幕間5
わたしの父は魔王様だったが、わたしは後継者候補ではなかった。そもそも、魔王様はわたしの存在自体忘れていたと思う。
わたしの母はエルフで、魔王様の愛玩動物の一つだった。魔王様は愛玩動物を他人に与えない。与える時は捨てる時だけだ。だから、父親が魔王様以外の男である可能性は全くない。母によく似たわたしが、母と同じように愛玩動物にならなかったのは、母がエルフの王族だったから。というか、魔術の才能があったからだ。母の祖国はもちろん魔王様に滅ぼされている。
私を育てたのは変わり者のエルフだった。
「お前は賢くならなければいけないが、愚か者のふりができなければ殺されるからな。加えて愚かすぎても駄目だ。それも殺される」
「はい、お師匠様」
「…………『はい』と言えば許されると思うな。理解していないのに『はい』と言うな」
「……はい、お師匠様」
お師匠様はそれきり黙り込んだ。
お師匠様はエルフの魔術師で魔王軍の一員だった。
エルフの中には魔王に従う者も一部いる。
私たちエルフは魔族ではないが、魔族に近しい生き物だ。人間などよりは魔族の方が、エルフにとっては馴染み深い。魔族と敵対するエルフも多いが。
お師匠様の弟は人間に味方するエルフだった。
ここ数百年は人と魔族の戦いには直接介入していないが。
お師匠様もその弟も千年近く生きていたらしい。わたしたちエルフは人間などより遥かに長寿だ。それでも千年生きるエルフは稀だ。
エルフは、魔族にも人間にも狩られるから。エルフは強力な魔術を扱えるが、肉体は、魔族はおろか人よりも脆弱だった。加えて人よりも魔族よりも美しい姿形をしていた。わたしの母がそうであるように愛玩用に飼われていた。
お師匠様は魔族が好きなわけではなかった。人間も好きではないし、同族のエルフも好きではなかった。特に弟が嫌いらしい。
なのに、お師匠様は生まれたばかりの私を取り上げ、魔王様の庭ーー愛玩物が飼育されるところーーから連れ去った。わたしは辺境にある塔でお師匠様に育てられた。
わたしは確かに魔術の才能はあったが、ずば抜けて優れていたわけではなかった。お師匠様のような偉大な魔術師にはなれそうもない。
そう口にするとお師匠様は顔を顰めた。
「私はごく普通の魔術師だよ」
ごく普通の魔術師は一撃で竜を消し炭にしないし、不死者の軍団を一振りで全て燃やさないと思う。
「弟に比べれば、私はただ魔術が少し使えるだけのエルフさ」
後に知るが、お師匠様の弟は魔術師かつ剣士であるらしい。本気を出せば魔王様を倒せると言われるほどの。そして、実際に魔王を倒した勇者とならびにその仲間の魔術師の師匠であったという。
お師匠様は引き篭もりで、わたしがそこそこ大きくなると、外に出る用事を全て押し付けられた。
魔族ばかりのこの地ではエルフは舐められ、暴力を振るわれるのが普通だったが、お師匠様がわたしに施した防御の魔術によって、そのような輩は返り討ちにされた。本当は、わたし自身の魔術で返り討ちにすることもできたが、お師匠様が禁じた。
「お前の魔術の才は大したことはない。だがその大したことない力でも隠した方が、お前自身を守ることになるだろう」
実際、わたしが魔術を使えないフリをしたために、わたしは生き永らえた。
勇者がやって来るまではお師匠様とわたしは平穏に暮らすことができた。
その日、魔王様が勇者に討たれる日、お師匠様の弟が突然現れた。
「三百年ぶりだね、お兄ちゃん!」
お師匠様によく似た人が、塔の一室で食事をしていたわたしたち二人の前に突如現れ、そう告げた。
「帰れ」
心底うんざりした顔と声でお師匠様は言った。
「三百年ぶりに見るかわいい弟に言う台詞がそれかい!?!」
「お前のどこがかわいいんだ。年を考えろ」
「かわいさと年は関係ないだろう!?」
