそうだった。


 バルバロは、動きを止めた。


 振り返ることができなかった。


 母も、妹も、父を失うことを恐れている。


 そして今、二人は自分まで失うことを恐れていた。


「……ごめん」


 バルバロは、唇を噛みしめた。


 その日は、村の外へ出ることができなかった。


 それから、数日が過ぎた。


 村では、少しずついつもの暮らしが戻り始めた。


 冬支度を整え、食料を分け、家の中を暖かくする。


 子どもたちの声も、少しずつ聞こえるようになった。


 けれど、バルバロの中では、何ひとつ終わっていなかった。


 毎日、村の入口へ向かった。


 森へ続く道を見つめ、父の姿が現れるのを待った。


 朝も、昼も、時には日が暮れるまで。


 けれど、父は帰ってこなかった。


 日が経つにつれ、村人たちの口から父のことが語られる回数も減っていった。


 誰も、はっきりとは口にしない。


 それでも、皆が少しずつ、父はもう戻らないのかもしれないと考え始めていることを、バルバロは感じていた。


 それが、たまらなく嫌だった。


 父は、まだ生きているかもしれない。


 どこかで傷つき、動けなくなっているだけかもしれない。


 助けを待っているかもしれない。


 ならば、誰かが探しに行かなければならない。


 けれど、母は父の帰りを待ちながら、ヨリのそばを離れられなくなっていた。


 夜になると、ヨリが泣くことが増えたからだ。


「……パパ、帰ってくるよね?」


 小さな声で尋ねる妹を、ヨナは何度も抱きしめていた。


「ええ、きっと帰ってくるわ」


 そう答える母の声も、日ごとに弱くなっている。


 バルバロは、その姿を見るたびに胸が締めつけられた。


 父を探しに行きたい。


 けれど、母と妹を置いていくことも、怖かった。


 自分までいなくなったら、二人はどうなるのだろう。


 何度も考え、何度も迷った。


 それでも。


 父が自分たちを逃がすために残ってくれたことを、忘れることはできなかった。


 そして、ある夜。


 バルバロは、家族が眠りについたのを確かめてから、静かに起き上がった。


 灯りをつけることはしなかった。


 暗闇の中、慣れた手つきで荷物をまとめる。


 必要な食料と、道具。


 そして、父が使っていた古い手帳。


 手帳には、森の地形や地下の通路についての記録が残されていた。


 何度も読み返したページの端は、少し擦り切れている。


 その中に、バルバロが気になっていた記述があった。


 もしものことがあれば、光の人に助けを求めよ。


 それは、先祖から伝えられてきたという、古い言い伝えに関わる言葉だった。


 詳しいことは分からない。


 けれど、父はこの記述を手帳に残していた。


 ならば、何か意味があるはずだ。


 バルバロは手帳を胸に抱きしめた。


「……父さん」


 声を出せば、母や妹を起こしてしまいそうだった。


 だから、唇だけを動かす。


 必ず見つける。


 どこにいるのか分からなくても。


 無事なのかどうか、分からなくても。


 父が生きている可能性がある限り、諦めたくなかった。


 バルバロは、机の上に一枚の紙を置いた。


 母と妹に宛てた、短い置き手紙。


 何度も書き直したせいで、紙の上には迷いの跡が残っていた。


 それでも最後には、こう記した。


 ――父さんを探しに行ってくる。


 ――必ず、帰ってくるから。


 書き終えたバルバロは、しばらくその文字を見つめていた。


 本当は、二人に何も告げずに出ていくことなどしたくなかった。


 母の顔を見れば、きっと足が止まってしまう。


 妹の泣き顔を見れば、きっと決意が揺らいでしまう。


 だから、今はこれしかできなかった。


 バルバロは手紙を丁寧に畳み、母が必ず見つける場所へ置いた。


 そして、家を出た。


 村は静まり返っていた。


 冬の冷たい空気が頬を撫でる。


 いつもなら、ここで立ち止まり、振り返ってしまっただろう。


 けれど、今夜は振り返らなかった。


 父の手帳を握りしめ、村の奥へと歩いていく。


 やがて、目の前に暗い地下トンネルの入口が現れた。


 先の見えない闇。


 どこへ続いているのか、どんな危険が待っているのかも分からない。


 それでも、バルバロは足を止めなかった。


「……待ってて、父さん」


 小さく呟き、暗い地下トンネルへ足を踏み入れる。


 その姿は、すぐに闇の中へと消えていった。


 静かな村には、まだ誰も知らない置き手紙だけが残されていた。

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