決意と約束
色々考えた結果、休みの日に彼女が働いていると話していた、幼児教室まで行くことにした。彼女の話だと、午前と午後に教室が分かれているようだったから、昼頃に行けば休憩時間なのではないかと推測した。
幼児教室は、駅の改札口に向き合う、二階建ての建物だった。比較的新しい建物のようだ。そういえば、僕が医学生の頃この辺りは、区画整理されていたと思い出した。
確かに幼児教室と同じ通りにあるパン屋の店舗も、裏手にある住宅も、割合新しかった。
十年以上この辺りに住んでいるのに、大学と家の往復か、病院と家の往復しかしていなかったのだと気づく。それが当たり前だった。
そんなことを考えながら、幼児教室のガラス扉をそっと開く。入って右手にエレベーター。左手にはカーペットが敷かれ、絵本棚や玩具が入った、カラーボックスが置かれていた。
その奥には、パステルカラーのソファーが二脚。
ソファーの向かいが、カウンターになっていて、どうやらそこが受付のようだった。教室は二階らしい。
僕の姿に気づいた受付の女性が、こちらを見る。
場違いな空気に、晒されながらも、ここまできたら引き返せない、と自分に言い聞かせ受付の方へと進む。
受付の女性も、彼女と同じように相手を警戒しないような、柔らかい雰囲気を持っていた。
「藤澤さんっていらっしゃいますか? 知り合いの若宮と言います」
それだけ言うのに妙に緊張した。受付の女性は、訝しむ表情を見せずに答えた。
「申し訳ありません。今、午前のレッスン中なんです。もう終わると思います。そちらにかけてお待ち頂いても……」
後ろのソファーを勧められ困惑する。さすがにソファーに座って待つのは、気が引けた。
「外で待ちます。そのことを伝えてもらえますか?」
と言うと「わかりました」と、にこやかに返された。
外に出て五分も経たないうちに、建物の一階が賑やかになる気配がした。そしてガラスの扉が開き、数組の親子連れが出てきた。
よちよち歩きの子や、母親に抱っこされている子もいる。もう少し大きい子は、舌足らずな言い方で「みすぎてんてー。ばいばーい」と手を振っていた。どの親子も幸せそうだった。
病院にいる子どもとは全く違う。当たり前なのだけれど、その当たり前が、却って残酷だった。
生と死を突き付けられた気がした。そして自分が普段その一番近くで、命を預かっているということも。
「若宮さん?」
柔らかな声が耳に入った。声の方に顔を向けると、彼女が立っていた。コンビニで言葉を交わした一場面以外では、明るい場所で彼女と向き合うのは、初めてだと気づく。
長い髪を後ろで束ね、ポロシャツの上にパーカーを羽織り、デニムというカジュアルな格好をしていた。そして、僕が思っていた以上に、彼女の目線が下にあり驚いた。
足元を見て気づく。スニーカーだった。これまでに会った時は、ヒールのある靴を履いていたのだろう。
「受付から聞いて」
彼女は笑う。その表情はこの前と同じだった。
「職場まできてしまってすみません。これ、落としていたから」
箱の中からピアスを出して見せた。それを見た彼女の表情が、みるみる嬉しそうになる。
「ありがとうございます! もう諦めていたんです」
ピアスを受け取ると、両手で大切そうに包みながら言う。その様子を見て、大切な人からもらったものなのだろうと確信した。
僕にはもう一つ、渡したいものがあった。
ピアスを受け取った時の、彼女の表情が幸せそうなら、これも渡そうと思っていた。僕の予想通りの表情を、彼女は見せた。
「これよかったら。彼氏とでも一緒に行って下さい」
クリスマスイルミネーションと点灯式のチケットだ。彼女はそれを見て、驚いたとも信じられないともとれてるような声で「わぁっ」と言った。
「これってジンクスがある点灯式ですよね?」
「知ってるの?」
思わず聞き返す。
「私、清修大だったんです。友達から精華医大の点灯式のジンクスを聞いたことがあって。素敵だなって、ずっと思ってたんです。
ちなみにその友達は、ジンクス通りに点灯式を一緒に見た人と結婚しました」
彼女が話すことに驚くしかなかった。清修大に通っていたこと、ジンクスを知っていたこと。
「それが残念ながら、一緒に行ける人、いないんです」
という彼女の言葉を聞いて、しまったと思った。けれど、その表情は輝いているように見えた。
「一度見てみたいなって憧れてたんです。でも、ジンクスとか気にしていたら重いんで、イルミネーションを楽しむ気持ちで、都合が合う日があったら、よかったら一緒に行きませんか?
チケットもったいないですし」
彼女の言葉に驚いたけれど、断る理由が見つからず、戸惑いながらも「じゃあ」と答えていた。
「日にちや時間は、また決めますか?」
というと彼女は、あっという表情をして
「仕事中、スマホ持てないんで、私の番号伝えておいていいですか?」
と言った。彼女が言った番号に電話をかけ、不在着信を残す。「登録しておきます」と笑顔を見せる。
チケットは互いに一枚ずつ持っておくことにした。
点灯式は、十二月二十日で、イルミネーションの開催期間は、二十五日までだった。
十七日の夜に彼女からの不在着信が残っていた。その日、僕は当直でそれに気づいたのは翌日だった。
その日は夕方に、救急患者が搬送されてきて、検査や手術が入り、全てを終えて家に着くと十時を過ぎていた。
時間も遅いし、電話をかけ直すか迷ったけれど、彼女が出なくても、不在着信だけは残しておこうと思い、電話をかけた。
数回コールした後、電話に出る気配がした。
「はい」といつも通りの彼女の声がした。
「夜分遅くにすいません。若宮です。電話もらっていたのに、なかなかかけ直せなくて」
疲れ切った体を、ソファーに投げ出すように、座りながら言った。
「忙しいのに、すみません。大丈夫ですか? 声、すごく疲れてますよ」
「今日はちょっとバタバタして。確かに疲れています」
笑いながらそう言うと、スマホの向こうでも、笑うような声が微かに聞こえた。
「あの、イルミネーションの件なんですけど、急遽研修が入ってしまって。
二十日か、二十四日か二十五日かで都合つく日はありますか?
なければ、残念なんですけど」
「ちょっと待って下さい」
そう返事しシフトを確認する。頭が回らず、何回も見直す。
「二十日か二十四日はどうですか? って確約できないですけど。急を要する対応が出たら行かなきゃいけないんで」
ソファーに体を横たえる。頭に靄がかかったように、急に瞼が重くなる。仮眠も十分に取れなかったと思い出す。
「それは、もちろん大丈夫です。じゃあせっかくなんで、点灯式のある二十日で。
点灯式、十九時からみたいなので、少し前に精華医大の前でいいですか?」
彼女の声が途切れたのに気づき、はっと閉じかけていた目が開いた。
「あ……ごめん。なんて言った?」
気まずさを感じながら訊くと、彼女は気を悪くした様子でもなく、ふふっと笑って
「よっぽどお疲れですね。後でメールします」
と言った。
「ごめん。ありがとう」
と言って電話を切る。僕は一体何をしているのだろう。と思いながら、眠りに落ちた。




