第93話 不思議なポーチ
第93話 不思議なポーチ
冬の空は、今日も澄んでいた。
木々は葉を落とし、森のあちこちには冬の気配が広がっている。
そんな景色の中で、石壁に囲まれた庭だけは、少し違っていた。
畑に植えたネギが、青々と葉を伸ばしているのだ。
周囲の草木が冬の姿へと変わっていく中、ネギだけは季節を忘れたかのように、みずみずしい緑を保っていた。
そこだけ、春が残っているみたい。
わたしは入口の近くに腰を下ろし、そんなネギ畑を眺めていた。
畑の中では、ラタとカーバンクルが元気に走り回っている。
白い小さな体が、ネギの葉の間をぴょこぴょこと行き来する。葉っぱに触れたり、土の上を駆けたり、ときには互いを追いかけたり。
その上空では、シロエナガたちが楽しそうに飛び交っていた。
「チュー!【こっちだよー!】」
「キュー!【まってまってー!】」
小さな声が、冬の庭に響く。
そこへ、シロエナガの背に乗った青い妖精が飛んできた。
青い髪を揺らしながら、妖精はシロエナガの背からひょいと飛び降りる。
そして、そのままネギの葉の中へ飛び込んだ。
「#¿♯ღ♯!【わーい!】」
青い姿が葉っぱの間に消え、すぐに反対側からひょこりと顔を出す。
ラタとカーバンクルも面白そうに追いかけ始めた。
【あっちー!】
【こっちにもいるー!】
シロエナガたちのさえずりも重なり、庭はいつになくにぎやかだった。
冬空の下に、たくさんの声が響いている。
わたしはその様子を眺めながら、思わず頬を緩めた。
みんな、すっかり仲良しだ。
青い妖精が加わってから、まだそれほど時間は経っていないはずなのに、もうずっと前から一緒に暮らしていたみたいだった。
そんな光景を眺めていると、ふと、思い出したことがあった。
そういえば、ルーチェからもらった青い宝石と、スタンプボアの魔石。
どちらも大切なものだから、なくさないようにポーチにしまっていたんだっけ。
「……あれ? どこにいったんだろう?」
ちゃんと入っているか、確かめておこう。
わたしはそばに置いていたポーチを手に取り、口を開いた。
そして、中を確かめようと手を差し入れた。
その瞬間――。
ズボッ!
「えっ!?」
手が、思いがけない深さまで入り込んだ。
勢いに引っ張られ、わたしは体のバランスを崩す。
慌ててポーチを見下ろした。
手首どころではない。
腕が、二の腕のあたりまでポーチの中に埋まっていた。
「えっ、なにこれ!?」
慌てて腕を引き抜く。
なんとか腕は戻ってきたけれど、わたしはしばらくポーチを見つめたまま固まってしまった。
だって、どう考えてもおかしい。
このポーチは、スタンプボアの革で作ったものだ。
腕がこんなに深く入るような大きさじゃない。
わたしの声に驚いたラタたちが、畑から駆け寄ってくる。
ルーチェも、少し離れたところからこちらを見ていた。
「ちょっと待ってね……」
わたしは改めてポーチの口を覗き込んだ。
その内側には、群青色の空間が広がっていた。
革袋の大きさからは想像できないほど深い。
底が見えないどころか、どこまで続いているのかも分からなかった。
「……なに、これ」
恐る恐る、近くに落ちていた長い枝を拾う。
それをポーチの中へ差し込んでみた。
――スポッ。
枝は、抵抗もなく群青色の中へ吸い込まれていった。
ゆっくりと引き抜いてみる。
ちゃんと戻ってきた。
今度は、もう少し深く入れてみる。
やっぱり、何かにぶつかる感触はなかった。
「うそ……」
わたしは枝を脇に置き、もう一度、自分の腕をそっと入れてみた。
手首、肘、そして二の腕のあたりまで。
何かに触れる感覚はない。
壁も、底も、まるで見つからなかった。
腕を抜いて、ポーチの中を覗き込む。
群青色の空間は、相変わらず静かに広がっていた。
どうしよう。
いったい、どういう仕組みなんだろう。
わたしが考え込んでいると――。
ぴょんっ。
「……え?」
青い妖精が、ためらいもなくポーチの中へ飛び込んだ。
続いて、ラタがぴょんっ。
カーバンクルも、シロエナガたちも、まるで遊びの続きとばかりに次々と飛び込んでいく。
「えっ、ちょっ、待って!?」
わたしは慌ててポーチの入口を覗き込んだ。
――誰もいない。
青い妖精も、ラタも、カーバンクルも、シロエナガたちも。
さっきまで目の前にいたみんなが、きれいさっぱり消えていた。
「えええっ!?」
ポーチを揺らしてみる。
返事はない。
もう一度、中を覗き込む。
やっぱり、群青色の空間が広がっているだけだった。
どうしよう。
みんな、どこに行っちゃったの!?
