第103話 雪道と、小さな工夫
第103話 雪道と、小さな工夫
朝、紬が外へ出ると、庭はすっかり雪に覆われていた。
昨日よりも、ずいぶん積もっている。
石壁の内側は穏やかで、雪も静かに降り積もるばかりだった。けれど、これだけ深くなると、いつものように歩くのも大変そうだ。
紬は足元を見ながら、そっと一歩踏み出した。
ずぼっ。
思っていたよりも、深い。
もう一歩。
ずぼっ。
足を引き抜くたびに、雪がまとわりつく。これでは、少し森を歩くだけでも一苦労だ。
紬は歩きやすそうな場所を探しながら、ゆっくりと進んでいった。
けれど、ほんの少し足元が傾いた、そのとき。
ずぼっ。
片足が深く沈み、身体のバランスが崩れた。
「あっ――!」
ボスッ!
紬はそのまま、雪の中へ倒れ込んだ。
幸い、積もった雪はふかふかで、痛みはない。
ただ、顔のすぐそばまで白い雪が迫っていた。
「…………」
何が起きたのか、一瞬わからなかった。
やがて、頭上からばさばさと羽ばたく音が聞こえてくる。
【ギョエッ!?】
ルーチェが慌てた様子で近くに降り立った。
そのすぐあと、小さな羽音とともにルリも飛んでくる。
「ツムギ、ダイジョウブ?」
ルリは紬の顔のそばまで近づき、心配そうに覗き込んだ。
「うん、大丈夫。ちょっと転んじゃっただけ」
紬は苦笑いしながら、雪の中から起き上がろうとした。
ところが。
ずぼっ。
足を動かしても、なかなか身体が持ち上がらない。
「……あれ?」
もう一度、身体に力を入れる。
ずぼっ、ずぼっ。
どうにか上半身を起こしたものの、今度は足を抜くのに苦労する。
ルーチェは心配そうに紬の周りを歩き、ルリは小さな手を伸ばしていた。
「ありがとう。もう少しだからね」
なんとか雪から抜け出した紬は、ぱんぱんと服についた雪を払った。
そして、自分が歩いてきた跡を振り返る。
深く沈んだ足跡が、点々と続いていた。
「これは……ちょっと困ったな」
冬の森は好きだ。
雪に覆われた木々も、静かな空気も、見ているだけで心が落ち着く。
けれど、歩くたびに足が沈んでしまうのでは、森の奥へ行くのも難しい。
紬は腕を組み、しばらく考え込んだ。
そして、ふと思い出す。
「……そうだ。かんじきがあれば、少しは歩きやすくなるかもしれない」
元の世界で見聞きした、雪の上を歩くための道具。
足に取り付けて、雪に沈みにくくするものだ。
もちろん、実際に作ったことはない。
それでも、今ある材料で工夫すれば、簡単なものくらいは作れるかもしれない。
紬はそう考え、家へ戻ることにした。
※かんじきとは、雪の上を歩くための道具である。
足に取り付けることで体重を広い範囲に分散させ、雪の中に足が深く沈むのを防ぐ役割がある。
伝統的なものには木や蔓などを輪状に組んだものがあるが、今回は少ない材料で作れる、三角形に枝を組んだ簡易的なかんじきを作ることにした。
家に戻った紬は、使えそうな枝や丈夫な蔓を集めた。
枝は、雪の重みに耐えられる程度の強さがあり、なおかつ曲げても簡単には折れないものを選ぶ。
長さを揃え、三角形になるように組み合わせ、蔓でしっかりと結びつける。
足を固定する部分も必要だ。
何度か結び方を変え、実際に自分の足に当ててみながら、少しずつ形を整えていった。
最初にできたものは、左右の大きさが微妙に違っていた。
紬はそれを見比べ、首を傾げる。
「……うん。もうちょっと調整しよう」
枝を組み直し、結び目を締め直す。
そうして、ようやく左右一組の三角形のかんじきが完成した。
紬はそれを持ち上げ、満足そうに眺めた。
「よし。これで歩けるかな」
そこで、紬はふと思いついた。
「そうだ。ルーチェとルリの分も作ってみようかな。……いらないかもしれないけど」
飛べるふたりには必要ないかもしれない。
それでも、試しに作ってみるくらいならいいだろう。
紬は余った枝を使い、ふたりの小さな足に合う三角形のかんじきを作った。
できあがったものを見せると、ルリは興味津々で近づいてきた。ルーチェも、なんだろうというように首を傾けている。
「ちょっと履いてみてくれる?」
