戦いの終わり その2
前方に広がる艦隊らしき影。
昼間なら、とっくに砲撃が始まっていてもおかしくない距離である。
だが、夜間ということもあり、敵はまだ砲撃してこない。
しかし、あちらもこちらの存在には気づいている。
その艦影を睨みつけ、リカルド・ペペロンナ大佐は舌打ちした。
恐らく、敵艦隊の主力だ。
それがこちらへ現れたということは、第三列の艦艇は離脱したのか。
あるいは……。
そこまで考え、ペペロンナ大佐はその考えを頭の中から追い出した。
そうしなければ、上司であるトラビス・パラマーゼ提督の敵を討とうと思ってしまいそうだったからだ。
今は、生き延びる。
それは分かっている。
だが、人は感情の生き物だ。
敵討ちという衝動に駆られそうになり、慌てて思考を切り替えたのである。
「後方の敵の動きは?」
ペペロンナ大佐の問いに、副官が慌てて答える。
「敵艦隊、転進。こちらへ艦首を向けようとしております」
ニヤリ。
まさに、そんな擬音が浮かびそうな笑みをペペロンナ大佐は浮かべた。
そして、命令を下す。
「速力を落とせ。前後の敵艦隊を十分に引きつけた後、艦隊は転進。後方の敵艦隊へ肉薄する。そして……」
副官も、その狙いが分かったのだろう。
ニヤリと笑みを漏らした。
「そのまま敵艦隊の中を突っ切り、離脱するということですね」
要は、数が少なく、装甲巡洋艦で構成された後方の敵艦隊へ入り込み、そのまま突っ切って離脱するのである。
そうすれば、敵主力は同士討ちを恐れ、その火力を十分に使えない可能性が高い。
そうなれば、脅威となるのは、後方の敵艦隊が持つ副砲などだ。
だが、戦艦や重戦艦の主砲に比べれば、まだ遥かにましと言える。
つまり、より脅威度の低い方へ賭けるということだ。
もっとも、二人とも額には汗が滲んでいた。
かなり危険な賭けであり、被害を覚悟せねばならないことは分かっている。
だが、やらねばならない。
少しでも多くの者が生き残るために。
副官は頷き、答える。
「了解しました」
「タイミングが大事だ。各艦に伝えろ。失敗すれば、間違いなく袋叩きに遭うからな。気を引き締めてかかれ、とな」
「了解です」
副官はそう答えると、通信手のもとへ向かう。
ペペロンナ大佐は、艦橋の外に見える味方艦艇を見回した。
果たして、どれだけの艦艇が離脱できるだろうか。
ふうっと息を吐き出す。
だが、やらねばならぬ。
ここで諦めるわけにはいかんからな。
そう、自分自身に言い聞かせながら。
「第三艦隊主力より無線。『敵ヲ追イ込メ』とのことです」
その通信を聞き、第三艦隊別動隊の装甲巡洋艦を率いるレミントン・リピティング大佐は、少し不満そうな顔になった。
「どうせなら、我々が仕留めたかったな」
その言葉からも、無念さが滲み出ている。
その横で、副官がぼそりと呟く。
「さっき、計算どおりって言ったくせに……」
「何か言ったか?」
聞き取れなかったが、副官が何か言ったと思ったのだろう。
リピティング大佐が疑問もなく聞き返す。
「いえ。何でもありません」
「本当か?」
「はい。自分は大佐の副官です。大佐のため、日夜努力を重ねております。それ故、時折思考が口から漏れることもあるかもしれませんが、お気になさらず。すべては大佐のためを思ってのことであります」
その言葉に、リピティング大佐は驚き、そして嬉しそうな顔になった。
「そうか、そうか。ありがとう。よい副官と巡り会えて、私も嬉しいぞ」
その余りにも純粋そうな言葉と様子に、副官の胸が少し痛む。
だが、それと同時に心配になった。
この人、ひょっとして騙されやすいんじゃないか、と。
副官がそんなことを考えていると、報告が入る。
「艦隊、転進を終えました」
「よし。速力を上げ、一気に追い詰めるぞ。各艦、単横陣だ。敵艦隊を包み込むように進め」
その命令を受け、各艦が単横陣を形成していく。
「主力も距離を詰めているようです」
「よしっ。このまま一気に追い込んでやる」
リピティング大佐はそう言うと、ぺろりと唇を舐めた。
「ここで一気にフィナーレだ。皆、やるぞ」
その言葉に、艦橋スタッフたちから次々と同意の声が上がる。
「一気に決めましょう」
「このまま押し込みましょうや」
「やってやろうじゃないですか」
その返事と様子に、副官は心の中でため息を吐き出した。
本当に、みんなノリがいいな、と。
だが、そう思いながらも、そんな彼らのノリを自分も気に入っていることに、副官は苦笑した。
ペペロンナ大佐率いる第二列と合流した第一列の艦艇は、単横陣を組み、ゆっくりと前進していく。
それは、敵主力へ砲撃戦を挑もうとしているかのように見えた。
その動きを見た第三艦隊司令のコルト・リキラーゼ提督は、怪訝そうな表情を浮かべる。
先ほどまで奮戦していた敵にしては、余りにも無策な動きに見えたからだ。
こちらの戦力を読み違えているのか?
