スペラーリーゼ諸島海戦 その6
「砲撃がだいぶ下火になってきましたね」
副官が望遠鏡で前方を確認しながら言う。
それを聞きつつ、教団防衛艦隊の司令官であるアンデサラーラ・リングルトス軍属大司祭も、望遠鏡を覗きながら答えた。
「そろそろか……。別動隊に、後方から攻撃を仕掛けろと伝えろ。それに合わせて、我々も仕掛ける」
「はっ。了解しました」
そう答え、副官は命令を通信手に伝える。
そして、その命令に従い、二つに分かれていた教団防衛艦隊主力は、ゆっくりと隊列を組み直していく。
闇夜の中、それも灯りを最低限に抑えた状況である。
それでも、教団防衛艦隊の動きは滑らかであり、迷いがなかった。
「各艦、前進。一気に畳みかけるぞ」
その命令を受け、梯形陣で左右に分かれていた二つの部隊は集結し、単横陣へと陣形を変えながら、第一艦隊の後方へ向けて前進を始めた。
そして同じ頃、諸島を封鎖していた別動隊も集結し、単横陣へと陣形を変更して前進を始めていた。
彼らは灯りを最低限に抑え、暗闇へ溶け込むかのように静かに接近していく。
そのため、同士討ちの発覚によって混乱していた第一艦隊と第七艦隊は、その接近に気づくのが遅れた。
その中で、後方に戦力を回していた第一艦隊は、その部隊が敵の攻撃を受け止めたことで、完全な奇襲を許すという最悪の事態だけは免れた。
しかし、単横陣で第一艦隊と撃ち合っていた第七艦隊にとって、敵の発見が遅れたことは致命的であった。
その上、第七艦隊司令のパラマハンゼ・トラフック提督は、同士討ちの事実を知った衝撃によって完全に生ける屍と化していた。
そのため、敵艦発見後の対応指示も遅れてしまう。
その結果、後方からの攻撃になんとか対応した第一艦隊に対し、第七艦隊は一気に崩壊してしまった。
ろくに反撃もできず、次々と沈められていく第七艦隊の艦艇。
先ほどまでの高揚感も、高かった士気も、同士討ちという事実によって一気に消し飛ばされていた。
そこへ、戦闘続きの緊張によって溜まりに溜まった疲労が、一気に押し寄せたことも大きかったのだろう。
反撃どころか、逃げ惑うことさえ満足にできない有様である。
その余りにも無残な光景に、第一艦隊司令であるデモン・チャンスボート提督は舌打ちする。
「何をやってやがんだっ、トラフックの野郎はっ」
確かに、同士討ちをしてしまった。
ショックだっただろう。
その責任の重さも、ずっと戦い続けてきた疲労もあるだろう。
だが、ここで踏ん張らなければ、多くの部下たちが死ぬのだ。
それぐらいは分かるだろうがっ。
そう考え、チャンスボート提督は憤慨した。
だが、彼が怒ったところで第七艦隊が立ち直るはずもない。
結局、自分たちがやるしかないのだ。
そう腹をくくったチャンスボート提督は、命令を下す。
「えーいっ。損傷していない艦艇は、このまま第七艦隊の脇を抜けて前へ出るぞ」
その言葉に、副官が聞き返す。
「つまり、第七艦隊の盾になると?」
その問いに、チャンスボート提督は憤慨しながら答えた。
「それしか手がないだろうが。左右に回した部隊には、後方から来る敵の攻撃を受け止め、絶対に突破させるなと伝えろ」
「了解しました」
額に汗を浮かべながらもニヤリと笑みを浮かべ、副官は後方に下がっていた左右の部隊へ指示を伝える。
こうして第一艦隊は、第七艦隊を挟み込むように、その前後へ単横陣を展開した。
それは、第七艦隊を守りながら現状を打開するために、チャンスボート提督が取れる最大限の対応であった。
だが、第一艦隊の戦力も第七艦隊との戦いによって大きく目減りしており、戦況はかなり不利と言えた。
しかし、その動きを見て、疲れ切った第七艦隊の中にも、それに呼応しようとする者たちがいた。
装甲巡洋艦ペトロクスを始めとする、艦隊後方に位置していた艦艇である。
彼らは隊列の端にいたため、比較的被害が少なかった。
そして、自分たちと同士討ちをしてしまったにもかかわらず、なお第七艦隊を守ろうとする第一艦隊の動きに驚き、奮起したのである。
「我々は過ちを犯した。しかし、まだ挽回する機会はある。今こそ、第一艦隊と共に敵を撃つぞ」
