帝国首都クラーンロにて…
「くそったれ。どういうことだ?」
目を通していた書簡をエリク長官は荒々しくテーブルにたたきつけた。
その様子に、横にいた副官が慌てて聞く。
「いかがされましたか?なにか問題でも…」
そう聞いてくる副官の方に視線を向けると、エリク長官は苦々しい表情を浮かべる。
「共和国の連中め、よりにもよって援助の話を断りやがった」
その言葉に、副官も驚いた顔で固まる。
それはそうだろう。
今まで共和国はどんな時でも帝国の味方であり、負けたとはいえフソウ連合討伐の作戦を一緒に行ったりといったことまでやっている。
それほどに関係であるはずなのに…。
なのに、なぜだ?
理由がわからず、イライラした様子の二人を、書簡を持って来たヤロスラーフは黙ったまま冷めた目で見ている。
宰相の命とは言え、こんな連中に協力しなければならない今の自分を情けなく思いながら。
しかし、さすがにこのままではダメだと思ったのだろう。
諦めてヤロスラーフは口を開いた。
「聞いた話では、軍師殿が亡くなり親帝国派の力が弱まった為と聞いております」
「なんだと?それはどういうことだ?」
エリク長官がぎろりと威嚇するようにヤロスラーフの方を睨むように見る。
しかし、それはかえってヤロスラーフを呆れさせた。
そんな情報も集めていないのか?
思わずそう聞き返したかったが、ヤロスラーフはその言葉をぐっと我慢して別の事を口にする。
「フソウ連合との講和を結び、王国との衝突を回避したアリシアという女性議員が、今や共和国の最大の勢力を手にしております。その為、今の共和国は、親フソウ連合、親王国派に近い動きをしておりますな。確かに親帝国派もおりますが、以前のような力はもうないようです。ですから、もう共和国の力を当てにする事は難しいかと…」
だんっ。
青筋を立てたエリク長官が不機嫌そうにデスクを叩く。
「くそったれ。そのビッチを殺すことは出来ないのかっ」
「無理ですな。彼女の周りには、かなり厳重な警戒網が張られているようです。帝国だけでなく、他国の諜報部の連中もすでに何人も返り討ちにあっているようです」
淡々と返すヤロスラーフに、エリク長官は怒りをぶつけようとしたが、何か思いついたのだろう。
いきなりニタリと媚びた微笑を浮かべて穏やかな口調で話し始める。
まさに猫なで声といったところだろうか。
気持ち悪いな…。
ヤロスラーフはそう思ったものの、ぐっと我慢する。
「そういえば、宰相殿の孫娘である災厄の魔女が帝国に帰還していたな…」
「はい。お戻りになられております」
「そうか。そうか。なら、共和国の方の対処を彼女に依頼したい。どうかね?」
要は、災厄の魔女の力で、共和国の国論を変えて来いという事だろう。
なんでも魔法でころころと変えれるとでもこの男は思っているのだろうか。
王国の時も、失敗したとはいえフソウ連合の時も、準備期間が必要であり、早々簡単にはできる訳ではない。
魔法というのは、思った以上に便利なものではないと言う事がわかっていないだろう。
その上、諜報力の高い連中がいるようなのだ。
しっかりした準備が必要だし、魔法で何かする為には対価が必要なのだ。
それをしっかりと説明してやろうかとも思ったのだが、ヤロスラーフはそこまで考えて考え方を改める。
連中が、アンネローゼをその程度の便利な手札と思っているのなら、今回の事を断ったとしても、今の帝国にいれば結局はいいように親衛隊に使われてしまう恐れが高い。
それならば、いっそのこと…。
そこまで考えるとヤロスラーフは頭を下げた。
「わかりました。アンネローゼ様に話をしてみましょう。ですから少しお時間をいただけないでしょうか?」
「うむ。わかった。よい返事を期待するぞ」
「はい。もちろんでございます。では早速話をしに行ってまいりますで、これで失礼いたします」
そう言って再度丁寧に頭を下げると、ヤロスラーフはそそくさと親衛隊本部にある長官室から退出したのだった。
ヤロスラーフが出たドアをしばらく二人は見ていたが、ドアの向こうで警備している兵士がドアをある一定のリズムで叩く。
誰もいない。
安全だという合図である。
そしてその合図に、二人は互いの顔を見合わせた。
「どうやら、上手くいったようですな」
副官がおかしくて仕方ないといった顔でそう言うと、エリク長官もニタニタと笑う。
「これで、魔女はしばらく帝国から離れるな」
「ええ。間違いないでしょう。もっとも、監視はしておく必要があるとは思いますが…」
「あの魔女がいたら計画を引っ掻き回される恐れが高いからな。だから、計画を進める間の時間が稼げればそれで十分だ」
「それでしたら問題なくうまく稼げると思います」
「そうかそうか…」