暗闇ということもあり、そう考えもしたが、それにしては余りにも不自然すぎる。
敵艦隊は装甲巡洋艦だけで構成されているというのに、なぜ戦艦や重戦艦を相手に火力で勝負しようとしているのか。
あるいは、何か策があるというのだろうか。
まさか……。
リキラーゼ提督は、別動隊へ無線を送るよう指示を出した。
「別動隊に伝えろ。『敵ガ進路ヲ変エ、ソチラニ向カウ恐レアリ』とな」
「了解しました」
副官が、すぐにその警告を別動隊へ送る。
同士討ちなど、真っ平御免だからな。
リキラーゼ提督は、スペラーリーゼ諸島で起きた同士討ちのことを知らない。
だが、心底そう思ったのである。
「艦隊は三列の単横陣を形成。各艦、砲撃用意。最前列中央の三隻の重戦艦は、探照灯を用意せよ。敵を照らし出せ。いいな」
「了解しました」
第三艦隊は、三列の単横陣を形成しながら、敵との距離を詰めていく。
そして、リキラーゼ提督が命令を下した。
「探照灯、点灯。それと同時に、最前列各艦は主砲を敵艦隊へ向けよ。各艦、射撃の間隔をずらし、砲撃を途切れさせるな。敵に隙を与えるなよ」
最前列中央に位置する三隻の重戦艦から、探照灯の光が放たれた。
眩い光が前方を照らす。
それは、闇夜を切り裂く刃のようだった。
その光が、暗闇の中に浮かぶ敵艦隊を次々と照らし出していく。
そして、命令が下された。
「撃ち方始めっ」
最前列に並ぶ重戦艦と戦艦の主砲が、次々と火を噴く。
爆音とともに、強烈な光が一瞬だけ辺りを照らし出した。
探照灯が闇夜を切り裂く刃ならば、主砲の発砲炎は、辺りを一瞬だけ昼間のように照らし出す閃光であった。
放たれた砲弾が、次々とペペロンナ大佐率いる艦隊へ襲いかかる。
「くっ。来たかっ。各艦、牽制砲撃を始めろ。もう少し敵を引きつける。そして、合図とともに全艦一斉に転進。後方の敵へ一気に肉薄する。いいなっ」
その命令を受け、ペペロンナ大佐率いる艦隊も砲撃を開始する。
狙うのは、探照灯を照射している三隻の重戦艦であった。
もっとも、ある程度距離が近いとはいえ、装甲巡洋艦の砲で重戦艦を撃沈することは難しいだろう。
だが、探照灯を点灯しているおかげで狙いやすい。
それに、少しでも損害を与え、探照灯を潰すことができれば十分だった。
その程度の狙いである。
さらに、後方からはリピティング大佐率いる別動隊が接近していた。
そこからも砲撃が開始される。
形勢は、完全に決したかに見えた。
袋の鼠だ。
あとは前後からじわじわと距離を縮め、包囲殲滅するだけ。
そう見えていた。
実際、頃合いを見て反転すると決めていたペペロンナ大佐だったが、そのタイミングを見極められずにいた。
敵の砲撃が途切れる気配を見せなかったからだ。
一瞬でもいい。
敵の砲撃が途切れる瞬間さえあれば……。
本来なら、一斉射撃が終わり、各艦が次弾装填へ入る僅かな間が生じる。
その一瞬こそが、転進の好機であった。
だが、敵は各艦の射撃時機をずらし、砲撃を途切れさせない。
まるでこちらの狙いを見透かしているかのように、まったく隙を見せなかった。
じりじりと、前後の敵艦隊との距離が縮まっていく。
まだ命中弾こそない。
しかし、至近距離では次々と水柱が立ち上がっていた。
まずい。
まずいぞ。
焦りが、ペペロンナ大佐の心を蝕んでいく。
だが、下手なタイミングで転進命令を出すわけにはいかない。
その時だった。
前方にいる第三艦隊主力。
そのさらに後方で、幾つもの砲火が閃いた。
続いて、三列の単横陣を組む第三艦隊主力、その最後列の周囲に幾本もの水柱が立ち上がる。
突然の砲撃に艦隊は混乱し、隊列が乱れた。
そして、前方へ集中していた大半の者たちの意識が、一斉に後方へ向けられる。
「何事だっ!?」
リキラーゼ提督の怒声が艦橋に響いた。
その声に、見張り員が答える。
「こ、後方に艦影あり。敵艦と思われます」
「何っ!?」