「ル、ルーチェ! みんなが、みんながポーチの中に……!」
助けを求めるように振り返ると、ルーチェは呆れたような顔をしていた。
そして、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
ルーチェはポーチの口をくわえると、くるりと逆さまにひっくり返した。
コロコロ、ころころっ。
青い妖精が転がり出てきた。
続いてラタ、カーバンクル、シロエナガたちも、ポーチの口から次々と出てくる。
みんな、何事もなかったかのように元気だった。
「…………」
わたしは、ポーチを見た。
みんなを見た。
もう一度、ポーチを見た。
「……ええと?」
ルーチェは、そんなわたしを見て小さく息を吐いた。
まるで、最初からこうなることを知っていたみたいだった。
わたしはもう一度、ポーチの中を覗き込む。
群青色の空間は、変わらずそこに広がっていた。
もしかして……。
「中、すごく広いのかな?」
思わず、そんな言葉がこぼれた。
試しに、そばに置いていた枝をもう一度入れてみる。
すんなりと入った。
次に、近くにあった採取道具をひとつ入れてみる。
これも問題ない。
ならば、と少し大きめの道具を持ってきて、入口に差し込んでみた。
けれど、入口より大きなものは、どうやっても中へ入らなかった。
「そっか……。入口を通る大きさなら入るんだ」
長い枝も、細長い道具も、入口さえ通れば収納できる。
でも、入口より大きなものは無理らしい。
なるほど。
なんとなく、仕組みが分かってきた気がする。
わたしはポーチを手にしたまま、これまでの暮らしを思い返した。
森で集めた食料。
薬草や木の実。
冬に備えて用意した薪や、作業に使う道具。
必要なものは、これまで少しずつ増えてきた。
でも、持ち運べる量には限りがあった。
一度に運べないものは何度も往復するしかないし、荷物が多ければ、それだけ移動も大変になる。
だからこそ、採取する量を考えたり、運ぶ順番を工夫したりしてきた。
けれど、このポーチがあれば……。
「これなら、もっとたくさん持って帰れる!」
思わず、声が弾んだ。
食料も、薬草も、木の実も。
これまで持ち運びに困っていたものを、まとめて収納できるかもしれない。
もちろん、入口を通らない大きなものは無理だけれど、それでも十分すぎるほど便利だ。
わたしはポーチを両手で持ち、しばらく眺めていた。
見た目は、今までと何も変わらない。
なのに、その中には想像もできないほど広い空間が広がっている。
「すごい……」
自然と、笑みがこぼれた。
これがあれば、これからの暮らしがもっと便利になる。
森での採取も、冬の備えも、今までよりずっと楽になるはずだ。
わたしは嬉しくなって、もう一度ポーチを抱きしめた。
その少し離れたところでは、青い妖精がラタたちと楽しそうに遊んでいる。
ルーチェは相変わらず、呆れたような顔をしていた。
誰が、このポーチに魔法をかけたのだろう。
どうして、こんな不思議なものになったのだろう。
分からないことは、まだたくさんある。
けれど、ひとつだけ確かなことがあった。
この小さなポーチは、これからのわたしの暮らしを、大きく変えてくれそうだった。




