↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本に結ばれた人~知識と生存の本〜(ネギを握りしめて異世界に落ちた私の、のんびりサバイバル)  作者: 式文紫
第3章 冬霞~森に広がる新たな縁~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
106/144

第97話 雪の境界

第97話 雪の境界


 朝、家の扉を開けると、ひんやりとした空気が頬に触れ、その向こうから白い小さな粒がふわりふわりと舞い込んできた。


「……あれ?」


 不思議に思って手を伸ばすと、掌に落ちた雪は、触れた途端に小さな水滴となって消えてしまった。


「雪……!」


 扉の向こうには、細かな雪が静かに降り続ける冬の森が広がっていた。


 空から舞い落ちる雪は、地面へ向かってまっすぐ落ちるものもあれば、そよ風に乗ってくるくると回りながら降りてくるものもあり、朝の淡い光を受けるたびに、まるで小さな光の欠片が空中を漂っているようにきらめいていた。


「わぁ……きれい」


 思わず、そんな言葉が口からこぼれる。


 夏には緑に包まれていた木々も、秋には色づいた葉をまとっていた枝も、今はすっかり冬の装いへと変わりつつあった。


 まだ深く積もるほどの雪ではないけれど、地面や草の上には薄く白いものが残り、枝先には小さな雪の粒がいくつも乗っている。


 同じ森なのに、季節が変わるだけで、こんなにも違う景色になるんだ。


 しばらく扉の前で眺めていたわたしは、せっかく雪が降っているのだから、石垣の内側を少し歩いてみようと思った。


 もちろん、外へ出るつもりはない。


 昨日、ほんの少し扉を開けただけで、外の冷たさに驚いてしまったばかりだし、今はまだ、どれくらい寒くなるのかも分からないのだから、無理をする必要はない。


 秋のうちに集めておいた薪も、食料もある。


 暖かい家もあるのだから、冬の間はここでゆっくり過ごせばいい。


 そう考えながら、わたしは厚手の上着を羽織り、手袋をつけてから、暖炉のそばにいるルーチェへ声をかけた。


「ルーチェ、雪が降っているよ。ちょっと一緒にお散歩しない?」


 声をかけられたルーチェは、整えていた羽を止めて、こちらへ顔を向けた。


「ギョ?」


「ほら、外。雪がきらきらしていて、きれいなんだよ」


 わたしが扉の向こうを指さすと、ルーチェはゆっくりと窓辺へ歩いていき、外の様子を確かめるように顔を近づけた。


 それから、空を見上げるように首を動かすと、どこか楽しそうに翼を大きく広げた。


「ギョエ!」


「ふふっ。ルーチェも行きたいんだね」


 その様子を見ていたルリも、わたしの周りをくるくると飛び回り始めた。


「ゆき! ゆきー!」


「うん、雪だよ。ルリも一緒に行こうね」


「いく!」


 元気よく返事をするルリに笑いかけてから、わたしは扉を開けた。


 外へ出ると、冷たい空気が頬を撫でたけれど、昨日のように思わず飛び上がるほどではなく、上着を着ていれば、少し歩くくらいなら大丈夫そうだった。


 細かな雪が髪や肩に触れ、手袋の上にも白い粒がいくつか落ちてくる。


 わたしがゆっくり歩き始めると、ルリはふわりと飛んできて、肩の上にちょこんと腰を下ろした。


「ルリ、そこがいいの?」


