第95話 瑠璃色の名前
第95話 瑠璃色の名前
ポーチの横で、青い妖精さんが得意げに胸を張っていた。
自分が作ったものを褒められて、よほど嬉しかったらしい。
小さな身体を反らし、四枚の透明な羽をぱたぱたと動かしている。
その姿が可愛らしくて、わたしは思わず笑ってしまった。
でも、ふと気づく。
そういえば、この子のことをわたしは何も知らない。
不思議な魔法を使えることも、ポーチを作ってくれたらしいこともわかったけれど、名前すら知らなかった。
……そうだ。
「ねえ、ルーチェ!」
少し離れたところにいたルーチェを呼ぶ。
「ギョ?」
ルーチェは顔を上げ、こちらへ歩いてきた。
「この子の名前、知ってる?」
そう尋ねてみたけれど、もちろん言葉は通じない。
わたしは少し考えてから、ルーチェをそっと抱き寄せた。
そして、青い妖精さんに見せるようにする。
「この子は、ルーチェだよ」
ルーチェを指さしながら、ゆっくりと伝えてみる。
次に、自分の胸に手を当てた。
「わたしは、紬!」
自分を指さして、名前を口にする。
妖精さんは、わたしとルーチェを交互に見つめていた。
伝わっているかどうかはわからない。
それでも、もう一度、今度は妖精さんを指さして尋ねてみた。
「あなたは? 名前、なぁに?」
妖精さんは、ぱちぱちと目を瞬かせた。
それから、小さな頭を左右に振る。
……わからない、ということだろうか。
それとも、名前がないのかな?
わたしが困っていると、ルーチェが妖精さんに向かって鳴いた。
「ギョエ、ギョエ」
少し長い声だった。
まるで、わたしの言いたいことを伝えてくれているみたい。
妖精さんは、わたしの顔をじっと見つめた。
わたしは、もう一度自分を指さしてから、妖精さんへと手を向けた。
「あなたに名前がないなら……わたしがつけてもいいかな?」
首を傾げながら、優しく尋ねる。
妖精さんは、すぐには答えなかった。
小さな手を顎に添え、少し考えるような仕草をする。
それから、ルーチェを見て、もう一度わたしを見つめた。
しばらくして。
こくん、と頷いた。
「……いいの?」
わたしが尋ねると、妖精さんはもう一度頷いた。
「ふふっ。ありがとう!」
名前を考えるのが、なんだか楽しみになってきた。
わたしは妖精さんの前にしゃがみ込み、その姿をじっくりと眺めた。
頭の上のほうは深い青色で、毛先に向かうにつれて淡い青へと変わっている。
光が当たると、まるで星が散りばめられているようにきらきらと輝いていた。
背中の四枚の羽も、透明なガラスのように美しい。
「うーん……。どんな名前がいいかなぁ」
せっかく名前を贈るのなら、この子に似合うものがいい。
「青い髪だから……アオイちゃん、とか?」
試しに口にしてみる。
妖精さんは、きょとんとした顔でわたしを見上げた。
「うーん……。アオイも可愛いけど、もう少し違う感じかなぁ」
わたしは首を傾げた。
この子は普通の生き物とは違う、不思議な妖精さんだ。
もう少し、この子らしい名前がある気がする。
「じゃあ、ソラ……とか?」
空のように自由で、どこへでも飛んでいけそうな名前。
そう考えてみたけれど、青い髪を見つめていると、少し違うような気もした。
「うーん……」
わたしは、もう一度その髪を眺めた。
深い青から淡い青へ。
夜空に散らばる星のような輝き。
そういえば、前の世界で見た宝石にも、こんな色があった気がする。
「あっ……。ラピスラズリ!」
夜空のような青色をした、美しい宝石。
日本語では、たしか『瑠璃』と呼ばれていたはずだ。
「そっか……。瑠璃かぁ」
わたしは、妖精さんの髪を見つめた。
深く澄んだ青色は、この子にぴったりな気がする。
