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居候

「おかえりなさい。お腹空いてるでしょう」

 工房(・・)に戻ったユウリに、フィエニャは開口一番そう言った。すでに夜も更けている。まさか自分のためにこんな時間まで待っていたのかと、ユウリは彼女の姿を見て面くらった。

 ユウリよりもおそらく五つは歳上の、大人びた女性。腰まで伸ばされた赤味がかった長髪は、背中で結わえるように丁寧に束ねられている。

 少しおどおどした様子で微笑みかけたフィエニャに対し、ユウリは詫びるようにただ目を伏せ、自室に戻った。

「あ……」

 そんなユウリの背中を、フィエニャは寂しげに見送った。


 ユウリは自身に割り当てられた一室に入り、無造作に服を脱ぎ捨てていった。

 ベッドのシーツは綺麗に折られ、心なしか部屋も朝より整頓されているようだった。ユウリが居候を始める前には、この部屋は倉庫代わりとして使われていたらしい。この工房の店主で――彫金師であるシルヴェストルのものであろう、たくさんの仕事道具や金属類が無造作に積まれている。

 『ごめんなさい、こんな散らかったところで……』とフィエニャは申し訳なさそうに言ったが、宿無しの生活を続けていたユウリにとって、身体が沈み込むような暖かな寝床があるだけでこの上もない幸福だった。

 ユウリは脚部に装着していたホルスターからナイフを引き抜き、丹念に刃先を調べ欠けがないことを確かめると、再びナイフをホルスターに収め枕元に置いて深い眠りについた。


「フィエニャ、お前ももう工房ここで寝ていけ」

 廊下で呆然としていたフィエニャに気づき、店主であるシルヴェストルが声をかける。

 フィエニャはこのマカロフ彫金工房の手伝いとして働いているが、住み込んでいるわけではない。近所に彼女の父親が遺した家があり、そこからこの工房に通っているのである。

 職人であるシルヴェストルに代わって来客の応対をしたり備品の管理をするのがフィエニャの仕事だが、滅多に客が訪れることはない。実際の仕事は家事や炊事など、シルヴェストルの世話役と言ったほうが近い。

 この『マカロフ彫金工房』は、元はといえばフィエニャの父親が建てたものだった。しかしそのマカロフ氏は、まだ少女だったフィエニャを残して病死し、弟子のシルヴェストルが工房を引き継いだのである。だからフィエニャにとってもこの工房は古い馴染みの場所であり、幼い頃からの付き合いだったシルヴェストルとは、歳の離れた兄妹のような関係だった。

「うん……そうするわ」

 フィエニャはそう言いつつも、ユウリのことが気になるのだろう。心配げな表情でユウリの寝室の方を見つめていた。シルヴェストルはそんなフィエニャに溜息をつく。

「あまりユウリのことで気を揉むな。あいつはお前の家族じゃないんだ、こんな時間までお前が待ってる必要は無いだろ」

「うん……そうだけど」

 フィエニャは答えてから、シルヴェストルを見つめた。

「ねぇ、シルヴェストル。あの子、何か危ないことに足を突っ込んでるんじゃないかしら……。日が暮れてから出かける時にはいつも、ナイフを携帯していってるのよ」

「俺が知るか。護身用だろ」

 心配するフィエニャに対し、シルヴェストルは肩をすくめ、淡々とした口調で答える。

「ここを出て行くにも金がいるんだ、何か俺たちに言えないような仕事でもしてるんだろ。あの目だからな、まともな職にはありつけないのはわかりきったことだ。この工房には迷惑をかけないと言ってるんだから、放っておけ。それとな、あまりあいつに感情移入するのはやめろ。奴にいつまでも居着いてもらっちゃ俺たちだって困るんだ」

 シルヴェストルの言葉に、フィエニャは頬を膨らませた。二人の間に血縁関係は無いが、それは娘が父親にするみたいな仕草だった。

「ちょっと冷たいんじゃない? リヨンからあの子のことを頼まれてるのよ」

「そのリヨンだって、お前の父親おやじさんの工房をぶっ潰した挙句、行方知れずだろ」

「でも、あの子はリヨンのことを知っているのよ。ついこのあいだまでリヨンと一緒に暮らしていたって言ってるんだもの……。兄さん(リヨン)を見つける手がかりになるわ」

「リヨンが見つけられたがってるとは限らんだろ」

 シルヴェストルの言葉に、フィエニャは顔を曇らせた。

「そうね……。おそらくその通りだわ」


 ユウリがフィエニャを訪ねて来たのは一ヶ月ほど前に遡る。それは彼が探偵と出会う少し前のことだった。

 町は寝静まり、夜も更けたころのことだった。

 突然のノック音に、父親の遺した自宅で寝ていたフィエニャは目を覚ます。元より眠りの深いほうではないから、少しの物音でもフィエニャは目を覚ましてしまう。控え目に繰り返されるノック音にフィエニャは怖じけた。こんな時に頼れる家族が……そう、父親だったり、兄だったり、それとも夫がいてくれたならば、フィエニャもこうまで心細くは思わなかっただろう。しかし男手ひとつでフィエニャを育ててくれた父親は既に病死し、兄は失踪した。夫や恋人などは元よりいない。身寄りがないも同然のフィエニャには、頼れる存在がいなかった。せめてシルヴェストルがそばにいてくれれば……と思うが、今まさにフィエニャの家の前にいる何者かから逃れて、シルヴェストルの工房まで助けを呼びに行けるわけもない。


 しばらく思い迷ったのち、フィエニャは勇気を振り絞り扉の向こうへと呼びかけた。

「……誰? 誰なの?」

「マルファ・マカロヴァさんですか。あなたのお兄さんから伝言を預かっています」

 意外にも、その声は歳若い少女のものだった。「お兄さん」という少女の言葉にフィエニャははっとし、ドアを開けた。フィエニャは驚いた。視線の先に佇んでいたのは咎目の少女と、同じく咎目を持った、そして頭部に大けがを負って少女に背負われるようにして息を切らしている少年の姿だったのである。

「あなたたち……怪我をして――」

「わたしは平気です。あなたがマルファ・マカロヴァさんですか」

「ええ、私がマルファよ」

 フィエニャが自分の名を名乗ると、少女は薄汚れてくしゃくしゃになった紙切れを差し出してきた。

「リヨンさんが、あなたにこれを渡してくれと……」

 それは手紙とも言えないような、走り書きのメモだった。フィエニャは受け取り、さっと目を走らすと、真剣な表情をして二人の方を向いた。筆跡は間違いなく、リヨンのものだった。

「リヨン……あなたたち、リヨンを知っているのね」

「わたしは、あまり……。ユウリさん――この少年は、彼のことをよく知っていると思います」

「入って。ここにいたら誰かに見られるわ」

「わたしは、もう行きます。ご迷惑になりますので」

 少女は頭を下げた。

「ですが彼は、大怪我をしています。こんなことが言える立場じゃないのは知っています。……ですけどどうかお願いです。ユウリさんを手当して……助けてあげてください。わたしを守るために大怪我をしたんです」

「わかったわ。でもあなたも中へいらっしゃい。放っておくわけには行けないわ」

「ありがとう」

 僅かに微笑み、少女は首を振った。

「彼が目を覚ましたら、わたしは無事だと伝えて下さい。そして心から感謝していたと」

 少女はそう言い残し、駆け出して夜の闇に消えた。

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