見えない鍵盤
ここは…ドコ?
私は…ダレ?
わからないな。
ここは…ドコ?
わからない。
「ナミ、行くぞ」
「えっ!? う、…うん」
あなたは…ダレ?
「大丈夫か?」
「ああっ!!!」
「おい、ナミ。本当に大丈夫か?」
そうだった。
今日は彼の実家に行く日だった。
「何でもないよ? ケイちゃん」
「本当か?」
「うん、行こう」
彼の背中を押すように車へと乗り込んだ。
車で2時間くらいって、聞いていたな。
私に出来るかな。
彼のご両親への挨拶。
「おい、本当に大丈夫か?」
「うん、任せて。レッツゴー!」
「任せるって…?」
「ううん、何でもないよ」
「行くぞ」
「うん」
走り出した車が音楽を流す。
エンジンの音。
タイヤの音。
それに風を切る爽やかな空気音。
いつもの音だ。
結婚の報告。
喜んでくれるかな? 認めてもらえるかな?
ううん、今は自分に出来ることをするだけ。
「まだ、あったよね? あれだけど…」
「ああ、任せてくれ」
「任せてくれって?」
「いや、何でもないよ。まあ、気にするな」
「ええっ!? 気になる~」
高速を降りて、45分。
車は閑静な住宅街へ入る。
「もう少しだ。楽しみだな」
「うん、楽しみ。…でも、少し緊張してるよ」
「ナミでも緊張するんだ?」
「するわよ~、もう」
「そっか、楽しみだな」
「何が?」
「内緒」
「もう、泣いちゃうぞ」
車が静かに停車する。
ここが彼の実家かな。
表札には『スズムラ』と書いてある。
ここだ。
「行くぞ」
「う、…うん」
玄関のドアを開けるとクラッカーの高い音が歓迎してくれた。
「お帰り」
「待っていたわよ」
「ただいま」
「ナミ、入って」
「あ、失礼します」
「ナミさんですね。自分の家だと思って気楽にね」
「あ、はい」
「母さん、あれは?」
「こっちよ。ナミさんもどうぞ」
呼ばれるままに家の中へと入る。
通された部屋には…一台のピアノだ。
「今日のために調律しておいたわ」
「ありがと、母さん」
「ナミ、弾いてみて」
ピアノには楽譜が置いてある。
一通り目を通して、曲を覚える。
この音は…。
このリズムは…?
何だろう。
懐かしい音だ。
部屋に響き渡るピアノの音。
自分で弾いて、びっくりしてしまった。
何て優しい音律なのだろう。
「ナミ、楽譜の作曲者の名前を見てみて」
「名前?」
「そう、早く」
「う、…うん」
『トダカハヤネ』と書いてあった。
これは…。
私の祖母の名前だ。
「ケイちゃん?」
「父さんと母さんが探してくれたんだ」
「ハヤネさんは日本を代表するピアニストでしたからね」
今は亡き、私の祖母の名前。
世界に名前を知られるピアニストだった。
「ナミはその血を受け継いでいるな」
「えっ!? …?」
「そうね。私、ナミさんのCDは全部持っているわよ」
「おい、俺も持っているからな」
「お父さん、自分のも欲しいって、大変だったわよ」
「あ、ありがとうございます」
「かしこまらなくてもいいのよ。もう、家族なのだからね」
「えっ!? あ、はい。嬉しいです。ありがとうございます」
「よかったな、ナミ」
「うん、嬉しい。私、本当に嬉しいよ」
「俺もだよ」
「じゃあ、これは私から…」
そう言って、鞄の中の楽譜を取り出す。
「新曲で、初めて人前で弾く曲ですが、聴いてもらえますか?」
「まあ、嬉しい。もちろんよ」
「そっか。このことだったんだな」
「うん」
ピアノの音が空を舞う。
これは私の今の気持ち。
幸せだよ、私。
見えない鍵盤




