老人と若手商人 その2
案内された会場に入った瞬間、ポランド・リットーミンはその場で立ち尽くしていた。
その会場のあまりの美しさと贅沢さに…。
壁には細かい模様が刻まれており、床はワインレッドの豪華でシックな絨毯が敷き詰められ、天井には幾つもの豪華なシャンデリアが並んで神々しいまでの光を照らしている。
その様子は、あまりにも豪華な、それでいて贅沢すぎる部屋といったところだろうか。
しかし、ポランドがそれだけで唖然として立ち尽くしたわけではない。
そこにいる人物達の顔ぶれも、部屋以上に豪華であった為だ。
二百人ほどの人々がいるのだが、ポランドの知っている各国の外交官や大物商人達のほとんどがおり、おそらくそれ以上のVIPやらセレブと呼ばれる人々もいるのだろう。
それは、裏を返せばアントハトナ・ランセルバーグの力がどれだけ大きいかを現している。
まさに力の違いを見せ付けられた。
そんな感じだ。
そして立ち尽くすポランドに声をかけてきた人物がいた。
年の頃は四十前半といった感じだろうか。
渋い感じがするものの、どこか胡散臭そうな雰囲気を持つ男だ。
「ほうほう、これはこれは…。ポランド殿もついにここに呼ばれるようになりましたか…」
ポランドがやっと我に返って声の方に視線を向ける。
そして固まっていた表情がやっと動いた。
「おおっ、タイドラ様ではありませんか」
声をかけてきた男、タイドラ・マックスタリアンはニタニタと笑って頷く。
「ふふふっ。やっといつもの顔になられましたな、ポランド殿」
タイドラ・マックスタリアン。
共和国でも三本の指はいる大商人で、共和国の一大勢力となったアリシアの派閥を資金援助しているものの一人である。
兄が海賊に襲われた際、偶々近くを警戒していたイムサの共和国艦が介入する事で遺体だけは回収できた。
その時イムサの護衛していた船団がマックスタリアン商会のものであり、遺体を引き取る際に知り合ったのだ。
そして、それ以降、何かと良くしてもらっている。
まさに恩人であり、商人としても大先輩に当たる人物である。
「ははは…。助かりました。親しい人がいてくれるのがこれほど嬉しい事はありませんよ。まさに孤立無援の中でしたからね」
そう言ってポランドは苦笑する。
正確に言うと、孤立無援どころか、圧倒されて真っ白になってしまっていたのだが…。
そう言われ、タイドラはカラカラと笑う。
「まぁ仕方ありませんよ。ここに集まっている面子を見ればそうなってしまうのも…」
そう言ってポランドを自分のいた集まりの方に連れて行く。
さっきまでタイドラと話しこんでいた連中だ。
タイドラは笑いつつ彼らに手を上げて挨拶すると、その場にいた三人を順にポランドを紹介していく。
「順に言うと、右から共和国の外務官であるハミッターさま、合衆国のロゼーンクラーク社のクラーク社長、教国のターントク司祭ですよ」
そう言われ、ポランドは自分の記憶とすり合わせる。
共和国外交官のハミッターといえば、最近頭角を現してきたやり手だということだし、合衆国のローゼンクラーク社は合衆国の八大企業の一角を担う鉄鋼産業の大手、また、ターントク司祭は、奴隷制度廃止や薬物撲滅運動を起した有名人である。
つまり、この三人は、それぞれの業界でかなり有名人であり、かなりの力を持つ者達であるということだ。
ある意味、格の違いを感じてしまうが、それでも胸を張ってポランドは頭を下げつつ自己紹介をする。
「リットーミン商会のポランドです。以後お見知りおきを…」
するとそれぞれから反応が返ってきた。
「ほほう…君がか…」
値踏みするような視線を向けたのはクラーク社長だ。
「クラーク社長、いい加減にしたまえ。亡くなった兄上の意思をついで頑張ろうとしている者をそんな目で見たら駄目ですよ」
軽く社長を窘めつつも、それでも時折興味あるかのようにちらりちらりとポランドを見る外交官のハミッター。
「話はタイドラさんから聞いていますよ。お兄さんの魂が神の祝福を受けられますように…」
そう言ってタートク司祭が短く祈るようなポーズを取る。
それぞれの反応に、タイドラが苦笑して釘を刺す。
