ネモ
合衆国首都のホテルのロビー。
本来なら落ち着いた静かな空間ではあったが、今は騒めきと驚きに満ち満ちている。
ほとんどの者達が、ラジオの前に集まって、真剣な表情で聞き入っていた。
勿論、原因は大統領会見のラジオでの生放送である。
多くの人がそう望んでいたとは思うが、それが実際に行われるとなれば別だ。
それも宣戦布告。
戦争の開始である。
勿論、そう願った者、やっとかという感想を持つ者もいた。
しかし、そう思わない者も一定数いたのである。
だが、悲しい事にどうしても声が大きい者の意見ばかりが表立って出てしまう。
それが資本主義社会の弱点でもあった。
そんな中、落ち着いた雰囲気で珈琲を楽しんでいる者がいた。
「踏ん切りがついたようだな」
ぽつりとそう呟くと珈琲をすすり、その香りを楽しんでいる。
まるでその男の周りだけが別の世界、別の空間のようだった。
そんな男を見て、向かいの席に座っていたスーツ姿の男が苦笑して言う。
「気にならないんですか?」
その問いに、男は笑った。
「ああ、昨日の夜に聞いていたからね」
「それは……」
そう言いかけたものの、どうせ聞いても答えはくれないだろうと思い直し、スーツ姿の男、デッドラン・リカドウス少将はその言葉を引っ込め、苦笑を浮かべる。
そして別の言葉を口にする。
「ところで、本当なら死んでいるはずの君が、私に用があるとはな」
皮肉たっぷりの言葉に、今度は男の方が苦笑する。
「すまないな。本当なら知らせたかったんだが……」
「本当か?」
そう言うと、男は黙り込む。
リカドウス少将は、それ見ろといった表情を浮かべる。
だが、仕方ないという顔になると口を開いた。
「まぁ、仕方ないとは思うがね、仕事柄……。それに……」
そう言ってラジオとその前に集まっている人々の様子の方をちらりと見る。
「ああ。すまんな」
「構わんさ、大佐。それで何をやるつもりなんだ、今度は……」
そう聞かれて男は真剣な顔になる。
「なに、ちょっとした膿を出そうと思ってな」
「膿……ねぇ……」
そう呟くように言った後、リカドウス少将は心の中でため息を吐き出す。
相変わらずだなと。
「で、何を知りたい?」
「ああ。実はな……」
男が、顔を近づけて囁くように内容を言う。
話を聞き、何気ない表情だったリカドウス少将の顔が驚きのものになった。
「お、おいっ。それは……」
そう言いかけたが、すぐに黙り込み、渋い顔になるリカドウス少将。
しばしの時間が経ち、やっと口を開く。
「本気か?」
「ああ。本気だ。今回の件も含め、連中は余りにもやりすぎている」
「確かに、今回の件は余りにも都合が良すぎて露骨だ。だが……」
そう言いかけて、探るように男の顔を見る。
その目に映るのは真剣な表情。
リカドウス少将はため息を吐き出した。
「お前さんはやると言ったら本当にやるからな」
そう言った後、「まぁ、いい。協力しよう」と言葉を続けた。
その言葉に、やっと男の顔が崩れ、微笑みが浮かぶ。
「ああ。ありがとう。助かるよ」
「それでまずは何をやるつもりだ?」
「まずは、組織の人間とコンタクトを取る」
「大丈夫なのか?」
「まぁ、大丈夫だろうと思っている」
「本当かよ?」
やっとその言葉で男が笑った。
「ああ。恐らくはだがな」
「恐らくは……ねぇ……」
だが、すぐにリカドウス少将は言葉を続ける。
「まぁ、お前さんがそう言う時は、本当に大丈夫なんだろうけどよ。で、会ってどうするよ?」
「まぁ、会ってからだな。どうするかは……」
リカドウス少将は笑う。
相変わらずだと。
そして、皮肉たっぷりに聞く。
「お前らしいな。それでだ、今は死んでいることになっているお前の事はこれからどう呼べばいい? ドルスハンテ・ドバーチェン大佐」
その皮肉の言葉に、ドバーチェン大佐は苦笑する。
「そうだな……」
少し考えた後、ドバーチェン大佐は笑って言う。
「じゃあ、ネモとでも呼んでくれ」
