布石
握手をして、テーブルの向かい合わせに座るネモとアーサー。
アインはさっきの支配への抵抗でかなり無理をしたのか、疲労の強いきつそうな表情をしているものの、主人であるアーサーを立てるためか、彼の後ろに立とうとする。
しかし、アーサーに横の椅子に座るよう促された。
そのアーサーの優しい言葉と態度に、アインは少し嬉しそうに、そして仕方ありませんねという仮面をつけて、横にあった椅子に座った。
その様子をネモは微笑ましく見ている。
特にアインを見る目には、親戚の子どもを見ているかのような優しささえあった。
そして、アーサーがネモに再度きちんと自己紹介をしようとした時だった。
ネモは「少し待ってくれ」と言うと、笑いつつ耳栓を外していく。
「いや、すまんね。しばらく様子を見たところ、あの男の魔術は言葉で従わせるものらしかったんでね。命令の言葉さえ聞こえなかったら対応できると判断したんだ」
そう言われて、アインもアーサーも唖然とした。
確かにその通りだ。
いくら術にかけられたとしても、命令さえ聞こえなければ相手の思い通りに動かされることはない。
それは納得できる答えだ。
だが、あれほど苦戦した術の対処方法としてはあまりにもシンプルだったため、唖然としてしまったのである。
特に命令され、必死になって抵抗していたアインは、茫然としていた。
そして、スイッチが入ってしまったのか、クスクスと笑い出す。
あんなに必死にやっていたのに、何やってんだろうと思ったのだろう。
それに釣られて、アーサーも苦笑する。
何事も突き詰めればシンプルなのだと思い知ったのである。
そんな二人を楽しげに見ているネモ。
そこには、わだかまりはなかった。
「なぜ、私が結社の幹部と知っていたんですか? それに、接触してきた理由を教えていただきたい」
アーサーとしては、本当なら『貴方は何者か』と聞きたいところだ。
だが、ネモと名乗ってきた以上、そうそう聞けないだろうと思ったからである。
アーサーは、ネモという言葉が、誰でもないという意味を持っている事を知っていたからであった。
だから、先に自分が結社の幹部である『E』だと知っている理由、そして接触した理由を知っておいた方がいい。
そう判断したからである。
その問いかけに、ネモは目を細めて嬉しそうな表情をした。
それは満足しているかのようだった。
「そうだね。まずは、君が結社の幹部だという事を知っている理由から答えよう。こう見えても諜報関係に知り合いが多くてね」
そう言った後、ニタリと笑うと言葉を続けた。
「それにだ。一時期は私も結社関係者であったんだ」
予想外の言葉に、アーサーは驚く。
結社を抜けるにはペナルティがあるはずなのだ。
なのに、目の前にはペナルティを受けることもなく抜け、そしてあろうことか諜報関係者に知り合いさえいる人物がいる。
その現実に、もしかしたら、自分も強く拒否すれば抜けられたかもしれないと思い至ったのである。
だが、そんな思考はすぐに消し去る。
過去にはもう戻れないし、何より、すっと隣のアインを見て微笑む。
アインとの出会いさえなかった事になるのは嫌だという思いが浮かんだからだ。
そんなアーサーを見て、苦笑しつつ、ネモは話を続ける。
「もっともね、君の祖父である初代『E』の部下だったからね。どうやら彼が自分の引退に合わせて、私にもいろいろ手を回してくれていたようなんだ。だからね、君の祖父は、私の上司であり、師であり、恩人なんだよ」
アーサーはその言葉に驚き、難しそうな顔ばかりしていた祖父を思い出した。
いつも何か悩んでいる顔をしていた祖父。
そして、彼にはいつも多くの友人達が訪れ、親睦を深めたりしていた事を思い出す。
もしかしたら、ネモはそんな中の一人だったのかもしれない。
そう思ったのだ。
その思考がわかるのか、ネモは笑った。
「アーサー、君の思っている通りだよ。君が小さい頃に、何度か会ったことがあるよ」
そして、視線をアインに向ける。
