第100話記念閑話 終焉と誕生《本に結ばれた人》
第100話記念閑話 終焉と誕生
そこには、果ての見えない場所があった。
どこまでも続く本棚。
幾重にも連なる書架。
そして、その間を縫うように伸びる、無数の通路。
天井はない。
頭上には、ただ広大な空が広がっていた。
その空に浮かんでいるのは、青く輝く星でも、見知らぬ惑星でもない。
地球だった。
丸い大地が、そこにある。
海があり、山があり、森があり、街がある。
人々が暮らす世界が、すぐ頭上に広がっていた。
その地球から、無数の光の糸が伸びている。
細いものもあれば、太いものもある。
強く輝くものもあれば、今にも消えてしまいそうなほど淡いものもある。
光の糸は、空から降り注ぐ雨のように、あるいは大樹の枝が広がるように、図書館のあちこちへと伸びていた。
そして、その一本一本の先には、本があった。
開かれた本。
白いページの上を、文字が走っていく。
誰かが笑った瞬間。
誰かが涙を流した瞬間。
誰かが大切なものを見つけた瞬間。
ページには、新たな文字が刻まれていく。
時には、何も書かれないまま、長い時間が過ぎることもある。
それでも、やがて文字は増えていく。
誰かが一歩を踏み出すたびに。
誰かが何かを選ぶたびに。
開かれた本は、静かにその頁を重ねていた。
その光景を見つめる者は、いない。
いや、正確には、見つめている者たちはいる。
図書館の通路を行き交う人々。
彼らはそれぞれ異なる衣服をまとい、手には一冊の本を抱えていたり、淡く光る板のようなものを持っていたりする。
誰もが慌てることなく、淡々と仕事を続けている。
まるで、それが当たり前の日常であるかのように。
*
そのときだった。
頭上から伸びる一本の光が、ふっと弱まった。
細く、頼りなく揺れていた光は、やがて静かに消えていく。
その先にあった本のページが、ぴたりと止まった。
最後の一文字が刻まれる。
そして。
ぱたり。
一冊の本が、自ら閉じた。
光の糸がほどけ、閉じられた本は空中からゆっくりと落ちていく。
その下を通りかかった人物が、何の迷いもなく手を伸ばした。
落ちてきた本を受け止め、表紙を確かめる。
そこには、ひとつの題名が記されていた。
人物はしばらくそれを眺めたあと、静かに本を抱え直した。
そして、図書館の中央へと歩き出す。
その背中を追うように、別の場所でも本が閉じていく。
一冊。
また一冊。
ある本はゆっくりと落ち、ある本は風もないのに横へ流れ、またある本は、まるで誰かに導かれるように決められた場所へ向かっていった。
そのたびに、誰かが本を受け取る。
表紙を確かめ、題名を読み、中央へと運んでいく。
誰も泣かない。
誰も声を上げない。
ただ、閉じられた本を丁寧に扱い、次の場所へと送り届けていた。
それは、終わりを迎えた本に対する、静かな礼儀のようにも見えた。
*
図書館の中央には、巨大な樹がそびえていた。
幹は太く、見上げても枝の先までは見通せない。
天井のない空へと伸びる枝には、無数の葉が茂っている。
その周囲を、円形の大きな机が取り囲んでいた。
机の前には、何人もの人物が座っている。
彼らの手元には、光を放つ板。
そこには次々と文字や記号が浮かび上がり、形を変えていく。
人物たちは画面を確認し、運ばれてきた本を手に取り、時折、互いに短い言葉を交わした。
そして、確認を終えた本を、樹の向こうへと放り投げる。
一見すると、あまりにも乱暴な扱いだった。
けれど、本が床に落ちることはない。
放たれた本は、空中でふわりと浮かび上がると、ひとりでに向きを変えた。
表紙を上にして、背表紙をそろえ、遠くにそびえる書架へと飛んでいく。
高い場所へ向かうもの。
低い棚へ降りていくもの。
幾つもの書架の間をすり抜け、迷うことなく、それぞれの場所へと収まっていった。
その数は、数えきれない。
一冊が収まるたびに、また別の本が投げられる。
誰かが本を運び、誰かが確認し、誰かが送り出す。
終わることのない流れ。
それでも、そこに混乱はなかった。
すべてが、決められた順序に従って進んでいる。
巨大な樹の枝が、風もないのにかすかに揺れた。
葉の隙間から、淡い光がこぼれる。
それを見上げる者は、誰もいなかった。
*
図書館の奥。
高くそびえる書架の一角で、ひとつの本が淡く光り始めた。
最初は、表紙の端に小さな光が灯っただけだった。
けれど、その光は少しずつ強くなり、やがて本全体を包み込む。
すると、枝のように伸びた書架の上から、細い光が降りてきた。
光は本の表紙に触れ、柔らかく揺れる。
次の瞬間。
ぽうっ。
本から、ひとつの光が生まれた。
それは小さな球体だった。
しゃぼん玉のように透明で、表面には淡い色が浮かんでは消えていく。
球体は本の前でふわふわと揺れたあと、ゆっくりと上昇していった。
その先には、樹の枝が広がっている。
枝には、同じような球体がいくつもぶら下がっていた。
透明なもの。
淡い金色を帯びたもの。
青や緑の光を内側に宿したもの。
どれも大きさはまちまちで、枝の揺れに合わせて、かすかに揺れていた。
新たに生まれた球体は、その中のひとつの枝へと近づいていく。
けれど、枝に留まることはなかった。
球体はふわりと浮かび上がると、枝の先を離れ、図書館の外へと向かっていった。
その動きを追うように、別の球体も浮かび始める。
ひとつ。
またひとつ。
透明な球体たちは、広大な空へと昇っていった。
その先に何があるのか。
どこへ向かうのか。
それを知っている者がいるのかどうかさえ、分からない。
ただ、球体たちは迷うことなく、遠くへ、遠くへと飛んでいく。
やがて、その姿は小さな光の粒となり、広大な空の向こうへと消えていった。
*
図書館では、今日も本が閉じられていく。
新たな本が運ばれ、確認され、書架へと送り出される。
光の糸は絶え間なく伸び、ページには新しい文字が刻まれていく。
誰かが終わりを迎えれば、ひとつの本が閉じる。
そして、どこかでは、また別の本が開かれている。
巨大な樹の葉が、かすかに揺れた。
枝にぶら下がる透明な球体が、ひとつ、またひとつと空へ昇っていく。
図書館の者たちは、誰ひとりとして足を止めない。
いつもと変わらぬ手つきで本を扱い、いつもと変わらぬ足取りで通路を行き交う。
その営みが、いつから続いているのか。
いつまで続くのか。
知る者は、ここにはいない。
あるいは、知っていても、語る必要がないのかもしれなかった。
ただ、広大な空の向こうで。
新たな光が、静かに瞬いた。