無線を通して響いたペトロクス艦長の声は、艦内の将兵、そして第七艦隊の一部を奮い立たせるには十分であった。
第一艦隊に続けとばかりに、ペトロクスの動きに合わせ、数隻の戦艦と装甲巡洋艦が反転し、第一艦隊と肩を並べる。
その動きに、チャンスボート提督はニヤリと笑って呟いた。
「まだまだ骨のあるやつはいるじゃないか。気に入ったぞ」
そして副官に、反転して第一艦隊との共闘姿勢を見せた艦艇を確認させ、それらの艦艇と一時的に連携するよう命じた。
すぐに、副官から報告が入る。
「戦艦パララットガ、装甲巡洋艦ペトロクス、ランチバーガー、チョーショー、ランバルトンガの計五隻が、こちらの指揮下に入りました。それ以外の艦艇は損傷も激しいため、戦闘の継続よりも、同士討ちで発生した味方の救助に専念してもらいます」
「いい判断だ。よしっ、敵を押し返すぞ」
チャンスボート提督の声に、艦橋内から「おーっ」と声が上がる。
そして第一艦隊の前衛は、砲撃を続けながら、ゆっくりと敵へ向けて前進を始めた。
一方、第一艦隊の後衛は、背後から迫る教団防衛艦隊主力に対する防壁となり、砲撃を開始していた。
だが、第一艦隊と第七艦隊は、前後から敵の挟撃を受けている。
艦艇数では教団防衛艦隊を上回っていたものの、実際に戦闘可能な艦艇は限られており、戦況は劣勢であった。
そして、合衆国側はじりじりと押され始めていたのである。
「思った以上に立て直しが早いな」
リングルトス軍属大司祭の言葉に、副官が答えた。
「はい。このまま突き崩せれば楽だったのですが……」
その言葉に、リングルトス軍属大司祭は笑う。
そして、少しもったいぶった口調で言った。
「世の中というものは、得てして思いどおりにならぬことばかりよ。それもまた、神のお導きによるものだ」
すると、副官がすました顔で言い返す。
「そう言われると、司祭様の説法を受けているようです」
副官の言葉に、リングルトス軍属大司祭は苦笑した。
艦橋内からも、くすくすと笑いが漏れる。
当然、誰かが「司祭なのだから当たり前だろう」と突っ込んでくれる。
副官としては、そう期待していたのだろう。
だが、誰も突っ込まない。
遂に痺れを切らしたのか、副官は不貞腐れたように言った。
「誰か突っ込んでくれよ」
その言葉に、艦橋内が一気に爆笑に包まれた。
第三者が見れば、戦闘中に不謹慎だと思うかもしれない。
だが、人間が長時間にわたって緊張を強いられ続ければ、心身はひどく消耗する。
だからこそ、こうして一時でも緊張をほぐす必要があったのだろう。
そして、ひとしきり笑いが収まった後、リングルトス軍属大司祭は笑みを浮かべたまま言う。
「罰当たりな副官には後できっちり説教するとして、まずはこの戦いを終わらせるぞ」
はっきりと、そう言った。
終わらせる。
それは、単に時間を稼ぐという意味ではない。
この戦いに勝利するということだ。
今の戦況ならば、十分に勝てる。
リングルトス軍属大司祭は、そう判断したのである。
実際、第一艦隊と第七艦隊は追い詰められていた。
同士討ちによる被害が、予想以上に大きかったためだ。
そして、その被害は、当初は時間稼ぎだけを考えていたリングルトス軍属大司祭に、勝利への欲を抱かせるには十分なものであった。
だからこそ、リングルトス軍属大司祭は言ったのだ。
この戦いを、終わらせると……。
そして、それは決して不可能なことではなかった。
すでに、教団防衛艦隊との戦闘が始まってから二時間が経過している。
視界の悪い夜間の戦い。
それも、近距離での砲撃戦である。
肉体的にも精神的にも、休む暇のない戦いである。
それ故に、将兵たちの疲労は普段以上の速さで蓄積していく。
その上、短時間とはいえ休息を取っていた教団防衛艦隊とは違い、第一艦隊と第七艦隊は、同士討ちをしていた時間も合わせれば、すでに六時間を超えて戦い続けている。
その疲労の差が、少しずつ戦況に現れ始めていた。
また、艦船の数だけを見れば、まだ合衆国側の方が多い。
だが、そのすべてが戦闘に参加できるわけではない。
疲労度と実働可能な艦艇数。
それらの違いが、徐々に実質的な戦力差となって表れ始めていた。
