日誌 第二百八十三日目
コンコン。
控えめにドアがノックされる。
「どうぞ」
そう返事をすると、ドアが開いて隙間から東郷さんが顔を覗かせた。
「大丈夫ですか?」
時間を見ると23時過ぎだ。
東郷さんが夜食を差し入れに来る時間である。
「ああ。大丈夫だよ」
製作している模型に区切りをつけると、箱に丁寧において机の横に置く。
「失礼します」
そう言っておぼんを持って東郷さんが入ってくる。
今日の夜食は、小さめのおにぎりとお茶だ。
「ご一緒しても良いですよね?」
少し伺うような感じで東郷さんが聞いてきた。
「ああ。歓迎しますよ、お嬢さん」
僕が少し砕けた感じてそう言うと東郷さんがくすくすと笑う。
そしてお茶とおにぎりを僕の前に用意した。
東郷さんはお茶だけのようだ。
「東郷さんは食べないの?」
僕がそう聞くと東郷さんは苦笑して答える。
「ふふふ…。私の場合、この時間帯に食べると……ね……。だからなるべく気をつけているんです。それにもうすぐに寝ますから…」
要は太ってしまうということなのだろう。
そんなに気にしなくても今でも十分魅力的なんだけどなぁ。
そんな事を思って、東郷さんをじろじろ見てしまう。
それを何か勘違いしたのだろう。
「えっと…変ですか?」
そう言って自分を見下ろすとおかしなところがないか確認し始める。
僕は笑いつつ、「違うよ」と否定して言葉を続けた。
「そんなに太っているように見えないけどなぁと思ってね」
そういう僕の言葉に、東郷さんは表情を引き締める。
「いいえ。油断大敵なのです。うちの家系は太りやすいみたいなんですよ。気を付けるに越した事はないんです」
「そ、そうなのか……」
その剣幕に押されてそう答えるしかない。
うーん、女性のこう言った悩みなんかは鬼気迫るものがあるよなぁ…。
そんな事を思いつつ…。
「そう言えば、今は何を作られているんですか?」
ちらりと東郷さんの視線が横に置いた箱の中身に移る。
「ああ、イムサ用の艦艇だね。護衛駆逐艦のラッデロウ級をね…」
「護衛駆逐艦というと船団などの護衛を中心に活用される駆逐艦のことですか?」
「そう。フソウ連合なら、護衛隊に配属されている松型とか樅型とか橘型、若竹型が当てはまるかな」
「なら、それ以外の駆逐艦は……」
「そうだね。吹雪型や陽炎型は、艦隊決戦を主軸において開発されているから。そうだなぁ。艦隊決戦用の駆逐艦が矛なら、護衛駆逐艦は盾って感じたね」
「なるほどですね。ですけど、なんでイムサ用に別に作るんですか?外洋艦隊に別に配属すれば…」
少し首をかしげて東郷さんが聞いてくる。
中々可愛いなと思いつつも、それを顔に出さずに答える。
「O級駆逐艦といった護衛任務を主とする駆逐艦が配備されているが、外洋艦隊はあくまでも領海外の戦いにすぐに対応する為の艦隊で、海路警備が主任務ではないからね。今はイムサの関係で動いているとはいっても、早い時期に別々にしておかないと本来の外洋艦隊の仕事であるアルンカス王国の防衛などが出来なくなってしまう」
「そうですね。アルンカス王国の海軍力はまだ微々たるものですからね」
「今は湾岸警備用の警備艇のみだが、一応、駆逐艦と警備艇、フリゲート辺りで構成する周辺海域警戒の為の艦隊を創設する動きはあるし、そのための発注の打診もあるが、まだまだ先の話だし。それとイムサ専用の艦艇を用意すべきと言う提案は共和国、王国の両国からあったから、その実験も兼ねてラッデロウ級護衛駆逐艦を配備しようと考えているんだよ」
「乗組員はどうされるんですか?」
「イムサで募集をかけるという話だったから、基本は多国籍になるんじゃないかな。もっとも訓練やらはフソウ連合の方式でやってくれって言われてるみたいだけど…」
僕が苦笑してそう言うと、東郷さんも苦笑する。
「ああ、鬼の三羽鴉の出番ですね。向こうに派遣するんですか?」
