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フィエニャ

 翌日になり、ユウリは自分に充てがわれた部屋の整理をすることになった。

 フィエニャの指示に従い、ユウリは空棚を寝室に運び入れた。今はユウリの寝室となっているその部屋だが、元々はシルヴェストルの物置部屋だった。

 独り身であるフィエニャの家に居候させるわけにもいかず、シルヴェストルがユウリを引き取った結果あてがったのが、この足の踏み場もないほどに散らかった物置部屋だった。

 以前からシルヴェストルは「そのうち片付けるから触るな」とフィエニャに言っていたのだが、ユウリが寝泊まりを始めてからも一向に片付ける気配がない。とうとう堪忍袋の尾が切れたフィエニャに叱られ、渋々片付けることに承諾したのだった(とはいえ実際に片付けるのはフィエニャとユウリだった)。

 無造作に床の上に置かれていた専門書、彫金道具、素材となる金属類の数々を種類ごとに仕分け、それを新しく設置した棚に収納するのだという。

「ありがとう、そこの壁際に下ろしてくれる?」

 ユウリは頷き、棚を壁際に寄せて置いた。これからこの空棚に書籍や道具類を収めていくのだ。棚が増えた分、幾分部屋の中が狭くなった感じがしたが、きちんと片付けた後にはきっと部屋の中は見違えてすっきりとするだろう。

「もう、なんでもかんでも手当たり次第に放り出していくもんだから……」

 フィエニャは、この場にいないシルヴェストルに対して独り言のように文句を言うと、ユウリに笑いかけた。

「ごめんね。ここはあなたの部屋なのに、こんなに物がいっぱいで。それにシルヴェストルが勝手に入ったりするから落ち着かないでしょう」

「いや……」

 そんなことないよ、ユウリはそう言葉にしようとしたが、フィエニャの前ではなかなか想いが言葉にならなかった。元来の無口な性格に加えて、『咎目』として虐げられてきた記憶が、ユウリの人見知りに拍車をかけてしまったのだ。さらにいえば、フィエニャに対するほのかな恋心が、ユウリを一層寡黙にしてしまっていた。

「助かるわ。私、左腕がこんなだから重いものが運べなくて」

 フィエニャはそう言って左腕をさすった。フィエニャの左腕からは力が抜け、まるで持ち主に忘れ去られた操り人形のそれのようにだらんと垂れ下がっている。

 咎目のユウリは、日中、外を出歩くことができない。自然と昼間は工房の中で過ごすことになるが、ユウリにとってはそれが苦痛だった。シルヴェストルやフィエニャが忙しく働いている間、手持ち無沙汰なユウリは寝たり、本を読んだり、ちょっとした家事の手伝い――とはいえフィエニャはあまりやらせてくれないが――をするくらいしかできないのである。そんな生活を続けていると、まるでユウリは自分が女の部屋に転がり込んだヒモか何かのように思えてくるのだった。

「俺、このくらいのことしか手伝えることがないから……」

 ユウリはぽつりとつぶやいた。

 ユウリが珍しく言葉を発して嬉しかったのだろうか、フィエニャは嬉々とした顔つきで言葉を続ける。

「私一人ではとてもできないから、困ってたの。あなたが手伝ってくれてすごく助かるな」

 ユウリは顔を赤らめた。

「フィエニャの頼みなら、いつでも……」

 赤面したユウリの口からそんな言葉が出たが、最後まで言い切る前に、インクが水面に溶けるように消えいってしまった。ユウリはそんな自分を情けない、と恥じて、誤魔化すように視線を反らして言った。

「あとは俺……ひとりでやっておくから」

「えっ、いいのよ。一緒にやりましょ」

「いや……あとは棚に詰めていくだけだし、俺一人でできるから……」

「そう? それなら、お願いするわ。じゃ、ちょっと早いけど私はお昼ごはんの準備をしてこようかしら」

 ありがとう、フィエニャはそう言って部屋を出ていった。


 フィエニャはこの一ヶ月間、ユウリにとても優しくしてくれた。孤独だったユウリが少しずつ心を開き、やがては淡い恋心をいだき始めたのも当然のことだった。しかし同時に、ユウリはこの恋心が叶わぬものだということも理解していた。

 なにしろユウリは咎目だ。一歩外の世界に出れば、誰もが一目でユウリを凶悪犯、死刑囚、危険な能力者だと認識する。仮に――もし仮に、フィエニャが自分を夫に選んだとして。


 フィエニャが幸せになれる道理がない。


 それは誰よりもユウリがよくわかっていることだった。


 ユウリは黙々と作業をすすめていった。本はそのまま棚へ、工具や素材類はわかる範囲で仕分けしていき、箱詰めした。どんな些細な事でも、仕事が与えられているということは今のユウリにとってありがたいことだった。


