揺らぎ
合衆国の宣戦布告後の政府の動きについて報告を受け、リンダート大司祭は眉間にしわを寄せて深いため息を漏らす。
「世の中は皮肉に満ち満ちているという事だな……」
政府と教団の、その余りにも無能な対応と混乱ぶりに思わず漏れた言葉であった。
だが、最初から判り切っていた事だ。
今の政府も教団も、この程度の事しかできないと。
そして、貧乏くじを引くのは、祖国を愛し、ドクトルト教を真摯に信仰する者達であるとも。
しかし、本当に祖国を大切にする者達が貧乏くじを引く現状。
そして、それを引き起こした元凶が自分であるという事実。
それを思うたびに生まれる後悔と迷いを、彼はなんとか抑え込んでいた。
始めた以上は、情を捨て、やり切らねばならん。
その後に、自分にどのような運命が待ち構えていようとも、ドクトルト教と祖国を守るためにはやり切らねばならんのだ。
自分にそう言い聞かせる。
それに、先の短い老いぼれとしては、先のある弟子たちや若き友のために残せることはしておかねば。
今や彼を突き動かしているのは、若い者達により良き未来、より良きドクトルト教と祖国の形を残したいという思い。
それしかなかった。
だが、それでもため息をつきたくなる。
最前線で祖国を思う者達が必死になって戦っているというのに、教団や軍の上層部、それに一部の軍や私設軍の不甲斐なさ。
その目に余る差が彼を苦しめている。
「大丈夫ですか?」
報告の途中であったが、心配そうな顔で弟子のターントクが声をかけてくる。
「ああ、大丈夫だ。ただな……」
それで言いたいことがわかったのだろう。
ターントクは憤慨して言い切る。
「軍の上層部も教団も私設軍も何をやっているのでしょうか。実に不甲斐ない。あんな連中は、やはり追い出さねば……」
その言葉にリンダート大司祭は苦笑する。
弟子のそんな姿を見て、かえって落ち着いてしまった自分に気が付いたのだ。
自分の事というものは、意外とわからないものだ。
その苦笑に気が付き、ターントクは慌てて言う。
「えっと、何かおかしなことを言ってしまったでしょうか?」
「いやいや。別におかしなことは言っておらん。ただな、もう少し感情を抑える術を知らねばならぬな、お前は……と思ってな。世の中、よい人ばかりではないのだ。自分の本心を晒すのは、心を許した者だけにしておくとよい」
そう言われ、ターントクは笑いつつ言う。
「勿論です。師匠の前だからこそ、私は本当の自分として感情をさらけ出しているのですよ」
その言い回しは、少し自慢げな雰囲気が滲み出ており、リンダート大司祭は益々苦笑した。
その反応に、ターントクは不満そうな表情になる。
「すまん、すまん」
そう言いつつ、リンダート大司祭は言葉を続ける。
「いや、少しうらやましくなってな」
それでターントクは少し気持ちが収まったのだろう。
「では、報告を続けます」
そう言って、報告を続ける。
そして話題は、スペラーリーゼ諸島海戦後の情勢へと移る。
「セントフィール軍港は、駐屯していた軍が抵抗したものの、実質壊滅。アバーナ港では駐屯していた騎士団が戦わずに後退し、市民は無抵抗で合衆国軍を受け入れ、アバーナ港周辺地域は上陸した合衆国軍に占拠されています」
「ふむ。それに対しての対応は?」
その問いに、ターントクは顔を歪める。
「酷いものです。互いに責任を押し付け合い、喧嘩別れの有様ですよ。互いに牽制しながら防衛戦を展開しています」
「確かに酷いものだ。ここにきてまだ争っているとはな」
「ですが、今のところは合衆国軍の進軍が止まっており、にらみ合いの形にはなっています」
「そうか……」
それだけ言って、リンダート大司祭は考え込む。
敗退したとはいえ、スペラーリーゼ諸島海戦で戦った者達が奮戦したおかげと言えるだろう。
それを教団も政府も軍上層部もわかってはいない。
彼らが死と勇気と献身で作り出したものを活用せず、ただ踏みにじるとは。
そう思考し、ため息を吐き出す。
本当に自分の祖国であり、自分の所属する教団でありながら、余りにも酷い有様よ。
だが、そんな中でも報告は続く。
「それと、一部、変な動きがあります」
「変な動きだと?」
「はい。スペラーリーゼ諸島海戦に参加したアンデサラーラ・リングルトス軍属大司祭の息のかかった者や、軍の一部がペンダジミア軍港周辺に集まっているという事です」
その言葉に、リンダート大司祭は思考を切り替える。
リングルトス軍属大司祭という言葉に引っ掛かったのである。
頭の奥にしまい込んでいたリングルトス軍属大司祭についての記憶を思い出す。
ああ、あの信仰心の強い現実主義者の教団軍関係者か。
「確か、リングルトス軍属大司祭は教団防衛艦隊の指揮官であったな」
「はい。スペラーリーゼ諸島海戦に参加され、合衆国艦隊に多大な被害を与えた名将と聞いております」
「ふむ……」
リンダート大司祭は考え込む。
なぜ、そんな人物の息のかかった者達が集まっているのか……。
教団からはそのような指示は出ていないはず。
それどころか、今や教団はまともに指示を出せないほど混乱している。
なのに。
その上、それに同調して軍の一部が集まっているという。
一瞬、嫌な考えが頭に浮かんだが、それをすぐに打ち消す。
リングルトス軍属大司祭は、どちらかというと正統派であり、こそこそ裏で動くことは好まない性格だ。
彼は司祭であると同時に、立派な軍人でもある。
だから、最悪の事態は考えられない。
そうすると……。
「集まっている軍人達は、どういった派閥の者達だ?」
「それが……」
少し言い澱むターントク。
