走り出す変人
夕刻。
領主館の一室に、慌ただしい足音が近づいて来た。
「……来たわね」
メイヤが顔を上げた、その瞬間。
ばたん!!
扉が勢いよく開き、猫族の女性が飛び込んで来た。
「出来た!!」
リュミエルだった。
煤で汚れた服、乱れた髪。
両腕には、殴り書きの設計図が束になって抱えられている。
「ちょっと!」
机と床に紙がばら撒かれた。
「……荷馬車?」
ミュネが首を傾げる。
「違う!」
リュミエルが即座に否定する。
「荷馬車を元にした、動く箱だ!」
描かれていたのは、強化された車軸、鉄輪、簡素な骨組み。そして後部に、見慣れない箱型の構造。
「蒸気機関、ね」
メイヤが静かに言った。
「そうだ!」
リュミエルは嬉しそうに頷く。
「船と同じ!燃やして、蒸気を溜めて、回す!」
歯車の流れ、蒸気の経路。
理屈は荒いが、一応、筋は通っている。
「馬はいらない」
「……操縦は?」
「前輪を動かす。梃子で」
「止まる?」
「止める方法も書いてある!」
メイヤは一枚、また一枚と設計図を確認する。
「……で」
視線を上げた。
「これ、何人乗り?」
一瞬。
リュミエルの動きが止まった。
「……」
「……」
「……一人」
ぽつり。
「正確には?」
「一人+着替え」
ミュネが吹き出した。
「いや、笑うな!」
リュミエルはむきになる。
「計算したんだ!蒸気量、重量、車軸強度!」
「つまり」
メイヤがまとめる。
「今は、人一人を動かすので限界ね」
「……そうだ!」
悔しそうだが、どこか誇らしげだった。
「でも動く!確実に、走る!」
沈黙。
そしてメイヤは、ゆっくりと笑った。
「ええ」
設計図を揃えながら言う。
「それで十分よ」
「え?」
「一人を運べるなら――」
視線を上げる。
「道具としては、成立してる」
リュミエルの耳が、ぴくりと動いた。
「まずは一人。そこから先は、時間と工夫」
メイヤは言い切った。
「試作するわ。安全第一でね」
「……!」
リュミエルは、にやりと笑った。
「動かしてやるさ」
その夜。それはまだ、ただの紙の上の機械だった。
だが――“自分の力で走る何か”は、確かに生まれていた。
メイヤは、広げられた設計図をもう一度見下ろした。
蒸気機関を理解して、それを――荷馬車の動力に転用する発想。
「……普通は、行き着かないわよね」
船で使われる力を、地面の上へ。
しかも馬を外し、車軸を回すという考え方。
試作品とは言え、理屈だけで終わらせず、
実際に“形”にしているのが何より厄介だった。
完成させている。
少なくとも、“動く所”までは。
「やっぱり……天才か」
小さく息を吐く。
一人乗り。実用性は、まだ低い。
けれど――
発想自体は、間違っていない。
道具は、最初から完成形で生まれたりしない。最初の一歩が歪んでいなければ、それでいい。
「環境さえ整えば……」
メイヤは設計図を丁寧に揃えた。
「いくらでも化けるわね、この人」
その視線の奥には、“面白い未来”が、確かに見えていた。