「彼は、私の友人なんですからね。お手柔らかに頼みますよ」
「何を言うのです。タイドラ殿の友人なら、我らの友人でもある。なぁ、皆の衆」
「その通りですよ」
「いかにも…。その通りですぞ」
笑いつつそう言い返してくるあたり、彼らがかなり親密な関係である事が伺える。
それに対してタイドラが苦笑して言い返す。
「その割りには、私に対しての風当たりが強い気がするのですが…」
「キノセイデスヨ」
「そうそう。気のせい、気のせい」
「疑っては駄目です。信じるものは救われるのです」
和気藹々といった感じの雰囲気に、緊張気味だったポランドもついつい笑ってしまう。
恐らく自分の緊張をとるためだろうとわかっているのだが、ついつい楽しい気持ちにさせられるのだ。
そして楽しく談笑しながら、タイドラを初めとする四人がポランドにこのパーティに参加している人物を教えていく。
「ほれ、あの女性を口説こうと躍起になっているエロそうな中年がいるだろう…。あれは…」
「あの野郎は、実は…もやってて、裏でかなりあくどいんだが、頼られると弱いんだよ」
「あの美女は、気を付けたほうがいいぞ。裏でやばい連中と繋がっていてな…」
といった感じで、実にわかりやすく、それでいて記憶に残るような説明を付けてくれる。
その配慮に答える為、ポランドは必死になって記憶していく。
まさにコネつくりの勉強と言っていいだろう。
元々ポランドは商人になるつもりはなかったのだ。
しかし、兄を失い、絶望する父親を見て考えが変わった。
父親のあとを継ぎ、連盟一の商人になるという父の夢を告ぎたいと思ったのだ。
そしてそれから彼はがむしゃらにやってきた。
しかし、それでも足りないものが多すぎた。
だからこそ、タイドラとの出会いと交流は実にありがたかったのである。
そして、説明を聞いてきて段々とわかってきた事がある。
アントハトナの人脈は世界中にあるという事が…。
たが同時に、世界のあらゆるところではないという事も…。
「タイドラ様、もしかして…アントハトナ老は、フソウ連合とアルンカス王国にツテがないのでは?」
ふと思いついた事をタイドラに尋ねるポランド。
そしてその言葉に、タイドラが一瞬驚いた後、ニタリと笑った。
他の三人もそれぞれが驚いたり、感心したりといった三者三様の表情だが、共通しているものが一つだけある。
それは、ポランドに対する視線だ。
それは誰もが嬉しそうなものであった。
そして、それにタイドラが答えようとした時、ポランドの後ろから答えが返された。
「ほほう。今までの説明でそれに気が付きましたか…。やはり、招待してよかったですな…」
そう言って笑って答えた人物。
このパーティの主催者であるアントハトナ・ランセルバーグ、その人であった。
それで初めてポランドは自分が主賓者に挨拶をしていない事を思い出す。
「し、失礼しました。アントハトナ老、今夜は…」
しかし、全部言い終わる前に、アントハトナは言葉を止めさせる。
「いえいえ。私こそすぐに挨拶せねばならぬところを、なにやら面白そうな展開で気になって挨拶もせずにいたのです。気になさらずに…」
笑いながらそういった後、真面目な顔になって言葉を続ける。
「おかげで面白いものが見れましたな」
そう言われ、訳がわからずにどうしたらよいか迷うポランドをかばうかのようにタイドラが間にはいる。
「アントハトナ老も人が悪いですな」
「はっはっは。これは失礼したタイドラ殿。ですが、挨拶を遅らせる事で、彼の為にはなったでしょう?違いますかな?」
そう言ってタイドラを軽くいなすアントハトナ。
その言葉に、何も言えなくなるタイドラ。
実際、ここに来てからの三十分は、ポランドにとって大金を得るよりも大きな経験をしたのは間違い事実だろう。
言葉も返せなくなって仕方ないのかもしれない。
しかし、ポランドにしてみれば、師匠と言ってもいい人物がいなされているのだ。
貫禄の差と言うか、経験の差を感じてしまう。
「それでは、少し彼をお借りしてもよろしいかな?」
「それは彼自身が決める事ですから…」
タイドラはそう言うと、ちらりとポランドを見た。
