スペラーリーゼ諸島海戦 その4
次々と、第七艦隊の艦艇が二列縦陣を組んだままスペラーリーゼ諸島を抜けていく。
一時は、どうやっても出られないと思っていたあの封鎖を、あっけないほど簡単に……。
誰もが安堵の吐息を漏らす。
それは、胸の内に籠っていたものが一気に抜けていくような感覚に近い。
それほどまでに、先ほどまでの時間は苦痛であり、不安に満ちたものでもあったからだ。
だからこそ、封鎖から解放された事で、誰もが気を抜いていた。
一部の者を除いて。
そして、その一部の者が、パラマハンゼ・トラフック提督とその副官である。
日は沈みかけ、辺りが急速に薄暗くなりつつある中、二人は――いや、特にトラフック提督は、必死な形相で前方を見つめていた。
副官はその横で、思わずといった様子で口を開く。
「第一艦隊に連絡し、連携を取らなくてよろしいのでしょうか?」
その当たり前ともいえる言葉に、トラフック提督は険しい表情のまま吐き捨てる。
「そんなみっともない事が出来るかっ。ここで我々の力を見せつけねば、軍内部では見下され、結社からは見放されるぞ」
その言葉に、副官は何も言えなくなる。
確かに、あり得ない事ではないからだ。
今回の強引な計画と実行は、軍内部にかなりの不満と怒りを生じさせている。
ここで作戦が失敗に終わった場合、自分達がとんでもない目に遭うのは目に見えていた。
そして、その際、結社がこちらの肩を持つ事はなく、見限る可能性は途轍もなく高いだろう。
彼らは、自分達が優秀で将来性があるからこそ、肩入れしてくれているのだ。
その利点がなくなれば、彼らは呆気ないほど簡単に掌を返すだろう。
そんな副官の思考が分かったわけではないが、トラフック提督はそのまま続けて言う。
「だからこそ、我々は勝たねばならんのだ。それも、第一艦隊に恩を着せるような勝利をな」
「しかし、うまくいくのでしょうか?」
「うまくいくか、いかないかではない。うまくやるしかない。幸い、敵はこちらが動かないと見ている。だからこそ、一気に距離を詰め、第一艦隊と交戦している最中に後方から攻撃を仕掛けるのだ。しかも、間もなく辺りは闇に包まれる。このまま接近し、闇に紛れるにはちょうどいい時間だ」
自信満々にそう言うトラフック提督。
確かに、一理ある。
だが、それでも副官は、嫌な予感が脳裏をかすめるのを感じていたのであった。
にらみ合う第一艦隊と教団防衛艦隊。
すでに互いの主砲の射程内に入っているが、まるで我慢比べをするかのように、どちらも砲撃を開始しない。
じわじわと距離が縮んでいく。
日はほとんど落ち、辺りは急速に暗さを増していた。
そんな中、ほとんど同時に双方から砲撃が始まった。
主砲から放たれた閃光が、薄暗い海上を一瞬だけ照らし出す。
そして、それを追いかけるかのように砲撃音が轟き、砲煙が辺りに広がった。
双方の指揮官は、それぞれの旗艦の艦橋から、その様子を見つめている。
「探照灯は使うな。敵とすれ違い、反転してから使え」
第一艦隊司令デモン・チャンスボート提督は、そう命令を下す。
次々と、それぞれの艦艇の周囲に水柱が立つ。
「なかなか鍛えられているな」
かなり精度の高い敵の砲撃に、チャンスボート提督はニヤリと笑みを浮かべる。
「だが、そうそう簡単に数の差は覆せんぞ」
実際、その言葉は正しい。
目の前にいる敵の数は、半個艦隊程度だ。
教団防衛艦隊は、資料によればこちらの一・五個艦隊に相当する規模と聞いている。
しかし、今、第一艦隊と戦っている敵は半個艦隊程度。
残りの戦力がどこにいるかを考えれば、まだ第七艦隊は包囲されていると見るべきだろう。
突破したという無線も届いていないしな。
ならば、当初の予定通りに……。
チャンスボート提督は、そう判断する。
気に入らない奴だが、見捨てるわけにもいかん。
