スペラーリーゼ諸島海戦 その1
「そう言えば、今日、明日ぐらいではなかったかな?」
王国内の合衆国大使館内の一室で、書類整理をしている駐在大使にそう聞かれ、サムラーナ地区情報統括部のパラミア・ドンキンド大尉は、提出するために持って来た書類を渡しつつ答える。
「はい。そろそろだと思います」
その言葉に、駐在大使は書類から顔を上げ、ドンキンド大尉を見つつ聞く。
「それで勝てそうかね?」
「勝ってもらわねば困りますよ」
ドンキンド大尉は苦笑してそう言う。
もっとも、その後続けたい言葉を飲み込む。
我々サムラーナ地区情報統括部がバックアップしているのですから、という言葉を。
何せ、今回はドバーチェン大佐直々の指令である。
ここまでお膳立てしておきながら、負けたというのならば、それは余りにも軍が無能すぎるという事に他ならない。
彼はそう思っていた。
戦いは、情報を制した方が勝つ。
諜報部に所属しているという事もあったが、彼はそれが真実だと思っていた。
もっとも、例外の場合もあるのだが……。
ともかく、現時点では、彼はそう思っていた。
だからそういう思考になっていたのである。
「確かにな。勝たなければ意味がない」
大使が深いため息とともに、そう言葉を続ける。
その言葉には、口にはしないが苦しい思いが込められていた。
そう言えば、彼はドクトルト教信者だったな。
だから今回の事は、いい気持ちはしないといったところだろう。
だが、仕方ないと割り切ってもらうしかない。
そんな事を思いつつ、ドンキンド大尉は「そうですな」と短く答えて敬礼し、退室した。
そして、用事は済んだとばかりにサムラーナ地区情報統括部の建物に戻る為、車の後部座席に乗り込んだ。
そんなドンキンド大尉に、車の中で待っていた副官が声をかける。
「速報です。作戦開始されました」
「そうか。それで首尾は?」
「順調です。第一、第三艦隊は、こちらに報告後、提供した教国艦隊の動きに合わせ、無線封鎖をして動き始めたそうです」
「ふむ。それで、教国の方は?」
「予想通りの展開だそうです」
「ふむ。それで、第七艦隊の方は?」
その言葉に、副官がニヤリと笑みを浮かべる。
「こっちも順調です。歓迎パーティーの会場に足を踏み入れたという事です」
悪意のあるその言葉を聞き、ドンキンド大尉は苦笑する。
もっとも、ざまぁみろという思いが強かったが。
だが、一応、奴らも合衆国軍の一員である。
こっちが罠を仕掛けているとはいえ、口は禍の元だ。
軽く言っておく。
「まぁ、そう言ってやるな。彼らは彼らの役割をしてくれるのだ。囮という名のな」
そんな言葉に、副官はますます楽しげに笑った。
「それはそうですね。実に大尉らしい言葉です」
そこには、からかうような口調があった。
要は、大尉の言葉もかなり悪意がありますよと言っているのである。
つまり、どっちもどっちという事だ。
だから、二人は笑い合う。
だが、しばらく笑い合った後、ドンキンド大尉は聞く。
「それでだ。第七艦隊はどう動くと予想する?」
しばらく考えたのち、副官ははっきりと言った。
「恐らくですが、トラフック提督も軍人です。それも戦闘を好むタイプの。ですから、ハメられたとは思うでしょうが、対応し、戦闘に入ると予想します」
「そうか。そうなるな」
ドンキンド大尉はそう答え、しばらく考える。
その思考するドンキンド大尉を見て、副官は聞き返す。
「何をお考えで?」
「いや、何、作戦終了後のトラフック提督への言い訳をな」
つまり、彼にとって、この戦いは勝利しかないという事なのだ。
だからこそ、今のうちに言い訳でも考えておくかという思考になったのだと理解したのである。
副官は心の中で苦笑する。
この人らしいと。
だが、実際の戦場を知っている副官は、それはまだ早いと思っていた。
戦いは、机上の予定とは違う。
その時の環境が、状況が大きく左右する。
そして、最も大きな要因は、人が関わる事だ。
つまり、相手がいる以上、予想外の事は起こると。
だが、それを口にはしない。
言ったところでわかってもらえないと思っているからだ。
