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本に結ばれた人~知識と生存の本〜(ネギを握りしめて異世界に落ちた私の、のんびりサバイバル)  作者: 式文紫
第3章 冬霞~森に広がる新たな縁~

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第102話 雪の森に灯るもの~呼吸~

第102話 雪の森に灯るもの


 紬は、完成したばかりのフルエールポーションを両手でそっと持ち上げた。


 ブルーバンブーの容器に収められた、白くとろみのある液体。光を受けると、表面がわずかにきらめいて見える。


 《知識と生存》に記された内容を、もう一度確かめる。


 【名称】フルエールポーション(アルカンシエル特別仕様)

 【分類】希少治癒薬

 【属性】光・水

 【状態】良好

 【特徴】白く、とろみのある液体。

 【性質】極めて高い治癒力を持つ。

 【能力】一滴で全身を治癒する。

 【備考】極めて希少なポーション。特殊な素材に加え、アルカンシエルの抜け羽を用いて調合された特別な一品。


 改めて読むと、とんでもないものを作ってしまった気がする。


 けれど、材料を集めてくれたルリとルーチェの姿を思い出すと、自然と頬が緩んだ。


 紬は容器の蓋をしっかり閉め、倒れたり傷ついたりしないよう、ほかの道具とは分けて大切にしまった。


 これで、もしものときにも役立てられる。


 そんな安心を胸に、紬は暖炉のそばへと戻っていった。


 外では、雪が静かに降り続いている。


 石壁の内側を包む白い景色は穏やかで、森の木々も雪の重みに耐えながら、じっと春を待っているようだった。


 けれど、雪に覆われた森が眠っているわけではない。


 その白い世界を、ひとつの影が音もなく駆け抜けていた。


 白銀の毛並みを持つ、二本の角の鹿。


 アルブレーヴである。


 その身体は、降り積もった雪と見分けがつかないほど白かった。木々の間を通り抜けるたび、柔らかな光が毛先に宿り、細かな雪の粒とともにきらきらと輝く。


 角の先には、小さな白い鳥たちがちょこんと止まっていた。


 シロエナガの家族だ。


 ふわふわの羽毛を膨らませた彼らは、風に揺られながらも楽しそうに周囲を見回している。


 アルブレーヴが雪の上を軽やかに跳ぶと、鳥たちの身体も小さく揺れた。


 【ココ、ココ!】


 【ユキ、イッパイ!】


 【オチル、オチル!】


 騒がしい声に、アルブレーヴは耳をぴくりと動かした。


 【落ちないように気をつけろ。お前たちが落ちても、私は拾ってやらないぞ】


 【ダイジョウブ!】


 【オチナイ!】


 【ホント?】


 【……タブン!】


 自信たっぷりに答えたかと思えば、最後には頼りない返事が混じる。


 アルブレーヴは、わずかに目を細めた。


 この小さな鳥たちは、いつもこんな調子だ。


 それでも、森の変化にはよく気がつく。小さな身体であちこちを飛び回り、仲間たちと情報を伝え合っているのだから、侮れない。


 やがて、見慣れた石壁が木々の向こうに現れた。


 紬の住まいである。


 アルブレーヴは家の前を通り過ぎるように、雪の積もった庭のそばを軽く駆けた。


 そのとき、角に止まっていたシロエナガの一羽が、ひょいと地面へ降り立った。


 雪の隙間から顔をのぞかせている、緑色の葉。


 それを見つけた途端、小鳥の目が輝いた。


 【ミドリノフエター!】


 【アッタ! アッタ!】


 小鳥は雪を払い、ネギの葉を傷つけないように、そっと根元を確かめた。


 そして、一本だけ抜き取ると、大切そうにくちばしでくわえた。


 【コレ、モラウ!】


 【ツムギ、クレタ!】


 【ミドリ、イッパイ!】


 仲間たちも次々に集まってくる。


 【ココ、ウエル!】


 【アッチモ!】


 【コレモ、ウエル!】


 【マダ、アル!】


 どうやら、一本だけ持ち帰るつもりではなかったらしい。


 アルブレーヴは足を止め、鳥たちを見下ろした。


 【……あの子からもらったものを、ずいぶん大切にしているのだな】


 【タイセツ!】


 【ツムギ、クレタ!】


 【ダイジ!】


 シロエナガたちは、声をそろえるように答えた。


 【デモ、ココ、セマイ!】


 【ウエル?】


 【デキナイ!】


 【ムリ!】


 ひとしきり騒いだあと、彼らはそれぞれネギをくわえ、森の奥へと飛び立っていった。


 アルブレーヴも、再び歩き始める。


 冬の森を見回るのは、いつもの務めだった。


 雪の深さ。凍りついた水の流れ。風に折れた枝。冬を越す生き物たちの気配。


 確かめることは多い。


 だが、今日の森には、いつもと違うものがあった。


 雪の合間から、緑の葉が顔を出している。


 一本、また一本。


 木の根元や岩陰、雪が浅く積もった場所。そこかしこに、ネギが育ち始めていた。


 紬の庭から遠く離れた場所にも。