その名前を聞き、リカドウス少将はますます楽しそうに笑った。
「いいな。ネモか」
ネモ。
連盟の言葉で、誰でもないという意味を持つ。
だから、今の彼には相応しい名だと思ってしまったからだ。
「わかった。なら今度からはネモと呼ばせてもらうとするか。それで、連絡はどうする?」
「ルート31-05でお願いしたい」
「わかった」
そして、リカドウス少将はニヤリと笑った。
「本国の諜報部も、お前さんが担当するサムラーナ地区情報統括部に負けないほどの力を持っていることを見せつけてやるよ」
「それは楽しみだ」
二人はそう言うと握手を交わす。
それだけで二人には十分だった。
「では、何かあったら……」
そう言ってドバーチェン大佐は立ち上がる。
「ああ。わかった。気をつけろよ」
「お前さんこそな」
こうして古い友人同士は別れる。
絆を改めて確認して。
古い友人と別れた後、ドバーチェンはすぐに近くの電話ボックスに向かう。
そして、ボックスに入ると電話番号を回した。
カラカラという回る音が何回か響き、しばしの間呼び出し音が鳴る。
だが、すぐにガチャリという音と共に声が聞こえた。
「どちら様でしょうか?」
落ち着いた感じの女性の声。
だが、声の端々に警戒するような張りつめたものが感じられる。
アインか。
相変わらずのようだな。
「ああ、この間ぶりだね」
その言葉と口調でこっちが誰かわかったのだろう。
何も発しないものの、受話器の向こうで眉をひそめている彼女の顔が脳裏に浮かぶ。
もっとも、今の顔は知らないから、初めて出会った小さな子供の頃の顔だったが……。
「それでだ。君の愛しいご主人様はいるかい?」
その言葉に、ムッとした感情が混じった声が返される。
「主は、今は所用の為、席を外しております」
主という呼び方、それにその口調から、どうやらアーサーに対する忠誠は間違いない。
それも、かなりの好意を含めて。
そうドバーチェンは再度確認する。
ならば大丈夫だ。
そう判断し、ドバーチェンは口を開く。
「なら、君の愛しい主に伝えてくれ。明日の午後会いたいと」
「わかりました。主に伝えておきます」
「ああ、場所はリカデランナ・ホテルだ。カウンターには、君らが来たら部屋に案内するように伝えておくよ」
「わかりました。では、何と伝えればよいのですか?」
「『ネモ』に会いに来たと言えばいい」
「……。わかりました」
「ああ、それとEに伝えてくれ。会えるのを楽しみにしているとね」
「わかりました」
「では、また明日会おう。アイン」
その言葉に、受話器の向こうが黙り込む。
だが、そんな事を気にせず電話を切った。
そして、ボックスから出ると足早に歩き出す。
勿論、尾行や監視を警戒しつつ。
今日は忙しくなるぞ。
まだ、もう一人、大物と会わなければならないからな。
そう思考しながら。
会談を済ませてアーサーが執務室に戻ってくると、アインが少しムッとした表情で電話機の前に立っていた。
どうやら、電話を受けた後らしい。
だが、アインがあんな表情をするとは。
どうやら歓迎されざる電話だったようだ。
もっとも、ここ最近はそんな電話ばかりだったが……。
「どうしたんだい?」
そう声をかけるアーサー。
その言葉に、アインはふうと息を吐き出して気分を整えて口を開く。
「例の男からの電話がありました」
「例の男というと……」
そして思いつく。
「あの男かい?」
「はい。それと大統領による宣戦布告が、先ほどラジオの生放送で宣言されました」
その言葉に、アーサーは渋い顔になった。
自分の力不足で、友人であるアルフォード・フォックス大統領やデービット・ハートマン副大統領を苦しめている。
そう思考したからである。
それはアインもすぐにわかったのだろう。
「アーサー様のせいではありません。全ては……」
「ありがとう。でもね、力があれば阻止できたかもしれないのは事実なんだ。だからこそ、これ以上こうならないようにやるしかないんだよ」
