第11話 月夜の晩に1人でない事を知りました
第11話 月夜の晩に1人でない事を知りました
雨は、夜になってようやく止んだ。
昼間から降り続いていた雨は、石壁の中にも冷たい空気を残している。
紬は簡易ベッドの上で身体を丸め、静かに眠っていた。
屋根がある。
それだけで、昨日までの木の上よりずっと安心できた。
雨音を聞きながら眠れるのも、悪くない。
そう思っていた。
――ガサッ。
「……ん?」
紬は薄く目を開けた。
暗い
屋根の隙間から、月明かりが少しだけ差し込んでいる。
雨は止んでいるようだった。
「……?」
耳を澄ます。
しばらく何も聞こえない。
気のせいだったのかな。
そう思って、もう一度横になろうとした。
――ガサ……ガサガサ。
「……!」
今度は、はっきり聞こえた。
音は入口のほうからだった。
紬は身体を起こす。
入口には、まだ扉がない。
外の様子が、そのまま見えてしまう。
「……何かいる」
小さな声で呟く。
紬はゆっくりと身体を動かし、石壁の陰からそっと入口の外を覗いた。
雨上がりの森。
濡れた草が月明かりを受けて、ところどころ白く光っている。
風はほとんどない。
なのに、少し先の草が揺れた。
「……」
何かがいる。
紬は息を止めた。
しばらくすると、草むらからゆっくりと姿が現れた。
「……鹿?」
最初はそう思った。
けれど、紬の知っている鹿とは少し違う。
身体の大きさは、大型犬くらい。
細めの四本の脚。
身体は短い毛で覆われている。
そして――
頭には、白くねじれた角が二本。
まっすぐ伸びているわけではない。
くるりと捻れながら左右へ伸びている。
月明かりを受けた角は、まるで白い枝のように見えた。
「……なに、あれ」
怖い。
けれど、不思議と襲ってくるような感じはしなかった。
その動物は、ゆっくりと石壁の周りを歩いている。
そして――
紬が植えた小さな畑の前で足を止めた。
「……え?」
鼻をひくひくさせる。
ネギの匂いを嗅いでいるようだった。
少し顔を近づけて――
フンッ。
一歩下がる。
「……?」
もう一度。
フン、フンッ。
今度は明らかに嫌そうな顔をした。
「……ネギ、嫌いなの?」
紬が小さく呟く。
その声が聞こえたのか、動物が顔を上げた。
月明かりの中で、目が合う。
「……」
「……」
紬は動けなかった。
動物も動かない。
しばらく見つめ合っていたが、やがて動物はネギから離れた。
そのまま森のほうへ歩いていく。
ガサガサ……
草が揺れる。
白い角が木々の向こうへ消えていく。
「……行った」
紬は大きく息を吐いた。
心臓が、まだ少し速い。
「……怖かった」
それから畑を見る。
月明かりの中で、小さなネギが風に揺れていた。
「でも……ネギ、強いじゃん」
思わず少し笑う。
もう一度、森を見る。
そこにはもう何もいなかった。
「……明日は、扉を作ろう」
紬はそう呟いて、簡易ベッドへ戻った。
今度こそ、眠ることにした。
*
朝。
「ギョェェェェー!」
「……うるさい」
紬は目を開ける。
石壁の端に、昨日まで何度も聞いてきた虹色鳥が止まっていた。
「ギョエー!」
「はいはい、おはよう」
「ギョェェー!」
「朝のモーニングコールですか……」
鳥は紬の言葉など気にする様子もなく、さらに大きな声で鳴く。
「昨日の夜は変な鹿みたいなのが来るし……朝はこれかぁ」
「ギョー」
「……はいはい」
紬はのそのそと起き上がった。
外を見る。
雨はすっかり止んでいた。
濡れた森には朝日が差し込み、葉の先には水滴が残っている。
「……綺麗」
昨日の夜に見た白い角を思い出す。
「あの子……また来るのかな」
少し考える。
でも、今はそれよりお腹が空いていた。
「朝ごはんにしよう」
紬は荷物を確認する。
食料は少しずつ減っている。
にんじん。
じゃがいも。
キャベツ。
クッキー。
飴。
塩。
アカツブ。
水。
紬はアカツブを一つ取り出した。
本を開く。
【名称】アカツブ
【食用】可
【味覚情報】取得済
昨日までと変わらない。
「うん。大丈夫」
口に入れる。
「……酸っぱい」
少しだけ笑う。
そして、そのまま空を見上げた。
「今日、何しようかな」
すぐに答えが浮かぶ。
「……扉」
入口を見る。
雨が降った。
動物も来た。
やっぱり、入口が開きっぱなしなのは不安だ。
「扉、作ろう」
朝ごはんを食べ終えると、紬は立ち上がった。
*
まずは、材料探し。
紬は森の中を歩きながら、なるべく長くてまっすぐな枝を探した。
「これ……短い」
次。
「これは曲がりすぎ」
また次。
「……お、これなら使えそう」
少し太めの枝を拾う。
何本か集める。
さらに、横に渡すための枝も探す。
「これくらいあればいいかな」
最後に、縛るためのツタを集める。
持って帰ってきた枝を石壁の入口に並べてみる。
「……」
思ったより大変そうだった。
枝を縦に並べる。
その上に横向きの枝を置く。
交差したところをツタで縛る。
「ぎゅっ……」
きつく結ぶ。
