銀の副官と魔女 その1
海軍省の一室、ビルスキーア少将の執務室に実に楽しそうな表情で入ってきたのは、ノンナ・エザヴェータ大佐だった。
以前は無表情の氷のような冷たさが目立った彼女だったが、ここ最近は以前に比べれば格段に表情が表に出るようになったように感じられる。
もっとも、それを見せるのは一部の人達のみではあったが…。
「どうされたのですか?」
ビルスキーア少将がそう聞き返すと、ノンナは二枚の書簡を手渡した。
それらは、以前王国とフソウ連合へ秘密裏に送った書簡の返信だ。
その返信を受け取り、それぞれを目に通す。
王国からの返信は、簡単にいうと『今の現状では内政干渉に当たるためわが国はそちらを援助できない』と言うこちらの申し出に対しての断りの内容で、フソウ連合の返信の内容の方も『貴国とはまだ戦争中であり、今のままの状態は援助以前の問題である。よって表立っての援助は出来ない』という内容だった。
「えっと…これがどうしたのですか?どちらもこちらの提案を断る内容のようですが…」
そのビルスキーア少将の言葉に、「そうか。やはり普通はそう取るか…」とノンナは楽しくて仕方ないといった表情で言う。
「もしかして別の意味があるのですか?」
そう聞き返されて、ノンナはニコリと笑いつつ答える。
「私には、条件さえ合えば、援助するという感じに取れてしまってね」
そう言われて、ビルスキーア少将は書簡を読み直す。
確かにその通りだ。
王国もフソウ連合も『今の現状では』とか『今の状態では』という限定での断りだ。
それは裏を返せば、ノンナの言うとおりに取れる。
「恐らくだが、王国とフソウ連合はかなりしっかりとした繋がりがあるんだろう。それでなければ、こんなにも似たような返事がかえってくるはずがないからな」
ノンナのその言葉に、ビルスキーア少将は以前噂になっていた事を思い出す。
王国のアーリッシュ殿下とフソウ連合海軍総司令官のナベシマ長官は親友であるという噂だ。
その繋がりのおかげで共和国は王国との長く続いた冷たい関係を打破できるチャンスを得たという話だった。
「やはりそういうことですか…」
「ああ。恐らくだが、まず間違いないと思う。両国とも用心深いし、自国の不利にならないようにかなり注意を払っている。中々てこずりそうな感じだな」
「では…」
「ああ。それぞれに秘密裏に使者を送り、条件を合わせなければならないな。少将、いい人材はいないか?」
そう聞かれ、ビルスキーア少将は考え込む。
かなり難しい交渉になるだろう。
ガチガチの軍人を派遣しても意味はない。
柔軟な思考を持ち、臨機応変に対応できる人物でなければならないだろう。
少し考えた後、「軍人ではありませんが…」と前置きをして、二人の人物の名前を口にした。
「ダーリア・ユーリエヴィチ・ドロウとレナート・スヴャトスラーフ・ミッセルンならうまくやると思います」
「二人はどういった人物だ?」
「ダーリアは法律家をしている女性ですね。元々はある大きな法律会社に雇われていましたが、今は独立しているはずです。次にレナートですが、元々は帝国でもそこそこの規模を持つ商会の次男で、今は独立の機会を狙って実家の手伝いをしているはずです」
「実力は?」
「そうですね。かなり交渉術に長けていますし、ガチガチの軍人には出来ない思考の持ち主ですから臨機応変に対応できると思いますよ」
そこまで聞き、ノンナが考え込む。
ビルスキーア少将がそこまで言うのだ。
能力的には問題ないのだろう。
しかし、今回の件は秘密理にやることであり、重要度もかなり高い。
よって、信頼できるものでなければならない。
もし情報が漏れれば、王国もフソウ連合も躊躇なく交渉を白紙に戻すだろう。
それに、それだけならまだいい。
完全に敵対する恐れさえあるのだ。
そうなると、もう目も当てられない惨事になる。
それだけは避けたい。
だから聞き返す。
「その二人、信頼できるのか?」
その問いにビルスキーア少将は苦笑しながら答える。
「実は…ダーリアは私の婚約者でして、今は私の海軍建て直しという理由があって結婚してませんが…」
「そ、そうか…」
ノンナが申し訳なさそうな顔をする。
どうやら、結婚できない理由の一部に自分も関係している事を自覚したようだ。
それを察したのだろう。
ビルスキーア少将は笑いつつ言う。
「いやいや、気になさらないでください。あいつも今は仕事が面白いといってましたし、ましてや秘密裏とは言え、こういった大きい仕事だと間違いなく燃えてやる気を出すでしょう」
「そうか。ならいいんだが…」
「それと、レナートですが、彼も信頼できますよ。昔は、兄弟と間違われてしまうくらい仲のいい私の従兄弟ですから…」
「ふむ…。なら良さそうだな」
「ええ。お任せください。二、三日の内に朗報をお持ちしますよ」
そう言われ、少しほっとした表情を見せるノンナ。
それを見て、ビルスキーア少将は思う。
どこが凍りの美女だってんだ。
こんなに感情が豊かじゃないか。
そこまで考えて、心の中で優越感に満たされる。
しかし、心から信頼できている者のみにしかこの感覚は味わえないんだったな…。
そんな事を思いつつ、「頼むぞ、少将」と言われ、ビルスキーア少将は優越感に浸りながらびしっと敬礼する。
「はっ」
そして、ノンナが自分の控え室に行こうとした時だった。
ドンドンドンっ。
ドアが激しく叩かれる。
その音に、ビルスキーア少将もノンナも表情を引き締める。
「どうした?」
そう、ビルスキーア少将が聞き返すとドアの向こうで部下の声で用件を口にした。
「大変です。大変な情報が入ってきました」
その言葉にビルスキーア少将がノンナに視線を向けると、ノンナは頷いて退室を止めて少将の横に立つ。
それを確認してからビルスキーア少将が咳払いをした後に口を開いた。
「ふむ。わかった。入室を許可する」
ドアが開き、諜報部の士官がに入室して敬礼する。
ノンナがちらりとビルスキーア少将を見ると、少将は頷く。
信頼できる部下だという事だろう。
「失礼します。つい先ほど、首都に潜伏中の者より連絡がありました」
「ふむ、で、その内容は?」
一瞬、ちらりとノンナの方を見ていいのかと士官は迷うが、ビルスキーア少将が頷くとメモに目を落として内容を読み上げる。
「はっ。『マジョ キョウワコク トノ コウショウ 二 ウゴク シュッパツ フツカゴ アメンドラゴ ヨリ』以上です」
その内容に、ビルスキーア少将は苦虫を潰したような表情を浮かべ、ノンナは何か考え込んでいた。
「よし。今の内容は極秘事項だ。いいな?」
「はっ。失礼します」
仕官は退出するとビルスキーア少将は視線をノンナに向ける。
「不味いですよ、これは…」
ビルスキーア少将も災厄の魔女の力を知っている。
彼女の力なら、共和国の協力を得るようにすることなど簡単に成してしまうだろう。
そうなれば、不利になるだけではない。
王国やフソウ連合の援助さえも受けにくくなってしまう恐れが強くなるからだ。
「これは何か手を打たなければ…」
ビルスキーア少将のその言葉に、ノンナは口を開いた。
「その船を捕捉出来るかしら?」
「場所と出航の日付がわかっている以上、可能ですが…」
「そう。なら一つ手があるわ…」
ノンナの言葉に、ビルスキーア少将は驚いた顔で聞き返す。
「何ですか、その手は?」
そして、聞かされた内容に、ビルスキーア少将は絶句したのだった。