「ならお前は生まれた時からかわいくない」
「そんな!! 俺を初めて見たときにかわいいと言って抱き締めてくれたじゃないか!!」
「…………貴様それ誰に聞いた?」
「誰にも聞いていないさ! まあ、ちょっと過去視の魔術でね」
「あの……お師匠様、こちらの方は……?」
「クソ愚弟だ。茶は出すな、無視しろ」
「はあ……」
「おっ、君がお弟子ちゃんか! かわいいね!」
「エイヴァに近寄るな愚弟」
「お兄ちゃんのケチ〜」
「黙れ愚弟。……………用があるのだろう」
渋々という感じでお師匠様が、弟さんに言う。
弟さんはにっこりと笑った。
「うん。今日魔王が倒される」
明日雨が降るよ、みたいに平然と弟さんが言った。
その言葉にお師匠様は驚くでもなく、ただ溜め息を付いた。
「お前の弟子か?」
「うん。ぼくの弟子たちだ」
「なら俺はお役目御免だな」
「うんうん! だから一緒にバカンス行こう、お兄ちゃん」
「誰が行くか」
「でも正直な話、今は雲隠れした方がいいよ。エイヴァちゃんのためにも」
お師匠様は呆れた顔で弟さんに言う。
「関係ないだろ。どうせすぐ新しい魔王が現れる」
「いやそれはないねえ」
「は?」
「ぼくの弟子たちがあらかた殺っちゃったから」
「……お前は弟子共に『均衡』とか『調和』とか教えなかったのか」
「うん、教えてないよ!」
「教えんか、この愚弟!!」
「無理無理~ 教えても理解できなかったよぼくの弟子たち+αは」
お師匠様は深い深い溜め息を付いた。
「エイヴァが次の魔王か」
え、と私は声を上げた。
「うんうん。まっ、他のが生きててもお兄ちゃん仕込みのエイヴァちゃんに勝てる奴はいないでしょ〜」
「……今の世代がヘボばかりなだけだ」
「待ってください」
お師匠様と弟さんがわたしを見る。
平然とした態度で。
「付いて……いけません…… あの魔王様が倒される? 他の後継者がいない?」
「愚弟が言うならそうなのだろう。腐っても大賢者だ」
「えっへん」
「褒めてない。それからその頭の痛くなる話し方をやめろ」
お二人はまたやいのやいの話す。
わたしは呆然とそれを聞いていた。
それから数年が経った。
わたしは新たな魔王となった。
だが、それを知るのはごく僅かな者のみ。わたしを旗印にして魔王軍を再興しようとしている者たちのみ。
お師匠様ももういない。
「お前に教えることも、してやれることももうない」
「そうそう。お兄ちゃんはフリー」
「そんな……」
「お前は自身の望みを叶えるだけの力を持っている」
「うんうん。持ってる持ってる」
「わたしの望み……? そんなものわたしは……」
「……いずれわかる時が来る」
「その通り!なのでお兄ちゃんはこれから僕とバカン……」
「お前は静かにしろ!!!」
廃墟同然の本拠地の城を抜けて、私は森の奥の泉に向かった。護衛を付けようとした部下に不要と告げて、わたしは一人飛行魔術で森に向かった。
今の魔王軍で私よりも強い者はいなかったから。
候補者がほぼいなかったとしても、今の地位はわたし自身が実力で手にしたものだ。今の魔王軍に実力者がほとんど残っていなかったからとしても。
泉のちょうど真上に降り立つ。
夜も深まる時間のため、人はおろか、獣の姿も見えなかった。
わたしは濃い魔力の気配を吸い込んだ。ここまでの移動で消費された魔力が回復していくのが分かった。
ここは天然の回復スポットだった。
一人になりたいとき、わたしはここに来た。
わたしは靴を脱ぎ、ローブの裾を持ち上げてから、泉の縁に腰かけ、足を水の中に浸した。ひんやりとして気持ちいい。ずっと浸かっていれば凍えるが、少しの間だけなら、よい気分転換になる。
魔王軍の再興は当然上手くいっていない。
人間どもはおろか、魔族の者たちすら、魔王軍は完全に壊滅したと思われている。
