次なる獲物
「お疲れさまでした、ヘルサン様」
男がアジトに戻って来ると、側近の一人がそう言ってトレイにのっている湯気の立つ蒸しタオルを差し出してきた。
「あら、気が利くじゃないの」
それを受け取り、手に伝わるその心地よい熱さを楽しみつつ手と顔を拭く。
さっぱりした感覚が実に気持ちいい。
一通り拭くとトレイにタオルを置いた。
そして、こっちをじっと見る視線に、ヘルサン・リカバリーは苦笑した。
「そんなに見つめても、何も出ないわよぉ」
艶のある色っぽい声でそう言いつつ、媚びを売る女のように体をくねらせる。
勿論、冗談だが、側近は慌てて言う。
「い、いえ。そういう訳では……」
「わかってるわ。ジョークよ。ジョーク」
くすくすと笑って、懐に持っていた写真を突き出した。
中年の男性の写真で、少し太めだが、オーダーメイドらしき生地のいいスーツを着ている。
いかにも富豪という感じだ。
その写真を受け取った側近は、ヘルサンの方をじっと見た。
「はい。もうこの写真はいらないわ」
そう言った後、口角を吊り上げ、ニチャリと擬音が付きそうな笑みを浮かべて言葉を続ける。
「もう、この世にはいないからね」
要は、始末したという事だ。
「流石ですね」
感心したような口調の側近に、ヘルサンは得意げに言う。
「私にかかれば、十傑衆といえど、ただの木偶人形だからね」
「つまり……」
「ええ。また、護衛の手で主人殺しをしてきたわ。ふふふっ。あのターゲットの恐怖に歪んだ顔。そして、自らの手で護衛すべき対象を手にかけ、その絶望と虚無感で満たされて心の折れた護衛の顔を見つつ自決するのを見るのは最高よ。こんな素晴らしきショーを見れる能力を私に与えてくれた老師には感謝しかないわ」
嬉々として語るヘルサン。
その言葉と態度には、充実感が満ち満ちている。
まさに、この為に生まれてきたと実感しているといったところだろうか。
側近は、そんなヘルサンを見つつ、微笑んでいる。
そこには恐怖も不安もない。
つまり、側近も似たような思考という事だ。
だからこそ、ヘルサンのような人物の側近が出来ているのだろう。
「実に羨ましい限りです。私にもそのような力があれば……」
悔しそうな、残念そうな複雑な表情をする側近に、ヘルサンは笑った。
「でも、そしたら、貴方はここにいないでしょうね」
慌てたような表情になり、側近は「それは困りますね」と言って笑った。
ひとしきり、二人は笑った後、ヘルサンが口を開く。
表情は真剣なものだ。
「それで、これで二人目だけど……」
「老師様としては、このままじわじわと真綿で首を締める様に結社の幹部を潰していけという命令が出ています。恐らく、圧をかけ続けて教国侵攻を止めさせたいという気持ちがあるのでしょう」
その言葉に、ヘルサンは内心苦笑する。
老師には悪いが、もう遅すぎると彼は思っていた。
やるなら、もっと早くやるべきだったのだ。
今更やっても、かえって連中の侵攻を速めるだけの悪手にしかならない。
だが、老師の命令は絶対である。
だから、言われるままやるだけだ。
我らは、裏教団の、いや老師の牙であり、爪なのだから。
そして思考を切り替える。
それに役得もあるしな。
そんな事を思いつつ身体の力を抜く。
すると、ずきりと肩の傷に痛みが走った。
どうやら暗示が解けたのだろう。
その痛みに一瞬だが、顔が歪む。
その一瞬の変化でわかったのだろう。
側近が慌てて聞いた。
「肩の傷の痛みでしょうか?」
「ああ。まだ少しね……」
そう言った後、思い出したかのように聞き返す。
「それで、この傷を負わせた男の手掛かりは?」
その問いに側近の表情が暗くなる。
「申し訳ございません」
そう言って頭を下げる。
それだけでわかってしまった。
ヘルサンの表情が不機嫌そうなものになる。
つまり、要はまだという事だ。
ちっ。
自然と舌打ちが漏れた。
私の魔術を破った男。
私の柔肌に傷をつけた男。
それに任務を邪魔する要因になりかねない。
だから、必ず潰さなければならない。
それもたっぷりと苦しめて。
「絶対にこの手で殺してあげるからね、小鼠ちゃん」
ヘルサンは思わずという感じで言葉を漏らす。
その言葉に、側近はただ黙っている。
全てを意のままにしてきたヘルサン様にとって、今回の件はかなりの苦痛であり、汚点なのだろうと理解しているからだ。
そして、ターゲットになった男に同情した。
こうなったヘルサン様は容赦なく、言葉通りにすると知っているからである。
もっとも、同情はするが、仕方ないとも思う。