「うん!」


 小さな手でわたしの服をつまみ、落ちないように身体を安定させている姿が可愛らしくて、思わず頬が緩んだ。


 肩の上から見る雪景色は、わたしの目の高さから見るものとは少し違うのかもしれない。


 ルリはときどき顔を左右に動かし、枝から落ちる雪や、空中を漂う白い粒を興味深そうに追いかけていた。


 石垣の内側をゆっくり歩いていくと、雪は相変わらず穏やかに降り続けていた。


 木々の枝には薄く雪が積もり始め、地面に残った草も、ところどころ白い衣をまとったようになっている。


 風は強くなく、空から落ちてくる雪は、まるで誰かがそっと白い粉を撒いているかのように、静かに森を満たしていた。


 朝の光を受けた雪の粒は、目を凝らすとひとつひとつが小さく輝いている。


 それは、以前の世界で見たことのあるスノーダストを思わせる光景だった。


「……スノーダストみたい」


 懐かしい言葉を呟きながら、わたしは近くの枝へ目を向けた。


 枝先に乗っていた雪が、風に揺られてふわりと落ちる。


 その雪が空中でばらばらに散り、光を受けながら地面へと消えていった。


「きらきらー!」


 肩の上のルリも、同じものを見ていたらしい。


 小さな声を上げると、わたしの肩から飛び立ち、降ってくる雪の中を楽しそうにくるくると回り始めた。


 透明な四枚の羽が雪の粒を受けて、淡く光っているように見える。


 ルリは目の前を流れていく雪を追いかけ、両手を伸ばした。


 けれど、指先が触れるよりも先に、雪は風に流されてしまう。


「……あれ?」


 ルリは不思議そうに首を傾げ、もう一度、今度は少し大きく両手を広げてみた。


 それでも、雪は指の間をすり抜けるように落ちていく。


「ルリ、雪はすぐに溶けちゃうんだよ」


「とける?」


「うん。暖かいところに来ると、お水になるの」


「みず?」


「そう。お水だよ」


 ルリは自分の手のひらをじっと見つめ、それから、また空から降ってくる雪へ目を向けた。


 ちょうどそのとき、ひとつの雪の粒が指先に触れた。


 ルリは嬉しそうに目を輝かせたけれど、次の瞬間には、その白い粒は小さな水滴となって消えてしまった。


「……ない!」


「ふふっ。なくなっちゃったね」


「ふしぎ!」


 ルリはまだ納得しきれないような顔をしていたけれど、しばらくすると、また楽しそうに羽を動かして、わたしの肩へと戻ってきた。


 そんな様子を見ていると、わたしまで自然と楽しい気持ちになってくる。


 ひとりで眺めていてもきれいな景色だけれど、こうして誰かと一緒に見ていると、同じものでも少し違って感じられるから不思議だ。


 やがて、少し先を歩いていたルーチェが、足を止めて空を見上げた。


 大きな翼をゆっくりと広げ、降り続く雪を受け止めるように、その場に立っている。


「ルーチェ?」


 わたしが声をかけると、ルーチェは振り返ることなく、もう一度大きく翼を動かした。


 バサッ、バササッ!


 羽ばたきによって、翼や背中に乗りかけていた雪が一斉に舞い上がった。


 白い粒がルーチェの周囲に広がり、朝の光を受けて、きらきらと輝きながら落ちていく。


「わぁ……!」


 思わず足を止めて見入ってしまった。


 ルーチェは楽しそうに、もう一度翼を広げた。


 バサッ!