魔王は恐怖で同胞を従えてきた。わたしもまた畏れられている。けれども同時に軽んじられてもいる。エルフとの混血だから、小娘だから、経験がないから。
なりたくてなったわけではない。辞められるものなら辞めたい。
しかし。
破壊され尽くした魔王城の庭に打ち捨てられた無残な母や同じ愛玩動物の者たち遺体と、辛うじて生き延びて隅で震えていた僅かな者たち。それから、彼らを嬲る魔族たち。
わたしが魔王城に着いてすぐ向かったのがその場所だった。
私は魔術で、その蹂躙者たちを生きたまま焼いた。
見捨てられた者たち。
わたしもその中の一人だったかもしれない。
愛玩動物の中には人間もいたが、一人残らず殺されていた。
後で聞いた話だが、勇者一行はこの庭に来なかったらしい。この惨状を引き起こしたのは魔王城の者たちだった。
魔王という存在への溜まり溜まった鬱憤と敗北への絶望、それらからの逃避のため。
わたし以外の者ならば全て見捨てただろう。
こんな末端の、魔王の私欲のためだけの、何の意味もない存在たち。
しかしわたしは彼ら彼女らから生まれた。
これはただの意地だ。自分でもよくわかない類の。
わたしはあの魔王とは異なる存在だと証明するための。
ザブン。
何か大きなものが泉に落ちたような音がした。
何の気配もないことに怪訝に思いながら、わたしは音がした方を見た。そして、固まった。
折しも雲が切れ、月が辺りを照らす。
銀色の長い髪が月明かりを受けて、輝く。
その髪の持ち主は何も纏わず、わたしに背を向けて泉の中に立っていた。
屈んで自分の体に水を掛ける。
女の全身は傷だらけだった。
人間の女が行水していた。
わたしに気付いているのかいないのか、全く気にしていない素振りだった。
ここは魔王城のお膝元だ。いくら人間の勇者に敗北したとはいえ、魔族が支配する領域だ。勇者は魔王を殺すと撤退し、そのあと人間の軍隊が押し寄せることもなかった。かつての魔族と人間の境界線まで人間は引いた。境界線を遥かに超えて侵略したのは魔王軍だったが。
だから、ここに普通の人間がいるはずはない。
何より、わたしに気付かせずにここまで接近できる者は只者ではない。
わたしは静かに、何気ない動作で、女に向かって魔術を放った。風魔術が女の元へ一直線に走る。
詠唱無しの魔術発動。それがわたしを現魔王たらしめるスキルだった。前代も持たなかったものだ。
この世界の魔術は必ず詠唱を必要とする。ゆえに魔術は予備動作無しには発動し得ない。と、皆思い込む。だから、わたしを知らないものはわたしの初撃は防げない。
そのはずだった。
ガキン。
実態を持たない風の攻撃が、突然現れた剣によって、まるで物理攻撃のように逸らされた。
「物騒だな」
低い声で女が言った。錆びついているかのようなザラザラした声音だった。
女が振り返る。
私は凍り付いた。
なぜすぐに気付かなかったのか。
ここに来ることのできる人間の銀髪の女なんて世界にただ一人ではないか。
「勇者アシュリー……」
私は絞り出すような声で言う。
女、アシュリーは顔を顰める。
「もう勇者じゃない」
淡々と勇者は言った。
わたしは立ち上がり、勇者と向き合う。
初撃をいとも簡単に弾かれたいま、わたしの勝算は薄いだろう。
「じゃあ、あんたは何者?」
こいつはわたしの正体に気付いているだろうか。
いや、気付いたのなら、すぐにあの大剣で首を跳ねられているはずだ。わたしが攻撃を仕掛ける前に。
だから、何とかその場を誤魔化そうとわたしは適当なことを言った。
わたしの言葉に勇者は虚を突かれたような顔をした。それから考え込むように視線を彷徨わせた。
少し時間が経ってから、彼女は答えた。
「ただの人間だ」
それがわたしとアシュリーの出会いだった。




