早すぎる準備
「たったいちょー!!」
背後からの大声に、隊長は思わず肩を跳ねさせた。
「うわっ!?パナーか……久々だな、その入り方。何だよ、何かあったか?」
息を切らしたパナーは、少し声を潜めて言った。
「奥様が……近衛にクロスボウを渡して、ここの近衛隊を王都へ返しました!」
「――は?」
間の抜けた声が出る。
「ま、まじかよ。何か起きるのか?」
「……じゃないでしょうか?」
隊長は腕を組み、眉をひそめた。
「いや……こっちには、何の情報も回ってきてないぞ?」
「そうなんですか?」
「おう」
少し考えてから、首を傾げる。
「まあ、雪で情報が遅れてるって線はあるかもな。街道も鈍ってるし」
「んー……」
二人の間に、短い沈黙。
やがて隊長が、ふっと息を吐いた。
「……とはいえ、だ」
「はい?」
「あの奥様の事だ。“起きてから動く”ってタイプじゃねぇ」
パナーは、はっとした顔をする。
「確かに……」
「早めに動かして、何も無けりゃそれでいい。準備だけして、終わるならそれが一番だって考えてても不思議じゃない」
「……ですね」
パナーは苦笑した。
「逆に、何も無いって言い切れないからこそ、ですよね」
「そういう事だ」
隊長は窓の外、降り積もる雪を見た。
「動いたって事は……」
「はい」
「表に出てねぇだけで、どっかで“歯車”が回り始めてるかもしれねー」
パナーは背筋を正す。
「……こちらは、どうします?」
「いつも通りだ」
隊長は即答した。
「警戒は緩めるな。でも騒ぐな!何も起きなけりゃ、それでいい」
そして、ぽつりと付け加えた。
「……起きた時に、慌てないためにな」
雪は静かに降り続いている。
だがその下で、見えない音を立てて――何かが、確実に動き始めていた。
執務棟の一室に呼び出された瞬間、リディアは嫌な予感しかしなかった。
……まただ。
後ろに並ぶ警備隊の数名も、無言で顔を見合わせている。
今度は何だ……雪中強行軍か?
それとも新しい罠の実地試験か?
セリアは、いつもの穏やかな笑みで彼らを迎えた。
「来たわね。ちょっと時間いいかしら?」
その一言で、胃がきゅっと縮む。
「……はい」
リディアは警戒を解かない。
「あなた方に――」
一拍、間。
「新規の装備をお渡ししまーす!」
「……へ?」
間の抜けた声が、思わず出た。
警備隊の一人が小さく聞き返す。
「……装備、ですか?」
「ええ」
セリアが合図すると、控えていた者達が布を外した。
そこに並んでいたのは――
見慣れた軍服とは明らかに違う装備一式だった。
「……なに、これ」
リディアは思わず一歩近づく。
軍服は雪中でも動きやすいよう再設計され、
肩・肘・膝には最低限の防護。
背負い装備は体に密着し、重量が分散される構造。
水筒、火薬、クロスボウ用具、簡易食料。
すべてが「取り出す動作」を前提に配置されている。
「前回までの訓練と、実地の反応を全部反映してるわ」
セリアはさらりと言った。
「……冗談、じゃないですよね?」
警備隊の一人が恐る恐る聞く。
「冗談で、こんなに作り込まないでしょ?」
にこり。
リディアは額を押さえた。
「……つまり」
「ええ」
セリアは頷く。
「“次”を想定した正式装備よ」
空気が、一段重くなる。
「無茶振りは?」
「今回は無し」
「……本当に?」
「ええ。今回は、ね」
その「ね」が妙に引っかかる。
警備隊の一人が小声で呟いた。
「……逆に怖い」
セリアは聞こえていないふりをして続ける。
「着用感を確認して、細かい意見を出してちょうだい。これは、あなた達が生き残る為の装備なんだから」
リディアは、装備を手に取った。
その重さと、収まりの良さを感じて――
はっきり理解する。
これは……“遊び”じゃない。胸の奥が、静かにざわついた。
「……了解しました」
リディアは、真剣な顔で答えた。
セリアは満足そうに微笑む。
「ええ。お願いするわ」
雪はまだ降っている。
だが、装備はもう――
春を、そしてその先を見据えていた。




