とある親衛隊隊長の混乱
雑草号を取り逃がしてから、一週間後、商業港インチョーブルの親衛隊本部は混乱の極みにあった。
それは一通の命令文が親衛隊本部から送られてきた事から始まる。
その命令は実に簡単なものだった。
『至急雑草号の船長に連絡を取れ。これは絶対であり、重要任務である』
たったそれだけである。
その命令に、この街の全体を統括する親衛隊の指揮官セミョーン大尉は、何も考えずに部下のティムール少尉に命令実行を伝えた。
それはそうだろう。
本部から、『絶対』だの『重要』と書かれている命令を蔑ろにする度胸はないし、内容を疑ったり探ったりもしない。
命令にきちんと従っていれば、責任は上が取ってくれるし、余計な事に顔を突っ込むとろくな事にならないと自覚しているからだ。
それに雑草号の件は問題なく終了したと報告されており、すぐに対応できるだろうとふんだからである。
なお、ティムール少尉とはアンネローゼの保護の際に同行した親衛隊隊長であり、雑草号の件で手に入れた報奨金を部下と山分けして毎晩のように夜遅くまで飲み歩く楽しい日々をすごし、その日もまだ酒の抜けきらない状態で仕事についていた。
もっとも、この街はそれほど大きなトラブルもなく、暇を持て余した親衛隊の一部が精々密輸船相手に小銭稼ぐ程度の事しかしていない。
だから、二日酔いであろうが、酒が残っていようが業務に支障をきたすほどの事はなかった。
しかしである。
上司から下された命令は、残っていた酒を一気に正気に戻すには十分すぎる効果を発した。
「い、今、何とおっしゃいましたか…」
だらだらと脂汗を流し、真っ青な顔をして聞き返すティムール少尉。
その様子に怪訝そうな顔をしたあと、セミョーン大尉が少し不機嫌そうに言い返す。
「何度も言わせるな。『至急雑草号の船長に連絡を取れ。これは絶対であり、重要任務である』以上が本部から至急に実施せよと送られてきた命令だ。さっさと済ませろ」
『さっさと済ませろ』という言葉に、ティムール少尉はびくりと身体を痙攣させ、まるで錆びついた機械のように首を動かして上司を見た。
「なぜ、こんな命令が…」
「そんな事は関係ない。命令には絶対だ」
「し、しかしですよ、なぜ私に…」
「君の報告では、問題なく穏便に対応を終わらせたとある。それにだ。顔見知りである方が話もまとまりやすかろうと思ってな」
「ですが…」
あまりにも挙動不審なティムール少尉に、ますます怪訝そうな顔をしてセミョーン大尉が覗き込むように聞き返す。
「なんだね?あの報告は間違いであったという事かね?」
「い、いえ。そんな事はありません。しかしですね…相手は密輸船ですよ。我々の問いかけに応じるかどうか…」
「だからこそ、顔見知りである君に命じているのだがね…」
「しかし…」
そう言いかけたティムール少尉だったが、このままでは不味いとわかったのだろう。
「り、了解しました…。す、すぐに実施いたします」
「ふむ、そうか。急ぎらしいからな。さっさと済ませたまえ」
そう言うと、ティムール少尉に退出を促した。
退出して急いで自分の執務室に戻ったティムール少尉は、頭を抱えて焦った表情で意味もなくぐるぐると部屋の中を歩き回り、「不味い、不味いぞ」と無意識のうちにブツブツとその言葉を繰り返している。
第三者から見たら、その様子は喜劇のようだが、本人にとってはまさに最悪の状態だった。
どうせもう縁のない連中だから何をしても構わないという無責任さ、ちょっとした小遣い稼ぎ、アンネローゼという美女と楽しめなかった腹いせ、それらの思いがあんな行動に出てしまったのだ。
だから、所詮その程度のつもりだった。
だが、まさかこんなとことになるとは…。
何とか誤魔化さなければならない。
だが、どうすれば…。
しかし、ここでうろうろしていたとしても時間が過ぎていくだけだ。
ともかく、行動するしかない。
その事に気が付いたの、じつに三十分近く部屋の中を歩き回った後だった。
ともかく雑草号と連絡を取れる手段を何とかしなくては…。