ヘルサン様のイライラを引き起こした相手が悪いのだから。
そう思ってしまうのだ。
この世には、逆らってはいけないものがあるのだから。
だが、そのまま黙って見ているだけではいつまでたっても終わらない。
そう判断し、側近は声をかける。
「実は、次のターゲットの資料が届きました」
その言葉に、ヘルサンは思考を現実に戻す。
「ほう。新しいターゲットね。資料は?」
「はい。こちらに……」
資料を渡しつつ、ソファにヘルサンを誘導する。
資料を受け取ると、ヘルサンはソファに座って読み進めていく。
側近は珈琲の用意を始めていた。
「アーサー・E・アンブレラ。結社結成の際の三家の一つ、『E』を継承した者。元フソウ連合駐在官であり、大統領の友人。戦略戦術の研究家であり、最近は世界の料理も研究しているか……」
ヘルサンは実に面白そうに口に出しつつ資料を読み進めていく。
「著作に『フソウ連合戦術論』、『ジュンリョー港封鎖作戦に見る新しい戦いの流れ』、『フソウ式と呼ばれる文化』、『フソウ料理レシピ集』などがある。ふふふっ。実に面白そうな人物ね。一度、話をしてみたい魅力を感じてしまうわ」
珈琲の入ったカップをヘルサンの前にあるテーブルに置きつつ、側近は同意する。
「ええ。実に面白そうな方です。資料をチェックしていて、私も話を聞いてみたいと思いましたよ」
「でも、残念ねぇ……」
ヘルサンはそう言いつつ、目を細めてニチャリという笑みを浮かべた。
「こんな面白そうな方を消さないといけないなんて……」
「実にその通りです」
「それで、護衛は?」
「はい。今のところ、一人ですね」
その言葉に、ヘルサンは驚いた表情になった。
結社の御三家の一つを継承した人物の護衛が一人。
まず考えられない。
普通の幹部でさえ数名はついていた。
特に一人目の暗殺以降、護衛の数は増えているはずだ。
実際、二人目の時は、五人いたのだ。
勿論、五人いようが彼の力の前には無力ではあったが。
「じゃあ、どこかに籠っているのかしら?」
「いえ、それが結構いろいろ動き回っているようで……」
要は、その動きさえ把握できれば、楽勝という事だ。
「ありえないわ……」
思わずといった感じで声が漏れた。
「私もです」
側近が即答する。
「罠かしら?」
「いえ。その線はないかと……」
「ふむ。なら、なぜ……」
ヘルサンのその疑問に、側近は『恐らくですが』と前置きを置いて言葉を続ける。
「まだ信頼できる手駒がいないのと、地位を受け継いだばかりのためでしょう」
確か、『E』の称号は、長い間、空いたままだったという話だったわね。
だからか。
「確かにそれなら納得できるわね」
だが、すぐにふと思いついた事を聞く。
「でも、それなら結社に与える影響力は強くないんじゃないの?」
「ええ。そう思いました。しかし、調べていくと面白いことがわかったんですよ」
「面白いこと?」
「ええ。『C』がこの人物をかなり気に入っているという事と、幹部達の関心がとてつもなく高いという事です」
「ほう……」
『C』は結社の中でも中心的な人物であり、そのお気に入りで、他の幹部達も気にかけている人物。
つまり、結社の未来を背負うホープという事か。
そういう人物を潰されたとなったら……。
自然とヘルサンの顔に笑みが漏れた。
「いいわ。すごくいいわ。ますます気に入っちゃった」
「それはようございました」
「それで、どうやったら、この方に会えるのかしら」
「もう少しお待ちください。最高のタイミングでお会いできるように取り計らいますので」
その言葉に、ヘルサンは極上の笑みを浮かべるのであった。
「まだ手がかりもつかめんというのかっ」
結社の会合で『C』がイライラした口調で吐き捨てる。
それは仕方ないのかもしれない。
ついさっき、幹部の一人がまた暗殺されたと報告があったばかりだ。
それも十傑衆二人とシャドウ三人の合計五人が付いていながらである。
そして、やられた手口は、一人目の『T』と同じく、護衛である者達が操られ、護衛対象を自らの手で蜂の巣にし、最後は互いに自決しあったという。
まるでかつて暗躍していた人を魅了し、好きなように操る帝国の『災厄の魔女』のごとき手口である。
「手が付けられません……」
幹部の一人が怯えたように言う。
実際、今回の会合には最初は六人参加予定であったが、今ここにいるのは『C』を含めて三人だけだ。
つまり、今回の暗殺の情報を早々に聞きつけて、幹部の一部は暗殺を恐れて理由をつけて参加を拒否したのだ。
