別れと決意
「やはり本国に戻られますか……」
リベラブック社の社長ハワード・リカンドウンスはそう言うと、僅かに視線を伏せて苦笑した。
まだ数回しか会ってはいない。
だが、ドルスハンテ・ドバーチェンという男が、ここで引く選択をしないことは読めていた。
「ええ。今回の件は、余りにも常軌を逸している。このままで済ます事は、合衆国としての今後も揺るがしかねない」
静かな声音。だが、その奥にあるのは明確な決断と、切り離された感情。
その温度を感じ取り、ハワードは小さく頷いた。
娘を助けた恩人。
それだけではない。
この男は“使える”。
そう判断した為だ。
「わかりました。私としても出来る限りの協力は惜しみません。ぜひお声掛けを」
ハワードは右手を差し出す。
「ありがとうございます」
ドバーチェン大佐はそれを受け、短く握手を交わした。
長くは握らない。互いに、それ以上の確認は不要と理解している。
そしてハワードが、一枚の名刺を差し出した。
裏には手書きで文字が書かれ、サインが添えられている。
それは単なる連絡先ではない。
一種の“保証”だった。
文字は、六大国で一般に使われている言語ではない。
「これは?」
そう問うドバーチェンに、ハワードは僅かに口元を歪めた。
「ああ、何か困ったことがあったら、うちの会長――デモーニック・パラファンクを訪ねてみてください。その際に、これを見せれば……無条件で手を貸してくれるはずですよ」
『はず』という言葉に、ほんの僅かな含みが混じる。
だが、その実効性について疑う余地はない。
「会長、ですか?」
「ええ。義父です。大切な孫を助けた恩人ですからね。大抵の無理は聞いてくれますよ」
軽く言っているが、その“無理”の範囲がどこまでかは語られない。
ハワードはそう言って笑う。
ドバーチェンはその意味を即座に理解した。
リベラブック社は、パラファンクグループの一社。
つまりこれは、企業の枠を越えた“後ろ盾”の提示に等しい。
「なるほど。大事に使わせていただきます」
ドバーチェン大佐はそう言いつつ、名刺を丁寧に懐へ収める。
使う場面を誤れば、借り以上のものを背負うことになる類の代物だ。
だが、選択肢は多いに越したことはない。
「それで、まずはどうされるのですか?」
「まずは、会っておきたい人物がいます。その人物と接触し、ある程度の情報を集めてから動くことになるでしょう」
『接触』という言葉を選んだのは意図的だった。
「そうですか。こちらも独自で調査は続けていこうと思います」
そう言ったものの、ハワードは苦笑して言葉を継ぐ。
「ですが、民間でどこまで踏み込めるかは……」
その限界は理解している。
同時に、越える手段も持っている。
「ですが、それが無駄だと決まったわけではありません。やっておく価値はあると思いますよ」
ドバーチェンは即座に否定する。
民間だからこそ掬える情報があることを知っているからだ。
「ええ。その通りですね。それに……」
ハワードの目が、僅かに細められる。
その瞳には、怒りの炎が見えた。
「大事な娘を巻き込み、さらにうちの会社に被害を与えたんです。この落とし前を、うやむやにする気はありませんから」
それは父親としての言葉であり、同時に企業としての宣言でもあった。
「その意気です。我々も提供できる分の情報は提供し、共有していきたいと思います。もっとも、全部が全部は……」
「わかっておりますよ。政府の情報機関、それも局長であるあなたとのパイプを得た。それだけでも、こちらとしては十分すぎる成果です」
『パイプ』という言葉に、双方が軽く笑う。
利害は一致している。
だが、完全に同じ側に立っているわけではない。
その距離感が心地よかった。
「そう言っていただけると嬉しい限りですよ」
短い沈黙。
そしてハワードは、ふと思い出したように口を開く。
「それはそうと、出来れば娘に会っていってくれませんか? どうやらあなたの事をたいそう気に入った様子でしてね」
少し悔しそうで、それでいて安堵の混じった声。
それは娘を持つ父親の声であり、感情だ。
その感情を、ドバーチェンは正確に読み取る。
彼とて、今は独立したものの、以前は一人の娘を持つ父親だったのだ。
だから、言う言葉は決まっている。
「ええ。そのつもりです。ご安心ください」
その一言で十分だった。
ハワードは苦笑するしかない。
見透かされている。
それでも、不思議と悪い気はしなかった。
「いらっしゃいませ、おじさま」
そう言って立ち上がると、丁寧な淑女の挨拶をするアメリア。
その後ろではルミナも同じように頭を下げていた。
「ああ、ちょっと寄る機会があってね。お邪魔じゃないかな?」