アーサーの決意にアインは黙って頷く。
彼女は彼についていく。
彼を支える。
そう決心している。
だからこそ慰めは必要ない。
それを示す為に、黙って頷いたのだ。
そして、アインは口を開く。
「それで会談の方は?」
「ああ。なんとか協力を取り付けたよ。まだ微々たるものだけどね」
そう言って苦笑するアーサー。
ほんのさっきまで会っていた人物。
それは本国諜報部にいる親しい友人であった。
そして、彼を味方につけるべく腹を割った話をしていたのである。
それは、ささやかながらも少しずつ力をつけていこうという、彼の思いからくる行動だった。
だからだろうか。
アーサーの言葉をアインは否定する。
「ですが、初めの一歩は、誰にとっても小さなものです、アーサー様」
「ありがとう、アイン。でもね、最初の一歩じゃないさ」
その言葉に怪訝そうな表情を浮かべるアイン。
その表情を楽しみつつ、アーサーは言葉を続ける。
「最初の一歩は、君が僕の味方として協力してくれた事だよ」
その言葉に、アインは真っ赤になる。
「い、いえ……。そんな事は……」
普段と違い、もごもごとなんとかそう言うものの、視線は落ち着きなく泳いでいる。
そんなアインの様子に、アーサーは微笑む。
「本当の事さ。だから、これからもよろしく頼むよ」
アインはその言葉に強く頷く。
「勿論です。アーサー様」
その言葉にアーサーは頷く。
まだまだ小さな力だ。
だが、彼女となら出来そうな気がする。
そんな事をアーサーは思うのであった。
大統領が教国へ宣戦布告したその日の夜。
結社の会議には『C』と二名の幹部の姿があった。
「これで少しは牽制になるか」
その『C』の言葉に、二人は頷く。
「ええ。それに、これで向こうとの人の出入りも規制できます」
「その通りです。早速、宣戦布告後には規制を始めたそうです」
「動きが早いな」
『C』の問いに、一人が答える。
「はい。クラバルンテがよい働きをしてくれています」
「そうか。ならば、あ奴の待遇も上げねばな」
「それがよいかと……」
そして三人は笑う。
だが、そんな笑いが収まると『C』は部屋を見回して苦笑した。
「しかし、殺風景だな」
以前いた幹部は十二人。
しかし、一人は裏切りで処理、二人は暗殺され、ここにいる三人以外は欠席をしている。
未だにしがらみから抜け出せない『E』が友人の為に飛び回って足掻いているのは別として、残りの五人は身の安全のために閉じこもっていると聞いた。
合衆国を裏で操る秘密結社の幹部達が、だ。
実に情けない。
そんな気持ちさえ湧いてくる。
だが、それは仕方ないのかもしれない。
『C』は思う。
初期のメンバーは、もう『C』以外残ってはいない。
すでに二代、三代目の幹部もいる。
それは最初の合衆国建国の際の幹部の誓いが疎かになっているともいえた。
悲しい事に。
だからこそ、『C』は『E』に期待している。
結社の発起人の孫であり、外の世界で育ち、世間の荒波を知るあの男ならと。
だが、まだ時間がかかるだろう。
『C』の言葉に、幹部二人は黙っている。
それぞれ思う事があるのだろう。
だが、仮面の為、表情は見えない。
だが、『C』のやることは決まっている。
すうっと息を吸い、『C』は口を開く。
「まずは、合衆国内の裏教団の駒を徹底的に潰す事だ。いいな?」
その言葉に、二人の幹部は「はっ」と力強く返事を返す。
彼らにとっても、安全のために重点的にやらねばならない。
それがとんでもない脅威となる相手だったとしても。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、宣戦布告の後に起こる本国内の準備回といったところでしょうか。
楽しんでいただければ幸いです。
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