閑話 秋のノーム3 豊穣の土に迫る影
閑話 秋のノーム3 豊穣の土に迫る影
地中に広がる空間には、土の香りと、楽しげな声が満ちていた。
ノームたちは、土を掘り進めながら、地中に育ったパーコロを次々と掘り出していた。
その中でも、ひときわ大きなものが見つかった。
「おおっ! こいつは大物だぞ!」
ババロが声を上げると、周りのノームたちも集まってきた。
「こりゃあ、立派だな!」
「こんなに大きいのは久しぶりじゃないか?」
「いやあ、今年は本当に豊作だ!」
あちこちから、喜びの声が上がる。
パーコロは、ノームたちにとって大切な冬の食料だった。
地中で育つものは、土の状態や季節によって実りが変わる。だからこそ、こうして大きく育ったものを見つけると、自然と顔がほころんでしまう。
みんなで力を合わせ、傷つけないように周囲の土を掘り進める。
ようやく取り出した大きなパーコロを、何人かで支えながら運び始めた。
「こいつなら、しばらく食うに困らんな!」
「家に持って帰ったら、ヨナも喜ぶだろう」
ババロも、思わず頬を緩めた。
今年は本当に豊作だ。
これなら冬も、家族に腹いっぱい食べさせてやれる。
そんなことを考えながら歩いていた、そのときだった。
――ズシン。
足元から、鈍い振動が伝わってきた。
ノームたちの声が、一斉に止まった。
誰も動かない。
手にしていたパーコロを支えたまま、全員がじっと耳を澄ませていた。
――ズシン。
また、音がした。
大きなものが、地上を歩いている。
その重さが、土を通して伝わってくる。
ババロの背中を、冷たい汗が伝った。
すぐそばにいたバルバロが、父親の服の裾をぎゅっとつかむ。
ババロは息子を見なかった。
ただ、ゆっくりと頭上を見上げる。
それだけで、周りのノームたちには十分だった。
誰も声を出さない。
視線だけで、互いの考えを確かめ合う。
――動くな。
――音を立てるな。
――ここから離れろ。
言葉にしなくても、全員が同じことを考えていた。
ババロは、ほんの少しだけ足をずらした。
周りのノームたちも、それに合わせて静かに動き始める。
土を踏みしめる音さえ立てないように。
――ズシン。
音が、少し遠ざかった。
――ズシン。
もう一度。
やがて、重い足音は遠くへと離れていった。
その場にいた全員が、ようやく息を吐いた。
ババロは額に浮かんだ汗を拭った。
「……今日は、みんな帰ろう」
声を抑えながら告げる。
誰も反対しなかった。
「そうだな。これ以上はやめておこう」
「せっかくの豊作だが、命には代えられん」
ノームたちはパーコロを持ち直し、帰路につくことにした。
ババロはバルバロの背中にそっと手を添え、仲間たちのほうへ押し出した。
「お前は、みんなについて行け」
バルバロは父親を見上げた。
「父さん? どうしたの?」
ババロは答えなかった。
ただ、頭上へ視線を向けていた。
さっきまで聞こえていた足音が、消えている。
遠ざかったはずの音が、完全に聞こえなくなっていた。
静かすぎる。
胸の奥で、嫌な予感が膨らんでいく。
――違う。
遠ざかったのではない。
音を立てずに、近づいているのかもしれない。
ババロの顔から血の気が引いた。
「走れ!」
叫んだ瞬間、頭上の土が崩れ落ちた。
土の塊が降り注ぎ、地中の空間に砂埃が舞い上がる。
そして、その崩れた穴から――。
長い爪を備えた、巨大な足が落ちてきた。
ドォンッ!