副官が叫ぶ。
「見張りは何をしていたっ!」
「申し訳ありません。前方に意識が集中し、後方への警戒が疎かになっていたようです」
「敵主力の残存戦力か?」
「いえ。損傷を受けた艦艇らしき姿はありません。別の敵部隊と思われます」
その報告を受け、リキラーゼ提督は舌打ちした。
敵だとっ。
くそっ、ぬかった。
敵の主力艦隊をほぼ粉砕したことで、後方から新たな敵が現れることなどないと、無意識のうちに思い込んでいたのだ。
「ちっ。最後列を反転させ、後方の敵を牽制させろ。残る二列は砲撃を継続。目の前の敵を追い詰めろ」
その命令を受け、第三艦隊主力は、最後列を後方の敵へ向け、残る二列でペペロンナ艦隊への攻撃を続ける形となった。
だが、奇襲によって生まれた僅かな隙が、戦況を大きく変える。
後方への対応によって射撃指揮に乱れが生じ、前方から浴びせられていた砲火が、一瞬だけ途切れたのだ。
何が起きたのかは分からない。
しかし、好機であることだけは間違いなかった。
ペペロンナ大佐は、声を張り上げて叫ぶ。
「今だっ。各艦、転進! 後方の敵艦隊へ肉薄し、一気に突破するぞっ」
その命令を受け、艦隊は一斉に転進を開始した。
艦隊が、動きの機敏な装甲巡洋艦のみで構成されていたことも大きかった。
各艦は素早く艦首を巡らせると、後方にいるリピティング大佐率いる別動隊との距離を一気に詰めていく。
「な、何だとっ! くっ。距離を開けるぞ。全艦、後進一杯っ! 砲撃は続けろっ」
リピティング大佐はそう命じるが、敵の動きの方が早かった。
たとえ後進をかけたとしても、全速で接近してくる敵との距離を維持することなどできない。
距離は、瞬く間に縮まっていった。
そして、距離が縮まるたびに、前方にいる第三艦隊主力からの砲撃が減っていく。
同士討ちを恐れてリキラーゼ提督が中止させたのだ。
その様子を見て、リピティング大佐はほんの僅かに安堵する。
味方の砲弾で死ぬなど、みっともないうえに、これ以上ない恥だと思ったからである。
だからこそ、今は何としてでも距離を開け、敵の足を止めなければならない。
だが、敵の勢いは止まらなかった。
「くそっ。くそっ。何で止まらないんだっ!」
リピティング大佐が叫ぶ。
誰もが必死に対応していることは分かっていた。
だが、それでも言葉が口から漏れてしまう。
「敵艦隊、肉薄してきます!」
「くっ。舷側副砲、用意っ!」
間違いなく、敵はこちらの艦列を突破してくるつもりだ。
ならば、その瞬間を狙って撃つしかない。
「しかしっ、味方との距離が近すぎます!」
副官の悲鳴にも似た声が上がる。
くそっ。
やつら、そこまで計算してやがったのか。
してやられたっ。
リピティング大佐は、そう痛感した。
「くそっ。舷側副砲の射撃は中止っ! 射界の取れる前部主砲で、できる限り仕留めろっ」
もはや、そう命じるしかなかった。
だが、高速で接近してくる敵艦へ主砲弾を命中させることは、極めて難しい。
そして、混乱する別動隊の艦艇の間を、敵艦が次々と駆け抜けていく。
「後部砲塔、離脱する敵を撃てっ!」
リピティング大佐はそう命じるが、命中など期待してはいなかった。
それでも、何とか一矢報いようとする。
それは、彼の意地から出た命令であった。
こうして、ペペロンナ大佐は敵の包囲を突破すると、教国本国艦隊の残存艦艇を集め、戦場から離脱した。
その数は、出撃時の艦艇数の二割にも満たなかった。
しかも、無傷の艦は一隻もなかった。
そこへ、教団防衛艦隊から派遣された先行部隊が合流する。
そして、教国本国艦隊の残存艦艇は、先行部隊に援護されながらブルレア島沖合へと向かった。
そこで待つ、アンデサラーラ・リングルトス軍属大司祭率いる教団防衛艦隊主力と合流するために。
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