「……フィエニャ、終わった」

 ひと通りの作業を終えたユウリは、キッチンで包丁を動かしていたフィエニャの背中に声をかけた。

「もう終わったの? ありがとう。やっぱり男の子は頼りになるなあ」

 振り向きざまにそう言って、フィエニャはエプロンで手を拭う。

「……! フィエニャ、その指……」

「あら?」

 花柄のエプロンが、朱い血で染まっていた。指先からはぽたりぽたりと血が滴る。

「いけない、いつの間に切っちゃったのかしら」

「確か、包帯があったはずだ」

 ユウリはそう言って部屋に戻り、先ほど仕分けした中から包帯を取り出し帰ってきた。

「……ごめん、俺がいきなり声をかけたせいだ」

 フィエニャのために包帯を巻きながら、ユウリは謝った。不謹慎だとは思ったが、フィエニャの指先に触れ、彼女の体温や吐息が感じられることが嬉しかった。

「ううん、違うの。包丁を持つ手が、もともと利き腕じゃないから扱いづらくって」

 少し照れた様子でフィエニャが言う。

「だめね、私。だんだんとできないことが増えていくわ」

「……そんなこと」

 フィエニャは既に、左腕から先の感覚を失っていた。腕を持ち上げることも出来ず、包丁を扱うときには、まず右手で左手を掴み、持ち上げて具材を抑える格好にしてから切っていく。どんなに不便かユウリには想像もできないが、フィエニャはいつも鼻歌なんかを口ずさんで楽しそうに料理をしている。


 フィエニャのために真剣になって包帯を巻くユウリを見て、フィエニャも気恥ずかしい気持ちがした。フィエニャとてユウリのことを男として意識しないわけにはいかなかったし、ましてや慣れない年下の男の子と交わす会話がぎこちなくなるのも無理はない。二人の会話は途切れ、沈黙が流れる。それがいっそうフィエニャにとって照れくさかった。

「……ねぇ。ユウリ。いつここを出て行くつもりなの?」

 照れくささを隠すようにフィエニャは言ったが、その一言はユウリの胸に冷たいものを浴びせることになった。

「ごめん、俺。こんなに長居するつもりじゃなくて。やっぱり今晩からでも借りられる宿を探して……」

「ち、ちがうの! そうじゃないわ。 私、できればあなたにここに残って欲しいと思ってるくらいで」

 自分の発した言葉がまずい一言だったと悟り、フィエニャは慌てて取り繕う。

「あなたが居たいだけ、ここに居たらいいのよ。……といっても、ここは私の家なわけじゃないんだけど……」

「そんなわけにもいかないよ。俺はアリテを見つけて、旅の資金が溜まったら、遅かれ早かれこの街から出ていくつもりだ」

「やっぱり……そうするつもりなのね」

「うん……俺は咎目だから。この街では暮らせない。こんな、平和な街では」

「そんなことないわよ!」

 フィエニャは突然大きな声を出した。ユウリが面食らっていることに気づき顔を赤らめると、フィエニャは目を伏せて、言葉を続ける。

「もし、もしあなたさえよければ……この工房を手伝って欲しいな。あなたに手伝って欲しいことはいくらでもあるし、それにユウリはまだ若いから、今からでも仕事を覚えられるわ。シルヴェストルだってね、あなたと同じくらいの歳から彫金を始めたのよ。それまでは彫金のことなんて何も知らなかったんだって言っていたわ」

「……ありがとう。フィエニャが俺のこと、気遣ってくれるのはすごく嬉しい……。でも俺は、やっぱり出て行かなきゃいけない。俺がいたら確実にみんなに迷惑がかかるから。それに俺には、どうしても助けたい仲間がいるんだ」

「それって……あの日の、アリテっていう女の子のことでしょ?」

「もちろんアリテもそうだ。でも彼女だけじゃない。俺が捕らえられて、咎目にされて、死ぬほど辛い毎日を送っていた時……ほんの僅かな人達が俺のことを気遣い、支えてくれたんだ。みんな俺と同じように能力者で、虐げられて生きていた……。だからお互いの苦しみも、痛みも、分かち合うことができた。俺やアリテは運よく苦しみの連鎖から逃れることができたけれど、あとの四人の仲間たちは、きっと今でも地獄の中にいる。フィエニャのお兄さん……リヨンだってその中の一人だ」

「私もリヨンのことはすごく心配してる。だけど……それはユウリがしなくちゃならないことじゃないでしょう? いいえ、多分、あなたがリヨンを助けにもどった時、リヨンはとても怒るでしょうね。せっかく助けてやったのに戻ってくるんじゃないって。リヨンはもうこの街を捨てたし、私達のことも捨てた。私のことを守るために、あの人は全部捨てたの。それがあの人の選んだ人生なら私にはもうなにもできない。ただ祈ることしか……」

 そう言ってからフィエニャは顔をあげてユウリを見つめた。

「だからもし、リヨンのことで責任を感じているのだったら……。そのために危険に身を投じようとしているのだったら。考えを変えてちょうだい。あの人は強い人だし、これからもきっとどうにかこうにかして危険をかいくぐりながら生きていくと思うわ。もうそれが兄さんにとっての人生そのものなのよ。だってあなたには……、あなたには、自分自身の幸せを探す権利があるじゃない」

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