「お邪魔だなんて、おじさまだったらいつでも大歓迎ですわ」
そう言った後、アメリアは頬を膨らませる。
「でも、少し、私、怒ってます」
その言葉に、ドバーチェンは「えっ?!」という表情になる。
そんな様子を見つつ、アメリアは続けた。
「だって、お父様の所に寄るついでだなんて、失礼しちゃうわ」
いかにも怒っているという口調。
だが、膨らんだ頬とは裏腹に、その目は楽しげに揺れている。
要は、揶揄われているのだ。
その事に気付いたドバーチェンは、思わず笑った。
「ごめん、ごめん。確かにレディに対して『ついで』は失礼だったね」
「その通りですわ、おじさま」
アメリアは満足げに頷くと、ちらりとルミナを見て言葉を続けた。
「ルミナなんか、お父様の所におじさまが来ていると知った途端、慌てて化粧直しに行ったり、服も着替えたりしていたのよ」
「お、お嬢様っ。それは……っ」
慌てふためくルミナ。
その顔はみるみる赤くなっていく。
「これは失礼した。ルミナ嬢もありがとう。うれしいですよ」
その言葉に、ルミナは益々真っ赤になり、顔を手で覆ってしまった。
その様子をアメリアはニヤニヤと眺めていたが、やがて小さく咳払いをする。
流石に立ち話もなんだということで、テーブルへと案内され、三人は席に着いた。
すぐに茶器が運ばれ、静かなお茶会が始まる。
外とは切り離された、ひとときの穏やかな時間。
だが、それが長くは続かないことを、この場にいる全員がどこかで理解していた。
「やはり、戻られるのですね」
本国に戻るという話を聞き、アメリアは残念そうに呟いた。
その横で、ルミナも何かを必死に堪えている様子を見せている。
その反応に、ドバーチェンは内心で苦笑する。
同時に、少しだけ照れてもいた。
ここまで真っ直ぐな好意を向けられることに、慣れてはいない。
だが、その感情を表に出すことはない。
「ああ。仕事でね。どうしても戻らないといけないんだ」
「お仕事なら仕方ありませんわね」
そう言いつつ、アメリアの表情にはわずかな翳りが差す。
今の彼女たちは、表向きには“行方不明者”。
本国に戻ることはおろか、外出すら自由にはできない。
その状況が、しばらく続くことをアメリアは、理解している。
だからこそ、その一瞬の感情が、隠しきれずに滲んだ。
それに気付いたのか、ルミナがそっと寄り添う。
「お嬢様、私もおりますから……」
「ありがとう、ルミナ」
小さく交わされる言葉。
しんみりとした空気が、ゆっくりと場を満たしていく。
そんな中、会話をしつつドバーチェンは周囲へ意識を巡らせていた。
この穏やかな空間が、外界から完全に隔絶されているかどうかを。
それは彼女らの身の安全を堪忍しているという事もあったが、それを確かめる癖が既に身体に染み付いている為でもあった。
平和な時間ほど、脆いものはない。
それを、彼は誰よりも知っているからだ。
しんみりとした雰囲気が場を満たす。
さすがにこのままでは、という思いはある。
だが、こういう場合、どういう話題を振ればいいのか……。
ドバーチェンは少し迷ってしまう。
これが諜報であれば問題はない。
何を言い、どう誘導するかなど、即座に判断できる。
だが今、求められているのはそれではない。
必要なのは、公人としての言葉ではなく、ドルスハンテ・ドバーチェンという一人の人間としての言葉だ。
そこで迷った挙句、彼は映画の話を持ち出した。
この前見てきた作品のことを、軽く語る。
すると、沈んでいたアメリアの表情がぱっと明るくなった。
「見られたのですか?」
「ああ。すごく面白かったよ」
「そうですよね。ふふっ。おじさまの感想を聞かせてくださいな」
そのまま、話題は自然と広がっていく。
こうしてアメリアとルミナ、そしてドバーチェンの三人は、
映画を題材にした穏やかなお茶会の時間を過ごした。
笑い声が、静かに部屋に広がる。
その外側にある世界を、ひととき忘れるかのように。
やがて、ドバーチェンは時計を見ると、静かに口を開いた。
「すまん、そろそろ……」
それで察したのだろう。
アメリアの表情が、わずかに曇る。
ルミナもまた、同じ感情を隠しきれていない。
それだけ、この時間が大切だったということだ。
だが、二人はすぐに微笑みを作った。
「おじさま、今日は来ていただき、ありがとうございました。すごく楽しかったです」
その言葉と笑顔には、飾り気のない想いが込められている。
ドバーチェンも、無意識に微笑んでいた。
「いや、こっちも楽しかったよ。こっちに来た時は、また寄らせてもらってもいいかな?」
その言葉に、アメリアだけでなくルミナの顔も明るくなる。
