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貴婦人

「それで、どんな様子でした?」

「あなたのお望み通りに致しましたよ」

「そうですの……感謝致しますわ」

 探偵達が室内へと入ると、夫人はユウリのほうを不思議そうに見つめた。

「そちらの方は……?」

「彼は私の用心棒です。席を外させましょうか」

 探偵が言うと、夫人は首を振った。

「いえ……構いませんの。ずいぶん可愛らしい方でしたから少し気になっただけですわ。まだとてもお若いのに、こんな……」

「如何わしい仕事をしているのか、ですか。人柄は信頼して良いと思います。ただ、彼の身の上に奥様は驚かれるかもしれませんが……」

「いいんですわ。どんな事情があろうとわたくしにどうこう言う資格はありませんもの。わたくし自身にも事情があるからこそ、こうして貴方がたとお近づきになったわけですから……。ねぇ、貴方。お顔をよく見せてくださらない?」

 夫人がそう言ったのは、ユウリが目深にフードをかぶり、先程から顔をうつむけていたからだった。

 婦人はそっとユウリに歩み寄った。

 恐る恐る顔を上げるユウリに、婦人ははっとしてその場に立ち止まる。

「咎目……でしたのね」

 ユウリはなんと答えるべきかわからなかった。ただ口をつぐんで、気まずげに目をふせるだけだった。そんなユウリの代わりに、探偵が口をはさむ。

「不快なお気持ちにさせてしまったのなら、謝ります」

 探偵が言うと、婦人はじっとユウリの目を見つめる。

「いえ、不快だなどと……。わたくし、少し驚いてしまっただけです。わたくしの方こそ、貴方に不愉快な思いをさせていなければいいのだけれど……」

 夫人は再び歩を進め、ユウリの眼前まで来た。ふわりと甘い百合のような香りがした。

 白い手袋を嵌めた婦人の手がそっと伸び、ユウリの頬に触れそうになる。かと思えばその手は空で向きを変え、夫人の顔を覆っていた黒いレースにかかった。

 レースの向こうから現れたのは、薄化粧をして、品のいい微笑をたたえた夫人の美しい顔だった。

「お名前、教えてくださる?」

「……ユウリ・イングイスと申します、奥様」

 ユウリはうやうやしく礼をした。

「いい名前ね。素敵だわ」

 婦人はそう言って優しく微笑んだ。

「わたくしの名はイゼ。イゼ・ラニカですわ。……さあ、貴方もお座りなさいな」

「いえ、僕は……」

「遠慮なさらずに。大人の言うことは素直に聞くものですわ。ご主人、何か飲み物を淹れてくださらない?」

「おいおい、もう店はとっくに閉まってんだぜ。欲しけりゃ自分で淹れてくれよ。もっとも、あんたの欲しがるような飲みもんは置いてねぇと思うが……」

 初老の男は、この酒場のマスターなのだろう。店内にはユウリと探偵、マスターと婦人、そしてやたらに体格の良い大男だけだった。おそらくそれがマスターの言う『バケモンじみた付き人』なのだろう。

「奥様、ご厚意には感謝いたしますがお気遣いには及びません。もう戻らねばなりませんので。なにしろ多忙の身でして」

 探偵が言った。

「あら、残念ですわ。でも、もっと美味しいお茶をご用意しなければ失礼になりますわね。……そうそう、お礼のことですけれど、こちら」

 夫人の差し出した封筒を、探偵は受け取った。

「ありがとうございます。それと持ち帰ってきた依頼品の件ですが……処分してしまってよろしいですか」

 『依頼品』とは言うまでもなく、夫人が切り取ってきて欲しいと頼んだ『身体の一部』のことだ。それほどに夫人の瞋恚が深いものであるわけは、知るべくもない。とはいえ、彼女のように気品に富んだ、麗しい淑女に見せられるものではない。探偵はそう考えたのだが――


