老人と若手商人 その3
「ご、ご冗談を…」
アントハトナの発言に言葉を失ったものの、なんとかポランドが口にする。
おそらく無意識の内にこぼれたのだろう。
そんなポランドの言葉に、アントハトナは目を細めながら口を引き締めるとぼそりとポランドの言葉に答える。
「本当に…そう思うかね?」
ポランドの背中にゾクリという寒気が走った。
それは身体が身の危険を感じて警戒させているかのようだ。
慌ててポランドは首を横に振る。
それ以外の選択肢はなかった。
「わかればよろしい。わしは本気じゃよ」
そう言ってアントハトナは表情を緩める。
それでその場の雰囲気が少し変わったのだろう。
ポランドを圧迫する雰囲気が弱くなり、ガチガチに緊張して力の入っていた身体から力が抜けた。
椅子に体を預けると離れなくなってしまったのではと思えた視線をアントハトナからずらして息を吐き出す。
そしてしばらく沈黙があたりを包み込む。
ほんの壁一枚の向こうでは、多くの人々が雑談し、音楽が流れてうるさいほどなのに…。
どれだけ経っただろうか。
ゆっくりとポランドはアントハトナの方に視線を向け直す。
目の前には、こちらを観察するかのように見ている老人がいた。
先ほどまでのピリピリしたものはない。
ポランドはゆっくりとだが、自分の疑問を口にする。
「なぜ…そんな報酬を…」
その問いに、アントハトナは口を開く。
「お前さんも知ってのとおり、わしは裸一貫で今の商会を立ち上げここまで大きくしてきた。それは知っておるな?」
「は、はい。知っています」
ポランドはそう答える。
なぜなら、アントハトナの人生は連盟において知らない者はいないというくらい有名である。
難民としてこの国に流れ着いて、小さな商人の部下として何もない状態からのし上がっていき、今では連盟随一の商会と国内だけでなく世界各国の要人や商人たちとの幅広いツテを持つ、まさに連盟において商人を目指す者にとっての夢であるかのような成功した人生を歩んできた。
そして、アントハトナの手腕によって今の連盟の繁栄があると言っても良いだろう。
まさに生きる伝説となっている人物なのだ。
「そうか…。なら、わしには身内はいないのも知っておるな?」
アントハトナはそう言うと寂しそうに笑った。
「は、はい…」
何と言って良いのか分からずただそう答えるだけのポランド。
アントハトナの人生は、商人としては大成功の人生であっただろう。
しかし、その反面、人としての人生は寂しいものであった。
何人かの女性といろいろな噂があったものの、それは実る事はなく、彼はこの歳になるまで身内は誰もいない有り様であった。
自分に厳しく、他人にも厳しい性格と、本来なら豊かにするべき富が、彼の人生を歪ませてしまったのだ。
それ故に、彼の全財産は誰が相続するのか…。
その話題が、ここ十年近く陰で囁かれている。
もっとも、本人はいたって健康で、誰もがそうやすやすと死ぬとは思っていなかったが…。
「ふむ。なら話は早い。わしはな、ここ十年ほどずっとわしの後を継ぐものを探しておった。お前さん以前にも何人か候補がおったが、すべて挫折してしまっての。現在に至るというわけじゃ」
挫折と言う言葉に、ポランドの脳裏に浮かぶのは円卓会議の面々だ。
もしかしたら彼らの何人かは老人の出す試験で挫折してしまったのでしないかと…。
その考えを読み取ったのだろう。
アントハトナがニタリと笑っていう。
「お前さんが思っている事は半分当たりじゃ…」
そう言って、じっとポランドを見ると言葉を続けた。
「正確に言うと、試験の前に挫折してしまったがの…。実に嘆かわしい事だ。それに、実に詰まらん…」
まるで遠くを見るかのような視線をして呟く様にそういうアントハトナ。
それはまるで玩具を失って悲しむ子供のようにポランドには見えた。
しかし、すぐに気がつく。
この老人にとって、商人として大成する。それだけがこの老人の全てなのだと…。
そして、それしか知らないがゆえにそれを他人にも求めてしまう。
結婚し、子をなし、そして普通に老いていく。
そういう人生を知らないまま、老いてしまったのだ。
それ故に、どうしたらいいのか迷って、今にいたるのではないかと…。
歪んでいる。
この人の人生は大きく歪んでいる。
それ故に、巻き込まれたら間違いなく自分の人生は大きく変わるだろう。
それは成功、挫折に関係なく…。
おそらく、今、自分は人生の節目に立っている。
ぶるりと身体が震えた。
ぐっと握るこぶしに力が入る。
別に断ってもいい。
断った場合、これから先は確かにやりにくくなるだろうし、連盟一の商人になるという目標からは遠回りになるだろうが、それでも商人として生きていく事を決心したのだ。
石にかじりついてでも生き延びて、父の夢をかなえてみせるという意思はある。
だが、あまりにも目の前にぶら下げられた報酬は魅惑的で、新たな市場の開拓というやる気に満ちた若手商人を刺激する試練…。
ポランドも独自で情報を集めているが、アルンカス王国とフソウ連合という二つの国は実に商人にとって魅力的な場所と思える情報が確かに多いものの、その反面、文化の違いや生活様式の違いなどもあると聞く。
