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しあわせの中に 彼女をさがす  作者: はやはや
8/14

再び

「いってきまーす」

 と言う声と、ドアを閉める音。パタパタと子どもが、マンションの廊下を走る音で目が覚めた。

 昨日、彼女との電話を切った後、そのままソファーで眠ってしまった。体のあちこちが痛い。痛みが和らぐように、軽くストレッチをし、カーテンを開けた。

 冬の朝は、どこかどんよりしている。

 気持ちまで鬱屈しそうになるのを堪える。シャワーを浴びて洗濯をしよう。蔭山先生から「ちゃんと飯食ってんのか?」

と言われたことを思い出した。食事もちゃんと摂ろう。



 シャワーと洗濯を済ませ食事の用意をする。コーヒーを淹れ、トーストとインスタントではあるけれどスープ。それにヨーグルト。

 ここ数日のうちでは、一番まともな食事だった。スマホを手に取ると、メールがきていた。

〈お疲れ様です。イルミネーション二十日で大丈夫ですか? 七時前に精華医大の前で〉

 というメッセージの最後に笑顔マークの絵文字があった。昨日の電話でのやりとりを、ぼんやり思い出す。

〈わかりました 大丈夫です〉

 そう返信した。まだ先のことだと思っていたのに、点灯式は明日だった。



 ジンクス通りになったという彼女の友人と、そうならなかった僕。当時、付き合っていた先輩は、病院でのボランティア活動で出会った、看護学部の子の知り合いだった。

 その子を通して、初めて先輩に会ったのだった。そのうち、何となく二人で会うようになり、告白された。

 自分に好意を寄せてくれている、ということが素直に嬉しかった。先輩は落ち着いた真面目な人だった。

 当時、薬学部の六年生で、卒業試験や国家試験の勉強で忙しかったはずなのに、僕のことをいつも気にかけてくれていた。

 病院実習を前にした実習室での様々なトレーニングで、僕が悩むことがあると、話を聴いてくれたし、一人で考えたいときは何も言わないでいてくれた。

 それなのに、僕は先輩の話を一度たりとも聴くことがなかった。年上たがらと気を遣ってくれている先輩に、甘えていたのだと思う。

「ごめん。自分から告白しておいて、失礼な言い方だと思うけど。良平君に真剣に向き合うのがしんどくなったの。

 気持ちを切り替えて、国家試験の勉強をもっと頑張りたい」

 年が明ける前に、そう言われた。

 当時の僕は、そう言われてもあまりショックを受けなかった気がする。きっと先輩に気持ちが向いていなかったからだ。

 改めて当時を思い返し、僕が初めから先輩のことを気にかけて、同じように全力で向き合っていたら、今でも一緒にいることができたのだろうか。

 でも、いくら想像してみても先輩の顔すら、ぼんやりとしか思い出せない。自分も失礼な奴だと思う。

 僕は恋愛でも、自分の思いを持つことができていなかった。



 あれ以来、点灯式には行っていないし、イルミネーションも通りすぎるだけだった。

 十年近く経ってから、再び点灯式に行こうとしている。そのことが、不思議だった。



 翌日は朝からよく晴れていて、優しい水色の空には、雲一つなかった。

 日が沈むと東の空で星が輝き始めた。

 確約できない、と彼女に話しておきながら、急患が入らないように、急変がないように、と祈る自分がいた。

 その祈りが通じたのか、約束した時間の十分前に精華医大の正門前に着くことができた。そこには、ブラウンのロングコートにマフラーを巻いた、いつも通りの彼女がいた。

「お待たせしました」

 と言うと「私もさっき着きました」と笑顔を見せた。



 入口でチケットを見せ、久しぶりにキャンパス内に入る。図書館前の並木道を途中で曲がり、実習棟に沿って歩く。その突き当たりが、点灯式会場の広場だ。

 そこには一本の大きなもみの木が植っている。点灯式のシンボルツリーだ。

それを囲むように、人が集まっていた。周りから聞こえてくる話し声は、どことなく弾んでいる。

「大きなもみの木ですね」

 見上げてそう言う彼女の目線は、仕事中よりやはり上にあった。

 時間になったのだろう。もみの木に当たっていた、スポットライトが消えた。周囲の騒めきも、小さくなっていき、やがて静かになる。

 十年前と同じように、合唱サークルが讃美歌を歌う。すると辺りは幻想的な雰囲気に包まれた。

 歌声の最後が、夜の闇に吸い込まれるように消えると同時に、シンボルツリーが輝く。

 赤、黄、オレンジ……

 歓声が上がる。ふと、彼女に目をやると、目を瞑り胸の前で、両手を組んで祈るような仕草をしていた。その佇まいが、あまりに神聖で、見てはいけないものを見たような気がした。

 一方でその姿を見続けたいとも思った。この神聖な雰囲気は、どこからくるのか。

 しばらくすると彼女は目を開け、ツリーを見つめた。そして、こちらを向いて言った。

「ありがとうございました。すごく素敵でした」



 駅まで戻りながら、二人でぽつぽつと会話をした。

「若宮さんって背が高いですよね?」

「どちらかというと。百八十五に届かないくらいですね」

「この間、仕事中に会った時、私がスニーカーを履いていたら、すごく見上げる恰好になったから。驚きました」

 その言葉を聞いて、僕も驚いた。同じことを思っていたのかと。

「同じこと思ってたんですね。僕も驚きました」

 心の声をそのまま口にした。すると彼女が笑う。それにつられて、僕も笑った。

「名前、みずきっていうんですね。この間、子どもが『みずきせんせい』って」

「そうです。若宮さんの名前は?」

「良っていう字がつきます」

「え? クイズなんですか?」

 意表を突かれたように言った後、良太りょうた良介りょうすけ良成りょうせいと思いつくまま、名前を挙げ始める。

 そして、いくつか外した後で

「良平」

 と言ってくれたのだった。

「そう。それが正解」

 と言うと「やっと当たった」と笑う。

 駅に着くまでに、お互いに話したことは、彼女が僕より三つ下だということ。彼女には姉がいて、僕には妹がいるということだった。



 駅前は賑やかだった。十二月はどこか人が華やいで、楽しそうに見える。

 改札を通る前に、彼女は振り返った。

「今日はありがとうございました」

 そう言って人混みの中に紛れて行った。

 改札に背を向ける。病院を出る頃は、寒々としていた空気が、今はどこか温かい。さっきまで彼女が歩いていた、左側がじんわりと温かいことに気づく。

 次に会う約束をしていないことが残念に思えた。

 その夜は眠ろうとすると、光り輝くシンボルツリーと、それに祈りを捧げる彼女の横顔が、瞼の裏に鮮明に浮かんできて、なかなか寝付けなかった。

 何度も寝返りを打ちながら「みずき」と、彼女の名前を心で呟いていた。

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