影
点灯式から五日後の夜。思いもよらないことが起きた。
僕は珍しく当直勤務の翌日に、休みが取れた日だった。買ったものの読む時間が取れず、棚の上に置いた本が何冊か積まれていた。
その日は朝から、本に塗れて過ごしていた。
テーブルの上に置いていたスマホが、ヴヴと一定のリズムで震えながら鳴った。ソファーに座ったまま手を伸ばす。彼女からの着信だった。
思いも寄らないことに、一瞬どきりとする。深呼吸してから
「はい」と電話に出た。少し間があってから、彼女の声がした。
「……急に電話してごめんなさい。あの……無理を承知で言うんですけど、今からイルミネーション、見に行きませんか?」
唐突な誘いに驚いて言葉が出ない。返事に迷う。ただ、彼女の声がいつもより沈んでいて、切羽詰まっているようなのが気になった。
「何かあったんですか?」
「今、何て言うか……怖くてたまらないんです。一人でいるのが」
言葉を探すように彼女は答える。その声は震えていた。放っておいてはいけないような気がした。
「いいですよ」
僕のその言葉を聞いて、彼女が安堵する息遣いが、スマホの向こう側から伝わってきた。
前回と同じように精華医大の前で待ち合わせることにし、電話を切った。
大晦日まで一週間を切った今夜は、今季一番の冷え込みだった。外に出た途端、体温が一気に下がるようだった。足元からも寒さが這い上がってくる。
正門前に着くと、ほどなくして彼女がやってきた。その表情を見て、会うことにしてよかったと思った。
触れただけで割れてしまう、薄い氷のような頼りなげな表情をしていた。いつもの優しい表情の欠片もない。
「突然ごめんなさい」
と呟く声にも力がなかった。彼女の様子が気になりながらもとりあえずチケットを見せ、キャンパス内に入る。
外でイルミネーションを見るには、今夜は寒すぎると思った。きっと五分もその場にいられない。
「こっちにきて」
彼女に声をかけ、図書館前の並木道の途中で、八階建ての教室棟につながる通路に出る。教室棟の入口の扉には〝こちらの扉は午後九時に施錠します〟という貼紙があった。
スマホで時間を確認すると、午後八時前。一時間はある。
彼女は言われるがままついてきた。エレベーターに乗り五階を押す。
「外でイルミネーションを見るには寒すぎるから」
僕がそう言うと、彼女はこちらに顔を上げた。その瞳を見て泣き腫らしたことがわかった。
五階に着き、エレベーターの扉が開く。
正面はガラス張りになっていて、その向こうに光り輝くシンボルツリーが間近に見える。
ここから見えるシンボルツリーが、一番綺麗ということも、ここに通っていた時に知った。その頃の僕にとって、その景色は苦々しいものだったのだけれど。
ガラスにそっと指先をつけ
「すごい……手が届きそう」
と彼女が言った。
じばらく黙ったまま、窓の向こうの光を彼女は見つめていた。そして口を開いた。
「帰って一人でいたら、不安に呑み込まれそうになって。
姉もあの時、一人だったんだ、と思ったら怖くて仕方なくなって……」
彼女の瞳は窓の向こうに向けられたままだ。
「ちょうど一年前、姉が倒れたんです。翌日、連絡がつかない姉を、職場の人が心配して家にくるまで、姉は冷たい床の上に、倒れたままだったんです」
淡々とした口調で続ける。
「幸い命は助かったんです。でも、発見が遅れたぶん、後遺症が残って。命が助かったことを、喜ばないといけないってわかってます。
でも、やっぱり、どうして姉がって思って。
……辛くて、悔しくて」
そこまで言うと彼女の瞳から涙が溢れた。次々と涙が頬を伝い、細い顎の辺りで水滴になる。
「この一年、すごくしんどかったです。父も母も悲しみに暮れているし、私も悲しかったけど、同じように悲しんだら、姉がいたたまれない気持ちになるんじゃないかって。
自分の感情に蓋をして、我慢してきました」
そう言って瞳を閉じると、さらに幾筋もの涙が頬を伝った。
僕は彼女にかけるべき言葉を見つけられないでいた。というより、何も言ってはいけないような気がした。
ただできたのは、ガラスに触れたままの彼女の指先に、そっと手を当てることだけだった。細い指先は、感覚がなくなってしまっているんじゃないかと思うほど、冷たくなっていた。
「最後に」
そう言って彼女は、シンボルツリーに向かって祈る仕草をした。
それはきっと、お姉さんのこと。幸せとか、安泰とか、そういうことなのだろうと思った。
深呼吸し、彼女がこちらに向き直った。
「ありがとうございました」
その声と表情は、どこかすっきりしていた。