そう気が付くと、慌てて部下達に雑草号の取引相手の商人を調べさせ、雑草号との連絡を取り付けるように命じた。
しかし、命じたものの、普通に連絡を取ってもうまくいく可能性はかなり低いのではないだろうか。
事前に危険を感じて、逃げ出すような連中だ。
殺そうと思って踏み込む気だった連中と連絡は取らないだろう。
いや、待て…。
連中は我々が実際にそういった行動を起こしたとは見ていない。
なら、うまく言いくるめられないだろうか。
報奨金を渡したいから連絡を入れたとでも言えば、信じるんじゃないだろうか。
そうだ。それでいこう。
実にいい手だ。
そう気が付くと、慌てて部屋から飛び出して、部下達の執務室に走り込む。
取引先の調査をする為の準備をそれぞれしていた彼の部下たちは、血相を変えて走り込んできたティムール少尉に驚いて一瞬固まったが、慌てて敬礼する。
「な、何かありましたでしょうか?」
まとめ役の兵が聞き返すとティムール少尉は息を切らしながら言う。
「い、いいかっ。丁寧に相手するんだぞ。はあはあ、それでな、なぜだと聞かれたら…はあはあ…政府の為に働いた為の報奨金を渡したいからと言えっ。いいなっ」
しかし、その言葉に首をひねりながら部下の一人が聞き返す。
「えっと…報奨金でしょうか?」
「そ、そうだっ。そう言え」
「ですが、報奨金は…」
そう言いかけた部下の一人の口を別の部下が慌てて塞ぐ。
「り、了解しました」
「いいかっ。急げっ。上手くやらなければ、俺だけじゃねぇ。我々全員の責任問題になりかねないからな」
そこまで言われ、部下たちも今回の件をうまく処理しなければ不味い事になると気が付いたのだろう。
部下達の顔から血の気が引く。
そして、普段のだらりとした表情を引き締めて敬礼する。
「り、了解しました。必ず、必ず成功させます」
「よしっ。急げっ」
「「「「はっ」」」」
蜘蛛の子を散らすかのように、その場にいた部下全員が動き出す。
普段のこの部署の様子を知っている第三者が見たらびっくりするだろう。
こいつら、こんなに機敏に動けたんだと…。
それともあまりの普段との違いに、実は別人かもと思っただろう。
それほどの落差があった。
そして、二時間後、雑草号の今回の取引相手を見つけることには成功する。
すぐにティムール少尉は部下数名を連れて取引相手先に向った。
相手は倉庫が集まった地区の一画を任されている商人で、慌ててやってきた親衛隊隊長や部下達を怪訝そうな顔で見ている。
どう考えても歓迎ムードではない事は一目瞭然で、あまり親衛隊のいい噂を聞かないために、警戒しているのだろう。
「親衛隊の旦那、今日はどういったご用件で?」
商人はそうわざと聞いてくる。
雑草号の連絡先の件だと事前に連絡はしているはずだが…。
ふとそう思ったが、ティムール少尉はそんなことに構わずに焦った口調で言う。
「貴様のところの取引先の相手についてだ。ほれ、この前取引した船の…」
「そりゃ困ったな。確かにお宅とは持ちつ持たれつという関係を続けていきたいとは思ってますがね。それとこれとは話が別でさぁ。旦那も俺らの商売を知ってるでしょう。こういった取引は信用関係がなくちゃできねぇ。それによ、取引先の情報を売り飛ばすなんてのは外道のするこった。さすがに法を破り道を踏み外した俺らでもそれはやっちゃなんねぇことだぜ」
腕を組んでしみじみとそういう商人に、これでは埒が明かないと判断したのだろう。
ティムール少尉は口調を変えた。
「何偉そうに説教ぶってやがるってんだ。てめえはさっさと取引先の情報を出せばいいんだよ」
そう言ったティムール少尉は凄みを利かせ睨みつける。
しかし、そんな脅迫も商人はどこ吹く風といった感じだ。
それどころか、それで商人顔つきが変わった。
さっきまでの営業の顔ではなく、その仮面の下に隠していた本当の顔が現れたのだ。
「旦那、もしかして俺を脅してるつもりですかね?」
きろりと睨み返される。
この街の商人たちはヤクザな連中とも取引を普通にするのだ。
そんな連中に比べれば、この程度の脅しなど脅しのうちにも入らない。