ドンキンド大尉はいい上司だ。
だが、思考だけで物事を片付け、決定してしまう癖が強すぎる。
一度、上に相談した方がいいのかもしれないな。
副官はそう思い、黙ってドンキンド大尉を見ていたのであった。
「先行するロフトベルトから入電です。『スペラーリーゼ諸島にて敵影発見できず』とのことです」
その通信手からの報告に、バンダルチ海に入ってスペラーリーゼ諸島に近づきつつある第七艦隊の指揮官、パラマハンゼ・トラフック提督は内心ほっとしていた。
ここに敵はいない。
それは情報からわかっている。
だが、絶対ではない。
だからこそ、装甲巡洋艦ロフトベルトを先行させたのである。
「よし。これで我々が一番乗りだな」
思わずそんな言葉が漏れる。
もっとも、小さな小さな声で、誰も気が付いていない様子だ。
だが、胸騒ぎがしてならない。
その最大の原因は、未だに、第一艦隊と第三艦隊から敵艦隊遭遇、或いは戦闘開始という報告が入ってこないからだ。
距離的にも、時間的にも、そろそろ遭遇しなければおかしい。
そんな思考があるからであった。
そんな思いが顔に出ていたのだろう。
副官が聞いてくる。
「どうかなさいましたか?」
心配そうな顔でそう聞かれ、トラフック提督は内心苦笑する。
部下に心配されるとはな。これでは上司失格と言われかねん。
だが、確認した方がいいのかもしれない。
そんな思いもあり、疑問を口にした。
「いや何、未だに何も報告がなくてな」
そう言われて、副官も確かにと思ったのだろう。
一瞬怪訝そうな顔になった。
だが、すぐにいつもの表情に戻ると口を開く。
「確かにそろそろだとは思いますが、戦いは生き物です。いつも計画通りに進むとは限りません」
「確かにな」
予想外の事は起こるもの。
確かにそのとおりである。
だから、トラフック提督は胸騒ぎを一時的なものとして切り捨てる事とした。
だが、彼は考えない。
この作戦自体が、すでに予定通りには動いていないという事を。
そして、それを間もなく知るのである。
「敵艦隊主力、諸島に入りました。間もなく先行する敵装甲巡洋艦は諸島を抜けようとしています。こちらは始末なさいますか?」
副官の問いに、スペラーリーゼ諸島で待ち伏せをしている教団防衛艦隊の指揮官であるアンデサラーラ・リングルトス軍属大司祭は口を開く。
「まだだ。今始末すると連中に待ち伏せがバレる可能性が高い。そのまま泳がせろ。ただし、自由にはさせるなよ。もしこちらの配置に気が付きそうなら、始末するのを許可する」
「了解しました」
そして、じりじりと時間が過ぎていく。
誰の顔にも、不安と焦りが滲み出ていた。
まだか。まだか。
焦らされ続ける。
だが、それでもリングルトス軍属大司祭は黙ったまま海図を睨むように見続けていく。
次々と報告が入り、スペラーリーゼ諸島周辺の海図には、敵の位置が書き込まれていく。
唾を飲み込む音が響くような沈黙が辺りを支配している。
もっとも、波の音と報告を受ける通信手の受け答え等があるので無音ではない。
だが、それらの音があったとしても、いや、それがある故に沈黙が緊張を強くし、痛々しくさせていた。
遂に我慢できなくなったのだろう。
副官が、リングルトス軍属大司祭に聞く。
その声には焦りと緊張が滲み出ていた。
「まだですか?」
「ああ。もう少しだ。もう少し……」
それは副官に答えたというより、自分に言い聞かせているかのような言葉だった。
それで周りも理解する。
リングルトス軍属大司祭も焦りと緊張の中、必死に耐えているのだと。
そして、まるで永遠のような焦らしの時間は唐突に終わる。
通信手の「敵主力艦隊、諸島中央を抜けました」という報告で。
諸島中央を抜けた。
それはつまり、敵艦隊が罠に頭から尻尾の先までガッツリと入ったことを意味している。
その報告を聞き、リングルトス軍属大司祭は堰を切ったように命令を下した。
「よし。作戦開始だ。まずは入り口の檻を閉めろっ!!」
その言葉を聞き、通信手が嬉々とした返事を返す。
「了解しました。第八群と第七群に打電します」
そして、副官が聞く。