当初の予定通り、左右の列は敵とすれ違った後に反転し、通過した敵艦隊を追撃する。
その間に中央列が前進し、封鎖している敵艦隊の壁を外側から無理やり引っ剥がすしかないか……。
実際、次第に距離が近づくにつれ、教団防衛艦隊は押され始める。
そして、予想通り、教団防衛艦隊は中央から左右へと割れ、第一艦隊の三列縦陣の外側を通り過ぎるような動きを見せた。
「中央列は砲撃を止めよ。主砲を前方へ向けろ。左右の列は敵艦隊への砲撃を続け、そのまま反航戦に入れ」
左右両列の各艦に備えられた舷側の副砲が、通過していく教団防衛艦隊へ向けられ、次々と火を噴く。
勿論、教団防衛艦隊の艦艇も、舷側の副砲で応射を開始した。
次々と水柱が立ち、遂に双方に命中弾が出始める。
どんっ、どんっ。
幾つかの艦が激しく震え、黒煙を上げる艦もあった。
敵味方、双方にだ。
だが、致命傷には至っていないのか、速力が落ちたり、動きが大きく乱れたりする事はなく、陣形はほとんど崩れないまま、両艦隊はすれ違っていく。
反航戦という事もあり、砲撃を交わせる時間は短く、互いに決定打を与えるまでには至らない。
恐らく、敵はこの後に反転し、再度攻撃を仕掛けてくるだろう。
そう判断したチャンスボート提督は、すぐさま次の命令を下す。
「よし。中央列はそのまま前進し、第七艦隊を封鎖している敵艦艇に攻撃を仕掛けろ。左右の列は反転し、通過した敵艦隊へ再度攻撃を仕掛ける。それと、各列の先頭艦は探照灯を使え。夜戦だっ」
その命令を受け、第一艦隊は三つに分かれる。
中央列は、そのまま単縦陣で前進。
左右の列も単縦陣を維持したまま、通過した敵艦隊の後を追う為、反転を開始する。
そして、各列の先頭を進む三隻が探照灯を点灯し、暗くなった海上を照らし始める。
日没間際から始まった戦いは、こうして本格的な夜戦へと流れ込んでいったのである。
その少し前、第七艦隊では――。
「間もなく追いつきそうです。あっ、砲撃戦が始まりました」
副官の報告を聞きながら、トラフック提督は黙って前方を見据えている。
前方の暗闇では、幾つもの閃光が一瞬だけ、何度も何度も辺りを照らしていた。
今のところ、致命的な命中弾による爆発や火災らしきものは見えない。
閃光の位置と動きから見るに、敵は第一艦隊を包み込むような挟撃を狙っているようだ。
左右に分かれ、通り過ぎたふりをした敵艦隊を追って反転する第一艦隊へ、封鎖に残っていた艦艇が時間差で襲いかかる。
恐らく、そういう形を取るつもりなのだろう。
昼間なら、互いの動きが見えるため、この戦法は成功しにくい。
だが、視界が狭まり、遠くが見渡せなくなる夜戦なら可能だ。
しかも、実行すればかなり有効な手となる。
その際、封鎖に残った敵艦艇は探照灯を一斉に点灯し、第一艦隊の不意を突くはずだ。
そうなれば、第一艦隊は混乱し、態勢を立て直すまでに時間がかかる。
その間に、先ほど通過した敵艦隊が反転し、後方から第一艦隊に攻撃を仕掛ける時間も稼げる。
トラフック提督は、そう考えたのである。
だからこそ、待ち伏せ部隊が探照灯を点灯した瞬間に、こちらから叩けばよい。
それならば、敵に対して大きな効果が期待できる。
それだけではない。
第一艦隊の危機を、我々が救った事にもなる。
つまり、我々は自力で封鎖を突破し、その上、第一艦隊の危機を救った事になるのだ。
いいぞ。
すごくいいぞ。
これなら汚名を返上できる上に、連中へ恩も売れる。
これだ。
これだよ。
ふふふふふっ。
トラフック提督は、思わず含み笑いを漏らす。
そして、命令を下した。
「いいかっ。敵は前方にいる。探照灯が点灯した瞬間を狙え。いい的だ。外すな。我々の力を見せつけるのだ」
その命令を受け、艦橋内の空気が一変する。
今まで押さえつけられていた鬱憤が、一気に戦意へと変わったかのようだ。