 今度は、地面に積もりかけていた雪までふわりと舞い上がり、ルーチェの身体を囲むように白い粒が広がった。


「ギョエ!」


 その鳴き声は、いつもより少し弾んで聞こえた。


 まるで、雪を散らして遊んでいるみたいだ。


「ルーチェ、楽しそうだね」


 そう声をかけると、ルーチェはようやくこちらを振り返り、翼を少しだけ持ち上げた。


 その仕草が、なんだか得意げに見えて、わたしは小さく笑った。


 ルリも、そんなルーチェの姿を見てじっとしてはいられなかったらしい。


 肩から飛び立つと、ルーチェの背中へと降り立った。


「ルーチェ!」


 ルーチェは背中に乗ったルリをちらりと見たけれど、嫌がる様子もなく、そのままゆっくりと歩き始めた。


 ルリはルーチェの背中にちょこんと座り、少し高いところから雪の森を眺めている。


 ときどき、わたしのほうへ顔を向けては、嬉しそうに手を振ってくれた。


「ふふっ。今度はルーチェの背中なんだね」


 ルーチェの大きな背中は、ルリにとってちょうどいい場所なのかもしれない。


 わたしはふたりの後ろを歩きながら、もう一度、周囲の景色を見渡した。


 白くなり始めた地面。


 雪をまとった木々。


 空から降り続ける細かな雪。


 風は穏やかで、森は静かだった。


 冬の森には、冬にしかない美しさがある。


 そんなことを感じながら歩いていると、ふと、石垣の向こう側が気になった。


 内側は、こんなにも穏やかだ。


 雪はゆっくりと舞い落ち、風もほとんど気にならない。


 けれど、石垣の外はどうなっているのだろう。


 昨日は扉を開けた途端に冷たい空気に驚いて、すぐに家へ戻ってしまったから、外の様子をゆっくり見る余裕はなかった。


 今なら、石垣の内側から様子を確かめるくらいはできるかもしれない。


「ねえ、ルーチェ。石垣の外も見に行ってみない?」


 わたしが声をかけると、ルーチェは歩みを止め、こちらへ顔を向けた。


「ギョ?」


「外がどうなっているのか、ちょっと気になって。ここはこんなに穏やかだけど、向こうも同じなのかなって」


 ルーチェは、わたしの言葉を聞くようにしばらくこちらを見ていたけれど、やがて石垣のほうへ向き直った。


 わたしも、その後を追って歩き始める。


 ルリはルーチェの背中からふわりと飛び立ち、今度はわたしの肩へ戻ってきた。


 石垣が近づくにつれて、その向こうに広がる森の景色が少しずつ見えてくる。


 そして、境目の近くまで来たとき、わたしは思わず足を止めた。


「……え?」


 石垣の外は、まるで別の世界だった。


 雪が、激しく吹き荒れている。


 空から降る雪だけではなく、地面に積もった雪までが強い風に巻き上げられ、白い渦となって森の中を駆け抜けていた。


 木々は大きく揺れ、枝がしなるたびに、積もっていた雪がばさりと落ちる。


 風に煽られた雪は横殴りに流れ、遠くの景色を白く塗りつぶしていた。


 少し先にあるはずの木の姿さえ、はっきりとは見えない。


 雪は上から降るだけではなかった。


 横から、下から、あらゆる方向から吹きつけているように見えた。


「……うそ。こんなにすごいの?」


 思わず呟いた。


 さっきまで歩いていた石垣の内側は、あんなに穏やかだったのに。


 同じ場所で、同じ空から降っている雪なのに、どうしてこんなにも違うのだろう。


 わたしは、石垣の内側へと振り返った。


 そこでは、細かな雪がふんわりと舞い続けている。


 風は穏やかで、木々も静かに立っていた。


 雪の粒が光を受けてきらきらと輝き、先ほどまで歩いていた景色が、そのまま広がっている。


 境目を挟んで、まるで違う冬が存在しているみたいだった。


「……こんなに、違うんだ」


 今まで、石垣の内側と外側で、目に見えるほどの違いを感じたことはなかった。


 もちろん、森の奥には危険な生き物がいるし、知らない場所へ行けば何が起こるか分からない。


 それでも、風や雪までがこんなふうに違うとは、考えたこともなかった。


 わたしは改めて、目の前にそびえる石垣を見上げた。


 高く、円を描くように続く石の壁。


 ここで暮らし始めた頃から、ずっとそこにあったもの。


 雨の日も、風の日も、何も言わずにわたしたちを囲んでいた。