幾つもの水柱が立ち上がり、巻き上げられた海水が艦上へ降り注ぐ。
そして、砲弾を受けた艦艇が炎上し、その周囲を赤々と照らし出す。
炎上した艦艇の光に浮かび上がる艦影。
それは、まるで切り絵のような黒い塊であった。
だが、それでも砲撃の目標とするには十分である。
それ故に、光に群がる蛾のように、浮かび上がった艦影へ砲弾が集中していく。
どーんっ。
一際大きな音が辺りに響き、艦影の一つが爆発した。
その強烈な光が、さらに遠くにいる艦艇を照らし出していく。
暗闇の中に広がるその光は、まるで人を死地へ引きずり込む、怪しい誘いのようであった。
いや、実際にそうなのかもしれない。
炎上や爆発の光によって、周囲にいる艦艇の姿が、よりくっきりと浮かび上がるのだ。
次もおいで……。
まるで、その炎の揺らめきの中で、死神が手招きしているかのように。
だが、それを回避できないわけではない。
それを避けるための最善の手。
それは、艦を動かし続けること。
ただ、それだけだ。
しかし、この暗闇の中で大規模な艦隊運動を行うことは難しい。
ただでさえ、近距離での砲撃戦である。
その上、激しい艦隊運動を行いながら戦えば、敵味方が入り乱れる混戦となる可能性が高い。
これが少数の艦艇同士であれば、まだよい。
だが、今戦っている艦艇は、数が減ったとはいえ、合衆国と教国を合わせれば百隻を超える規模である。
それらが近距離で一斉に動けば、敵味方の陣形は入り乱れ、収拾がつかなくなる恐れがあった。
だからこそ、互いに足を止めたまま撃ち合う形となっているのである。
だが、この戦いに劇的な逆転は起こらない。
何しろ、互いに陣形を維持したまま、正面から砲弾を撃ち込み合っているのだ。
最後にものを言うのは、結局のところ艦隊全体の総合力である。
そして、疲労という足枷が、第一艦隊と第七艦隊を確実に追い詰めていく。
時間が経てば経つほど、その差は大きくなる一方だった。
もはや、戦いの流れは完全に教団防衛艦隊へ傾いていた。
「くそったれ。こんな事になるとはな……」
チャンスボート提督の口から、愚痴が漏れる。
すでに、その顔には焦燥の色が濃く浮かんでいた。
ここまでの消耗戦になるとは、思いもしなかったのだ。
たとえ勝てたとしても、甚大な被害を受ける事となる。
その上、このまま戦い続ければ、こちらが不利になることも分かっていた。
そんなチャンスボート提督の様子に、副官も顔を引きつらせながら尋ねる。
「いかがなさいますか?」
その問いに、チャンスボート提督は黙り込むしかなかった。
有効な手が見つからないのだ。
今ここで、撤退という選択肢もある。
だが、それは最悪の選択と言えた。
元々、気に入らない作戦ではあった。
だが、負けるのはもっと気に入らない。
それに、ここで自分たちが退けば、第三艦隊と支援艦隊に大きな負担がかかってしまう。
その思いが、チャンスボート提督に決断をためらわせていた。
だが、そんな時である。
敵艦隊から、信号弾らしきものが打ち上げられた。
赤と白である。
合衆国の信号であれば、「転進せよ」といったところだろうか。
もっとも、教国の信号が合衆国と同じ意味であるとは限らないが……。
しかし、その信号弾が打ち上げられた後、敵からの砲撃が徐々に収まっていく。
そして、敵艦艇はゆっくりと距離を取り始めた。
なぜだ?
あのままじっくりと追い詰めていけば、十中八九、教国側が勝利を収めていたはずだ。
それなのに、なぜ攻撃を止める?
チャンスボート提督は疑問を抱いたが、今は現状の把握に努めるしかない。
「各艦に連絡。敵の後退に合わせて、艦隊をゆっくりと再集結させろ。同時に、被害報告を取りまとめるんだ。それと、敵艦隊が再び攻撃を仕掛けてきた場合、すぐに対応できる態勢を維持しておけ」
「了解しました」
副官も、突然始まった敵艦隊の後退に眉をひそめていた。
だが、命令を受けると、すぐに各艦へ連絡を入れていく。
こうして、スペラーリーゼ諸島海戦は、尻切れトンボのような形で終結する。
明確な決着を迎えないままに。
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