「それに、ラピスラズリって十二月の誕生石でもあるんだよね」
今は冬。
もちろん、妖精さんに誕生日があるのかはわからない。十二月生まれというわけでもない。
それでも、冬に出会ったこの子に、冬を思わせる宝石の名前を贈るのは、なんだか素敵だと思った。
ラピスラズリの石言葉には、真実や誠実、知恵、幸運といった意味もあったはずだ。
これから一緒に過ごす中で、たくさんのことを知って、仲良くなっていけたらいい。
そんな願いも、少しだけ込めて。
「……ルリ」
わたしは、そっと名前を口にした。
「ルリ、っていうのはどうかな?」
妖精さんの顔を覗き込みながら、優しく尋ねる。
妖精さんは、じっとわたしを見つめていた。
そして、小さな手を自分の胸に当てる。
少し考えるような間があってから、こくん、と頷いた。
「ふふっ。気に入ってくれたのかな?」
わたしが笑いかけた、そのときだった。
ルリの身体から、淡い青色の光がふわりとこぼれた。
「……あれ?」
光は、小さな身体を包み込むように広がった。
けれど、それはほんの一瞬。
瞬きをする間に、光は冬の空気へと溶けて消えていった。
そして、光が消えたあと。
ルリの姿が、ほんの少しだけ大きくなっていた。
気のせいかと思うくらいの、わずかな変化。
それでも、さっきまでより少しだけ存在感が増したように見えた。
「……あれ? ちょっと大きくなった?」
わたしは目をぱちぱちさせながら、ルリを見つめた。
ルリは自分の身体を見下ろしたあと、ゆっくりと顔を上げた。
その青い瞳が、まっすぐにわたしを捉える。
そして、小さな口が開いた。
「ルリー!」
「……えっ?」
聞こえてきた声に、わたしは目を丸くした。
今までも、ルリは何かを話していた。
ポーチのそばで得意げにしていたときも、ルーチェとやり取りしていたときも。
けれど、その声は不思議な音の連なりで、わたしには何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
それなのに。
今の声は、はっきりと聞き取れた。
「……ルリ?」
わたしが名前を呼び返すと、ルリはぱっと笑顔になった。
「ルリー!」
嬉しそうに、もう一度自分の名前を呼ぶ。
まるで、その音を確かめるように。
「えっ、えっ……! 今、わたしにもわかる言葉で話したよね!?」
驚いて尋ねると、ルリは楽しそうに頷いた。
わたしは思わずルーチェを振り返った。
ルーチェは、どこか納得したような顔で、静かにこちらを見ていた。
「ギョ」
……もしかして、ルーチェはこうなることを知っていたのかな?
不思議に思いながらも、わたしは目の前のルリに視線を戻した。
ルリは小さな手を伸ばし、わたしの指をぎゅっと握った。
「ルリー!」
「ふふっ。うん、ルリだね!」
わたしは笑顔で頷いた。
どうして急に言葉がわかるようになったのかはわからない。
でも、自分が贈った名前を、ルリ自身が嬉しそうに呼んでくれた。
それが、たまらなく嬉しかった。
わたしは、ルリをそっと手のひらに乗せた。
「これからよろしくね、ルリ!」
ルリは、満面の笑みで頷いた。
その小さな姿を見つめながら、わたしも笑った。
この世界に来てから、わたしの周りには、少しずつ仲間が増えている。
言葉が通じなくても、気持ちが伝わることがある。
そして、こうして新しい繋がりが生まれることもある。
これからルリと、どんな毎日を過ごすことになるのだろう。
まだわからないことばかりだ。
でも、それが楽しみだった。
冬の庭に、冷たい風が吹き抜ける。
その中で、ルリの青い髪がきらきらと輝いていた。
まるで、夜空に浮かぶ小さな星のように。