 小さな白いネズミが土を掘り、白いリスが前足で土を寄せる。シロエナガたちは、くわえてきたネギを仲間と協力して植えていた。


 誰かに命じられたわけではない。


 彼らはただ、紬からもらったものを大切にしようとしているだけだった。


 その小さな行いが、少しずつ森へ広がっていた。


 そして、ネギの葉には不思議な変化が現れ始めていた。


 淡い白色の光。


 強く輝くわけではない。雪明かりに紛れてしまいそうなほど、やさしい光だった。


 けれど、葉先からこぼれた光の粒は、雪の上に落ちるとふわりと広がり、周囲をほんのりと照らしていた。


 【ミドリノフエター!】


 シロエナガが声を上げる。


 【キラキラ〜!】


 【キレイ!】


 【フシギ!】


 彼らは光の正体を知らない。


 ただ、きれいだと思った。


 だから、今日もネギを植える。


 森のあちこちに、緑を増やしていく。


 アルブレーヴは、その様子を静かに見守った。


 この森には、長い時間をかけて積み重なったものがある。


 人の知らない約束も、忘れられた祈りも、今では誰も語らないほど古いものも。


 そのすべてが、完全に失われたわけではない。


 そう感じさせる何かが、白い森の奥で、かすかに息づいていた。


 アルブレーヴは、やがて進路を変えた。


 向かう先は、岩山の麓にある洞窟だった。


 かつて紬が迷い込み、地下の水辺へとたどり着いた場所。


 入口には雪が吹き込んでいたが、奥へ進むにつれて冷たい風は弱まり、壁や天井には光源草の淡い光が浮かび上がっていた。


 アルブレーヴは慣れた足取りで進んでいく。


 やがて、人工物のような石段が現れた。


 その先にあるのは、広い地下の空間。


 澄んだ水をたたえた場所の中央には、小さな島があり、石の橋がそこへと続いている。


 島の中央には、古びた碑石が静かに立っていた。


 白い花々に囲まれ、天井から差し込む光を受け止めるように。


 アルブレーヴは、石橋を渡って島へと進んだ。


 以前、この場所を訪れたときには、花の一部が弱り、今にも枯れそうになっていた。


 その傍らには、小さなネギが植えられていた。


 今、その場所は様変わりしていた。


 ネギが、わさわさと葉を広げている。


 一本や二本ではない。


 雪の森で見たものと同じ緑が、碑石の周囲にいくつも育ち、白い花々の根元を埋めるように広がっていた。


 葉先からこぼれる淡い光が、足元の土を照らしている。


 その光は、少しずつ集まり、碑石の表面へと流れていった。


 アルブレーヴは、足を止めた。


 碑石は、何も語らない。


 刻まれた模様も、文字とも図形ともつかない古い跡も、以前と変わらず沈黙を守っている。


 けれど。


 ふ、と。


 碑石の表面に集まった光が、わずかに吸い込まれた。


 まるで、息を吸うように。


 しばらくの静寂。


 そして、また、ふ、と。


 ネギの葉からこぼれた白い光が、ゆっくりと碑石の内側へ消えていく。


 吸って、止まる。


 吸って、止まる。


 その繰り返しは、あまりにも静かで、見落としてしまいそうなほどだった。静かな呼吸のようだ。


 シロエナガたちも、いつの間にか声を潜めていた。


 【……コレデ、ダイジョウブ?】


 小さな問いかけが、地下の空間に響く。


 別の一羽が、すぐに答えた。


 【ダイジョウブ!】


 【ホント?】


 【ダイジョウブ!】


 返事をした鳥も、本当のことを知っているわけではないのだろう。


 それでも、そう答えたかったのだ。


 アルブレーヴは、碑石を見つめたまま、静かに目を細めた。


 その奥にあるもの。


 長い時間、かろうじて命をつないできた何か。


 今にも途切れそうだったものが、ほんの少しずつ、息を吹き返そうとしている。


 アルブレーヴには、それがわかった。


 【……生きながらえたな】


 シロエナガたちが、互いの顔を見合わせる。


 【ギリギリ、ダッタ?】


 【デモ、ダイジョウブ?】


 【ヨカッタ……】


 【ヨカッタネ!】


 アルブレーヴは、ゆっくりとうなずいた。


 【ああ。もう少し遅ければ、危なかっただろう】


 碑石は、何も答えない。


 ただ、静かに呼吸を続けていた。


 ネギの葉から生まれる淡い光が、その呼吸に合わせるように、ゆっくりと吸い込まれていく。


 アルブレーヴは、しばらくその場を動かなかった。


 やがて、シロエナガたちを角に乗せ直し、静かに踵を返す。


 【……ああ。今は、もう大丈夫だ】


 その言葉を最後に、地下の空間には再び静寂が戻った。


 白い光は、今日も絶えることなく、そこにあった。


 それが何を守り、何をつなぎとめているのか。


 まだ、誰も知らない。


 ただ、雪に覆われた森のあちこちで、緑の葉が小さく揺れていた。


 その葉先には、やさしい光が灯っていた。

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