紬はふたりの足に合うよう、そっとかんじきを取り付けた。
ルリは小さな足を持ち上げたり、くるりと回ったりして、履き心地を確かめている。
ルーチェも片足ずつ雪の上に下ろしてみた。
そして、しばらくして。
ふたりはそろって、紬を見上げた。
なんとも言えない、微妙な顔だった。
ルーチェは目を細め、ルリは口をへの字にしている。
まるで、どうしてこれを履かされたのだろう、とでも言いたげだ。
「…………」
「…………」
紬はふたりの顔を交互に見た。
「……もしかして、履きにくい?」
ルーチェは答えず、ゆっくりと視線をそらした。
ルリも自分の足元を見てから、もう一度、じっと紬を見つめる。
その顔は、どう見ても満足しているようには見えなかった。
「そ、そっか……。やっぱり、ふたりにはいらなかったかな……」
紬は苦笑いしながら、ふたりのかんじきを外してあげた。
ルーチェは、外された足を一度振る。
ルリも、ほっとしたように小さく羽ばたいた。
どうやら、ふたりには必要のない道具だったらしい。
気を取り直して、紬は自分の足にかんじきを取り付けた。
蔓で固定し、左右の具合を確かめる。
少し窮屈な気もするが、歩けないほどではない。
「よし。それじゃ、試してみよう」
紬は家の前の雪へ、一歩踏み出した。
いつもなら、足が深く沈むはずだった。
けれど、三角形に広がった枝が雪を受け止め、足の沈み込みがいくらか抑えられている。
「おお……!」
もう一歩。
今度も、さっきほど深くは沈まなかった。
もちろん、雪の上を自由自在に歩けるわけではない。枝が雪に引っかかることもあるし、足を上げるときには少し力が必要だ。
それでも、何も履かずに歩くよりずっと楽だった。
紬は何度か歩き、足元の感覚を確かめる。
少し歩幅を狭め、足を急に持ち上げないようにすると、安定しやすいことにも気づいた。
「うん。これなら、森の中も歩けそう」
ルーチェとルリは、そんな紬の様子を見守っていた。
ルリはふわりと浮かび、紬の周りをくるくると飛ぶ。
「ツムギ、アルクノ、ヘン!」
「えっ。変かな?」
ルリは自分の足元を見て、それから紬のかんじきを指さした。
「……ああ、歩き方のこと?」
紬は苦笑いした。
「仕方ないよ。こうしないと、雪に沈んじゃうんだから」
ルリは不思議そうに首を傾げたが、やがて紬の隣を飛び始めた。
ルーチェも、少し距離を空けながらついてくる。
紬は庭を抜け、木々の間へと進んだ。
雪に覆われた森は、いつもとは違う景色を見せてくれる。
枝に積もった雪が風に揺れ、きらきらと舞い落ちる。
地面を覆う白い雪の合間には、時折、緑の葉が顔を出していた。
以前よりも歩きやすくなったおかげで、少し遠くまで足を延ばせそうだ。
紬はかんじきの具合を確かめながら、ゆっくりと森を歩いていった。
そうして進むうちに、見慣れた石垣が木々の向こうに見えてきた。
白い雪に覆われた石の表面。
いつもと変わらないはずの景色だった。
けれど、紬はふと、以前のことを思い出した。
あの日、雪の向こうに見えた黒い影。
ほんの一瞬だった。
見間違いだったのかもしれない。
木々の影が、雪の上に映っただけだったのかもしれない。
それでも、あのとき感じた不思議な気配は、今も心のどこかに残っていた。
紬は足を止めた。
「……あれ、なんだったんだろう」
声に出してみても、答えは返ってこない。
風が木々の枝を揺らし、積もった雪がさらさらと落ちていく。
それだけのことなのに、石垣の向こうがいつもより遠く、何かを隠しているように感じられた。
紬はルーチェを振り返った。
ルーチェは、いつものようにそばにいた。
ルリも紬の肩の近くまで飛んできて、小さな顔を覗かせている。
ふたりが一緒にいる。それだけで、少しだけ心強かった。
紬はもう一度、石垣へと目を向けた。
「……ちょっとだけ、近くで見てみようかな」
不安がないわけではない。
けれど、あの影が何だったのか、やっぱり気になっていた。
紬は足元の雪を確かめながら、もう一歩、石垣へと近づいた。
白い森は、静かだった。
その静けさの向こうに何があるのか、まだ紬にはわからない。




