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 ある日の夜中、俺は妙な物音で目を覚ました。金属を擦り合わせるようなそんな物音だ。

 寝ぼけた頭で辺りを見回すと、部屋の隅で「兎」が何かを必死で擦り合わせているみたいだった。「兎」は作業に没頭していて、俺が近づく気配にも気付く様子はなかった。肩越しに覗き込むと、「兎」はどこに隠し持っていたのだか、一本のナイフを手にしていた。互いの枷が鎖で繋がれた両手では自由も効かないだろうに、必死になってナイフの刃先を左手首の枷に突き立てていた。

「何してる」

 俺の言葉に、「兎」は身体を仰け反らせて慌てふためいた。

「い、いや、これは……その……」

 「兎」は手に持ったナイフを後ろ手に隠そうとしたものの、鎖で繋がれた両手を後ろに回すことなどできない。必死になって弁解をしようとつぶやいてから、相手が野盗ではないと悟ったらしい。急に怒りを爆発させた。

「なんだてめぇかよっ!! びびらせやがってこのタコ! 紛らわしいんだよ!」

「そんなナイフなんかじゃ、この厚い手枷は切断できないと思うぞ。先に刃先が欠けるのがオチだ」

「うっせえよ‼ てめぇは黙ってろ」

「……綺麗なナイフだ。俺も狩りの時にはいつもナイフを使ってたけど、そんなのが欲しかったよ」

 俺がナイフを褒めたとたん、「兎」は急に機嫌を良くして笑顔を見せた。

「そうだろ? これ刃から柄まで全部ダマスカスで出来てんだぜ。ちょっと重いけどよ、手にめちゃくちゃ馴染むんだわ」

高価たかそうだな」

「あったり前だろ! 金を積んでもそうそう手に入るもんじゃねぇよ。野盗どもあいつらに捕まった時にもこれだけは盗られたくなかったからな、必死で服ん中に隠したんだ。見つからなかったのは奇跡だな」

 宝物を見せびらかす子供のように嬉々として語ってから、「兎」はもう一度俺を睨みつけた。

「……もしチクリやがったらぶっ殺すからな」

「わかってる。でも削るんだったら鎖のほうを削ったほうが早いんじゃないか?」

「……いいから黙って寝とけよ」

 鬱陶しそうに言ってから、「兎」はまた部屋の隅で背中を丸めながら必死にナイフを枷に突き立てようとしていた。


 それから俺がうつらうつらとし始めてすぐのこと、時間にしたらちょうど夜が明け始めた頃だろう。

 またしても何かの騒音が聞こえて、寝入りを邪魔された俺は少し不機嫌になりながら身体を起こした。どうせまた「兎」が物音を立てているんだろうから、文句のひとつでも言ってやろうと思ったんだ。

 けれどすぐに俺は、今はそんな呑気な状況じゃないということに気が付いた。

「や、やめてくださいっ……離してっ」

 一人の咎目の少女が、野盗の手から逃れようと必死に身体をよじっている。俺や「兎」と同じように、手足は枷と鎖で繋がれていた。

 野盗たちはそんな少女の反応を楽しむかのように、下卑た薄笑いを浮かべていた。

「お嬢ちゃんよ、そんなに怯えなくったっていいじゃねぇか。別にいますぐ取って食おうってわけじゃねぇ」

「そうそう。おじちゃんたち、こう見えても根は優しいんだぜ。特にお嬢ちゃんみたいな可愛い娘にはねぇ」

「い、いや……」

 少女は痛々しいほどに怯え、震えていた。

 見たところ、野盗は今すぐ少女に危害を加えるつもりはないらしかった。ひとまずは俺たちと同じ部屋に監禁しておくつもりなのだろう。とはいえ遅かれ早かれ、少女の身が危うくなるのは明白だと思えた。なにより少女を嘗め回すような、野盗たちの野卑な視線がそれを物語っていた。

 「兎」はそんな野盗たちを横目で眺めながらただ黙っているだけだった。野盗は「兎」に声をかけた。

「おい、兎」

「……なんだい、兄貴」

「お前、このお嬢ちゃんの世話をしてやれ。丁重に扱ってやれよ」

「へいへい、わかったよ」

 野盗が去ったあと、少女はただ泣き続けるだけだった。そんな少女に「兎」は一言、「いい加減泣くのやめろよ、辛気臭えな」と言うだけだった。


 俺は少女に声をかけてなんとか励ましてやりたかったけれど、「兎」が俺たちのことを見張っていた。俺は「兎」のことも信用していなかった。「兎」の目を盗んで、少女を連れてこの集落から抜け出す。野盗に見つからなければ最善だけれど、最悪の場合、戦う覚悟はしておかなければいけない。だとしたらこの手足にはめられた枷はなんとしても外しておかなければならない。けれど少女に野盗の手がかかるのはそう遠くないように思える。だとしたら枷を外すのは諦め、なんとか野盗たちを出し抜いて脱出できないものか……。


 正直、少女を連れて逃げるのは自分一人が逃げ出すよりも遥かに難易度が高い。けれど俺はどうしても少女を連れて逃げ出したかった。正直に言うと、別に正義感に燃えていたわけじゃない。単に俺は、ひとりぼっちが心細かっただけだったんだ。

 俺は大人しくしているふりをして、「兎」の様子を探った。ナイフを奪うつもりだったのだ。必要とあらば「兎」を殺すことすら厭わない、そんな覚悟さえしていた。

 少女は泣き止むと、部屋の隅で身を縮こまらせて黙っていた。

 「兎」に対しても俺に対しても怯えているようだった。「兎」は明らかに野盗と繫がっていたし、俺のことはなにか得体の知れない奴だと思っていたんだろう。彼女の方から話しかけてくることも無かった。


 二晩が過ぎ、再び二人の野盗が戻ってきた。

 少女は震えて、足に力が入らないようだった。

 そんな少女を野盗が無理矢理立たせ連れ出そうとしたとき、俺は覚悟を決めた。迷っている暇はない。どうせここで大人しくしていたところで、碌でもない未来が待っているだけだ。野盗たちが嫌がる少女を力づくで引きずり、扉の向こうへと出ていこうとした時、俺は奴らに襲い掛かった。


「ぎゃあァァーー! い、痛ってぇー!」

 ナイフを一閃した俺だったが、さすがに野盗たちは勘が鋭かった。奴らは生命の危機に対しては驚くべき敏感さがある。瞬間的に刃先を避け、致命傷を逃れたのだ。もしも手枷が外れていれば野盗の喉を裂けただろう。けれど両手足の自由が奪われた状態でナイフを鋭く振ることができず、野盗はとっさに腕で首筋をかばっていた。腕から赤黒い血が流れ、地面に血だまりを作っていた。


「あぁ! て、テメェ、いつの間に……!」


 ナイフがなくなっていることに気づいて、「兎」が言った。

「この少女ひとに触れるな!」

 俺は少女を庇うようにして野盗たちの前に立った。斬り付けられた野盗は腕を抑えて地面を転げまわっていた。片方の野盗を奇襲で殺せていれば、もう一人もなんとか出来るかもしれないと思っていた。だが失敗だ。傷を負って地面をのたうち回っているとはいえ、手負いの野盗も痛みが落ち着いてくれば俺を殺しにかかるだろう。状況は悪かった。

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