「アイン、君にも小さい頃に会ったことがあるよ。訓練施設だったかな。そこで話をしたこともね」
アインが記憶を探るような表情になったが、すぐに思い出したのだろう。
「もしかして、飴玉をくれた……」
その言葉にネモは笑った。
「そうそう。訓練が辛くて泣いていた時にね」
そう言われて、アインが真っ赤になる。
横でアーサーが楽しげに微笑んでいる。
そんな二人を見て、ネモはアーサーの祖父に心の中で報告していた。
二人とも立派になったと。
だが、そんな和気あいあいとした雰囲気も長くは続かない。
ここには、昔を懐かしむために呼んだわけではないのだから。
そして、ふぅと息を吐き出すと、ネモは表情を引き締める。
その表情と雰囲気に、アーサーも気を引き締めていた。
本題はこれからだと。
「では、君達に接触した理由を言っておこう」
ネモはそう切り出す。
アーサーは、ごくりと口の中にたまった唾を飲み込む。
いい表情と覚悟だ。
ネモはそう判断し、口を開く。
これなら腹を割って話せると。
「リベラカート事件を知っているな?」
その問いに、アーサーの表情が暗くなる。
結社が実施した許しがたき行為の一つだ。
その態度だけで、ネモはわかってしまった。
あの事件に、結社が強く関わっていると。
「実はね、あの船に私は乗っていたんだよ」
その言葉に、アーサーはますますすまなさそうな顔になっていく。
「すみません」
思わずといった感じで、アーサーの口からそんな言葉が漏れる。
別に彼がいない間に、結社が勝手に行った事だ。
彼には責任はない。
だが、アーサーにとって、結社に在籍している以上、知らなかったでは済まされない。
そう考えているからである。
その反応に、ネモは心の中で少し不安になった。
あまりにも責任感が強すぎるのではないかと。
彼の祖父がそうだったように。
だから、安心させるために言う。
「別にそれを君のせいにして責めるために呼んだわけではない。ただね、私はこのままでいいのかと思っているんだ」
「このままで?」
「そう。別に結社という存在を否定するつもりはない。なんせ、私も以前は結社の関係者だったからね。だが、今回の事はあまりにも酷すぎる」
そう言った後、力強い言葉で言い切る。
「結社とは、合衆国と合衆国国民のために動く組織であるべきだと思うんだ。それは君の祖父である初代『E』が望んだ事でもあるんだ。なのに、今や結社は利益のために国民を煽り、扇動し、その上、国民を都合のいい資源のように扱っている。だから、君に接触したんだよ」
その言葉に、アーサーは衝撃を受ける。
彼の祖父がそこまで考えて、結社を作ったのかと。
『C』は言っていた。
結社という枠組みと、合衆国という国の形を、中心になって作ったのは彼の祖父だと。
だが、今の結社はどうだろうか。
国のためと言いつつ、私利私欲に動き過ぎている。
その上、国民を蔑ろにし過ぎていないだろうか。
それは、アーサーが結社を改革しなければならないと決意した事と同じであった。
だからこそ、アーサーは強く頷き、同意を示す。
「その通りだと思います」
その言葉に、ネモは満足そうな笑みを浮かべた。
そして、心の中で微笑む。
貴方の孫は、実に貴方そっくりですよと。
その二人の会話を、アインは黙って聞いていた。
主であるアーサーとネモが会話を続けている。
それも、結社の改革について。
今まで結社が、『C』が全てだった私にとって、耳が痛い話ばかりだ。
だが、私は黙って聞いている。
二人の話を聞き、その通りだと思えているからだ。
何事も、一方向だけでは駄目だという事なのだろう。
人それぞれの考えがあり、それぞれの正義があるのだから。
だが、私は迷わない。
我が主は、アーサー様だと心に決めたのだから。
そして、ネモを見て思い出す。
辛くて泣いていた私の頭を撫で、悪戯っ子のような無邪気な顔で飴玉を渡し、笑っていた顔を。
そして彼は言ったのだ。
