探偵
「すぐ近くだ。車を使うまでもない」
探偵はユウリの前を早足で歩きながら言った。
「今しがた喧嘩をしてきたその足で、依頼人のところへ行くのか? もう夜中だぞ」
「喧嘩ではないよ。私情でやってるわけではないからね、これはれっきとした仕事だ。それはともかく、今回の依頼人からは、我々が依頼を達成するまで近くで待っていると言われている」
「待ってる? 大枚をはたいて他人に暴力行為をさせるような人間だ、かなりの金持ちなんだろ。ここらの区域はそんな上流階級の連中が近寄っていい場所じゃない」
「さてね。私は依頼人に対してはあまり詮索しないようにしているから理由は知らないよ。ただ詮索するまでもなく、彼女はずいぶんと偏執的な人間のようだね。ターゲットの身体の一部を切り取ってきて欲しい、というくらいだから」
「依頼人は女性だったのか。なおさらこんな場所は危険だ。急ごう」
「心配することはないよ。私の知人に匿ってもらっている。とても品の良い、身分の高そうな婦人だったがね。どんな事情があるのかは知らないが……。人の恨みつらみっていうのは、つくづく底気味の悪いものだよ」
探偵は肩をすくめながら言った。
ユウリは探偵の本名を知らない。
これまでにどんな人生を歩んできたのか、歳はいくつなのか、探偵のことで知ることは何もなかった。そもそも探偵と出会ったのはわずか一か月前のことだ。ユウリがこの町に流れ着いた果てに出会い、ユウリをその場限りの用心棒として雇ったのがこの人物だった。
曰く、ユウリを一目で「善良な少年」だと悟ったのだという。
『なにせ食い扶持に困っているのは見て取れたからね。まるで泣いている子供みたいだったよ』と探偵はユウリを笑った。
それからことあるごとに探偵はユウリに声をかけ、用心棒として働かせた。
探偵は恐ろしく印象の薄い人間だった。
こうして何気なく会話をしているものの、ユウリでさえも、一度別れた後にはその顔を思い出せないくらいだった。表情も、声も、背格好も、すべてがぼんやりとした印象としか残らないのだ。
決して癖のない人間ではないはずなのだが、見た目はどこにでもいる冴えない小役人といった趣だった。
あるいはそれが探偵としての類まれなる資質なのかもしれないし――「能力者」としての能力なのかもしれなかった。
「なんだな今夜はざわついてるな。いつもよりも人の気配が多い」
ユウリがつぶやくと、探偵はどこか嬉しそうに応える。
「ほぅ、鋭いね。君も探偵らしくなってきたじゃないか。いっそのこと本格的に助手をやってみる気はないかい?」
「馬鹿言うな。……それで、何があった」
「どうやら能力者の死体が見つかったらしい」
探偵の言葉にユウリの表情が険しくなった。
「……女か?」
「ああ、残念ながら女性だ。だが安心したまえ。咎目でもないし、少女でもない」
そう探偵が言うと、ユウリはあからさまに安心した様子でため息をついてみせた。
「その事件に関連して、私は早々に次の仕事に移らなければならない。聞き込み調査だよ。探偵らしい仕事だろ?」
「なんであんたが聞込み調査をするんだ。それは警吏の仕事だろ」
「警吏は警吏で聞き込みをやってるさ。でも正面からでは接触出来ない情報もある。私は裏口担当だよ。要は治安の悪いスラムでの聞き込みを任されたわけだ。警吏はスラムでは警戒されてしまうからね」
「……ちょっと待て、依頼者は警察関係者だろ? あんた、警察と繋がりがあるのか」
「もちろん。警察からはたびたび仕事をもらってるよ。政府の組織と仲良くしておくのは探偵業をするコツだ」
「警察と繋がりがあるやつが咎目の俺を引き連れていていいのか」
「問題ないさ。バレなければいいだけのこと」
そう言って探偵はにやりと笑う。
「亡くなったのは……どんな女性だ」
「そう、警察が私なんかに捜査協力を依頼するほど躍起になる理由がそこにある。殺されたのは警察組織の諜報員だ」
