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ギル

 その時、二人の会話を区切るように男の声が工房に響いた。

「すみません、誰かいますか」

「あら……お客さんかしら」

 フィエニャは慌てて立ち上がり、玄関へと赴く。

 人前に顔を晒すことのできないユウリは、離れた位置からそっと様子をうかがった。若くて精悍な顔つきの、けれどもひどく真面目そうな男が玄関に立っていた。

「僕の作品を見て欲しいんですよ。シルヴェストルさんはいらっしゃいますか」

「いえ、あいにく店主は留守にしてまして。夕方頃には戻ると思うのですが」

「そうか、困ったな……。僕も忙しいから、今しか時間がとれないんだ。でもきっと、お宅の工房にとっても悪い話じゃないと思うんだ」

「はぁ……一体どんなご用件ですか」

「いや、実は僕の作品をシルヴェストルさんに見て欲しいと思っているんだ」

 男がポケットに手を突っ込み、一点の指輪を取り出してみせた。

「これでも僕は自分の腕に自信を持っている。なんならこちらの工房に僕の品を譲ってもいいと思っていてね」

「つまり、どういうことでしょう? うちの工房で作品を販売したいということですか? ご存知かと思いますけど紋章彫金は完全受注生産ですから、一般の宝飾店みたいに店頭販売しているわけではないのですけど……」

 フィエニャがそう言うと、男は顔をさっと赤くした。

「いや、なに。もちろん知っていますけどね。つまり、シルヴェストルさんと今後懇意にできればと思ってるんだ。職人同士のつながりは業界で生き残るにはとても大切だし、技術の意見交換などもできるかと思ってね」

「失礼ですけど、うちの店主はとても偏屈なんです。根っからの職人気質というか……。だからたぶん、お会いになっても時間を無駄になさるだけだと思いますけど」

「そうかな? 本人に直接会ってみないことにはわからないよ。とはいえ今日のところは引き下がることにしようか。しかしここまで足を運んでおいて、無駄足というのはいささか残念だな」


 男はしばらく考え込む様子を見せたのち、晴れやかな顔つきでフィエニャの手を取って言った。

「そうだ、この指輪はあなたに差し上げよう。あなたの美しい指にとても良く似合うと思うから」

「え、あの……」

 フィエニャが言葉を失うのも当然のことだった。男が紋章彫金の施された魔具を、まるでアクセサリであるかのように扱っているからだ。魔具は能力者の能力を引き出すためにあるのであって、それ以上でも以下でもない。一介の彫金師であれば、紋章の施された指輪をまるで宝飾品であるかのように扱うことなどあり得なかった。


 陰からのぞいていたユウリは躊躇った。フィエニャが困っているのは見て取れたけれど、男に害意がある様子はない。今ここで二人のあいだに割って入ってしまえば、フィエニャや、さらに言えばシルヴェストルの立場が非常に悪くなるのは想像に難くない。ユウリは静観することに決めたが、困っているフィエニャを助けてあげられない自分が、情けなかった。


 と、その時だった。


 一人の少女が男に近づき、「どれどれ、見せて」と無遠慮にも指輪を取り上げたのであった。

 少女は背が低く、ユウリよりも2つ、3つは年下だろう。快活そうな半面、勝気で生意気そうでもある。くすんだブロンドの髪はくしゃくしゃに縮れていた。


 少女は手に取った指輪をしげしげと眺めた後、弾けるように笑いだした。

「お兄さん、彫金師じゃないでしょ?」

「な、なんだ君はいきなり。失礼だぞ。僕はこれでも、故郷では名の知れた彫金師だ。見てみろ、その指輪の裏側に僕の名が刻印されている」

 少女は男に冷たい視線を送り、呆れたように溜息をついた。

「あのねぇ、そういうところがど素人だって言ってんの。紋章彫金の文様ってのはね、デザインで彫ってるわけじゃないの。これは能力者のもつ魔力が流れるための水路になっていて、その流れる魔力が紋章を描くことで能力が発動するわけ。能力者一人ひとりによって流れ方は当然違うし、魔力の流れる勢いをできる限り活かしながら紋章を組み立てる必要がある。だからこの水路は完璧な調和によって成り立ってるの。息を吹きかけただけでバランスを崩してくずれちゃうくらいに繊細な、トランプで出来たお城みたいなものなの。だからこんな刻印をしちゃったら魔力の流れがおかしくなってしまう。折角のリングが台なし」

「な……、なんなんだ君は! 僕を侮辱するのか? 当然、そんなこと分かった上で僕は刻印をしたんだ。君にはこのリングの価値などわからないだろうね」

「価値? わかるよ。あなたがゴミにしてしまったこのリングの価値が」

 そう言うと少女は腕を振り上げて、指輪を高く放り投げてしまった。

 男が呆気に取られているあいだに、指輪は地面を転がり、やがては泥水の流れる用水路へと飛び込んでいってしまった。

「な、なんてことを……!?」

 青ざめる男に対し、少女は怒ったような顔つきで言い返す。

「あたしには誰よりもあのリングの価値がわかる。だって、あのリングを彫ったのはあたし・・だから。あなたが刻印したせいでゴミになったあのリングをね。どうせ、フィエニャに声をかけたくて、叔父さんのいない時を見計らってやってきたんでしょ? 馬鹿だね男って」

「な、な、なんてことを……」

 男は唇を震わせて真っ赤になったが、それ以上言い返すこともできなかったらしい。いたたまれなくなった男は逃げるようにその場を立ち去ってしまった。


「ギル! すっかり大人びたわね! 綺麗になったわ」

「フィエニャ! 久しぶり!」

 「ギル」と呼ばれた少女とフィエニャは、仲のいい姉妹みたいに抱き合いながら声を弾ませた。

「驚いたわよ、いきなり連絡も無しにくるんだもの。工房からはお休みをもらっているの?」

 フィエニャがそう問いかけると、ギルは少し気まずそうに視線を反らした。

「ううん、そうじゃないんだけど……。でもしばらくはここに住むことになるかも」

「えっ……それってどういうこと?シルヴェストルは知っているの?」

「まあいいじゃん、とにかくちょっと休ませてよ。長旅であたし疲れちゃった」

 小さな手荷物を抱えながら、ギルは勝手知ったる様子でずかずかと玄関に上がり込む。それからリビングに入りざま荷物を放り出すと――


「あ」


「あ」


「えっ」


 顔を合わせたギルとユウリ、そして遅れてそれに気づいたフィエニャの三人は、凍り付いたように固まった。


 凍った空気が溶け出して辺りに満ちたのは、ギルの叫び声だった。

「な、なんで咎目がここにいるのよーーーっ!?」

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