「情けないやつらめ」
そうは言ったものの、どうやっても手が打てない上に、手掛かりさえもつかめていない有様である。
いくら富も権力もあり、祖国をよくしたいという思いや、より多くの富と利権を求めているとはいえ、死にたくないという思いにはかなわないといったところだろうか。
「くそっ。忌々しいっ」
そんな言葉を吐き出し、『C』は報告者に聞く。
「それで、大統領の方はどうだ?」
「はっ。明日にでも宣戦布告を宣言させ、それに合わせて海軍が動く算段になっております」
「そうか」
少し安堵したような声が漏れ、幹部達の口から吐息が漏れた。
合衆国の教国への侵攻が始まれば、もう暗殺どころではなくなる。
そう考えていたからである。
だが、それは絶対ではない。
かえって相手を追い詰める事にもなりかねない。
だから、『C』は命じる。
「ともかくだ。早く手掛かりを掴み、忌々しい連中を抹殺せよ。いいな」
強い語尾で念を押され、報告者は慌てて頷く。
「は、はっ。勿論でございます」
街中をフェンは楽しげに歩いていく。
その様子は自由気ままにぶらぶらと街中を散策しているかのようだ。
そして、その後ろには二人の女性が付いて来ていた。
アハトとツェーンである。
その表情はとてつもなく疲れていた。
その心境は、我儘で手の付けられない子供に振り回される絶対服従のベビーシッターに近いと言ったらいいだろうか。
上からはさっさと成果を出せと叩かれ、現場ではフェンに振り回されている。
中間管理職の悲哀、ここにありといったところだろう。
「あ……」
先に歩いていたフェンが声を上げた。
アハトとツェーンが互いに顔を見合わせる。
「今度は、ツェーンの番だからね」
アハトがそう言うと、ツェーンが嫌そうな顔になった。
「ええーっ、私?」
「決めたじゃないのっ。交互にって」
「そうなんだけどさぁ……」
なお、思考が読める以上、フェンには今の二人の思考など読まれているのだが、もう隠す気はない。
どうやったってバレてしまうのだ。
なら隠そうと努力するだけ無駄なのだと理解しているからでもある。
そんな二人のやり取りの途中で、先に歩いていたフェンがいつの間にか二人の側に来て会話に入り込む。
「私としてはどっちでもいいからさ」
そう言って笑う。
まるで嫌がる様子を楽しんでいるといった感じだ。
いや、思考が読めるうえに、今の状況を楽しんでいるからこそ出た言葉といえた。
ツェーンが諦めたようなため息を吐き出す。
その顔に浮かぶのは、もういいやという諦めだ。
なお、目は死んだ魚のようであった。
そんな様子にフェンはますます楽しげにケラケラと笑う。
実に容赦ないといったところだろうか。
「いやね、あっちのカフェでお茶しない?」
そう言って指を差すのは、街角にある喫茶店だ。
「わかったわよ。行けばいいんでしょ?」
「うんうん。さっさと行こう」
フェンはそう言うと、ツェーンの耳元で囁く。
「面白い相手がいるんだよね」
その言葉に、ツェーンの眉がピクリと反応する。
「それって……」
「ふふふっ。まだ確定じゃないけど、お探しの相手の関係者かもしれないってとこかな」
そう言った後、より小さく声を潜める。
「どうやらアーサーの動きを探っているみたいだよ」
「アーサー?」
くすくすと笑い、フェンは言う。
「アーサー・E・アンブレラ」
そう言われて、ツェーンとアハトは驚きの表情になった。
「『E』様?!」
「そうそう。どうやら、彼の行動経路を調べているみたい」
その言葉に、ツェーンだけでなくアハトも理解した。
恐らく次の目標は、『E』なのだと。
「もう少し思考を味わいたいんだけど……」
我に返った二人はうなずき合う。
「じゃあ、行きましょうか」
ツェーンがフェンを連れて喫茶店に入っていく。
そして、アハトが手を少し上げると、さらに後ろについていた部下の一人が近づいてきた。
「どうやら尻尾を掴んだかもしれない。尾行の準備を」
「はっ。すぐに準備を」
「ああ。頼む」
そう指示をすると、アハトも喫茶店に入っていく。
その心には、やっとこの任務から解放されるかもしれない。
そんな期待が湧き上がっていた。
いつも読んでいただいてありがとうございます。
感想やリアクション、レビュー等いただけるとありがたいです。
また、もしブックマークとか評価がまだな方は、そちらもよろしくお願いいたします。
作者の更新へのモチベーションUPに必要不可欠な補給要素の一つですw
どうぞ、潤沢な補給をよろしくw