 わたしにとっては、家の周りにある大きな壁。


 そんな認識だった。


 けれど、今は違う。


 もしかしたら、この石垣は、ただ場所を区切っているだけではないのかもしれない。


 外から吹きつける風や、激しい雪。


 そうしたものから、この場所を守ってくれているのだろうか。


「……石垣が、守ってくれているのかな」


 答えは分からない。


 石垣にどんな力があるのかも、どうして内側だけが穏やかなのかも、わたしには分からなかった。


 でも、少なくとも今、目の前にある景色は、その違いをはっきりと示していた。


 この場所は、わたしが思っていた以上に守られている。


 そう感じた。


 秋のうちに食料を蓄え、薪を集め、家を整えておいたことも、今になって改めてよかったと思う。


 この石垣の内側であれば、冬の間も無理をせずに過ごせるかもしれない。


 食べ物はある。


 薪もある。


 暖かい寝具も、少しずつ揃えてきた。


 外の様子を見れば見るほど、無理に出かける必要はないと思えた。


「……冬の間は、外へ出ないほうがいいね」


 わたしは吹雪に霞む森を見つめながら、そう呟いた。


 あの風の中を歩くのは危険すぎる。


 視界も悪いし、足元がどうなっているかも分からない。


 何かあったとき、家まで戻れる保証もない。


 今は、石垣の内側で大人しく過ごすのが一番だ。


 そう決めて、そろそろみんなと家へ戻ろうとした、そのときだった。


 吹き荒れる雪の向こう。


 木々の間を、何か黒いものが横切った気がした。


「……え?」


 わたしは足を止めた。


 今、何かいた?


 白く煙る森の中で、一瞬だけ見えた黒い影。


 風に揺れた木の影だろうか。


 それとも、吹雪で舞い上がった雪が、そう見えただけなのだろうか。


 目を凝らしてみる。


 けれど、そこには揺れる木々と、激しく流れる雪があるだけだった。


 黒い影は、もうどこにも見えない。


「……気のせい、かな?」


 そう呟いたものの、なぜかすぐには視線を外せなかった。


 そのとき、肩に乗っていたルリが、小さな手でわたしの服をきゅっと掴んだ。


「つむぎ……」


「ん? どうしたの、ルリ?」


 振り返ると、ルリは吹雪の向こうをじっと見つめていた。


 いつものように、きらきらした雪を追いかける様子はない。


 小さな顔は、どこか真剣だった。


「……そと、あぶない」


「え……?」


 思わず、ルリの顔を見つめた。


 ルリはもう一度、石垣の外へ目を向けた。


「そと……あぶない」


 拙い言葉。


 けれど、その意味はちゃんと伝わってきた。


 わたしは、もう一度吹雪の森を見つめた。


 さっきの黒い影。


 そして、ルリの言葉。


 偶然なのだろうか。


 それとも、本当に何かがいるのだろうか。


 わたしには、まだ分からない。


 隣にいたルーチェが、一歩前へ出た。


 大きな翼をわずかに広げ、わたしとルリを守るように立つ。


「ギョ……」


 低く、小さな鳴き声だった。


 先ほどまで雪を散らして楽しそうに遊んでいたルーチェは、もう翼を広げていなかった。


 その視線は、吹雪の向こうにある森へとまっすぐ向けられている。


 ルーチェもまた、何かを警戒しているように見えた。


 胸の奥が、少しだけざわつく。


 ……やっぱり、気のせいじゃないのかな。


 わたしはルリをそっと抱き寄せた。


「……うん。今日はもう帰ろう」


 ルリは小さく頷き、わたしの肩へ身を寄せた。


 ルーチェもこちらを振り返り、ゆっくりと歩き始める。


 わたしは、もう一度だけ石垣の外を見た。


 吹雪は変わらず、森を白く覆い尽くしている。


 黒い影の姿は、もう見えなかった。


 けれど、ルリの言葉が耳に残っていた。


 ――そと、あぶない。


 わたしは視線を戻し、みんなと一緒に家へ向かった。


 石垣の内側では、相変わらず細かな雪が静かに舞っていた。


 まるで何事もなかったかのように、きらきらと輝きながら。


 それでも、わたしはもう、さっきまでと同じ気持ちではいられなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。