闇を裂く影、静かなる接近
あきつ丸は、灯りを一切焚かずに出航した。
波に溶け込むように、ただ静かに進む。
夜の海は深く暗い。船体が水を割る音だけが、規則正しく響いていた。
甲板に立つセリアは、水平線を見つめたまま呟く。
「……この静けさ、嫌いじゃないわ」
「嵐の前ってやつですね」
隣のリディアが小さく笑う。
メイヤは肩をすくめた。
「私は普通に嫌いですけどね。静かすぎるとロクなこと起きないんで」
その言葉に、三人とも小さく苦笑する。
やがて――
「目標海域、到達しました」
舵手の報告。セリアは即座に頷いた。
「影を出して」
「了解」
素早く小型高速船が降ろされる。
音を立てぬよう、滑らせるように海面へ。
乗り込むのは三人。黒装束の“影”。
言葉はない。
視線だけで合図を交わし、小舟は闇へ溶けた。
ほどなくして浅瀬に到着。
砂浜に触れた瞬間、二人が同時に飛び降りる。一人は船に残り、退路確保。
残る二人は左右へ分かれた。
走らない。跳ばない。音を立てない。
地面を這うように進み、木陰から木陰へ。
闇と一体化する動きだった。
やがて――
一人が丘を越え、街道を視認する。
もう一人が高台へ登り、周囲を俯瞰。
数刻後、再合流。短い手信号。
位置、規模、配置、巡回、焚き火の数。
すべてが共有される。
どうやらその地点は――
敵補給地点と旧ガリオン領の、ちょうど中間。
敵補給地点は、王都から伸びる街道と、旧街道が交わる要衝。
「……旧街道側に轍、多数」
「大軍移動の痕跡。最近だ」
「本隊は旧街道経由で着陣した可能性高」
小声で確認。つまり。
王都方面とガリオン方面に主力。
ここは後方補給拠点。守りは薄い。
「……狙うなら、今だな」
短く頷き、三人は素早く船へ戻る。
再び闇の中へ溶け込みながら。
その目は既に、
“偵察者”から“狩人”のそれに変わっていた。
あきつ丸の甲板。
戻ってきた影が片膝をつき、報告する。
「敵補給場、確認。守備、軽微。兵数、
およそ百。警戒、低」
セリアの目が細くなる。
「……予想通りね」
リディアが静かに剣の柄を握る。メイヤは大きく息を吐いた。
「つまり……やるんですね。奇襲」
セリアは小さく微笑んだ。
「ええ」
そして、夜の海を見据える。
「――静かに、終わらせましょう」
あきつ丸の錨が、音もなく引き上げられた。
闇の中、戦いが始まろうとしていた。
夜の海を、あきつ丸は敵補給場に最も近いであろう海域にゆっくりと進む。
波音に紛れるような速度。
敵から見れば、ただの漂流物と変わらない。
その甲板で、セリアは静かに前方を見据えていた。
「……このまま、敵補給地へ接近。速度そのまま」
「了解」
舵手が小声で返す。距離が、少しずつ縮まる。浜の向こうに、ぼんやりと灯りが見え始めた。
焚き火だ。
補給場の野営灯。警戒の薄さが、遠目にも分かる。
リディアが剣帯を締め直し、声を張りかけた。
「上陸準備よ――」
その瞬間。
「待って」
セリアの短い一言。
ぴたりと空気が止まる。
「……え?」
リディアが振り向く。
「上陸は?」
「まだしないわよ」
「じゃあ、如何するの?」
当然の疑問。
敵地目前で上陸しないなど、普通はあり得ない。
セリアはゆっくりと甲板後方を指さした。
「二基のバリスタ準備。矢には発火弾装着」
「……発火弾?」
メイヤが目を瞬かせる。
「補給物資を焼き払うの?」
「そうよ」
即答。迷いが一切ない。
「補給所は敵の命綱。食料、矢弾、薬品……全部まとめて置いてある」
セリアの瞳が細くなる。
「そこを燃やせば、どうなると思う?」
リディアがはっとする。
「……敵が、戻る?」
「ええ。王都側と旧ガリオン側、二手に分かれてる敵が――」
静かに告げる。
「1箇所に集まる」
メイヤがにやりと笑った。
「なるほど……わざわざ散らばってるのを、まとめてくれるって訳か」
「探す手間が省けるわ」
セリアの声は穏やかだった。だが、その内容は完全に狩人の発想だった。
「混乱したところを、叩く。
夜襲は“探す戦い”が一番面倒なのよ」
「……最初から、敵を集める、と」
リディアは小さく息を吐く。
「相変わらず、性格悪いわね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
淡々と返すセリア。
その横で、メイヤが叫ぶ。
「バリスタ班! 発火弾装着急いで!
次弾準備しといて!派手にいくよ!」
「了解!」
甲板が一気に慌ただしくなる。太い弦が張られ。
火薬と油が染み込まされた竹筒。発火弾が矢に取り付けられている。
敵はまだ気付いていない。
笑い声すら聞こえる。
「……のんきなものね」
セリアは小さく呟いた。そして、手を上げる。
「――バリスタ発射!!」
次の瞬間。
ギィンッ!!
重い弦音。小さな炎の導火線がついた、矢が夜空を裂いて飛んだ。敵補給地へ向かって、静寂を破りながら。
戦いの火蓋が、切って落とされた。