「今は大変かもしれない。無駄だと思う事もあるかもしれない。でもね、それらの苦労や経験は、君の心の血となり、肉となる。身体を鍛える時のように、はっきりと感じられないかもしれない。でもね、それは間違いない事だ。だからね、頑張りなさい。君が本当に忠誠を誓いたい相手を見つけるまでは」
その言葉は、当時の幼い私には難しすぎた。
だが、大切な言葉だと思い、私は忘れないようにしてきた。
そして、少しずつその言葉の意味がわかってくると、私はその言葉を裏切らないようにしてきた。
だって、私の芯となる言葉だったから。
そして、私は気が付く。
私がここまで来られたのは、この人の言葉のおかげだと。
この人と出会えたことが、今の私がここにいる原点だと。
だから、私はこの本名を明かさないネモという男を信用することにした。
いや、信頼かもしれない。
アーサー様とは別の意味で、私にとって大切な人だとわかってしまったから。
そして、アーサーとネモの会談は二時間に及んだ。
その間、二人は話し続けた。
互いの意思を、思いを、そして未来への布石を。
そして二時間後、二人は固い握手を交わす。
それは、二人が強い協力関係になったという証だった。
その様子を、私は胸が温かくなるのを感じながら見ていた。
私にとって大切な二人が手を取り合い、協力していく。
それが、実に嬉しい。
そして私も、もっと頑張らねばと思う。
私の大切な主の為に。
一方、その頃――。
「ち、ちょっとっ、まさか逃げられたの?」
アハトの声が部屋に響く。
買ってきたケーキの入った箱から、気になっていたショートケーキを出しつつ、フェンが頷く。
「うん。思ったより厄介だったよ」
その言葉は実に軽く、責任を感じさせない。
だから、ますますアハトの怒りに油を注いだ。
「あんたねぇ、自分一人でも大丈夫だって言ったから、一人で対応させたんだよ。なのにっ」
だが、そこまで言わせたところで、フェンが口を挟んだ。
その表情は、アハトの怒りを楽しんでいるかのように目を細め、口角が吊り上がっている。
「でもさ、『E』は無事だし、アインも死んでない。最低限の仕事はできたと思うけどね」
そう言われて、アハトは口ごもる。
今まで十傑さえも操ってきた相手に対して、被害なしで守り切ったのだ。
それは、今まで惨敗だった結果から見れば、間違いなく最低ラインの仕事は達成したと言えるだろう。
「ぐっ……」
アハトが言葉に詰まる。
その横で、ケーキの入った箱の中身を物色していたツェーンが、楽しそうに一つのケーキを取り出す。
「あたしはこれにしようっと」
実に嬉しそうな顔だ。
「ち、ちょっとっ、ツェーンも何か言ってよ」
アハトが援軍を求めるが、ケーキという賄賂を用意されたツェーンはそっけなかった。
「最低限の仕事はこなしたんだし、いいんじゃないの。それよりアハトも選んだら? 甘いモノ食べたら、少しはイライラ収まるかもよ」
そう言いつつ、選んだケーキをぱくつくツェーン。
そんなツェーンに、アハトの怒気も段々と小さくなっていく。
そして、少し躊躇した後、怒りに任せるように一つのケーキを取り出すと、そのままぱくついた。
「あはははっ。アハトの口の周り、真っ白ーっ」
ツェーンが、アハトの口の周りに付いたクリームを見て笑っている。
そんな二人の様子と思考を楽しみつつ、フェンは満足だった。
これでいいと。
そして、ほくそ笑む。
折角いい人形を手に入れたんだ。
アーサーのためにも、少し人形を使って駒を潰しておこうかしら。
彼の手助けとして。
それがいいわ。
ふふふっ。
フェンは微笑んだ。
思考の中だけでなく、実際にも。
だが、アハトもツェーンも、今の自分達のやり取りにフェンが笑ったと思ってしまっていた。
読んでいただきありがとうございます。
今回は前話の続きとなります。
楽しんでいただければ幸いです。
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