「いや……派遣はしないよ。こっちでやってもらうつもりだ。その方が、何か艦にトラブルがあったときに対応しやすいからね」
そして僕はニタリと笑う。
「それに彼らのように的確に兵を鍛える人材を外に出したりしないよ。人を育てるというのは、大変だからね」
「それに子供さんも可愛い時期ですからねぇ…」
「ああ、そうだね。もし派遣になったら長期出張は厳しいかなぁ…」
僕がそう言うと、東郷さんがくすくす笑う。
「そう言えば聞きましたか?」
「えっと何をだい?」
「工藤特務兵曹が娘さんから『おとうさん、鬼って言われてるけど、そんなに酷い人なの?』って言われたって…」
その言葉に僕は苦笑するしかない。
「そりゃ、答えに困っただろうなぁ…、工藤特務兵曹も」
「みたいですよ。だから、今、周りにあまり鬼、鬼、言うんじゃないって言いまわっているらしいです」
「あの人がねぇ……。想像できないよ」
「でも、事実らしいですよ」
「お父さんも大変だなぁ……」
「そうですね、お父さんも大変みたいですよ……」
「そうか……お父さんか……」
「ええ……」
そして会話が途切れ、沈黙が辺りを支配する。
ただ、二人のお茶を啜る音だけが響き、そしてちらちらとお互いに見ていた僕と東郷さんの視線が絡みつくように合う。
それだけで思考が真っ白になった。
それは東郷さんも同じなのだろう。
真っ赤に顔をして僕を見ている。
何を言ったらいいんだろう。
さっきまで普通に話していたはずなのに。
なのに、今は……何を話していいのかわからなくなってしまった。
それは、まるで目の前に見えていた道が、急に掻き消えたかのような感覚だ。
暗がりの中を手探りで進む感覚と言えば良いだろうか。
「えっとだね…」
「は、はいっ」
東郷さんもなんか声が高い気がする。
多分、僕も東郷さんもお互いを変に意識してしまっているのだろう。
熱くもないのに、すーっと汗が流れる。
たぶん、真っ赤になっているのだろう。
耳が、顔が、身体が熱い……。
何か言わないと……。
気ばかりが焦ってはやる。
「そ、そうだ。結婚式の仲人の相方の件なんだけど……」
咄嗟に頭に浮かんだのは、その事で……。
本当に言わなきゃいけないことではないのはわかっているし、彼女が臨んでいないこともわかっている。
実際、東郷さんが少しがっかりしたような感じだ。
言わなきゃいけない事はわかっている。
だから……。
でも、どういえば……。
言葉を必死になって紡ごうとする。
何か言わないと…。
「だからね……。相方になってくれてありがたいんだ」
「はい……」
「それでね……」
ええいっ。勇気を出せ、勇気を……。
ヘタレじゃないところを……。
必死になって思考を回す。
「だから……じゃないっ……。えいいいーーっ」
自分で何を言いたいのかわからなくなって、自分自身にイライラしてしまい、そんな声を上げてしまう。
僕の様子に東郷さんはびっくりした表情でこっちを見ている。
決めたんだろう。
彼女の好意に甘えて、先延ばしにするのはやめたって……。
あの結婚式の仲人の相方を承認してくれた日の夜に……。
だんっ。
自分の太ももを叩く。
そしてすーっと深呼吸をしてただ思っている事を口にした。
「僕と……きちんと付き合って欲しい……」
目の前の東郷さんは、何を言われたのか一瞬理解できないようだったが、彼女の目からすーっと涙が流れる。
それを手の甲でぬぐうとすぐに微笑んだ。
「ふふっ……。はい、お願いします」
そう言うと、僕の手を握る。
その手はすごく暖かくて……、そして気持ちよかった。
そして、耳元に顔を寄せて囁く。
「待ってたんですからね、その言葉……」
その言葉には、少しだけの非難と大きな喜びが込められていた。
「ごめん…」
「ふふふっ。許してあげます」
東郷さんはそう言うと僕の身体に身を寄せる。
それを抱きとめて僕は囁き返す。
「ありがとう…」
こうして、僕と東郷さんは付き合うこととなったのである。