地面が揺れた。
ノームたちの悲鳴が上がる。
ギリギリギリギリギリギリ……。
耳障りな音が、すぐ頭上から響いた。
これまで聞いたことのない音だった。
硬いものが、無理やり噛み合わされているような音。
それが何なのか、誰にもわからない。
ただ、恐ろしいものがすぐそこにいる。
それだけは、全員が理解していた。
ババロは巨大な足を見上げた。
黒い霧の向こうに、かすかに見える輪郭。
間違いない。
こいつは危険だ。
ババロは振り返り、仲間たちに向かって叫んだ。
「走れ! 止まるな! バルバロを連れて行け!」
「ババロ、お前はどうするんだ!」
仲間のひとりが叫び返した。
「いいから行け!」
ババロは地面に手をついた。
土の魔力が、指先から広がる。
地中の土が盛り上がり、壁となって巨大な足との間を隔てた。
その一瞬を使い、ババロは反対側へと走り出した。
地上へ続く穴を目指す。
背後から、土を砕く音が響いた。
ギリギリギリギリ……。
巨大なものが、こちらへ向かってくる。
ババロは振り返らなかった。
今、考えることはひとつだけだった。
家族を。
仲間を。
村を。
あいつから遠ざける。
ババロは地上へと這い出した。
冷たい空気が頬を打つ。
雪の積もった森が広がっていた。
けれど、立ち止まる時間はない。
ババロは草陰へ身を滑り込ませ、土魔法で地面をわずかに盛り上げる。次の瞬間には別の場所へと走り、植物の根を操って進路を隠した。
土と植物の魔法。
それは、ババロが誰よりも得意とする力だった。
地形を読み、土を動かし、草木を利用して身を隠す。
この力なら、そう簡単には追いつかれないはずだった。
――ギリギリギリギリ……。
聞いたこともない、不快な音が背後から響いた。
ババロは木々の間へ飛び込み、地面から伸ばした根を絡ませた。
足止めになれば、それでいい。
わずかな時間でも稼げれば、仲間たちは遠くへ逃げられる。
だが、背後から聞こえたのは、再び土を砕く音だった。
ババロが作った土の壁を、何かが乱暴に突き破る。
ギリギリギリギリ……。
あの音が、ひときわ大きく響いた。
ババロは背筋に冷たいものを感じた。
土の壁を壊されたことだけが、問題なのではない。
あれは、すぐに捕まえられるはずの距離にいるのに、すぐには捕まえようとしていなかった。
こちらが進路を変えれば、そちらへと回り込む。
根を絡ませれば、わざと足を止めたように見せてから、それを引きちぎる。
そして、ババロが再び逃げ出すと、また追いかけてくる。
まるで、逃げ惑う様子を楽しんでいるかのように。
「……くそっ!」
ババロは歯を食いしばった。
まずい。
これは、ただ大きくて力の強い生き物ではない。
こちらの動きを見ている。
逃げようとする意志を理解して、そのうえで追い詰めようとしている。
土と植物の魔法を使いこなす自分でさえ、どうすれば逃げ切れるのか、すぐには答えが出なかった。
それでも、足は止められない。
自分が捕まれば、あれは仲間たちを追うかもしれない。
何としても、村から遠ざけなければ。
ババロは魔力を振り絞り、地面を盛り上げて進路を変えた。
背後で、また土が砕ける。
ギリギリギリギリ……。
その音は、まるで笑っているように聞こえた。
一方、仲間たちはバルバロを連れて走っていた。
「こっちだ! 止まるな!」
誰かが叫ぶ。
バルバロは涙を流していた。
何度も何度も、後ろを振り返る。
父親の姿を探して。
「父さん……!」
声が震える。
戻りたい。
父親のもとへ戻りたい。
けれど、ババロと交わした約束が、頭の中に響いていた。
――父さんから離れるな。
――勝手に地上へ出るな。
そして、何かあったときには、仲間の言うことを聞くこと。
バルバロは唇を噛んだ。
涙が頬を伝い、雪の上へ落ちていく。
それでも、足を止めなかった。
父親が、自分を仲間たちに託したのだ。
バルバロは、涙を拭うこともできないまま、何度も後ろを振り返りながら走り続けた。