「……なるほどな」
「優れた能力者だったが、事件の調査中に失踪。発見されたのは実に、失踪してから2ヶ月ぶりだ。発見時には下腹のあたりを抉られて死んでいた」
「まさか……魔術師、の仕業か?」
「知っているのかい?」
「俺も聞いたことがある。同じような事件が各地で頻発していたんだろ。確か能力者の女性だけを狙うという……」
「正確には男性の被害者もいるにはいる。しかしどうも本来のターゲットは女性のようなんだ。男の能力者はおそらく、邪魔だからその場で消されたに過ぎない。一方で女性の能力者は奴に連れ去られ、数週間から数ヶ月のあいだ生かされた後に殺されている。今回発見された能力者も、失踪当時は男の能力者と共に行動していたらしい。ところが男のほうはその場で殺され、女は失踪した。そして今夜になり女の方も見つかったというわけだ。死体になってまだ間も無い状態でね」
「犯人像は何もわかっていないのか」
「異常性癖者……にしては、発見された女性の遺体には凌辱された痕跡が見当たらない。身体は綺麗なままだ。抉られた下腹を除いてはね。ひょっとすると反政府の思想を持つ過激派なのかもしれないが、正確なことは何もわからない。正体がまったく掴めていないんだ。これ程までに徹底して証拠を残さないとなると、相当に頭の切れる奴だろう。ともあれ、これだけ手練れの能力者が起きていたやられているんだ。犯人もまた能力者だと見てまず間違いない」
「……アリテのことが心配だ」
「そうだね。魔術師が再び活動し始めたことは君や彼女にとって非常に都合が悪い。奴が狙うのは能力者、つまり君や、特に女性である彼女もターゲットになりうるということだ。それに奴の捜索のために組織から大量の人員が割かれている。咎目である君や彼女としては、奴だけではなく警察組織の人間に対しても身を隠さなければならないわけだ。率直に言えば、君は今すぐにこの街から離れるべきだと思う」
「彼女の足取りが掴めるまでは、俺は去らないよ」
「しかし、彼女だっていつまでもこの街に留まっているとは考えにくいと思うが」
「わかってる。でも他にどこへ行けばいいんだ? 彼女がこれから向かう先なんてわかりはしないのに。少なくとも、彼女がこの街にいたことは確かなんだ。ましてや咎目の女の子だ、必ず何かの痕跡を残していると俺は思うんだ」
「何れにせよ、旅をするにも先立つものは必要だ。しっかり働いてもらうよ。相応の賃金は払うし、街から出る時は私が協力しよう。約束する」
「ありがとう」
探偵に連れられ、路地に面した暗い地下階段を下りる。
「私だ」
突き当りの汚い鉄扉に呼びかけると、ガチャリと掛け金の外れる音がした。
「終わったか」
中から出てきたのは初老の男だった。落ち窪んだ、人を威圧するような眼でユウリをジロリと見る。
「迷惑をかけたね」
探偵が言うと、男は人相の悪い顔を一層不機嫌そうにした。
「全くだ。あんなお上品な奥様をうちみたいな汚え酒場に連れてくんじゃねぇよ」
「悪かった。だが君のところが一番安全だと思ったんだ」
「あんなバケモンじみた付き人を連れてりゃ、道の真ん中でスッポンポンで寝てたって安全だよ」
「まあそう文句を言わないでくれ。用心に越したことはないだろう」
「終わりましたのね。なんとお礼を言ったら良いか」
二人の会話を割って姿を見せたのは、顔を黒いレースで覆い隠した婦人だった。その所作や身なりから、ずいぶんと高貴な人物であることが分かる。声から判断するに、歳の頃は20代後半か30代くらいだろうか。
「さあ、お入りになって」
夫人は探偵に向かってすすめた。二人は既に、ユウリの知らないところで幾たびか顔を合わせているのだろう。探偵に対する夫人の警戒心は薄く、打ち解けた様子さえあると言ってもよかった。きっと依頼をする際に何度か面会をしているのだろうとユウリは思った。