怪訝そうな顔をしてリンダート大司祭は聞き返す。
「何か言いにくい事なのか?」
「実は、スペラーリーゼ諸島海戦に参加し戦死された、教国本国艦隊司令官トラビス・パラマーゼ提督。その配下だった者や、彼の友人といった軍人達です」
「パラマーゼ提督……」
思考が記憶をたどっていく。
確か、軍の中ではかなりまともな人物であり、軍の腐敗を嘆いていたと聞いている。
しかし、なぜ、この二つの勢力が集結しているのか。
パラマーゼ提督が亡くなり、中核を失った派閥が他の派閥との争いの為にリングルトス軍属大司祭に合流したという事か。
しかし、軍と教団の私設軍は、それほど仲がいい間柄ではない。
それどころか派閥によっては犬猿の仲と言ってもいいほどである。
では、どういった理由で……。
そのリンダート大司祭の思考がわかったのだろう。
ターントクが言う。
「こちらで探りを入れておきましょうか?」
「ああ、頼む。それと当面、ペンダジミア軍港周辺での工作活動を抑える様に、勤労の小人達とヨドムの使者に伝えておいてくれ。もしかしたら、リングルトス軍属大司祭とは話し合う機会があるかもしれんからな」
「了解しました」
そう返事をして、報告を終えたターントクは退室していく。
退室していくターントクを見送った後、リンダート大司祭は壁に掲げてある地図を見る。
教国全土の地図だ。
その地図を見つつ呟く。
「もしかしたら、リングルトス軍属大司祭は希望の光になるかもしれんという事か」
ふと浮かんだ考えに、思わずそんな言葉が漏れる。
だが、すぐに苦笑が生まれた。
もう少し早くこの動きが見えればやりようはあったというのに……。
だが、すぐに思考を変える。
いや、今の事態だからこそ、この動きが生まれたという事か?
そして、ますます苦笑するしかない。
「本当に、世の中は皮肉に満ち満ちているという事か……」
それは、現状を皮肉る言葉であった。
だが、それでも進まなければならない。
リンダート大司祭はそう自分に言い聞かせ、再び先のことを考える。
「ともかく、情報を集め、そして彼が希望の光となるなら、私も計画を修正しなければならぬか……」
そして、しばらく黙り込む。しばしの沈黙が辺りを包み込む。
そんな中、ぼそりと漏れる声。
「やはり一度会うしかないということか」
こうして、リンダート大司祭は、リングルトスとの会談を決意するのであった。
「くそっ。この忙しい時に……」
そんな言葉が、卿と呼ばれる男の口から洩れる。
合衆国の上陸によって、教国内は収拾がつかなくなりつつあった。
実際、合衆国が上陸してから、教国内は混乱していた。
それは、今まで溜まっていた市民の怒りや不満が露骨に、そして簡単に表面化しやすいという事でもある。
その上、老師の命により合衆国への対応に戦力の多くを回した結果、教国内の混乱への対応が益々追いつかなくなりつつあった。
あれは悪手であったか。
止めるべきだった。
しかし、それを止められなかった以上、やるしかない。
そして、残った者達はよくやっている。
その中でもトンドリの動きは飛び抜けていた。
だが、それでも出来ないことは出来ない。
「ともかく、老師様が出国されるまでは何とかしなくては……」
思わずといった感じで言葉が漏れる。
それは本音に近い。
それほどまでに彼は追い詰められている。
人というものは、同時にいくつもの事を考えて動けるものではない。
同時にやっているようで、実は一つ一つの事を切り分け、切り替えつつやっているだけだ。
だから、どうしてもやれることには限りがある。
その上、ペンジオの監視に回していた者達さえも、今や敵への対応に回さねばならない有様だ。
その結果、裏切り者であるランカンの件やペンジオの監視については頭の奥へと押し込められ、半ば忘れかけていた。
それは仕方のない事だ。
人に出来る事は限られているのだから。
だが、それは言い訳にはならない。
悪夢が起こってしまった後では……。
すっかり監視されなくなって三日が過ぎた。
思った以上にテンパってるな。
ペンジオは窓の外の風景を見つつ、心の中でほくそ笑む。
窓の外では、市民たちがデモを行っている。
今やどこでも見かける光景だ。
今まで政府の圧力と宗教によってがんじがらめにされ、抑圧されてきた国民の我慢が限界を迎えた結果である。
ざまあみろ。
心の中で楽しげにそう吐き捨てる。
偉そうな顔で命令している俗物たちよ。
今や貴様らが追い詰められていく様は、実に気持ちいい。
最高のショーだ。
だが、他人がやるのを見ているばかりじゃつまらねぇ。
見ているだけより、やはり楽しい事には参加しなけりゃいけねぇ。
それにだ。
そろそろランカンの野郎も傷が癒えてきているはずだ。
あいつのことだ。
もう、うずうずしている頃だろう。
それに、老師がこの地を離れるという話も聞いた。
つまり、ランカンの手綱を握る相手が遠くに行くという事だ。
へっへっへ。
楽しいショーになりそうだぜ。
そんな光景を想像し、ペンジオは悦に入る。
ああ、本当に最高だ。
紛い物やふんぞり返っている俗物の野郎どもが苦しみ、死んでいく様は……。
そして、それを実行する為、ペンジオは動き出す。
己の本当の望みを実現するために。
読んでいただきありがとうございます。
本章も間もなく終了。
そして新章になります。
今までは、教国と合衆国を中心として動いていましたが、次の章は世界全体の動きになると思います。
お楽しみに。
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