「よし」
次。
「ぎゅっ……」
また結ぶ。
何度も繰り返す。
途中でツタが切れる。
「……あっ」
また結び直す。
「こういうの、意外と難しいな……」
それでも少しずつ形になっていく。
しばらくして――
「……できた」
入口に、枝を組んだものが立っていた。
見た目はかなり簡素。
というより、
「……これ、扉っていうより柵じゃない?」
自分で言って笑う。
それでも、入口に立て掛けてみる。
外から中が見えにくくなる。
「……うん」
思ったより安心する。
風も少し防げる。
動物が入ってくるのも、多少は防げそうだ。
「扉……完成」
紬は小さく胸を張った。
まだ家と呼ぶには頼りない。
それでも、昨日までとは違う。
ここには入口を塞ぐものができた。
紬は扉を眺めてから、石壁の中へ戻った。
「……そういえば」
まだ、ここをちゃんと調べていない。
「もう少し見てみようかな」
*
紬は石壁の中を改めて見回した。
今まで使っていたのは、比較的小さなほうの空間。
反対側には、もう一つ大きな長方形の空間がある。
「やっぱり……こっちのほうが広い」
落ち葉を踏みながら中へ入る。
壁際には、苔や蔦が残っている。
床にも落ち葉が積もっている。
少しずつ手で掻き出していく。
「……すごい量」
落ち葉の下から、古い石が出てくる。
さらに掃除する。
すると、壁際に少し高くなった場所が見えてきた。
「……小上がり?」
そこだけ床が少し高い。
その近くには、黒く煤けた石がいくつか並んでいる。
紬はしゃがみ込んだ。
「……これ」
石の周りには、黒い跡。
土にも煤が染み込んでいる。
指先で触れる。
黒い粉が少し付いた。
「火……?」
紬は周囲を見渡した。
ここで火を使っていた。
それなら――
「ここで、ご飯作ってたのかな」
鍋を置いたり。
水を温めたり。
食べ物を煮たり。
昔、この場所で誰かが暮らしていた。
今はもう誰もいない。
けれど、ここにはその人の生活の跡が残っている。
「……なんか、不思議」
紬は黒くなった石を見る。
「ここで、ご飯食べてたのかな」
誰かがここで火を起こして。
水を沸かして。
眠って。
朝になったら森へ出て。
またここへ帰ってきた。
「……私と、ちょっと似てるかも」
紬は小さく笑った。
もちろん、今の自分とは何もかも違う。
それでも――
この場所で誰かが生きていたことだけは、なんとなく分かった。
さらに周囲を調べる。
壁には古い傷。
何かを掛けていたような跡。
床には腐った木片。
どれも長い年月を過ごしてきた証拠だった。
紬はしばらく黙って、それらを眺めた。
「……ここ、ちゃんと掃除したら」
視線を上げる。
「住めるかも」
屋根はある。
壁もある。
扉も、今日作った。
まだ隙間だらけで、雨風を完全に防げるわけじゃない。
それでも。
「……ここを、私の家にしよう」
その言葉を口にした瞬間。
ただの廃墟だった場所が、少しだけ違って見えた。
まだ何もない。
枯葉や草を集めたベッドらしきもの。
火もない。
水を運ぶ容器も、ちゃんとしたものはない。
それでも――
少しずつ作っていけばいい。
「……明日は、もう少し掃除しよう」
紬は新しく作った扉を見る。
そして、小さく笑った。
「そのうち、もっとちゃんとした扉にしようかな」
外では、雨上がりの森が朝の光を浴びている。
どこか遠くで、鳥の声がした。
「ギョェェェー!」
「……あなたは静かにして」
石壁の外から、虹色鳥の声が響く。
紬は思わず笑った。
そして、今日もまた。
知らない森での一日が始まった。
*
その日の夕方。
紬は石壁の外へ出た。
雨上がりの空を見上げる。
雲の切れ間から、柔らかな日差しが差し込んでいた。
ふと、小さな畑が目に入る。
「あ……」
昨日まで一本だったはずのネギ。
その隣から――
小さな緑の葉が、もう一本顔を出していた。
「……増えてる?」
紬はしゃがみ込む。
まだほんの小さな芽。
それでも、確かに昨日まではなかった。
「すごい……」
思わず顔が緩む。
雨が降ったからだろうか。
それとも、この世界の土が良いのか。
理由は分からない。
けれど――
ちゃんと育っている。
紬はペットボトルを取り出す。
残りの水を少しだけ、土へかける。
最初に植えたネギ。
そして、その隣で新しく芽を出したネギ。
小さな二本の緑が、雨上がりの風に揺れている。
「……元気に育ってね」
紬はしばらく、その小さな畑を眺めた。
食べればなくなる。
でも、育てれば増える。
昨日より今日。
今日より明日。
少しずつでも、自分の手で増やしていける。
「……なんか、嬉しいな」
立ち上がる。
振り返ると、そこには自分で作った簡単な扉と、少しずつ掃除を進めている石壁がある。
まだ立派な家とは言えない。
それでも――
ここには、水がある。
食べ物がある。
眠る場所がある。
そして、小さな畑もある。
紬はもう一度、ネギを振り返った。
「明日も頑張ろう」
そう呟いて、石壁の中へ戻っていった。