「見せてくださる?」

「ご覧になるので?」

「ええ。確かめておきたいですから」

 婦人の答えを確認すると、探偵は懐からひと房のブロンドの毛束を取り出した。


 夫人はしばらく無言で視線を落としていたが、やがてふっと笑みをたたえて探偵を見据えた。

「髪の毛、ね。お優しい探偵さんですのね」

「ご不満でしたか」

「とんでもない。働きにはとても満足しておりますし、感謝してますわ。これで主人の恨みも晴れることでしょう」

 探偵は再び毛束を懐にしまうと、夫人に向けて言った。

「それでは、私はこれで。こんな夜中ですから、できれば送って差し上げたいのですが」

「構いませんわ。わたくしにも付き人がおりますし。……でも、そうね。もしよろしければ彼に送って頂こうかしら」

 婦人はユウリにちらりと視線を走らせた。

「彼に、ですか。もちろん構いませんが……よろしいのですか? 念の為に申し添えておきますが、彼は咎目です」

「ええ。わたくし、ユウリさんのことがとても気に入ってしまいまいしたの。それにユウリさんは、用心棒さんなのでしょう? きっと強くて頼りになるお人なのね」

「……構わないかい?」

 探偵の言葉に、ユウリは無言で頷いた。

 帰り際に、給料分をユウリのポケットにそっと詰め込むと、探偵は去った。


 残された婦人とユウリのあいだに、わずかな静寂が残った。

 初めに静寂を破ったのは夫人だった。

「ねぇ、あなたをお茶にお招きしても、断らないわよね。わたくしにに会いに来てくださるでしょう?」

「は? いえ、僕は……」

「あら、来てくださらないの? わたくしがどうしても、とお願いしても?」

「だって僕は、咎目です。誰かに見られては大変なことになります」

「では、二人だけで会いましょう。わたくし、あなたに興味が湧きましたの」

「なぜ僕に?」

「とても純粋で正直な方だと思うのよ。とても凶悪な犯罪者とは思えないわ。わたくしの勘ですけど。ねぇ、もっと近寄って。目をよく見せてちょうだい」

 夫人はそう言って、ユウリにずいと近寄る。

「綺麗な顔立ち。とても可愛いわ……」

 夫人の艶っぽい声に、ユウリはどぎまぎした。

 これまでの短い生涯のなかで、こんな風に女性から迫られたのは初めてだった。寄宿学校に在籍していたころには女子生徒の同級生もいたが、奥手なユウリにとっては、面と向かって彼女たちと会話することでさえ苦痛だった。そもそも「咎目」となった今では、男女限らず、他人と関わることも避けるようになった。そうせざるを得なかった。


 ユウリの頬に手を添え、婦人が顔を近づけてくる。緊張のあまり頭がぼんやりし、舌の根が乾いた。言葉は出ない。なすがままになるのは情けなかったが、夫人の甘い香りに酔いしれていたい気持ちもある。夫人の吐息が感じられるくらい、その唇がユウリに近づいた時――


 突然、瞳に鋭い刺激と、痛みを感じた。


 婦人の温かい舌が、ユウリの眼球を舐めた・・・のだ。

 ユウリは驚愕して、跳ねるように席から立ち上がった。

「な、何を……!?」

 ユウリが赤面しながら言葉を詰まらせると、婦人は艶っぽい笑みを浮かべながら、囁くように言う。

「わたくし、不感症なの」

 ユウリはうろたえた。わけがわからない。ふかんしょう? この人は一体なにが言いたいんだ……?

「でもね、貴方の瞳を見つめていると身体の芯がゾクゾクするわ。わたくし美しいものが大好きなのよ。貴方の目は、とても美しいわ……」

 夫人は妖しげに微笑むと、言葉を続ける。

「強い決意が溢れている、そんな瞳。だけど同時に、深い悲しみを湛えている。――――貴方、探しものをしているのでしょう。いえ、探し人かしら」

「え……」

「図星? これでも人を見る目には長けているつもりなのよ」

「……はい。探している人はいます」

「良ければ、わたくしに教えて? あなたが誰を探しているのか。もしかしたら、力になれるかもしれません。これでもわたくし、この町では顔が広いのよ」

「探しているのは……」

 ユウリは少し言いよどむ。

 果たしてこの女性に、咎目の少女アリテのことを話してもよいものだろうか。

 ユウリは少しのあいだ迷ったのち、口を開いた。大人びた色気のある夫人の微笑には、何か逆らい難いものがあったのだ。

「俺と同い年くらいの、女の子です。俺と同じ、咎目の」

「……そう。咎目の、少女。それはとても分かりやすい特徴ね」

「……大切な、人なのかしら?」

 ユウリは顔を赤らめて、首を振った。

「べ、別に……恋人だとか、そんなのじゃないです。ただ、でも。大切な人には変わりません。彼女は俺の恩人だから」

「そう、わかりましたわ。もしわたくしの耳にその少女のことが入ったら、あなたに連絡してあげます。約束するわ」

「……! 本当ですか!? ありがとうございます!」

「うふふ。妬けちゃうわね、その女の子のことが」

「……だから、そんなのじゃありません」

「ふふ、冗談よ」

 夫人は照れるユウリを見て楽しむかのように言った。

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