そして、目の前の暗闇の中に、いくつかの探照灯が灯った。
その位置は予想していたよりも近い。
だが、それはそれで好機である。
近ければ近いほど、命中率は上がるのだから。
トラフック提督はニヤリと笑みを浮かべると、命令を下した。
「艦隊はこのまま前進しつつ、単横陣へ移行せよ。そして、探照灯に向けて砲撃を開始する。敵は目の前だっ。撃ち方始めっ!!」
その命令を受け、二列縦陣を組んでいた第七艦隊は、ゆっくりと単横陣へ陣形を変えていく。
そして、探照灯が輝いている辺りへ集中砲撃を開始した。
暗闇の中に浮かぶ三本の探照灯は、間違いなく格好の標的となっていた。
やがて、探照灯の光が動き、こちらへ向けられる。
どうやら、こちらの位置を把握し、砲撃を仕掛けてくるつもりのようだ。
だが、今の流れはこちらにある。
「撃てっ。撃てっ!」
まるで何かに取り憑かれたかのように、トラフック提督は檄を飛ばす。
この戦いは、何としても勝たねばならない。
その強迫観念が、彼を突き動かしているかのようであった。
そして、遂に命中弾が出る。
火災が発生したのだろう。
砲撃の閃光とは異なる炎が、ぼうっと燃え上がり、周囲の海面を照らし出していく。
次々と、艦影がその光の中に浮かび上がる。
その炎は、探照灯を点灯していない艦艇まで浮かび上がらせるのに十分な明るさだった。
「いいぞっ。敵の姿が見えたっ。各艦、このまま砲撃を続けよ。ここで一気に流れを変えるのだ!」
トラフック提督は狂喜するような勢いで、次々と命令を下していく。
その熱狂に引きずられるように、第七艦隊の将兵も勢いづく。
そして、夜の海を揺るがす砲撃は、ますます激しさを増していったのであった。
左右の列が反転を始め、中央列がそのまま前進していく。
そこまでは良かった。
だが、探照灯を灯した途端、状況は一変する。
前方、それもかなり近い距離から砲撃が始まったのである。
次々と、探照灯を灯した艦艇の周囲に水柱が立つ。
「ど、どういう事だ?」
チャンスボート提督は、艦が大きく揺れる中、近くの手摺を握り、砲撃の閃光が浮かび上がる前方を睨みつけて言う。
それを受け、副官が答えた。
「敵からの砲撃、奇襲のようです」
「ちっ。敵め、封鎖していた艦艇を反転させ、こちらへ向かわせたのか」
つまり、左右に分かれた半個艦隊は囮だったという事か……。
道理で、敵の数が少ないと思った。
やるじゃないか。
しかし、トラフックの野郎、目の前の敵の動きに反応しないとは何を考えてやがる。
職務怠慢にもほどがあるぞ。
この戦いが終わったら、たっぷりと責任を取らせてやるからな。
チャンスボート提督は、そう考える。
だが、すぐに思考を目の前の戦いへと戻し、命令を下した。
「中央列は単横陣へ移行しつつ、反撃を開始せよ。左右の列は当初の予定通り旋回し、後方から回り込んでくるであろう敵艦隊を警戒しろ」
その命令を受け、左右の列は順次反転を続け、後方へと回り込んでいく。
そして、中央列は単横陣へと移行する。
つまり、本格的に腰を据えた砲撃戦へ入ったという形になる。
しかし、その間にも敵の砲撃は続き、遂に一隻の戦艦へ砲弾が命中した。
一気に火災が発生し、周囲の海面を明るく照らし出していく。
「くっ。不味いな。消火を急がせろ。このままでは、狙いやすい的になるだけだぞ」
チャンスボート提督は、次々と指示を出していく。
状況は不利。
それを覆そうと、激しく思考を巡らせるチャンスボート提督。
そして、その不利な状況こそが、かえって彼の意識を目の前の戦闘へと集中させていく。
それ故に、彼はまだ気がつかない。
今、戦っている相手が味方であるという事に。
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