「はい。今度は、お父様の所に寄ったついでではなく……」
「勿論だとも。今度は、お嬢様方がメインで、御父上がついでになる形で来るよ」
その言葉に、二人は楽しげに笑った。
屈託のない笑顔。
それを見て、ドバーチェンも自然と笑みを浮かべる。
ふと、アメリアがルミナへ視線を送った。
何かを促すような、いたずらめいた合図。
それを受け、ルミナは少し迷った後、意を決したように口を開く。
「えっとですね……」
その声には、わずかな震えが混じっていた。
迷い迷ってやっと口にしたと言う感じだ。
「えっと……ですね、今度来られた時に、一緒に映画でも見に行きませんか」
真っ直ぐな言葉。
その背後で、アメリアが「よく言った」と言わんばかりの表情をしている。
なるほど、そういうことか。
ドバーチェンは内心で小さく笑った。
少しおせっかいだ。
だが、それが不思議と心地いい。
だからこそ、迷うことなく答える。
「そうですね。是非」
そして、わずかに茶目っ気を含ませて言葉を続けた。
「その際には、気にしているお嬢様もお連れして、ということになりますが」
その言葉に、アメリアとルミナは一瞬きょとんとする。
そして、すぐに二人は笑い出した。
「約束ですよ」
「ええ」
そしてアメリアが、楽しそうに言う。
「そんなおじさま、大好きですっ」
言った直後、はっとしたように言葉を継ぐ。
「でも、ルミナを優先してくださいね」
その一言に、三人の笑い声が重なった。
謎の人物からの電話を終え、アーサー・E・アンブレラはふうと息を吐いた。
以前連絡のあったその人物との会見日程が、ついに決まったからだ。
その様子を見て、アインが静かに口を開く。
「本当に会われるのですか?」
その声には、これまでには見られなかったほど、はっきりとした心配の色が滲んでいた。
「ああ。あそこまで結社の事を匂わせているんだ。このまま放置はできないよ」
そう言いながらも、理由はそれだけではない。
むしろ興味が湧いた、という方が正確だった。
あの声には妙な親しみがあった。
そして、アインの事を知っているかのような口ぶり。
偶然では済まされない。
それについ先日、結社における自分の無力さを思い知らされたばかりだ。
何か手はないのか。
現状を打破する一手は。
その焦燥もまた、彼を突き動かしていた。
「本当に会われるのですね? 罠の可能性もあるのですよ」
「ああ。その可能性もあるだろうね。実際、幹部が襲撃されたという報告も来ている……。でも、それでも会わなきゃいけない気がするんだ。――いいかな?」
その言葉は命令ではない。
許可を求める言葉だった。
だからこそ……
(卑怯です)
アインは内心でそう思ってしまう。
そんな言い方をされてしまえば、否定など出来るはずがない。
答えは、最初から決まっていた。
「わかりました。でしたら、私もお供します」
以前の彼女からは考えられないほど、はっきりとした口調。
そこには拒否を許さない意志があった。
アーサーは、ふっと微笑む。
その想いが、嬉しかった。
「ああ。そのつもりだよ」
その返答に、アインはわずかに憂いを帯びた微笑みを浮かべる。
「はい。お任せください。必ずお守りいたします」
本来であれば『C』から派遣された監視役。
それが彼女の立場だ。
だが、たとえそうであったとしても。
今の彼女は、信じられる。
アーサーの中で、その確信はすでに揺るがないものになっていた。
だからこそ、自然と言葉が出る。
「ああ。僕の唯一で最強の切り札は君だからね」
その言葉に、アインは何事もないように微笑む。
だが、耳の先が、わずかに紅くなっていた。
それだけで、十分だった。
(……可愛いな)
そんな感想が浮かぶ自分に、アーサーは内心で苦笑する。
緊張すべき場面だというのに。
だが、それでもいい。
この感情があるからこそ、自分は前に進める。
「では、準備をお願いするかな」
「はい。お任せください」
即答。
迷いはない。
こうして二人は、謎の人物との会合に向けて動き出す。
まだ時間的な余裕はある。
だからこそ、その間に出来る事はすべてやる。
力はまだ小さい。
だが、それは『今は』という前提付きの話だ。
小さなさざ波も、やがては広がり、大きな波紋となる。
その一歩を。
今、アーサーは確かに踏み出そうとしていた。
いつも読んでいただいてありがとうございます。
感想やリアクション、レビュー等いただけるとありがたいです。
また、もしブックマークとか評価がまだな方は、そちらもよろしくお願いいたします。
作者の更新へのモチベーションUPに必要不可欠な補給要素の一つですw
どうぞ、潤沢な補給をよろしくw