そういった後、少し間を空けてエリク長官が聞いてくる。
「それでだ。連盟の交渉の方はどうだ?」
その言葉に、待ってましたとばかりに副官の顔がニタリと歪む。
「万事うまく処理済です。間違いなく連盟は我々の味方をすることになるでしょう」
「そうか。なら安心して計画を進められるというものだ」
「しかし、もし魔女が共和国の方を処理できたらどうしますか?」
そう聞く副官に、エリク長官はニヤリとしつつ言う。
「それはそれで構わんさ。支援してくれる国が二カ国になるだけよ。我々は困らん」
「確かに…。どっちに転んだとしても、問題ありませんな」
「そういうことよ」
エリク長官が下卑た笑い声をあげて目を細めると言葉を続けた。
「それで、魔術師ギルドの方はどうなっておる?」
「はっ。そちらも上手くいっております」
そう言った後、しかし副官の表情はニヤけ顔から呆れたようなものに変わった。
「しかし、あのギルド長のヨシフ・ヤーコヴレヴナ・エレンムハという男…。あれは気が狂っているとしか思えんませんが大丈夫なんでしょうか?」
その言葉に、エリク長官は心底楽しそうに口を開く。
「ふんっ。あの男はな、知識の為ならなんでもする知識の奴隷だ。それ以上でもそれ以下でもない。別に気にするな」
「しかし、信用していいのでしょうか?」
「言われなくても信用はしておらん。ただな、やつは知識欲を満たす為なら、我々を裏切らないという事だけは間違いない。だから、やつにはそれで十分ってことだ。それで、あの男は儀式はいつ行うと?」
その問いに、副官は胸ポケットの手帳を開き確認する。
「五日後には資材や触媒が全て運び終わりますから、その後の儀式の準備が整い次第、すぐに始めるといっていました。そうですね。遅くとも一週間後には始める事となるでしょう」
「そうか。そうか。それで街の方には親衛隊は配置していないんだな?」
「はい。ただ街から逃げ出すものを捕らえる為に包囲は完了しております」
その答えに満足したのだろう。
エリク長官は満足そうに頷いた。
「それでは、配置した人形どもを躍らせようではないか」
「はい。儀式完了をスタートとして、用意していた計画を始めさせていただきます」
「うむ。任せたぞ」
そう言ってエリク長官は大きく頷くと椅子に深々と座り、背もたれに身を任せる。
その顔に浮かぶのは満面の笑みだった。
「共和国に行けと?」
うんざりした表情で、アンネローゼはヤロスラーフを見ながら聞き返す。
ここはアンネローゼに与えられた執務室という事だが、今まで事務なんてものはほとんどしないアンネローゼにとってこの部屋はただの休憩所でしかない。
しかし、今、アンネローゼのデスクにはなぜか書類の束が折り重なっていた。
それが気にはなったものの、ヤロスラーフは視線を書類からアンネローゼに戻すと頭を下げつつ言う。
「ええ。お願いできないでしょうか?」
以前のアンネローゼなら、すぐに返事をしただろう。
楽しそうだと言って…。
しかし、今のアンネローゼにとっては、以前のようにゲーム感覚で謀略に関わるつもりはもうないし、それが楽しいとも思わない。
それにそれ以外にも問題はある。
今のアンネローゼの魔力では以前と同じ事はできないと言うことだ。
つまり、最初から失敗するという事がわかっている。
だから断ろうと口を開きかけた時だった。
「もし今回の事を断ったとしても、連中は貴方を謀略になんとしても使おうとするでしょう。連中にとって、あなたという存在は、ジョーカーに匹敵する魅力的過ぎる手札という事ですな」
その言葉で、ヤロスラーフの言いたい事がアンネローゼはわかった。
要は、いい様に利用されるのは面白くないから、帝国を離れたほうがいいという事なのだろう。
「ふう…」
息を吐き出した後、アンネローゼは複雑そうな表情でヤロスラーフを見る。
この男は、前から親しい周りの人の事ばかりを優先してきたのだ。
だから、つい聞いてしまう。
「あなたはどうするのよ?」
「私はもちろん残ります。宰相閣下をお一人には出来ませんし、連中にとっては私はただの宰相の僕か駒の一つ程度にしか思っていないでしょう」
「そう…。なら、いいわ。今回は貴方の話に乗りましょう」
ため息を吐き出してそういった後、アンネローゼは思い出したように言葉を続けた。
「そうそう。それでね、ついでにお願いがあるんだけど、頼まれてくれない?」
そう言うアンネローゼは実に楽しそうな表情を浮かべる。
例えでいうなら、意地悪な悪戯を考え付いたようなといった方がいいだろうか。
その表情に、ヤロスラーフは思わず苦笑した。
かなり雰囲気が変わったと思ったが、こんな部分は変わっていないなと…。
そして口を開いた。
「わかりました。お話を伺いましょう…」と。