「ふんっ。なるべく波風立てたくなかったんで、ちょっとしたことは目をつぶってきましたけど、こっちも限界というものがありますぜ。なんなら、この街の商人全員を敵に回してみますか?」
この街の商人全員というのは物の例えだろうが、商業港ということもあってこの街を中心に動く商人の勢力はかなり広範囲に影響力がある。
それを敵に回したら、自分だけの責任ではすまない。
それがわかったのだろう。
ティムール少尉は、慌てて言い方を変えた。
「ち、ちょっと待てっ。俺は別に喧嘩を売りに来たんじゃねぇ。話し合いに来たんだ。それはわかってくれ」
「わかりました。その言葉を信じましょう」
そう言うと、商人は穏やかな表情になる。
「それで先ほども言いましたように、我々は信用で商売をしてるんでさぁ。それを簡単にほいほいっとお教えできないんですよ。ご勘弁ください」
丁寧だが、はっきりとした拒否に、ティムール少尉はすがりつくように頼み込む。
「頼む。連絡先だけでいい。それ以外はいいんだ。ともかく、連絡先だけだっ…」
さすがにそこまで言われてしまってはどうしょうもないと思ったのだろう。
呆れたような表情をしてため息を吐き出すと、商人は口を開いた。
「本当はしたくはねぇんですけどねぇ。うちは商人で、お客様がほしい物を提供して代金を得る。そういうわけで、取引なら応じましょう」
取引と言われてティムール少尉の眉がピクリと動く。
それに気が付いたのだろう。
商人が笑いつつ言う。
「いやそんなに心配しなくても別に金を寄越せとはいいません。そうですね、一年間の港での優遇と情報って言うのでどうですか?」
金ではないと聞き、少しほっとしたものの、一年間とはいえ港での優遇と情報という部分で目つきが鋭くなった。
「いやなにそんなに大げさな事じゃありませんって。優遇って言ってもこっちの手配する船舶の入出港と荷降ろしぐらいですか。それに情報としても、どんなものがどの程度出入しているかぐらいで十分です」
「そ、そんなものでいいのか?」
「ええ。荷物の敏速な移動と情報は商売人としては大切ですからね」
「ふむ…。確かに。どれがどれだけでは入りしてくるかがわかるだけで必要な物は判断できる。それを元に上手くやれば…」
「そういうことですぜ」
「わかった。その程度なら…」
その言葉に、商人はぽんっと手を叩く。
「じゃあ、証文をお願いします」
「証文?」
「ええ。口約束だけじゃ反故にされちまいますからね」
ティムール少尉が嫌そうな顔をしたが、否定はしなかった。
そうするつもりだったのだ。
だから、それを押し切られて証文を書かせられるとサインを記入させられた。
もっとも、商人にしてもこれで絶対に約束が守られるとは思っていない。
しかし、首都にいる証人の知り合いにこの証文を見せればこの少尉を失脚させるぐらいの威力はあるだろうし、下手したらもっと大騒ぎになることさえ考えられる。
だから、ちょっとしたあくまで保険としてなら、十分すぎる代物だ。
それに、ティムール少尉もいざとなったら証文の一つぐらいなら何とかなる程度しか思っていない。
だから言われるままに書いたのだ。
そして、証文は完成し、それを確認した後、商人は雑草号の連絡先を書いたメモを渡した。
「我々が聞いた連絡先はここです」
そう言って…。
しかし、心の中では、舌を出し少尉を笑い飛ばしていた。
もっとも、もうその連絡先は使えねぇけどな。
あの船長は実に用心深いから、一度足が出た連絡先はすぐに切り替えていることだろう。
だからこそ、あの船長は信用できるのだ。
そして、その事を別に教える必要はない。
なんせ、話の中にそんな情報を求める事は含まれなかったし、何より自分らが連絡を取ったときは通じていたのだから…。
心の中でそんな事を思いながら、商人は慌てて出て行く親衛隊の連中を微笑んで見送ったのだった。
なお、連絡先だがもちろん連絡が付かず、なんとか色々手を回して連絡がつくようになったのは実に一週間後であり、その頃にはもう諜報部の依頼で雑草号はアンネローゼを乗せて共和国に出国した後であった。