「それで、先行している敵艦は?」
「潰せ。生きて返すな」
その返事に、副官は嬉しそうな顔になった。
「よし。許可が出た。第一群の一部を回せ。敵の先行艦を潰せと。それとモタモタしていたらパーティーに乗り遅れるから、さっさと済ませろともな」
その言葉に、通信手は楽しげに答える。
「了解しました。一字一句間違えずに伝えます」
そのやり取りに、今まで緊張と焦りに満ちていた艦橋内の空気が変わる。
それは、『やってやろうじゃないか。祖国を守る為、合衆国の連中に鉄槌を!』という思いであった。
第七艦隊がスペラーリーゼ諸島中央に差しかかろうとした時だった。
一番後方でのんびりと進んでいた装甲巡洋艦シリアガトの見張り員が、自分達の後方の島影から黒い点が出てきたのを発見したのだ。
かなり距離がある為、艦の形状はわかりにくく、ただの点としか見えていない。
敵はいない。
このまま戦いもなく一番乗り。
そして何より、敵は前方にいて、自分達は最後尾。
だから、警戒なんて適当でいい。
そんな思考がシリアガトの中で蔓延していた。
勿論、艦長はそんな空気を感じ、喝を入れようとした。
だが、その言葉には説得力がなかった。
何せ、艦長自身が楽勝という感覚であり、自分達が戦う可能性はかなり低いと思っていたからだ。
だから、島影から黒い点が出てきたのも、ただの民間船だろうと思ってしまった。
しかし、点はいくつも出てくる。
一隻二隻なら民間船だと完全に思っただろう。
だが、その数は二桁になりつつある。
そして、それらは右の島影と左の島影、二方向から出てくる。
まさか……。
そこで見張り員は初めて思考する。
敵ではないかと。
そして伝声管の蓋を開き、思いきり叫ぶ。
「後方、敵艦影らしきもの発見。数は十以上」
その報告に、のんびりした空気だった艦橋は驚きと信じられないという思考に支配されていた。
「そんな馬鹿な……」
思わず出た艦長の言葉。
それが艦橋にいた者達の思考の全てを物語っている。
だが、その報告にいつまでも唖然としているわけにはいかない。
艦長は直ぐに第七艦隊司令部に報告する。
「後方に敵艦隊を発見す」
その報告を聞き、第七艦隊指揮官トラフック提督は驚き、混乱した。
これはどういうことだ?
敵艦隊はいないのではないのか?
受けた情報と違うぞ。
まさか、こっちの動きが敵側にバレていたというのか?
情報局は何をやっている。
予定とは大きく違うじゃないか。
思わずそう叫びたかった。
だが、すぐその思考を切り替える。
今そんな事を言っても、状況は良くなるどころか、時間が経つにつれて悪化していくことは目に見えていたからだ。
糞ったれ。
心の中でそう毒づくと、現状を頭の中で確認する。
諸島の間を通る為、艦隊は細長くなってしまっている。
後ろからの敵……。
そして思いつく。
不味いぞと。
ここで待ち伏せされれば、自分達は狭い海域に押し込められてしまう。
敵はいない。
それどころか、敵の目を誤魔化せる。
そんな事を最初は思っていた諸島突破の海路だが、今やそれはとんでもない事態を生み出す地形だと思い至ったのだ。
しかし今更転身はできない。
それをすれば艦隊は混乱する。
ならばやることは一つ。
さっさと離脱する事だ。
その思考に行きついたのと同時であった。
報告が入る。
「左右の島影から艦影見ゆ」
つまり、後ろを閉められ、左右の島と島の間も塞がれていこうとしている。
まだ砲撃されてはいないものの、じわじわと海域に閉じ込められようとしているのがわかる。
「くっ。艦隊速力を上げろ。敵の待ち伏せだ。一気にここを突っ切るぞ」
だが、その命令は遅かった。
すぐに報告が入ったのである。
「敵艦隊と思しき艦影、前方に現れました」
つまり、第七艦隊は、今や完全に袋の鼠と化していたのである。
読んでいただきありがとうございます。
スペラーリーゼ諸島海戦スタートです。
まずは、追い詰められた第七艦隊対教団防衛艦隊のこれからの死闘をお楽しみに。
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