だから困難なものになる恐れは大きい。
だが、それ故に、チャレンジしてみたいという気持ちが高ぶっていく。
そんなポランドの様子を、アントハトナは実に楽しそうに見ている。
二人の視線が絡み合い、互いの顔を見る。
ゆっくりとポランドはこの部屋に入ってから始めて笑った。
その笑みに、アントハトナは懐かしくなってしまう。
二十年前、彼が唯一後継者だと思っていた男の笑みに似ていると。
野心と欲望に満ちた笑みに…。
そして口にする。
「引き受けてくれるかの?」
「その前に二つ確認させてもらっても構わないでしょうか?」
ポランドは身体を乗り出し、そう聞く。
額には汗が浮かび、緊張しているのがわかるが、それでもふてぶてしいほどの笑みは健在だ。
「ふむ。良いぞ。何を聞きたい?」
「試験の合否の判定と報酬の件です」
その問いに、アントハトナは笑う。
実に楽しげに…。
実際、楽しいのだろう。
新しい玩具がやる気を見せて。
しかし、ポランドにしてみてもただの玩具になるつもりはない。
だからこそ、条件をはっきりさせたかったのだ
「確かに、確かに。重要な点じゃな。そうだのう、市場を開拓し、二カ国との貿易総額が連盟全体の貿易総額の三割を超えたら成功とするというのはどうじゃ?」
「三割…ですか…」
三割という数字は、かなり大きい。
今一番貿易総額が高いのは共和国で、それでも12%程度である。
他の強国にしても5~10%程度、植民地にしている国相手では買い叩いている為に5%未満ばかり。
要は、二カ国の貿易を今の取引相手以上にしろと言う事であり、とても困難で普通ならありえない数字である。
だが、まったく出来ないというわけではない。
商品単価が高いものをうまく使えば出来そうな感じではある。
その商品とは、フソウ連合の艦船だ。
フソウ連合の造船技術は、今では世界でも有数なものであるという情報は誰でも知っており、そして各国はフソウ連合の艦船を欲している。
しかし、唯一、艦船の取引に成功しているのはわずか二件のみ。
王国と合衆国の取引のみだ。
それは政府同士の取引であり、商人は関わってはいない。
だからそこに仲介者として割り込めればかなり美味しいものになりそうではあるが、その反面、連盟や他国の造船はかなり被害が大きくなるだろう。
だが、それがどうしたというのだ。
あくまでも連盟の貿易総額の二ヶ国の割合を上げればいいのだ。
自分で選択肢を狭めてどうする。
手段を選んでという考えは捨てるべきだ。
そうすれば、成功する確率は確実に跳ね上がる。
そして、造船を中心にこちらにはない文化の違いなどを魅惑的に紹介して各国に輸出できれば、ますます成功率は高くなる。
確かに時間は少々かかるかもしれないが、それでも勝算は確実にある。
いつの間にか、ポランドの微笑みは笑いになっていた。
そのポランドの笑いに、アントハトナはわくわくする心を抑えきれない様子だった。
「どうじゃ?」
そう聞く声は心なしか上ずっているかのようだ。
「それで報酬の件は?」
「そうじゃったな。成功した暁には、私の死後、全てをお前さんに譲るように取り計らおう。まぁ、そのころになれば、お前さんもかなりの力を持つようになっておるじゃろうから、わしの部下も反発はするまいて…」
要は、今回の試験は部下を納得させる一面もあるということか…。
ポランドはここまでの難易度の高い試験を課してきた理由を理解する。
もっとも、それは一部だけで、老人の楽しみでという部分は大きいのは薄々わかっていたが…。
しかし、それでもやる価値はあるとポランドは思っている。
だから、彼はゆっくりと、そしてしっかりした声で答えた。
「その依頼を受ける」と…。
「そうこなくてはな…」
アントハトナは手を差し出す。
それは商談成立の証だ。
ポランドはその手をしっかりと受け止め握り返す。
「期待しておるぞ…」
「もちろんです」
握手が終わると、アントハトナは懐から一枚の紙を出すとポランドに差し出した。
名刺のようだが、その名前の横にはサインと印が押してある。
要は、ポランドの後ろにはアントハトナの支援があると匂わせるためのアイテムだ。
あくまでも匂わせるだけだが、それを勘違いしてしまうのは相手の判断であり、こっちの知ったことではない。
だが、使い方次第ではかなり有効な効果を発揮するだろう。
「それを上手く使えば、より確実になろうて…」
「いいのですか?」
「ふっふっふ、遠慮はいらん。使えるものは効率よく使え。それが商売をうまく回すコツの一つじゃ」
「わかりました。活用させていただきます」
名刺を受け取り、ポランドは立ち上がった。
「それでは、失礼します」
ポランドは入ってきたときとは別人のように野心に燃え、部屋から退出した。
今回参加したパーティも上手く活用してコネを作るつもりなのだろう。
アントハトナはその後姿を見送った後に呟く。
「うらやましいのう…。後二十年も若ければ…」
それは自分の老いと不甲斐なさを嘆くようにも取れた。
だが、言葉とは裏腹にその顔に浮かぶのは笑みだ。
楽しくてしょうがないという感情の一部が顔を覗かせている。
要は、結局ポランドの思ったとおり、アントハトナという老人は歪んだ人生観の持ち主なのだ。