その目は、用心しろと言っているようだった。
ポランドはタイドラを見てわずかに頷くと、視線をアントハトナに向ける。
「ええ。喜んでお付き合いいたします」
微笑んでそう言うと、アントハトナも微笑を浮かべた。
「では、こちらへ…」
案内されるままに付いて行くと会場の奥の方へと連れて行かれ、、奥の方にある幾つもの扉がある場所で給仕に案内されて二人はそのうちの一つの扉を開けて一室に入る。
騒がしかった音が一気に消えてしまった。
どうやら防音が聞いているようだ。
アントハトナから設置してあるソファを進められ、二人はソファに座った。
「ここは、このパーティで知り合った者同士がより詳しく話をするために用意されたVIPルームといったところかの。防音されているし、周りの目もないから気にする必要はないぞ」
要は、応援は来ないぞと言いたいのだろうか。
そんな事を思いつつ、ポランドは笑った。
「でも、ここでの会話は、あなたには筒抜けになっているのでは?」
要は、ここでの会話はあなたの情報源になるんですよね、と言う勘ぐりだ。
しかし、その問いにアントハトナはニタリと笑った。
「どっちだと思うかね?」
その余裕のある言葉に、少し考えたもののポランドは答える。
「商人は、信用が第一だ。だから、もし貴方が商人としてのプライドと誇りがあるのならやっていない」
そのポランドの言葉に、アントハトナは楽しそうに笑った。
「なるほど、なるほど…。確かにそのとおりじゃな」
そう言った後、アントハトナはぐっと身体を乗り出すと真剣な表情に戻って口を開く。
「どうやら私の目は腐っていなかったようだ。合格じゃ」
「合格とは?」
「なに、私がお前さんに依頼するかどうかの試験といったところかの」
「それでは…」
「合格だからの。お主に依頼したい事がある」
「依頼?」
「そう依頼じゃ…。お前さんに、フソウ連合とアルンカス王国との取引を依頼したいのじゃ」
あまりにも突拍子もない言葉に、驚き、それでも何とか言葉を口にする。
「それは…また…どうして…。それになぜ私に…」
そう聞き返すポランドにアントハトナはぎろりと睨む。
「それぐらい予想がついておるじゃろう?」
そう言われ、アントハトナが自分と同じような事を考えている事がわかった。
だがそれが正しいのかどうか自信がない為、ポランドは考えを口にする。
「フソウ連合とアルンカス王国との取引開始は、新しい市場の開拓と連盟の影響力を上げていく為に…ということですか?」
「そういうことじゃ…。そしてお前さんに依頼した理由は、今の連盟の幹部では、それが出来ないとわかっているからじゃ」
ポランドが怪訝そうな顔で聞いてくる。
「しかし、私はあのメンバーの中で一番新参者ですが…」
「だが、今いる面子では、守りに入るばかりで攻めようとせん。だが、お前さんは違う。未熟ゆえに貪欲に求め、吸収し、攻めている。そして、それ故に新しい発想や危機感をわかっておるし、それに対する答えもな」
「なら、私なんかに依頼しなくても、あなた自身がやれば…」
「本来なら、私自ら動くだろう。しかしだ。私はもう年を取りすぎておる」
その表情に浮かぶのは、悔しさと自分の思い通りにならない身体に対する怒りであった。
それがポランドの心をちくりと刺す。
まるで父の代わりに商会を背負っていくと決心した時のように…。
だが、それでも…踏ん切りがつかない。
だから口から出た言葉は否定だった。
「買い被りです」
そう言うとポランドはソファに身を任せる。
だが、それでアントハトナは諦めなかった。
「もちろん依頼だからの。成功した暁には…」
そこで一旦言葉を切り、じっとポランドを見る。
その目力に押され、ポランドは身体が動かない。
まるで蛇に睨まれた蛙だ。
このまま飲み込まれてしまうのではという錯覚さえ覚えるほどだ。
アントハトナの口の動きがスローモーションのように錯覚する。
だが、音は普通に聞こえた。
「お前を私の後継者と認め、私の死後の財産や商会をお前さんに譲ろう…」
そのあまりにも大きすぎる報酬に、ポランドは言葉を失ってしまったのだった。




